ヨタバナシ

糸田三工

第1話 ツメタイニンゲン

ボクは冷たい人間だと言われる。


 滅多なことではメールアドレスを交換しない、初対面で意気投合することがあっても一時的な気の迷いである可能性を考慮して、然るべき冷却期間を置くように心掛けている。


 不要不急の用事以外では、当方から連絡することは絶無であり、時候の挨拶等といった虚飾は一切省略して、必要最小限の伝達可能文字数だけを綴り、当然のことながら返信も諾否以外は表明しない。


 況やSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)に至っては、反吐が出るほど嫌悪しており、絶対に巻き込まれないように用心している。


 会ったこともない「友達の友達」なんて赤の他人でしかなく「いいね」と賛同されても面倒臭いだけだし「いいね」の反対なんて定着した訳語もなく「和を以て貴しとなす」を大事にする文化には馴染まないのではないかと考えている。


 「人の噂も七十五日」で流行廃りがあり、良い人と呼ばれる人間は当たり障りのない面白みに欠ける存在若しくは都合の良い存在でしかあり得ない。


 良い人と紹介されて文字通りの評価であることは稀であり、反対に悪口を言われている人こそ相性が良いのは生来の「旋毛曲り」であるからかもしれない。


 クラス替えがあると前の友達とは余程のことがなければ連絡しないし、出会いは黙っていても追っ掛けて来るので、幾何級的に増加していくことは「火を見るよりも明らか」であり、旧交を温めている時間はないと割り切っている。


 テレビや雑誌なんて所詮、広告主(スポンサー)の意向に忠実な宣伝媒体であり、グルメレポーターを称する芸能人のサイン色紙が賞金首若しくは墓石のように壁一面に飾られている店の前に並んだ行列と言う名のオブジェを構成する一点に成り下がるつもりは毛頭ない。


 一方的な罵詈雑言に不愉快な気持ちにさせたら申し訳ないが、百歩譲って本当に個人的に大切にしたい憩いの場所であれば、喧噪に包まれた惨状を招来される行動を慎むであろうことは容易に想像出来る。


 単に食欲を満たすだけではなく、臨席する人との関係性、雰囲気を含めて、五感で堪能するのであり、断片を切り取って撮影することは自己満足の充足とは懸け離れた精神的な飢餓感の発露である。


 このような辛辣な言葉で嫌悪感を抱かせることなく、座持ち良く語りながら、最後にお決まりの「まいう~に美味いなし」と切り捨てるのが、あの人であり、ボクは受け売りの二番煎じでしかない。




 ボクは冷たい人間なのかもしれない。


 人間関係の縺れは物心ついた時からの宿痾であり、悪い喩ではあるが四国巡礼における同行二人のようなものであり、深く考えないように誓った。


 野球部や組合活動で休日も殆ど不在であった父に対する母の愚痴を延々と聞かされ、後年になってから休日を持て余す父は母には頭が上がらないので、捌け口としてボクに手を挙げることもあったが、それは男同士による禁断の秘密であった。


 週末こそ厳格な父の顔色を窺いながら抑圧を感じていたが、平日は母の庇護を受けて我儘放題だったので、対人的な距離を考慮するのは大の苦手であった。


 早逝した母方の祖父を手放しで称賛する反面、父に対する不満をボクに訴え続けることが心身の発育に及ぼす負の効果を考慮する機微さえも残念ながら母は持ち合わせていなかった。


 父の旧友が来訪した時の乱痴気騒ぎは台風の上陸を只管耐え忍ぶしかない南国に住む住民の無力さと同様であり、翌日に論語の学而を引用して友達を大切にするように諭すことも反発心しか生まれなかった。


 勉強もスポーツも人並み以上に熟すことが出来たので、クラスの中心付近にいたが帰属意識は皆無であり、ネバーランドに住む永遠の子供であり続けることは出来なかった。


 無邪気な子供時代に大人の世界、いや大人を前にした子供の無力を垣間見た最初の経験は幼稚園での騎馬戦であり、事前練習では常に勝ち残り組だったのに、本番は親子騎馬戦で親に肩車されての競技だった。


 当時は週休二日制でなかったので、父でなく母の肩車だったので、動作も緩慢であり、開始早々に上から伸びてきた手に易々と鉢巻を取られてしまった。


 予想外の結果に茫然自失してしまって、その日は不貞寝するまで不機嫌であった為、母は慰めるように「農家の子はお父さんが来ているので敵わないけど、お爺さんやお婆さんが代わりの子もいたし、ご家族が来られない子は見学していたでしょう」と囁き、責任は父にあることを暗に仄めかした。


 プロテスタント系教会の付属幼稚園に通っていたので、余り気付かなかったが、小学校に上がると学区はボクが住んでいる新興住宅地と昔ながらの農家と公営住宅から構成されていた。


 過保護なのに成績だけは気にする母は教育熱心な新興住宅地の友達と親しく付き合うことを強制し、農家の次男坊であり、因循姑息な農家の習慣を嫌悪しており、秋祭りで山車に乗せて貰うこと拒否こそしなかったが親しく付き合うことは露骨に嫌悪していた。


