13
「それからしばらくして、あいつが学校を辞めたって聞いた」
落胆を隠せない様子で、秋也はぽつりとつぶやく。
「温美さんが原因ですか?」
奈江は問う。
「そう思ってた、俺は」
「違うんですか?」
秋也はこちらに目を移すと、そっと笑む。頼りなくて、悲しそうな目をしている。
「温美に呼び出されて、あいつに会いに行った。ベッドで仰向けになるあいつの……、点滴のつながるあいつの手を、温美が握りしめてた」
「……入院されてたの?」
奈江は表情をくもらせて、彼の話に耳を傾ける。
「胃がんだった。俺はすぐに思い出したよ。あいつが、背中が痛いって弱音を吐いたことを。もしかしたらって、今でも思う。あのとき、病院に行ってたらって、何度も悔やんだ。あいつは時々具合が悪そうで、忙しさのせいにしてたけど、俺がしつこく病院に行けって言ってたら、死ななかったかもしれない。いや、違う。俺が大学に行きたいなんて言わなきゃ、あいつは無理なんかしなかったし、まだ生きてたかもしれない」
「猪川さん……」
奈江は首を振る。
それは違う。秋也のせいじゃない。
「あいつ……、死ぬのは怖いって言ったんだ……」
前髪をくしゃりとつかむ秋也の腕に、奈江はたまらずそっと手を置く。
どうなぐさめたらいいかわからない。なぐさめが必要かもわからない。けれど、秋也はホッとしたような表情で、手を重ねてくる。
「平宮と温美はさ、兄妹だったんだ」
「え、兄妹?」
意外な話に驚く。
「腹違いの兄妹。平宮は知ってたんだ。父親の再婚相手の子どもの名前を。だから、温美に兄かも知れないって名乗り出たらしい。温美は祖母に確認して、平宮が間違いなく兄だってわかってうれしかったそうだ。それから、学校が休みの日は平宮と出かけたり、アパートで会ってたらしい。誤解されてもいいから、一緒にいたかったって言ってたよ」
「それで、温美さんはなんにもわかってないって?」
秋也にさえ、兄妹という事実を隠していた。彼女の理解者は平宮という教師だけだったのだろうか。
「俺は何もわかってなかった。あいつが死ぬとわかる日まで、何もしないで平然と生きてきた。温美から平宮を奪ったのは、俺だ。そう思うと、今でも温美は俺を許してないんじゃないか。そんな気持ちになる」
「温美さんにそう言われたわけじゃないんですよね?」
「温美は、ありがとうって言ったよ。病院に来てくれてありがとうって。あいつらの父親は再婚してるから、平宮も温美同様、ひとりで生きてきた。死ぬ時ぐらいはひとりにしたくないから、そばにいてあげてほしいって。俺と温美の目の前で、平宮は死んだよ。死にたくないって言ったくせに、幸せそうな顔してた」
今にも泣き出しそうな秋也に胸が痛む。
なぜ、こんな話をするのか。弱みを見せるような真似をするのか。いつも穏やかで優しい彼の中にひそんでいた苦しみを、ちゃんと受け止められているのだろうか。
奈江は自問しながら、秋也の手を握り返す。
「あんまり自分を責めないでください」
「そうだな。温美もそう言った。死ぬのは運命だったんだって」
「運命……」
「仕方のないことだった。温美はそうやって俺を励まして、俺は平宮がくれた人生を大切に生きるんだって誓った。だけどさ、そんなたいそうな人生は送れてない。今は、生きてればそれでいいんだって、それだけだ」
「そう思うだけでもすごいことです」
「そうかな。たださ、ほしいものはほしいって、素直になることにはしてる」
「いつ死んでも、後悔しないように?」
そうだよ、というように秋也はうなずくと、こちらをまっすぐ見つめてくる。
「早坂さんと知り合いになるのも、正直、怖かった。俺に関わったせいで、早坂さんを死なせるかも知れない。そんなことも考えた。だから、あの日、具合の悪そうな早坂さんをずっと見てた。線路から落ちそうになる早坂さんを救えてよかったと思う」
「考えすぎです。あれは疲れてただけで、猪川さんとは関係ないです」
知り合う前の話だ。あのとき、線路に落ちていたとしても、秋也のせいじゃない。
「たとえそうだとしても、何かあれば、俺は必ず自分を責める。もうこんな……、過去に縛られた人生からは抜け出したい」
それは、秋也の心の叫びのようだった。
だから、宮原神社の祭りに行きたいと言ったのだろうか。因縁とも言える縁を手放すために。
うつむく秋也の顔を、奈江はのぞき込む。間近で見つめ合う。こんなふうに男の人に接するのは初めてで緊張する。でも、秋也が見せた苦しみに向き合いたい気持ちが奈江の背中を押す。
「今のお話を聞いて思うのは、猪川さんは聡明な努力家で思いやりがあって、その上、ご家族や友人、恩のある方を大切にされてるんだなってことだけです」
彼は意外そうな表情で、まばたきをした。
「驚いたな。そんなふうに言ってもらえるなんて思ってなかったよ」
「猪川さんの行動が、良いご縁を運んでるんですよね。私には難しいから、宮原神社の神様にお願いしてみようかな」
なぜ、こんなにも秋也が優しいのか、穏やかに笑うのか、それがわかった気がして、奈江の口から自然とそんな言葉がこぼれ落ちる。
「それって、一緒に祭り、行ってくれるってこと?」
「お祭りはあんまり得意ではないんですけど」
「祭りに得意とか不得意とかあるの?」
秋也は目を丸くしてそう言うと、おかしそうに笑った。
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