落花生家族
本条想子
第1話 結婚
“結婚”という二文字は、女性として生まれてきた奈美にとって、憧れだった。奈美は、家事を手伝うことが嫌いなわけでもなく、よく気がつく女の子であった。また、お人形の洋服を、布の切れ端で縫ったりとか毛糸で編んだりとかしていた。
「奈美ちゃんはお人形遊びが好きなのね。やはり女の子ね」
と、よく母から言われていた。
「奈美ちゃんは、お料理上手ね。いいお嫁さんになるわよ」
とも、母から言われていた。
女性は、物心が付いた頃からそんな事を言われ続け、より女性らしくなっていくのかもしれない。
腰掛けの就職で社会に出る。そして、結婚相手を見つけて永久就職で家庭に入る。そこからの女性は、男性と全く違う道を歩むことになる。男性は社会で仕事をして、女性は家庭で家事をする。これは昔ばなしと何ら変わらない。
『お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に・・・』
と、何とものどかな光景だろうと思い、誰しもこの物語を読んだことだろう。
現代は何故かこのような光景がしっくりいかないように思えてならない。それは、若い夫婦に似つかわしい光景ではないからだろうか。奈美は、いつしか若くして花嫁になる願望が自分にないことに気付くのだった。
それからの奈美は勉強で身を立てるというより、手に職を付けるという方向へ傾いて行った。『髪結いの亭主』というような女性の働きで養われている男性が欲しいわけではない。結婚が遠のくとは思えたが、手に職を付けるという選択をした。女性にとって強い味方になると思ったからだ。器用で、よく縫い物をしていたこともあり、洋裁の道へ行こうと決めた。
奈美は短大を卒業してから、洋裁専門校へ行って、2年間勉強した。それからの目標はブティックを開くことにあった。奈美は、自分でデザインした洋服が店に並ぶことを夢見ながら、高級ブティック店でデザイナーとして働いた。
奈美のデザインは思いの外、お客様に受け入れられていた。思い切って、高級ブティックを辞めて、自宅で注文を取るようになった。注文は次第に増え、人を雇えるまでになった。
そして、デザインにも経営にも自信が付いてきていた。30歳になって、当初の目標を実現する時が来た。一生を託すに十分な仕事だと信じて、実行へ移した。ブティックは小さいながらも吉祥寺に出店した。店は年ごとに順調な成長を遂げていった。
奈美の毎日は、髪を振り乱してというようなものでもなく、実に優雅に過ぎていった。こんな一生もまた楽しいものだと自画自賛するのだった。それは、独身貴族の女性版であり、独身をいかに謳歌できるかの挑戦だった。
「奈美先生のデザインって、優しいですよね。気取ったイメージがなく、それでいて高級感が味わえるといった不思議な魅力ですよ」
と、十数年ともに仕事をしてきたチーフデザイナーの水島裕子が言った。
「それにしても先生って、欲がないですね。庶民感覚で、それ以上を望まないという信念のもとに経営されていますからね。得意先からは増量要求があるのに、一つのデザインの数量を抑え気味ですよね。その分、得意先は高値でも販売できるというメリットもあるわけですから。そして、オーダーも安いですよ」
と言うのは、店長をしている田川信枝だった。
裕子も信枝も大事な仕事を任されて、張りのある人生を歩んでいると、日ごろから奈美には感謝していた。もうすでに二人は、結婚もしているし、子供もいた。
二人は、奈美の結婚観が気にかかった。
「『奈美先生は、男性が嫌いなのかしら』なんて、新入りの松宮さんに聞かれたわ」
と、信枝が裕子に言った。
「そんな事ないわ。私が知っているだけでも二三人の男性がいるわ。みんな素敵な紳士よ」
と、裕子は笑った。
「先生は美人だから、言い寄る男性は数多いでしょうね」
「この業界、仕事で会う男性って、独身が多いと思わない。先生が独身って分かると、男性の目の色が変わるのが面白いのよ」
「チーフ、そんな楽しみ方していたの」
「私だって、あれだけの魅力があれば、いつまでも独身でいたいと思うかもしれないわ」
