第2話

 パンのカビた部分をとりのぞき、五歳の子に差し出す。


「おねーちゃん、ありがとー!」

「ゆっくり食べてね」


 よろしくないのは分かっているが、この孤児院ではカビていないパンが出ることがほとんどない。あっても一年に数えるほど。カビていなくてもカッチカチの固いパン。そして、具なのかゴミなのか分からないものが浮いているスープ。

 寄付金や国からの支援金はおそらく職員のタバコやギャンブルに消えている。私たちに還元されることはない。


 私はこの孤児院で十三歳になった。孤児院も建ってから十三年だそうだ。同い年だ。

 つまり、母が私を捨ててから十三年間誰も引き取らなかった。それは私が卑しい娼婦の娘だから。


「おねーちゃんのかみ、きれ~」

「ふふ。ありがとう」


 パンを渡した女の子が私の銀髪を褒めてくれる。

 銀髪は珍しい。少なくとも私は今まで一人もこんな銀色の髪を見たことがない。


 孤児院の職員の一人がニヤニヤしながら「お前を捨てた母親もそんな髪色の娼婦だった」とわざわざ教えてくれた。娼婦の娘であることはバカにされるのに、その母親譲りの銀髪はよく褒められる。それこそバカみたいに皮肉だ。


「おい、3番!」


 小さな声で会話しながら食事をしていた子供たちに緊張が走る。男性職員がドスドス廊下を歩く音が響き、壊れるんじゃないかという力で扉が開いた。


「お前にお客さんだ。さっさと職員部屋に行け」

「はい」


 早く行動しないと職員が苛立って背中を蹴られたり、鞭で打たれたりする。食事の途中でもさっと立ち上がって職員の後に続いた。


 他の幼い子供たちの期待に輝いた視線が腕や背中に突き刺さる。


 私以外はみんな、夢と希望を見ている。お客さんというのは孤児を引き取ろうとしている大人のことだから。

 私以外はみんな、自分を捨てた親がまた戻って来て抱きしめてくれるか、親切な人に引き取られて幸せになれると信じている。


 娼婦の娘だと分かったら引き取られる話が白紙になり続け、私はそんな馬鹿な期待に胸を躍らせるのは早々に諦めた。あの、大人たちの蔑んだ目。娼婦はこの国では最下層の職業みたい。顔も知らない母親の職業によって、私はあんな蔑んだ目を向けられる。


 あ、廊下の隅にホコリが残ってる。後で戻るときにこっそり拾っておかないとまた怒られちゃう。


 ため息を我慢しながら煌々と明かりの漏れる職員部屋に入ると、ベールで顔を隠した女性が他の職員と話していた。明るすぎてしばらく目が慣れるのに苦労する。食事をしていた部屋は限界まで明かりをしぼってあるからだ。


「遅くなりました。今、子供たちは夕食中でして。うちにいる銀髪の女の子はこの子です」


 いつも「お前」とか「おい」「3番」と呼ばれるせいで「この子」や「女の子」という言葉が一瞬認識できなかった。職員は子供の前とお客さんの前では別人のように態度が変わる。お客さんの前だけは殴られない。


 目がなかなか慣れずぼんやりとベールの女性を見上げると、女性は食い入るように私を見つめてくる。耳が痛くなるほど無言の時間が流れた。目は慣れた。


「どうかされましたか? この子はご不満でしたでしょうか? やっぱり娼婦の娘ですし、名前もつけられていないですし……」

「いいえ、この子を引き取ります」


 今聞こえたのは空耳だろうか。引き取るって聞こえたけど。


「ではこちらの書類にサインを」

「えぇ」


 女性がサラサラとサインするのをぼんやり眺めた。ジャラリという音とともにお金の入った袋が机の上に置かれる。


「確かに」

「ではすぐに連れて帰ります」

「良かったな。ちゃんと言うこと聞くんだぞ」


 私だけがこの状況で置いてきぼりだ。ベールの女性が私に手を差し出す。


「手を出しなさい」


 一体どういうことを分からずぼんやり女性の手を眺めているとそう指示された。あぁ、手のひらを鞭で打つ折檻か。あれは地味に痛い。でも、職員の前なので手のひらを天井に向けて両手を女性に差し出した。


 あれ、女性が驚いたような顔をしている。


「すみませんね、やせぎすで躾がなってなくて。なかなかここまで寄付金は回ってこないもんでこれが限界なんです」


 職員が誤魔化すように近付いてきて私の両手を下げさせた。折檻ではなかったようだ。


「では、馬車を待たせているので行きましょう」


 女性は驚きから立ち直ったようで扉へ歩いて行く。


 あぁ、さっきのはもしかして折檻ではなくて手をつないで一緒に歩いてくれようとしていたのか。唐突に他の子供が引き取られた時の光景を思い出した。みんな私よりかなり幼い年齢で引き取り手が見つかっていたから、大人が手をつないで連れて行っているのかと思った。


「良かったな、引き取り手があって。来年になったらお前を娼館に売り飛ばすつもりだったのによ」


 職員が私の背中を押すと同時に耳元で女性に聞こえないように囁いた。タバコ臭い息とおぞましい内容に体が震える。この国では娼館に売り飛ばせるのは14歳からだった。


「ま、せいぜいまた捨てられないように頑張れよ3番」


 女性が廊下に出たところで振り返っていた。


「元気でな」


 職員に気持ち悪い猫なで声で見送られる。よそ行きの声だ。

 小走りに女性に近付くと彼女は孤児院の入り口に向かって歩き出した。


 ほんの少しだけ、小指の爪の汚れくらい期待してもいいだろうか。娼館に売り飛ばされずにギリギリでこの人に引き取られることになったのだから。私は幸運だと少しばかり思ってもいいだろうか。

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