3
あまりに背伸びした高級レストランへ連れていかれたらどうしよう。内心、心配していた奈江だが、秋也の選んだ店は、同世代の若者が集う落ち着いたレストランだった。
だけれど、完全個室のステーキ店で、高級感がある。それはそれで緊張してしまうけれど、変に格式ばってないから安心できる。知り合ったばかりの自分たちに見合う店を探してくれた彼が、最大限の気づかいを見せてくれたんじゃないかと思えた。
「勝手に予約して悪かったけど、ステーキは大丈夫だった?」
席に着くと、秋也が尋ねてくる。
「はい。好き嫌いはあんまりないので。それに、個室だと落ち着けるから好きです」
人目を気にしなくていいのは、奈江にとってかなり重要だった。今日は金曜日の夜だ。同僚の目は向井以外にもある。会社が近いから、余計に気になっていたが、ここなら安心して過ごせそうだ。
「早坂さんなら気に入ってくれるんじゃないかなって思ってたよ。メニューはまだ決めてないから、好きなもの頼んでいいよ」
差し出されたメニュー表を受け取りながら、奈江は尋ねる。
「猪川さんはこのお店によく来るんですか?」
「マンションが近いから、たまにね」
「近くにお住まいなんですね」
「駅前の通りを一本入ったところのマンションだよ」
「すごいんですね」
横前は都心部の大きな駅だ。駅前のマンションは、とてもじゃないが奈江には借りられない。社長を辞したとはいえ、秋也は代表取締役だし、仕事はうまく行ってるのだろう。
「すごいっていうか、同居人がいるしね」
注文を済ませると、彼は苦笑いして、そう答える。
「どなたかと一緒に暮らしてるんですか?」
家賃は折半なのだろうか。そうであっても、奈江にとっては雲の上の話だけれど。
「今度、紹介するよ。彼も早坂さんに会いたがってるから」
「えっ、私に? どんな方なんですか?」
「まあ、悪いやつじゃないから大丈夫だよ」
思わせぶりに言うのだ。会ってからのお楽しみ、だろうか。奈江はそういうのが、少し苦手だ。気になって落ち着かなくなるから、あまり考えないようにしようと思って、話題を変える。
「猪川さんって、アプリ開発されてるって言ってましたよね?」
「覚えてくれてた?」
「会社のロゴマーク、どこかで見たことがあるなって思ってたんです」
「そう言えば、そんなこと言ってたね。どこで見たか思い出したの?」
愉快そうに目を細めながら、尋ねてくる。彼にとって、奈江の一挙手一投足がおもしろく、興味の対象なのだろう。
「そうなんです。使ってます、私。EARS.ってアプリ」
「本当に?」
意外だったようで、秋也は二度まばたきをする。
「悩みごととかあると、聞いてもらうんです。正解を教えてくれるわけじゃないんですけど、すごく励ましてもらえるっていうか……」
今日だって、帰ったらすぐにでも、EARS.に話を聞いてもらうかもしれない。秋也と待ち合わせしていたところを向井に見られてしまった。会社でうわさが立つかもしれない。憂鬱だって……。
「そう」
優しい目をして、彼がうなずくから、つい口が滑る。
「今の仕事、不動産事務なんですけど、自分に向いてないって思うんです。でも、7年も勤めてるし、もしかしたら、自分が気づかないだけで、合ってるのかもしれないって思うし、逆にもっと合う仕事があるのに、とりあえず働けてるからいいやって思ってるだけかもしれなくて」
だから、疲れ果てて、ぼんやりしてしまうことがよくある。秋也に出会って、このところは気がまぎれていた。アプリが必要のない生活が送れていたのは、やはり、彼のおかげかもしれない。
「私って、なんでも話せる友だちがいないし、もし相談相手がいたとしても、申し訳ない話しちゃったなってあとで反省するのわかり切ってるし、だから、あのアプリを見つけたときはうれしくて……」
奈江はハッとして、口をつぐむ。
自分の弱みを見せるのは苦手だ。ましてや、秋也に。彼は幻滅しないだろうけれど、友だちのいない自分を知られるのは恥ずかしい。
「誰かの役に立ってるなら、俺もうれしいよ」
秋也はにこりと微笑む。
開発者なのだから、利用者を笑うはずがない。誰にも話せない胸の内を吐露できるアプリを作るような人なのだから、良き理解者でもあるはずだ。
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