「松宮さんは、チーフのように結婚して子供がいて、それでいて仕事もできるのが理想みたい」
「あら、店長だって、仕事が出来る主婦じゃない。素敵よ」
「私やチーフと先生の違うところは、家庭が見えないところかしら」
「最初、うちの主人は主婦の片手間の仕事だろうと思っていたらしく、『家事をおろそかにしてまで打ち込むな』と言っていたのが、今では全く違うの。家事を手伝うだけでなく、進んで家事をするようになったのには、驚いたわ。男性も変わるのね」
「あら、それは元々ご主人にその要素があったのよ。私の主人はいまだに、縦の物を横にもしないわよ。うちの主人は、女の本分と男の本分というものをはっきり区別しているのよ」
「時代の流れに乗ったのかしら。今は若い夫婦の共働きが多いから、家事を手伝う男性も多いと聞くわ」
「私が遅くなる時には、娘によく言って食事の支度をしてもらうのよ。私が用意してきても、箸も付けずに残っているの。頭にくるわ。その点、娘は鍛えられて、いいお嫁さんになると思うわ」
と、信枝は複雑な思いで微笑んだ。
「うちは息子二人だから、主人も甘えてはいられなかった事情もあったのね」
と言いながら、夫にはすまないという思いもあった。
しかし、裕子は主婦でありながら、重要な仕事を続けて来られたことに誇りを持ってる。また、それだけに大変だった事を思い起こしていた。
「私たちの結婚生活期間と、先生の仕事に情熱を注いできた期間とは、どんな違いがあるのかしら」
と、信枝は首を傾げた。
「大きな違いがあったはずよ。少なくとも、私たちには家族がいる。先生は独身で独り暮らし。でも、ご両親は東京で健在だし、たまに帰省するみたい。妹さんが結婚していて、子供もいるみたいだから、その点でご両親は口うるさくないようね」
「独身という事は、誰にも迷惑をかけなかったということかしら。私たちには頼れる夫や見守ってくれる子供たちがいる。その分、家族に気を使いながら、やすらぎの中で仕事をしてきたのね」
「以前、私が先生に『子供っていいですよ』と言ったら、『子供は欲しいわ。めちゃめちゃ可愛くて離れられなくなると思うわ』って言っていた事があった。あれって、先生が母性本能の強い証拠だと思う」
と、裕子が言った。
「女性の体って残酷ね。男性なら働いて財産を作ってから、子育てしようと思うと出来るのに、その出来る男性が子育てを嫌がるのだから皮肉よね」
と、信枝は真剣に言った。
二人は奈美の独身について話しているうちに、社会問題を考えるようになっていた。信枝の夫も今の男性社会の典型みたいな考え方を持っていた。その考え方を受け入れなければ、夫婦の関係は保てないとあきらめている信枝だった。しかし、裕子の夫が変わったことを聞いて、子供たちが巣立っていって、夫婦だけになったときの今の夫の考え方に付いて行けるか疑問に思えてきた。そこで、信枝は少しずつでも、夫の考えを変えようと思い始めていた。
「私も家族には寂しい思いをさせているのかもしれないと思っているわ。それは、家族がいるからで、先生はそういう意味で家族がいない分、家族に迷惑をかけないし、かけたくないみたい。そうした事が、結婚に踏み切れない要因みたいなこと聞いたことがあるわ。『私、欲張りなのかしら』と言った言葉が印象に残っているの。誰も彼もが幸せを感じられる生き方。それが、独身なのか、専業主婦なのか、共稼ぎ夫婦なのか。それぞれ違うのでしょうね」
と、裕子は考え込んだ。
「先生は、その家族のいない寂しさを仕事に燃えることで解消できているのね。チーフの家族は恵まれていると思う。うちのような家庭なら私は我慢できても、先生なら無理があると思うわ。やはり、自由な世界で羽ばたいてこその奈美先生ね」
「私たちも仕事に生き甲斐を感じている反面、子供たちは寂しさを感じているかもしれないから、共稼ぎを分かってもらう努力をしなければね」
と、裕子は言った。
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