33 「天使の翼、祈り」
キツツキとパントマはパドニアで泊まれる宿を見つけると、宿の食堂で食事を済ませて、寝床が二つある小さな部屋で荷物を整理した。
ベッドの縁に座り向かい合って話す二人。
「そういえばあいつ、金は大丈夫なのか。クラウスさんの徽章はあいつが持ってるとはいえ」
「いつまで心配してるの」
パントマが心底おかしそうに笑う。そして、
「キツツキくん、本開いてみない?」
「『しるべの本』か。そうだな」
キツツキの亡き母が書いたという本を手に取る。近くに彼女が見つけた多流に関係する場所があれば本に力が現れ文字が綴られるということだが、 特に浮かび上がる様子はなかった。
「駄目だ。パドニアの近くにはないらしい。『近く』っていうのがどのぐらいの範囲なのかは分からないけどな」
パントマはベッドの縁に両手を付いて足を揺らしている。
「じゃあ、明日は街巡りね」
キツツキが訝しげに彼女を見る。
「……カッティーネの時もそうだが、お前、買い物とかそういうのが好きだよな」
「私も女の子よ。女の子は買い物が好きなの。養い所のみんなもそうだったでしょ」
「だが、俺たちは『離天』という場所を目指すために旅をしているんだ。お前のきまぐれで立ち寄りたいところに立ち寄られるのは困る」
「――そう?」
パントマは弾むようにベッドから立ち上がると、窓のかんぬきを抜いて押し開いた。夜気が部屋に流れ込み、二階から外の喧騒と橙色の光が飛び込んでくる。
くるりと振り返り、腰の後ろで手を組んだパントマはライラックの瞳でキツツキに微笑んだ。
「旅の基本その一! 色んな人に話しかけて、色んなものを見て回るの。どうでもいいようなこと、不必要なものから必要なことは見つかるものよ」
「……そういうものなのか……」
「大丈夫、私が先輩として教えてあげるわ」
「分かった分かった。先輩のお前に従おう」
するとキツツキも立ち上がり、ドアの方に歩いていった。彼は取っ手に手をかけて、
「外の空気を吸ったら俺も外に行きたくなった。お前はどうする?」
「私はもう休もうかな。いってらっしゃい。気を付けてね」
キツツキが部屋を出てから、パントマは少しだけ外の景色を眺めると窓を閉めて部屋の灯りを消した。
翌日、二人は朝の九時頃から行動を開始した。パントマの先導で店を回り商品を買ったり買わなかったりしながら、世間話をして王国の情報を手に入れていく。
二人は木の生えた小さな公園の休憩場で腰を下ろすと、一通り聞けた話を整理することにした。
「国の中で争いっていう争いは起こってないみたいだね。今のところ平和って感じみたい」
「それにしても、多流がここまで常識になってるとはな。街の全員が多流の力を知ってるのは驚いた」
「むしろ古都が特殊なのよ。でも、イルべニアは他の国と比べても理解が進んでるみたい。まだ生活の一部になるほどじゃないみたいだけど」
キツツキはふと、パントマが肩からかけている大きな巾着袋に目を向け、
「あの、光を灯すやつを見せてくれないか」
「『
パントマは、透明なガラスの中に板敷きと金属が入っているそれを取り出した。力を込め、金属に暖かな光が灯る。
「いつ見ても不思議だな……これは
「そうね。離天の文明じゃ当たり前の技術らしいわ」
パントマはガラスを爪で叩いた。高く短い音が響く。すると、キツツキがパントマを睨み付けるように目を細めた。
「――『離天の文明』? やっぱりお前、離天について知ってるのか……!」
パントマは首を横に振り、
「断片的な知識の一つよ。こういうものがあるとか、こういう技術があるとか、そういうのを一つまみずつ」と言って人差し指と親指をくっつける仕草をした。
キツツキは腑に落ちない様子で沈黙したあと、
「こういうものを作れる職人が存在するのか? 俺はクラウスさんにそういう知識は教えて貰わなかったんだ。というか、クラウスさんも多流の原理みたいなところはあまり知らないみたいだった。――おい。離天の文明って、まさか」
パントマがいたずらっぽく微笑む。
「そう。これは
「だから、何でそんなものを持ってるんだ」
