39 「ニハマチvsシュークリィム 1」

 シュークリィムとニハマチが向かい合った。

 試合場にぴりぴりと、言葉で言い表せぬ緊張感とはまた違う、空気の震えのようなものが漂う。


「ニハマチ、お前はあれ・・が起こったとき、どう感じた?」


 常と自信に満ちた表情のシュークリィムが、ニハマチの純粋な目を凝視する。

 ニハマチは彼の言う「あれ」というのが空が落ちてきたときのことを言っているのだろうと思い、


「……世界が変わるような、そんなことを思ったのを覚えているよ」

「そうか。――同意だ。我ら・・もそのようなことを感じた」


 そう言って空を仰ぐ。


「多流とは、ごく限られた選ばれしものだけが有していたものだ。自覚がないものも含めれば、もしかすれば多流を扱えるものは存外多くいたのかもしれん。しかし、それを知覚し、実際に使えたのはごく少数。それも、多少の身体能力を伴う程度の恩恵だ。

 ……しかし、天空から力が注がれたとき、世界を構成する常識は書き換えられた。以前の世界と比べ、それを知覚できる者も、それでできることの範囲も想像を超えて増えたのだ」


 シュークリィムは剣を地面に立てると、再びニハマチを見た。


「俺はこの力を正しく使う者として、力に溺れる世界を導かねばならん。ニハマチ、お前は多流を何のために使う」

「何のために……」


 ニハマチが剣の柄をぎゅっと握る。問われ、自分は明確な答えを持っていないと思った。


「俺は、行きたい場所があるんだ。そこに行くために多流を使う」

「ふむ。――『離天』か」


 ニハマチが頷く。


「お前もそのたぐいか。魑魅魍魎ちみもうりょう、悪魔となり得る道だ。その自覚はあるか」

「大丈夫だよ! 俺はそうならないよう育てられたんだ。俺を育ててくれた仲間たちが、俺に大事なものを教えてくれた。命を大事にすることとか、真っ直ぐに戦うことの大切さとか……」


 ニハマチは指を折って、トカゲ博士や鹿のシロクマその他大勢の動物たちに教わったことを反芻はんすうした。

 そうやってぶつぶつと呟いているとシュークリィムが、


「皆まで言わずともよい。……よーく分かった。お前は、良き師と仲間たちと共に育ったのだな」

「うん! 俺は、力を悪いことになんか使いはしないよ!」

「……真っ直ぐな目だ」


 シュークリィムは目に優しげな光を浮かべたまま、獰猛に口角を上げた。


「ニハマチ」

「うん」

「全力でこい」

「ああ! そのつもりだよ!」


 すると、シュークリィムは木剣ではなく、腰に下げていた鋼の剣をニハマチに渡した。ニハマチはそれに見覚えがあった。クラウスが身に付けていた、洗練された美しい青の装飾が施された剣。


「これ……」

「憂慮はいらん――全力で来い」


 剣を眺めていたニハマチが、ばっと顔を上げて彼を見る。


「お前が殺気すらほとばしらせてくれれば、俺も久方ぶりに楽しめるというものだ。受け取れ」


 戸惑いつつも、シュークリィムの圧に負けて剣を受け取る。

 庇の方からざわざわと話し声が起こった。


「大丈夫かい、お兄さん。俺も、本気になると周りが見えなくなるタイプだよ」

「ああ、それでいい。――とにかく、全力でこい。俺に加減は不要だ」


 木剣を構え、すっと試合場の中央あたりで剣先を立てる。ニハマチも、受け取った鋼の剣を構えて木剣の先に触れた。


「フレイ殿、合図を頼む。俺たちは集中の極地に入る。なるべく大きな音を立ててくれ」

「あいよ」


 フレイが先ほどのシュークリィムの位置に立ち、地面から浮かせるようにして剣先を下に向けた。


(……本当に大丈夫だろうか? 物凄くいい剣だ。これで本気で多流なんかを使ったら、彼の体が……)


 ニハマチは、袈裟けさ斬りに相手の胴体を両断するところをイメージした。人体が断たれるところなど見たことはないが、鋭い刃が相手の体を通過するイメージは、余りにも容易に想像できた。

 雑念に負けて集中を怠っていると、


「――ニハマチ、集中しろと言っている」


 シュークリィムが静かに叱咤しったした。ニハマチは思わず身震いし、薄目でシュークリィムの顔を盗み見た。彼はじっと静止し、瞼をそっと閉じている。


(こっちの動揺を見抜いた? どうやって? もしかして、俺の多流の動きを感じ取れるのか……!?)