両親共に高卒であった為、銀行内部における辛酸を舐め尽くす体験を通して「最低限、大学だけは卒業しろ」が口癖の父も公営住宅には駄菓子を買い漁り、万引きの噂も絶えない子も数人いたので、暗黙の裡に禁止されていた。


 授業に関しても、理解している者は二割、理解する努力をしている者も六割、理解することを放棄している者が二割のパレート最適に従っているが、最初のグループは新興住宅地に集中する歪な構造であり、教師も決められた教育課程を淡々と説明するだけで、敢えて下位の二割に手を差し伸べるような奇特な人物は皆無だった。


 隣席の友達がボクに質問しているのを見付けると、最初はボクに答えさせたが、難なく答えることに業を煮やして、友達に答えさせて「授業を聞かずに話していると皆に迷惑を掛ける」と遠回しにボクを公開処刑のように批判するので、面倒臭くなり只管時が経つことのみを待ち続けた。


 学区の少年野球団には父の勧めもあり、入団したが監督やコーチの息子が極端に優遇され、近所に住む総監督から度々「お父さんに監督になって欲しい、そうすれば絶対にレギュラーにもなれる」と懇願されること、尻バットや砂利場でのシートノック等の無意味なシゴキや少年野球では禁止されている変化球をナチュラルと審判を誤魔化して主戦投手二名の肩若しくは肘を故障させた勝利至上主義にも嫌気が差して五年生で退団した。


 野球独特の監督を頂点にコーチや先輩への盲目的な服従を強制する封建的且つ作戦や選手の体調等の情報漏洩を防ぐ為、他のチームとの交流を禁じる閉鎖的な体質に幻滅していたので、中学ではその当時流行っていた少年漫画の影響も大いに受けて、サッカー部に所属した。


 幸運にも顧問は相当実績のある先生でブラジル体操、鳥籠、ミニゲームで選手の主体性と創意工夫を尊重する指導だったので、夢中になり、気が付くと小学校からサッカー一筋の主力組に次ぐ存在になっていた。


 順風満帆で穏やかな日常の水面下で上履きに画鋲が入れられ、スパイクが紛失若しくは破損している事件が周辺で発生し出すと何もかもが嫌になり、我慢していた成長痛を理由に両親に退部を相談した。


 野球に続き、サッカーも尻を捲ることに父は猛反対したが、学生の本分は勉強であると主張する母の意見が通り、担任になっていた顧問に手紙を書いたが、負担を減らし帯同することと用具室の一角を利用した成績不振者の補習を手伝うことを要請された。


 進学の為に退部して学習塾通いが増加し始めた頃だったので体育教師でありながら、部活動顧問及び学級担任の立場で憂慮していたので、格好の機会と捉えたようだ。


 当初は中間及び期末テストの罰として参加することさえ忌避されていたが、「来る者拒まず、去る者追わず」を標榜していたので、用具室の一角では収まり切らず空き教室を開放する大盛況振りとなった。


 中学から勉強に追い付けなくなったという例は稀であり「躓きの石」と「おいてけ堀」で、授業には単なる頭数として参加している状態が小学校から続き「何が分らないかさえ分らない」や「分らないことさえ分らない」と授業に意義を見出すことが出来ない「さえない」状態が慢性化していたので、基礎に遡り関心事に結び付けることを心掛けた。


 秩序を大切にする大人は一様に不良の烙印を押すけども裕福な家庭で我儘に育ち「恵まれた環境に不満な家庭内暴力」と貧困な家庭で家族思いの「環境に恵まれない校内暴力」の差異を認めずに機会平等の実現を目指す努力を怠り、闇雲に結果平等だけを声高に主張する無責任な大人に辟易していた。


 残念ながらこの試みは大多数の教科担当教師による風当たりも大きく、一部参加者の持ち物検査から煙草が発見されたりした不幸な出来事が重なった為、不良の温床と集中砲火に遇い、教室が閉鎖される事態に発展し、結局頓挫してしまった。


 この経験はボクの人格形成に暗い影を落とし、一生懸命頑張っても所詮は理不尽な大人の事情に左右されてしまうことに気付き、何事にも醒めた態度で臨むようになった。


 ボクの生い立ちと戯言を傾聴しつつ「熱い思いは評価するけれど「三人寄れば文殊の知恵」なんて幻想であり、実際には「三人寄れば多数派工作」になる」や「喜怒哀楽といっても喜楽は分かち合うことで増加し、怒哀は分かち合うことで軽減されるから人間は、何とか正気でいられる」と持論を展開しながらも最後には「苦しい思いを打ち明けてくれてありがとう、君は冷たい人間ではなく、寧ろ熱い心を持っているからこそ防衛機制によって傷付かないように予片意地を張って生きている」と言って交流分析を提唱したカナダの精神科医であるエリック・バーンの名言「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」を紹介してくれ「すぐには無理だろうけど、ボクと言う癖は社会人としては、早めに直した方が良い」と指摘してくれたのもあの人だった。