「集める趣味があるって話したでしょ?」
「……今はそういうことにしておこう」
キツツキは向こうにある時計塔を見た。針は13時20分ごろを指している。
「どうする? 俺たちも王都に向かうか? ここで街の人たちと闇雲に話していても限界があると思うんだが」
「キツツキくん、早とちりは良くないよ。探し物はじっくりと見つけていくものなの」
「……探し物といえば、お前の言っていた『翼』の話、もっと詳しく聞いていいか? 探している理由については話せないんだったよな」
「うん。それは私の一番大事な秘密だから」
「秘密について聞くつもりはない。……翼っていうことは、つまり、何かの生き物の翼ってことだよな。それとも、翼に似せた金属細工か?」
「生き物の翼で合ってるわ。――これはね、『天使の翼』なのよ」
「天使……?」
パントマが上着の内側から螺鈿細工の施された白い箱を取り出す。蓋を開けると、二枚のそれが収納されていた。一つは太陽の光を反射して煌めく金属じみた銀色の翼。もう一つは表面がきめ細やかな不思議な材質の、海辺の砂粒を思わせる真っ白の翼。
「持ち歩いてるのか」
「無くせない、大事なものだから。――こっちの銀は『人魚の翼』、これは『砂の翼』よ。砂の翼はニハマチくんと行った神殿で見つけたの」
「その神殿みたいな場所で翼を探すのがお前の目的だとして、ニハマチは巨大な化け物と戦ったことをはっきり覚えてると話していたが。じゃあ、
「何もしていないわ。意識はあったけど、動けなかったから」
「お前の胸が尖った結晶で貫かれていたと、ニハマチが言っていたな」
「ええ、その通りよ」
「じゃあ、なんでお前もニハマチもぴんぴんして生きてるんだ」
「神殿があった場所はいわゆる『異空間』と呼ばれる場所なの。そこで起こったことは、異空間が収束すれば元通りになるわ」
「イクウカンが、シュウ……収束か? 意味不明だ。ちゃんとした言葉で喋ってほしい」
「『異なる』の『イ』よ。異空間は、この世界と異なるところ――つまり、『離天』から引っ張ってきた空間のことなの」
「また簡単に離天の名前が……もう、お前といること自体が一番の近道なんじゃないかと思えてきたぞ」
「だから先輩なんだよっ」
「そうだな。もうお前の提案に疑問は持たないし、お前のいうことには絶対従うことにしよう。頭痛がしてきた」
「今は分からないだけよ。これから色んな普通じゃないものに出会って、キツツキくんもだんだんと分かってくるはずだわ」
「……翼に話を戻すが、動けなくなるような傷を負ったお前が、ニハマチが気絶したあとの……その異空間とやらで翼が見つかるまで探し回ったということか」
「翼はね、そこにいる『存在』を倒すことで現れるの。ニハマチが戦ったのは翼の持ち主。つまり天使よ。これは砂の翼と呼ばれていたから、彼が戦ったのはきっと『砂の天使』ね」
「ニハマチに死ぬか生きるかの戦いを任せて、お前はのんびり探し物か。全くいいご身分だ」
キツツキの皮肉に、パントマはいつもの穏やかな笑みを一瞬潜めて、影のある微笑を表情に滲ませた。
「その通りよキツツキくん。私はニハマチが
「……それで、あいつは戦えていたのか?」
「――想像以上だったわ。偶然が重なったとはいえ、ニハマチの力は凄かった。あと、天使がいる場所に辿り着くには、だいたい仕掛けのようなものを解く必要があるの。それが彼の言っていた墓地ね。ニハマチは仕掛けも上手く解いていたわ。私はそれがずっと解けなくて、一人では翼が取りに行けなかったの」
「じゃあ、ニハマチと神殿まで行ったのはお前の想定外という訳か」
「彼なら天使のいる場所までの鍵を探せるんじゃないかと、そういう期待はあったわ。屋敷の中の地下室を彼が見つけたときにね」
「そういうことか……」
キツツキは翼についての話を嚙み砕きながら、青い空に二本の高い塔を見つけた。
「向こうに尖った塔が見えないか」
「……どれー? ああ、向こうのあれね」
「あの高い塔は何なんだろうな?」
「教会じゃないかな。古都にはないもんね」
「教会か。行ってみたいな」
