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青年は作業着を着ていた。手には黒いコードらしきものを持っている。彼が店主だろうか。
さっき見たばかりの無骨な張り紙が脳裏をよぎる。彼の書いたものだと言われたら、納得するような豪快な雰囲気がある。
いや、店主は遥希の父親じゃないのだろうか。彼はどう見ても、自分と同世代の青年だ。ぐるぐると頭の中を考えが巡ったが、それより何より、奈江は見覚えのある顔に驚いていた。
「昨日のっ!」
思わず、声をあげると、青年は一瞬、きょとんとしたが、すぐに「ああ、駅で」と笑顔になった。
いかつい体格からは想像できないぐらい優しく笑う人だ、と思う。威圧感のある男の人が苦手な奈江だが、攻撃的ではない笑顔によって緊張が和らぐのを感じる。
「昨日はありがとうございました。ちょっとぼんやりしてたみたいで」
奈江はそう言って、頭を下げた。
あの一瞬、ほんの一瞬、死んでもいいかもしれない、と考えたなんて言えるはずはない。本当に死にたいと思ったのかさえ、不明瞭だ。魔がさそうとした。そんな感覚だろうか。だけれど、この感覚をうまく説明できる自信はない。
「危なっかしい感じがしたから、見ててよかったよ」
青年は柔らかい笑みを浮かべたまま、そう言う。
見てて、とは気になる言い方だ。自分が気づいていなかっただけで、ずっと見られていたのだろうか。
「今日はお礼を言いに? あ、いや、俺がここにいるなんて知らないよな。ランプの修理に来たの?」
奈江の持つ紙袋に気づいた彼は、やけにフレンドリーに話しかけてくる。かしこまった接客は期待できないような雰囲気なのに、失礼な感じもしない人なつこさが憎めなくて、奈江もすぐに受け入れる。
「伯母のランプが壊れちゃったみたいなんです。見てもらえますか?」
「すぐに見させてもらうよ」
「作業中じゃなかったですか?」
作業台の上の解体されたランプに、ちらりと視線を向ける。
「時間かかるから、お客さんのランプ、先に見るよ」
青年はすぐに手に持っていたコードを置くと、何も乗っていない作業台の前へ移動してきて、奈江から紙袋を受け取る。
「もう20年以上前にこちらで買ったみたいなんです」
梱包材を丁寧に外してランプを取り出すなり、青年は感嘆の息を漏らす。
「ああ、これはいいランプだね。ミューラー兄弟の作品だよ」
「ミューラーって、あの有名な?」
ランプには全然詳しくないが、名前ぐらいは聞いたことがある。
「そう、フランスのね。このガラスシェードに使われてるヴィトリフィカシオンっていう技法は、アールデコ期を代表するものでね。それにほら、ここにミューラーのサインが入ってるだろう?」
ヴィト……? 何かよくわからないまま、奈江は彼の指差すシェードをのぞき込む。確かに、サインと思われる文字が刻まれている。
「これは、1920年代のものかな」
「20年っ? 100年以上前のものなんですか?」
ひどく驚くと、青年は愉快そうに肩を揺らす。
「まあ、吉沢らんぷはそういった作品ばかり扱ってるから珍しくはないんだけどね」
店内にいくつも並ぶ、大小さまざまなビンテージランプを改めて眺める。博物館さながらに鎮座するガラスシェードのランプの数々が、芸術品と呼ぶにふさわしい美しさと荘厳さを備えているように見えてくるから不思議だ。
「全部、売りものなんですよね? あっ、でも、今は修理だけでしたっけ?」
出窓にある張り紙の方へ目を向けると、青年は肩をすくめる。
「どうしても欲しいっていうお客さんには販売してるんだけどね、今は買い付けしてないから、店内にあるだけで終わりだし、売る気がないっていうかな」
「もう買い付けはしないんですか?」
「店長の吉沢さんがいないからね。店長が亡くなってからは、俺が店を引き継いで、今は修理だけ請け負ってるんだよ」
そうなのか。遥希の父親は亡くなったのだ。
「あなたは買い付けやらないんですか?」
奈江が疑問を投げかけると、青年はうっすら口もとに笑みを浮かべ、くしゃりと髪をつかむ。なんだか悪いことを聞いてしまったみたいだ。
「あっ、すみません。差し出がましいこと聞いたりして……」
「いや、全然。俺には向いてないからさ、買い付けはしないって決めてるんだ。吉沢さんの真贋を見分ける目があってこそだよ」
気にしてないと言いつつ、彼はさみしそうな表情を見せるが、すぐに気を取り直したように、職人のまなざしでシェードの中をのぞき込む。
「壊れたのは、いつ?」
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