 「大人の一挙手一投足を子供は見ているので、満員電車に荷物のように積まれて草臥れた機嫌な姿の大人を見せられた子供は夢を語れるであろうか」と問い掛け「戦後強くなったのは女性とパンティストッキングで、給料が振り込みとなってしまったので、父親の威信は低落の一途である」と嘆息しながらも「権力必腐、魅力不腐」を懲りもせず、主張し続けていたのもあの人だった。




 ボクは冷たい人間だろう。


 土曜日の早朝に一本の電話で無理矢理眠りから覚めさせられた不機嫌を押し殺して受話器を取ると十五年前に退職した証券時代の同期からであった。


 「し、新聞見たか」(起きたばかりで、見ている訳もないだろう、ボケ)と言いたい気持ちを必死で押さえ「相変わらず有無を言わせない遣り口だね」こちらの返事には耳も貸さずに「ヨータさん死んだぞ」聞き取れなかったので聞き直すと「お前を一番可愛がってくれたヨータさんが昨晩に東京駅の階段から真っ逆様に転落して、緊急搬送されたけど生憎打ち所が悪くて搬送後死亡が確認されたと新聞に書いてある、通夜と告別式の詳細が分ったら連絡する」と一方的に伝えたので「退職して十五年も経つので追加の連絡は不要」と事務的に話すと「相変わらず付き合い悪いな、たまには同期会にも顔を出せよ」と捨て台詞を吐いて電話を叩き切る音の後の電子音を聞きながら茫然自失していた。


 落ち着きを取り戻してから新聞を読むと朧気ながらヨータさんに間違いないことを確認することが出来たが、一年間毎日欠かさずといっても過言ではない頻度で飲みに行っていたヨータさんの名字は勿論のこと陽若しくは洋、郎若しくは朗も不明で辛うじて太だけしか自信がないので、同期から連絡がなければ九分九厘見逃していた。


 証券に勤務していた頃「九分九厘大丈夫です」と勧誘して予想が外れて損失補填を求められた時「九割一厘は結果次第です」と言い逃れしていたことを思い出して、苦笑いをした。




 ボクは間違いなく冷たい人間だ。


 忘却の彼方に押し遣っていた嫌な思い出を掻き消そうと休日時間に針を合わせる為、布団に潜り込もうとした刹那、再度電話が鳴ったので受話器に「しつこい、行かないって言っただろ」と一気に話すと「私ですが」と所属する生命保険会社の上司からの電話だったので「申し訳ありません、どうして自宅に」と尋ねると「圏外若しくは電源が入ってないのではないですか」と切り返され、迂闊にも昨夜は久しぶりに年甲斐なく痛飲してしまい電源を切ってそのまま寝てしまった。


 不機嫌な声で「自殺免責期間こそとっくの昔に経過していますが、保険金受取人は所在地も年齢も一貫性のない苗字の異なる女性ばかりの五名、一名あたり二千万円で総額一億円、取り立てて驚くほどの金額ではありませんが、そのうち最後の女性は半年前に突如変更になっており、殺人の可能性さえ疑っていますが、昨今はレピュテーションリスクと何かと五月蝿いご時世ですので、遺族及び保険金受取人に間違っても失礼な真似をすることのないようにして下さい、詳細はメール送付済です」証券から転職してきたボクは日頃から何かと「仕事が雑だ」と叱責を受けているので、自業自得ではあるが、幸先が悪いとしか言いようがない。


 「保険者の免責」(保険法51条1号)


死亡保険の保険者は、次に掲げる場合には、保険給付を行う責任を負わない。


ただし、第3号に掲げる場合には、被保険者を故意に死亡させた保険金受取人以外の保険金受取人に対する責任については、この限りでない。




一、被保険者が自殺をしたとき


二、保険契約者が被保険者を故意に死亡させたとき(前号に掲げる場合を除く)


三、保険金受取人が被保険者を故意に死亡させたとき(前2号に掲げる場合を除く)


四、戦争その他の変乱によって被保険者が死亡したとき


     (保険関係法規集より引用)


 また、保険金受取人は原則として戸籍上の配偶者と二親等以内の血族である法定相続人のみである。


 一方で家族の形は多様化しており、事実婚や内縁関係の場合については、生命保険会社の定める基準を満たしていれば双方の戸籍、住民票、社会保険に関する書類の提出及び事実確認で加入出来る例もあるが、1980年代から右肩上がりで増加する保険金を悪用し


た犯罪を未然に防止する観点からも事前審査が厳格となり、偽装結婚や法人の偽装設立が困難になっている状況を鑑みると異様としか言えない。


 残念ながら犯罪の手口も巧妙に進化を遂げており、法律や慣習の抜け道を利用した犯罪も後を絶たず文字通り「いたちごっこ」であることも厳然とした事実である。


参考文献


「心時代の夜明け 本当の幸せを求めて」衛藤信之 PHP研究所


「精神分析入門」ジグムント・フロイト著 高橋義孝、下坂幸三訳 新潮文庫


「感動の経営」原邦生 PHP研究所


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