 ニハマチは覚悟を決めてしっかりと目を閉じると深呼吸した。

 シュークリィムが言う。


「フレイ。もう暫く待て。ニハマチが集中できていない」

「……分かった。15秒ぐらい遅らせよう。めちゃくちゃ大きい音立てるからな!」


 静寂。ニハマチは、己の剣が相手を本当に傷つけてしまうのではないかという不安を振り払った。


(集中……力を高めろ……一気に決めにいく。手加減無しの一撃を……)


 試合場で多流の気配が高まる。それを感覚できる騎士たちはごくりと息を飲んだり、自身の足の上に肘を乗せ、組んだ手に顎を置いて前のめりになったりした。


「……どうなる? は、離れた方がいいんじゃないか?」

「肌がちりちりするぞ。くそ、腹が痛くなってきた」

「こいつあ、やべえぞ! ぞくぞくしてきやがる……! 早く始めやがれフレイ!」

「馬鹿ですかドッゲルさん……! 静かにしてください。――今始めますよ!」


 頬をひくつかせたフレイが剣で地面を思い切り突いた。

 耳をつんざくほどの高音が響き――ニハマチが先に動いた。

 今度は距離を取らず、まず相手の木剣を左に払った。

 反応が遅れたのか、それともわざと待ったのか、シュークリィムは抵抗しなかった。微動だにせずその場に立っている。

 ニハマチがすかさず踏み込む。相手の間合いに入ることもいとわず、左に動かした剣でそのまま弧を描き、脇腹を狙って剣を振る。

 ニハマチは顔を顰めた。このままだと確実に剣が相手の腹に刺さる。しかし、この中途半端なタイミングで力を緩めることも出来ない。全力で多流を使い剣を振った瞬間から、ある程度剣を振り切るまでの軌道は決定している。

 すると、シュークリィムは剣から右手を離し、生身の右腕でニハマチの剣を受け止めた。

 鮮血が迸る。剣が衝突したところに多流が弾けた。凄まじい衝撃波が起こり、シュークリィムの衣服がはためく。同時に、庇の方から男たちの低い悲鳴が聞こえた。

 ――腕を通過し、そのまま腹を裂くかと思った剣が彼の太い腕の骨で止められている。

 ニハマチは驚愕の表情でシュークリィムを見た。彼は静かで時折獰猛なその笑みを浮かべているばかりだった。


「驚いたか?」 


 シュークリィムが素早く身を引く。深い傷を負い、肘から血を垂らすその方で躊躇なく木剣を握る。 


「次は俺の番だ」 


 剣を斜め後ろに構えて距離を詰めた。

 抜刀に似た軌道の下からの斬り上げ。受け止めたニハマチの剣が僅かに浮く。


(重い!)


 右足を引き、半身を回転させることで衝撃を流す。追撃を躱し、距離を取る。

 木剣をゆっくりと構えながら、シュークリィムが言った。


「見事だ。多流を点や線形に留めることは難しい。力が膨大で扱いづらいゆえ、鋭い刃先に多流を集中させても刃を覆うより大きな刃となるのが往々おうおう。攻撃面での効果は鈍器のような力技になってしまう。

「しかし、お前は多流を得物えものの内側に留め、外に飛び出さないようにしているな。どこで習得した?」

「さあ。どこだろうね……?」

「得物の扱いも上手い。得物との相性、適合性と言えるものは、それをどれだけ長く扱っているかで上昇させることができる。触って二日と経たぬうちにその使いこなしよう、尋常ではない」

「褒めてくれてありがとう!」

「それゆえ惜しい」


 ――殺気。

 ニハマチの肌がぞくりと粟立あわだつ。


「この木剣もしかり。……多流鍛造の技術が普及して以来、俺はこの剣を二年は握っている。二年という歳月が、どれほどの武を生み出すのか……」


 シュークリィムの目がニハマチを射抜く。瞳に燃える強い意思の力。 


(食堂で感じた圧だ……!)