二本の尖塔を正面にして縦に伸びる白い建物の敷地には、たくさんの木々が植えられ、さながら森の向こうに立つ教会といった風情だった。
木漏れ日に照らされた玄関までの道を二人は歩く。
建物の中には長椅子が並んでおり、祭壇の後ろにある窓ガラスから差し込む白い光がほんのりと内部を照らしていた。礼拝の空間には十数人ほどおり、じっと椅子の前に立つ者、座って会話する者、地面に両膝を付いて見上げる者や花の冠を被って俯いて座る者がいた。
二人が一番手前の長椅子の少し後ろで教会の内部を眺めていると、
「――礼拝は初めて?」
パントマがいる方から声が掛かり、二人はそちらを見向いた。
そこには黒い服に身を包んだ背の高いシスターがいた。パントマは即座に朗らかな表情を作ると、三つ編みの金の長髪を両肩から下ろしたその女に無邪気な顔を向け、
「ううん。私たち、旅をしてるの。キレイな建物だったから入ったのよ」
いつもより高く甘い感じのする声にキツツキは思わず咳き込んだ。
「お祈りはしたことある?」
「神様に祈るのよね?」
「そうよ。みんな、お祈りをしたり、神様に悩みを聞いて貰うために訪れているの」
シスターは目線の高さを合わせるために膝を折った。
「ここは『パルメ
彼女が目を向ける祭壇の奥、丸まった角を持つ大きな動物の顔があった。草食動物と思われる顔は目が豊かな前髪に覆われており、顎髭があった。
「目のないシカ……」キツツキが呟く。
「ヤギよ、
「ヤギ?」
「髭が生えているでしょ。ああいうのはヤギっていうの」
「そうなのか……」納得して数回頷く。
「キツツキくんはヤギを見たことがないのね――アーランは、『アーランド』というヤギの仲間の動物様なの。前髪で目が隠れているのが見える?」
「角が丸まって、目が隠れてて、面白い動物だな……」言って、左目にかかった前髪をいじる。
「ねえ、そのアーランドを実際に見てみたいわ。どこにいるの?」
「アーランドは、ベントン山の麓に広がるベントン高原にしか住んでないのよ。でも、ここからもっと北西の方で、森を越えて丘を登って行かないと駄目なのよ。とても大変だわ」
しっかりと話に傾聴するキツツキの隣で、像の方をすまし顔で見ているパントマは、組んだ両手で伸びをした。
「ふうん。――ありがとう! 勉強になったわ」
彼女は周囲の人々を見渡し、
「ああやってお祈りするの?」
微笑んで頷いたシスターが、左手の親指を右手の親指で包むようにしながら重ね、自身の胸に置いてみせる。
「こうやって手を胸に――ヒザを曲げて座れる?」
「うん」
二人はシスターを真似て床に両膝を付いた。
「神様に、平和や願いを祈るのよ。あなたたちは、子供だから何か好きなことを祈ってみなさい。もしかしたら神様がお願いを聞いてくれるかもしれないわ」
目を
二つ深呼吸の
シスターが穏やかな顔で彼女を待つ。ゆっくりと静かな時間が過ぎ、パントマはやっと目を開けた。
「――ありがとう。シスター。またこの街に来たら寄るわ。その時はクッキーを持ってきてあげる」
「ええ、またいらっしゃい」
木漏れ日の道から敷地を抜け、午後の光を受けてうねる彼女の銀の髪をキツツキは眩しく思いながら見詰め、苦笑した。
「恐ろしいやつだ。やっぱりお前、顔を使い分けられるんだな」
パントマが頭一個分高いキツツキを見上げる。
「生きていく上での基本でしょ。キツツキくん」
「それはそうだが、三人で決めた約束通り、俺たちに噓の顔は見せるなよ」
「そうね。なるべく気を付けるわ」
「なるべくね……パントマ、そういえばお前は何を祈ったんだ? 随分時間をかけていたが」
キツツキの涼やかな目がパントマを見る。彼女は目を合わせず、ふと笑みを潜めた。珍しい真剣な――深刻とも言える彼女の面持ちに、キツツキがはっと息を吞む。
まずいことを聞いてしまったかと、キツツキの心臓がゆっくりと鼓動を鳴らす。その一音の間に、彼女の口角がいつもより皮肉ぎみに上がった。
「祈りは人に隠すもの。覚えておいて、キツツキくん――」
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