10
康代から預かった紙袋を下げて、吉沢らんぷを訪れると、秋也は作業台の前に座って、台座から外されたランプシェードを眺めているところだった。
「早坂さん、いらっしゃい」
シェードを置いて笑顔を見せる秋也に、奈江は頭を下げて尋ねる。
「修理ですか?」
「ああ、これは違うんだ」
「違うんですか?」
修理じゃなきゃ、何をしてるのだろう。興味が湧いて作業台に近づくと、秋也が立ち上がる。
「早坂さんは修理?」
視線が紙袋に注がれるから、奈江は菓子折りを取り出す。
「伯母が、猪川さんにって。修理のお礼です」
「それはうれしいな。ありがとう」
すんなりと受け取ってくれる。変な遠慮がないから、ホッとする。自分もこのぐらい素直になれたらいいのに、と奈江は思う。
「冷蔵庫、ありますか?」
「冷やした方がいいもの?」
「栗きんとんなんです。すぐに食べないなら、冷蔵庫に入れてくださいって」
「栗きんとんかぁ。もうすぐ3時になるね。早坂さん、一緒に食べていく?」
掛け時計へと目を向けて、彼はそう言う。
「えっ」
「遠慮しなくていいよ。ちょうどいま、コーヒー豆もらったから、すぐに淹れるよ」
秋也が店の奥へ行こうと背を向ける。
「私は大丈夫ですから……」
仕事の邪魔はしたくない。引き止めようとした奈江は、レジの奥にある生成りのカーテンが揺れたのを見て、口をつぐんだ。
秋也以外に誰かいるのだろうか。そう思ったとき、カーテンから人が出てくる。女の人だ、と奈江は緊張して言葉を失う。
「秋也くん、半分瓶に入れて……あれっ、お客さんいらしてた?」
女の人は奈江に気づくなり、ハッと口を手で覆う。その拍子に、白い金髪から覗くロングイヤリングが揺れる。
「いや、お客さんじゃないから」
秋也はそう答えると、奈江へと目を向ける。
「美容師の
照明の人だ、と奈江はすぐに思い出す。先日、照明の調子が悪いからと、秋也に仕事を依頼した人の名前が、たしか、温美だった。
「そうそう、コーヒー豆、瓶に入れて冷蔵庫に入れておいたから」
温美は思い出したように言うと、奈江をじろじろと眺めて、意味ありげに口角をあげる。その、意志の強い面立ちによく似合う、真っ赤な口紅に圧倒されていると、彼女は秋也の腕を小突く。
「秋也くんの恋人?」
秋也は様子をうかがうようにこちらを見る。そうして、さらりと答える。
「返事に困る質問は受け付けてない」
「ふーん、意味深。ま、いっか。じゃあ、また来るね」
温美は「失礼しましたー」と、軽やかに店を出ていく。ジーンズの後ろ姿がとても綺麗で、スタイルがいい。ハキハキとしたところも小気味が良くて、奈江とは正反対だ。
どんな関係なんだろう。付き合ってるようには見えなかったけど、別れた恋人だったりはするのだろうか。そうであったとしても違和感がないぐらい、秋也にお似合いに見えた。
奈江がいつまでも彼女が去った扉を眺めていると、秋也が声をかけてくる。
「早坂さん、こっちにおいでよ。コーヒー淹れるから」
「えっ、こっち?」
「キッチンあるからさ」
秋也は店の奥を指差すと、菓子折りを持ってカーテンを引く。おそるおそる中をのぞいた奈江は驚いて息を飲む。
カーテンの奥には、キッチンというにはおしゃれすぎる空間が広がっていた。キッチンもテーブルもソファーも、すべてがダークブラウンに統一されている。部屋を柔らかに照らす照明の数々はアンティークのシャンデリアやランプだろう。
「おしゃれなカフェみたい」
「気に入った? 吉沢さんが好きなようにしていいって言うから、くつろげる部屋にしてみたんだよ」
「猪川さんのコーディネートですか?」
そう、と彼はやや得意げにする。
賢くてカッコよくておしゃれな彼の前で、奈江は不安になる。知れば知るほど、彼への想いは募るのに、自分はつり合うものを何も持ってないと思い知らされる。
秋也に似合う女性になれるんだろうか。ぼんやりと考えて、頭を振る。おかしい。今までなら、似合う女性にはなれないから、好きになったらいけないんだと思っていたし、そもそも、お付き合いしたいなんて考えたりもしなかったのに。
「温美が持ってきたコーヒー、商店街で売ってるんだよ。香りも味も抜群だから、飲んでみてよ」
「よく買ってきてくれるんですか?」
「ついでにね」
冷蔵庫からコーヒー豆の入った瓶を取り出した秋也は、コーヒーメーカーの置かれたカウンターに移動する。サイフォンで淹れてくれるみたい。本格的だ。
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