26 「不穏は去って……」

 その時、庭から凄まじい圧を感じて、ニハマチはそちらを向いた。力はクラウスから起こっていた。


「クラウスさん、本気でやる気だ……!」


 クラウスは長剣を両手に持ち、上段で突きの構えをしている。剣に凝縮させた力がオーラとなって迸り、ニハマチの目に可視化されるほどにみなぎっていた。


「じいさん、素直にお縄に付かねえあんたが悪いからな……!」

「ほっほ。来なされ」


 二人はお互いの剣の間合いから離れた距離にいたが、その間は一瞬で詰まった。長剣の先が老人の腹を貫こうと迫る。手甲はそれに間に合ったが、何故か剣に触れる前に老人の右腕は弾き飛ばされた。

 しかし、剣先が腹を刺す直前に、体に埋め込まれた鉄球がそこに引き寄せられるようにして厚い金属の円盤を形成、さらに、老人は左腰にぶら下げたポーチに左手を突っ込んでいた。引き抜くとすぐに左の横っ腹にその手を添えた。すると、円盤を貫いたところに更に金属が形成、長剣が金属を貫き砕くたびに新たな金属がそこに集合し、甲高い金属音が大音量で響き続けた。

 城にいる三人が耳を塞ぐなか、その攻防は数秒続き、やがて老人の体が後方に吹っ飛ばされる。

 老人はぬらりと起き上がったが、彼の腹からは、一筋の血が零れるように垂れ落ちていた。


「ふむ……なるほど……?」


 クラウスは手ごたえあったかとにやりと笑い、大きく肩で息をした。


「はあ……はあ……おい、普通死んでるやつだぜ?」

「殺しにくるつもりでしなさったなら結構、大変喜ばしい」

「大方、体に埋め込んでるそれとポーチに常備してる珠で金属を自在に作れるんだろうが、スペアがないんじゃどうしようもないね。じいさん、縄に付く気になったか?」 

「確かに、このまま戦えば私の敗北は濃厚でしょう。――では、ここで暇するとしますかな」

「はっ! 行かせるかよ!」


 クラウスが飛び込む。

 老人は突然、不気味に大口を開けた。すると、彼が立っていた地面が砕け、恐るべき脚力を発揮してその場から消え去った。

 クラウスは周囲に力の気配がないか凝らしたが、諦めて肩を落とした。


「くっそ! とんでもねえジジイだ! 人間じゃなくてバケモンだろありゃあ」

「――クラウスさん!」 


 キツツキが大声で呼びかけると、クラウスは顔中に汗をかきながら彼を見上げた。


「おう! ……すまねえ。クソ! 逃がしちまった……。――ん? 隣にいるのは野生児のガキじゃねえか」

「うん! 久しぶり、クラウス!」


 下に降りるため、ニハマチが二人を背負おうとする。キツツキがそれを断ったので、ニハマチはパントマだけを背負って飛び降りた。彼に続き、キツツキは軽々と地面に降りると、クラウスに駆け寄って心配そうに全身を眺めた。  


「クラウスさん、大丈夫だった?」

 クラウスは汗を流し体力を消耗している様子だが、目立った傷は見られない。

「おうよ! この通りだ。心配いらねえよ」  


 クラウスはキツツキの頭をぽんと叩いてからニハマチを見た。


「野生児。てめえが捕まっちまってるとは意外だな。大方、勝手に街をふらついてたら攫われちまったって感じかい?」

「ううん。テリオンが、マレーが偽物なんじゃないかってね

――」


 ニハマチは事のあらましをクラウスに説明した。クラウスは腰に手を当て、


「なるほどな……さすがあいつの嗅覚だ。と言いてえところだが、ったく無茶しやがる。あのじいさん、明確に危害を加えてるような感じじゃなくて良かったぜ」

「うん。牢屋に子供たちがいたけど、ひどい目に合わされてる感じはなかった。ニハマチ、殺されたやつとかいないよな?」

「実験に子供を使っていたけど、傷つけたりはしていないと思う」

「実験だと?」


 ニハマチは、老人がおこなっていたこともなるべく詳細に説明した。


「……なるほどな。あのじいさん、まさか……」 と、クラウスが神妙に眉を潜める。

「何か知ってるの?」

「『離天りてん』に行くことを目的としてるなら、確かに、そういうやつらは・・・・・・・・存在する・・・・。離天なんてもんは、実際本当にあるかどうか分かんねえ都市伝説みたいなもんだから。それを本気で信じて、これだけ大胆なことをしてるっつうことは……」