 その瞬間、ニハマチは彼と自分の間に存在する間合いが何の意味も成さないことを実感した。

 彼が剣を振れば、全ての攻撃がこちらへと届きうる。


「もはやただの木剣ではない。万物を断ち切る鋼と心得よ」


(来るぞ!)


「覚悟せよ、ニハマチ――」


 刹那、シュークリィムの僅かな踏み込みと同時に剣が飛び込んできた。


(一瞬で距離を……!)


 騎士の剣が激しく振動した。木剣がめり込み、切れるはずの向こうは無傷、こちらの鋼の刃が欠けている。


(まずい、潰される……!) 


 剣を引く。


(ただ、防戦はまずい。こっちから仕掛ける!)


「おおおおッ!」 


 ――異音。

 鋼の剣と木剣がぶつかったとき、この世のものとは思えない音が響いた。

 彼らが立つ地面から離れたところ、黒石に僅かな亀裂が走り、庇に近いところの灰色の石材まで届いて地が割れた。


「多流が飛び散りやがった!」


 ドッゲルが叫ぶ。

 鋼の剣が刃を砕かれながら木剣を押す。木剣がへこんでいく。


「やるな!」


 シュークリィムが押し返す。ニハマチが力負けし、体ごと後退していく。しかし、鋼の剣は砕けず現状の損傷具合を保ったまま耐えていた。 

 シュークリィムが僅かに目を細めた。

 歯を食いしばりながら、ニハマチは呻くように言った。


「……こんなところで負けていられない。俺は、君よりも強い人を倒さなきゃいけないんだ……!」

「……俺よりも、強い?」 


 訝しげにニハマチを見る。


「心当たりは数人いる。俺より強い可能性のある者など、カレディア大陸中を探しても十人……いや、五人といない。自惚うぬぼれではないぞ。その者は、今目の前にしている俺よりも本当に強いというのか?」

「ああ……! 多流で分かる。君は俺の何倍も強い。けど、彼は君よりも更に強いんだ……!」

「……真に迫っている。そうか。お前は因縁を果たすために強くならねばならんのだな」


 シュークリィムが剣を引き、構え直してから振り下ろした。ニハマチは胸の前で剣を受けた。押されているが、鋼の剣は刃こぼれしていない。


「なれば、相手が誰であるか俺も知りたい。協力はできるだろう。名はなんだ? ……もしや、その男の名は『ディダスティン』ではないだろうな?」

「……違う。俺は、彼を殺さなきゃいけない……!」

「……! 果たし合いか……!」


 シュークリィムが剣を再び引く。距離を取り、剣先を下ろして彼は言った。 


「面白い。その年で果たし合いをちぎったか。しかも、圧倒的に格上の相手と」


 ニハマチが肩で息をする。額に脂汗が浮かび、多流を全力で使用したことによって視界がぼやけていた。


「名を教えろ」

「その人の……名前は……オストワール……」


 シュークリィムが固まった。告げられた名を反芻するように暫く沈黙し、


「直接会ったと言うのか。その男、どんな見た目をしていた」

「青い紫の……ヤシオネの花のような長い髪をしてた。男の人だけど、女の人みたいに長い髪だったよ。それで、背丈も高かった。美しいけど、感情の読めない不思議な顔だった」


 沈黙。そして、シュークリィムは深く、祈るように目を瞑った。木剣が手から落ち、乾いた音を立てる。すると彼は、右手に左手を重ねて胸の前に手をあてる仕草をした。

 その祈りは長く続き、庇の方で話していた男たちも只事ではないと話すのを止めた。

 シュークリィムがまぶたを開く。


「お前と『絶帝』が命を分ける(考える)経緯いきさつは知らん。なれど」


 片膝を折り木剣を拾う。


「お前のことをもっと知りたくなった。――無論、剣でな。お前の覚悟、この俺に剣で伝えてはくれぬか」

「剣で……」

「――本気で来い。俺をその男だと思い、その一撃で命運を決めると思え。予行練習だ。――俺を殺せ・・・・

「……!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る