10




 奈江は大野川沿いを走り、吉沢らんぷへ向かう。途中、彼岸橋の中ほどで足を止めると、後方を振り返る。


 区画整理で整った交差点の角地は、塀はあるのに家はない。なぜ、空き地になっているのか考えもしなかった。


 彼岸橋でなくなった交通安全の御守りを一緒に探しているとき、秋也は何を思っていただろう。


 猪川家のせいで女の子が亡くなった。そんなふうに思い詰め、御守り探しに付き合ってくれたのかもしれない。


 自分は悪魔だと苦しむぐらいだ。奈江の知らないことで、いまだ、彼は傷つき、悩んでいる可能性は否定できない。


 奈江は非力だ。だけれど、秋也のそばにいると決めたのだから、その悩みを少しだけでも一緒に背負わせてもらえないだろうか。


「いない……」


 吉沢らんぷの入り口には、『ただいま、外出中』の立て看板が置かれている。


 仕事で出かけているのだろう。帰ってくるまで待っていようと、奈江が店先から道路の方へ振り返ったとき、商店街を抜けてくる白のワゴン車が目に止まった。


 あれは、秋也の作業車だ。あわてて角を曲がると、店の裏手に入っていくワゴン車が見える。やっぱりそうだ。秋也が帰ってきたのだ。


 追いかけるようにして裏口の駐車場へ踏み込む奈江は、運転席から降りてきた秋也を見つけるなり駆け寄る。


「奈江、こっちに来てたんだな」


 秋也はいつもと変わらない笑顔で、そう言う。


 奈江、と名前を呼ばれるのはまだ慣れない。だけど確実に、以前よりも今の方が、秋也の心の近くにいると勇気づけられる。


「伯母さんが大福一緒に食べようって」

「大福? それで来たのか?」


 おかしそうに笑いながら、キーホルダーから店の鍵を選び取り、秋也は裏口のドアを開ける。


「秋也さんも一緒に食べないかって。時間はある?」

「今からちょうど、休憩時間。すぐに行く? それなら、着替えてくるから、ちょっと待ってて」

「その前に、話があるの」


 そう言って、中へ入っていこうとする彼の背中を引き止める。


「大事な話?」


 ふしぎそうに振り返る秋也も、奈江が思い詰めた顔をしてることに気づいて、真顔になる。


「今すぐ……がいいよな。中で話そうか」


 秋也はすぐさま、奈江の背中に腕を回し、裏口からつながるキッチンへと入る。


 奈江をソファーに座らせ、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをグラスに注ぐ。そして、グラスをテーブルの上に置き、彼もまた奈江の隣に腰を下ろす。


「何かあった?」

「彼岸橋の近くにね、猪川さんっていうお宅があったって聞いたの。今は空き地になってる、あの交差点の角のところ」


 ああ……、と秋也は声にならない声を漏らし、グラスをつかむと、一気に飲み干す。


 そうして、うつむく彼の手に、奈江はそっと手を重ねる。拒絶されたらどうしよう。不安だったけれど、彼はしっかりと握り返してくれる。


「ずっと、話さなきゃいけないって思ってたんだ。いつか、奈江の耳に入ることはわかってたから」

「話してくれるの?」

「隠す必要はないからさ。どこまで知ってる?」


 かろうじて笑顔を見せてくれる彼から、奈江は目を離せない。


「あの角地が秋也さんの祖父母の家で、火事になっておばあさんとご両親が亡くなったってことだけ」

「それだけ? じゃあ……、俺が生まれる前の話からしようか」


 少しだけ思案したあと、彼はそう言う。


「生まれる前?」


 秋也の苦しむ理由が、生まれる前からあるのだろうか。


「俺の父親にはさ、祖父の決めた許嫁いいなづけがいたんだ」


 秋也は淡々と、話し出す。


「祖母はもともと厳しい人だったらしいんだけどさ、祖父がはやくに亡くなって、猪川家を守らなきゃって思いがますます強くなったのか、かなりがんこな人だったんだ。まだ就職したばかりの父親に許嫁との結婚を迫ったりね、後継をどうするんだって、そんな話ばっかりだったらしい。もちろん、父親はまだ自立もできてないんだから無理って断って、仕事に邁進。転勤先で、母親と出会って、結婚を認めてもらおうと大野に帰ってきたら、許嫁はどうするんだって騒ぎになったらしい。許嫁って言ってもさ、親同士の口約束。お互いにいい人がいなかったら、結婚させようか……その程度の話だったらしいよ」

「じゃあ、許嫁の方も、それほど?」

「叔父さんから聞いた話じゃ、そうらしいよ。お互いに結婚なんて言われても迷惑だよねって笑い飛ばすぐらいの……、そうだな、幼なじみの関係だったみたいだ」


 秋也はわずかに苦笑したが、まぶたを伏せると息をつく。


「でもさ、孫が生まれれば、少しは態度が変わるだろうって期待した両親の思いは裏切られて、祖母は俺を妊娠した母親を罵倒したらしい。それで父親は怒って、祖母とは絶縁。それ以来、あの日まで一度も大野に帰らなかったんだ」

「あの日って……」

「そう。火事になって、みんなが死んだ日」


 彼は顔をあげると、さみしそうに、どこか遠い目をする。


「じゃあ、秋也さんはそのときに初めて、おばあさんに会ったの?」

「そう。覚えてるよ、今でも。俺を冷たい目で見た祖母を。母親は一緒に連れてくるんじゃなかった、ごめんねって謝った。それが、最後の会話だったよ」


 ぎゅっとつかまれたように胸が苦しい。だけれど、秋也はこの何倍もの苦しみを抱えているのだ。


「どうして大野に戻ってきたの?」

「祖母が特殊詐欺に騙されたんだよ。父親が困って頼ってきたんだって勘違いして、大金を振り込んだらしい。いくら、絶縁したって言っても、父親はかわいい息子だったんだろうな。さすがに、父親も放っておけなくて、祖母に会うって言い出した。母親も結婚を許してもらいたい気持ちがあったんだろう。大きくなった俺を見てもらいたい。そんな気持ちもあって、みんなで大野に行くことになった」

「和解ができるかもしれない大切な日だったんですね」

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