 クラウスはそこで言葉を切り、思案気な表情になって数秒沈黙したかと思うと、愁眉を緩めた。

「いや、いい。今のは聞かなかったことにしてくれ――ここで立ち話してる場合じゃねえ。さっさと子供たちを助けるぞ」

「そうだね。クラウスさん、行こう!」


 三人は協力して牢屋の子供たちを救出し、地下の実験場に繋がれたままの子供も助け出した。牢屋に入れられる際、テリオンの怨嗟の剣は老人に没収されていたが、見つからずじまいとなった。

 合計で30名を超える子供たちとマレーを引き連れ、まだ暗黒に沈んではいない夜道を、古城から養い所にかけてゆっくりと進んだ。

 養い所に着くと、食堂で給士に飯を作らせ、全員で腹ごしらえをした。衰弱しているものは先に空き部屋で寝かせて、他の子供たちも同様に部屋や大寝室を割り当てて寝かせてやった。 

 翌日、マレーをすぐに働かせるのは良くないということで、それでも動きたがる彼女を部屋で安静にさせ、クラウスと養い所のメンバーで協力し、街で身元の特定に急いだ。

 涙を流して子供との再会を喜ぶ家族たちを見て達成感を得つつ、丸一日をかけて全員を元いた場所に戻してやり、人攫いの騒動はここに終結した。



 ――それから一週間以上経った頃。

 古都の治安維持組織、及び実権的組織である「町廻り」の詰め所にて、ニハマチ、キツツキ、パントマの三人は応接間に集まり、クラウスと共にテーブルを囲んでいた。そこには、バザールにいたニハマチに声を掛けた小男――ジュースもいた。

 椅子に座るクラウスは足を組んでふんぞり返り、


「で、お前ら三人で旅に出るってわけだ」と言って眉を広げた。


 キツツキが真剣な表情で頷く。


「稽古をして貰っておきながら、期待に添えなくてすみません」

「ああ、それはいい。テリオンやら、他にも優秀なやつはいる。この街は俺らで何とかするさ。例え、あのジジイみてえなやつがまた現れようとな」


 クラウスは快活に笑ったが、キツツキは申し訳なさそうだ。


「うん。クラウスさんがいれば大丈夫だと俺も思う。だから、古都を一人で守れる強さの秘訣を知るためにも、ダコンに行こうと思うんだ」

「ダコンが、クラウスの故郷なんだよね」

「ああ」

「それにしても、君が騎士様だったなんて本当に驚いたな。王様のいる国じゃ偉い人なんでしょ?」

「たりめえだ。うちの国でてめえがバザールでやってたことしてたらよ、騎士の俺が同じように取り締まってただろうぜ」

「ふーん」


 ニハマチは騎士という言葉から全身甲冑の戦士を想像し、脱力した感じのあるクラウスがそんなかっちかちのものを着ているのは、何だか似合わないし居心地が悪そうだなと思った。

 三人で養い所を出て旅に行くという話になったとき、キツツキはクラウスが元々イルべニア王国という、古都の北にある王国から来た騎士なのだという話をした。

 俗に「多流タルー」と呼ばれ、知る人ぞ知る存在だった力がこの地に満ちたという15年前の異変以来、クラウスもその恩恵を授かり、力の影響で混沌とした大陸一帯で自らの王国を守るため、騎士を志したのだという。

 そして、世界に力が満ちたが何故かその影響をあまり受けなかった古き都の存在を王国が知り、その実態を調査するためにクラウスはこの街にやってきた。それが三年ほど前の話であった。

 クラウスは、「そうか……」と呟き、天井を仰いだ。


「キツツキ。お前とも数年だけの付き合いだけどよ、そういう時が来るんだろうなって、俺は思ってたさ。――特に、お前が『離天』の名を口にした時にな」


 ふう、とクラウスはため息をつく。そして、視線をキツツキに合わせ、目をぎらりと光らせた。


「それが空想上の産物としても、お前は追いかけるんだな」

「うん」

「はあ、そうか……しかし、俺も本音のとこはな、あながち妄想の話じゃねえと思ってる。現に、15年前の異変がその証拠だ。

 古都にずっといるお前には分からねえだろうが、ここはいわば、一種のオアシスだ。力の影響を受けず、時は平穏に流れている。人並みな事件や恨みつらみは、人間がいる限りこの場所でも起こっているだろうが、まだマシだ。

 ……外は、力がうごめく世界だぜ」

「……うん。覚悟はしているよ、クラウスさん」


 クラウスはまた、ふう、とさっきよりも長いため息を吐いてから、左手で何かを求める仕草をした。

 ジュースがへいへいと苦笑して、壁際の棚からタバコを取り出す。

 渡されたそれに、クラウスは指の摩擦で火を付けた。「力」を使ったのだろう。ゆっくりと煙を吐く。


「『離天』っつう言葉も、異変のある前はマジで誰も知らないような言葉だったらしいぜ。昔からそういうもんを追求してた胡散臭い魔術師とか、国の古い文献を集め歩いてる学者ぐらいじゃねえと知らなかった、都市伝説ですらねえ秘中の存在だったらしい。

 それが、異変があってからその存在を知るやつも増えた。99パーセント信じてるやつは今でもごくわずかだろうが、お前のようにそこを目指すやつは増えてるだろうよ。

 俺自身、それは本当にあるんだろうと思ってるから言うぜ。お前、生半可な気持ちでそんな得体の知れねえものを求めちまったら、力で身を滅ぼすことになんじゃねのか」

「うん。それも、覚悟している」

「俺が王国に一緒についていってやってもいいが、本当にいいんだな?」

「クラウスさんは古都にいるべきだ。何も知らないこの国の人たちを守れるのはクラウスさんだけだよ」

「へいへい。……俺らも、ここにいるうちにいつの間にか肩入れし過ぎちまったようだなあ、ジュース?」

「はは、そうだな。ここに来たのって、元々は視察だったもんな。すっかり街の衛兵になっちまったぜ」

「くくく。間違いねえ」

 ジュースと共にけらけらと笑ってから、クラウスはニハマチとパントマに視線を走らせた。

「で、その二人もついてくる訳か。まあ、旅なんてもんは目的があろうがなかろうが好きにすればいい話だが……こればっかりはそうもいかねえ。キツツキの目的を叶えるための旅を、お前らが助けるって認識でいい訳だよな?」

「うん!」ニハマチは元気よく頷いた。

「危険は承知の上だと」

「ああ! 俺は、死ぬ覚悟も出来ている。ほんとだよ」


 クラウスは相手の瞳の奥に何があるか知ろうとするように、ニハマチとじっと見つめ合って、その間に煙草を一度ふかした。


「……噓言ってる目じゃねえんだよな……。そうだ。お前も俺に話したいことがあるんじゃねえのか小僧。キツツキからそう聞いたぜ」

「あ、そうだった。すっかり忘れていたよ。あのさ、クラウス。君みたいに強くなるにはどうしたらいいんだい?」


 クラウスは目を丸くしてから、ほくそ笑むように笑った。


「なんだ、そんな漠然としたことか」

「俺、どうしても強くならなくちゃいけないんだ。クラウスがあのお爺さんと戦えるぐらいまで強くなれた理由を知りたい」

「理由ねえ……ま、俺の場合はひたすら剣を振って、ひたすら『力』の鍛錬をしたな。多流の鍛錬だな」両拳を重ね、剣を振る仕草をした。

「自分で修行したの?」

「ばか言え。俺は騎士になるために本気でやってたから、ガキの頃から騎士団の連中に稽古して貰ったし、剣術の道場も行ったか。――お前が知りたいのは、剣術ってより『多流』だろう?」

「うん」

「なら、やっぱり王城だな。王城の騎士どもは互いに高め合って多流の研究を続けてるはずだ。そこで何とか話を付けてもらえ。俺の名前を出したらすんなりいくと思うが。……そうだ、いいものがあったな」


 すると、クラウスは部屋を出ていった。しばらくジュースと世間話をしていると、戻ってきたクラウスがニハマチの前で握った手のひらを開いてみせた。そこには、黄金の徽章があった。クラウスはその徽章と、自らの署名を記した紙を手渡した。


「騎士やってたころのバッジだ。これを見せて、俺の名前を出したらいい。古都にいるクラウス、ってな」

「ありがとう! イルべニアに着いたら真っ先に王城に行くよ」

「あいよ」


 クラウスが椅子に戻ってまた煙草をふかし始めると、ニハマチは不意に真剣な面持ちになって、


「なあ、クラウス」

「おう」

「もし、クラウスよりも強い人がいて、それで……俺がその人よりも強くなろうとしたら、どのぐらいかかると思う?」

「妙な質問だな。まず、お前がどれだけの強さか、俺はさっぱり知らねえよ」

「うーん。そうだな。あの老人と戦ったんだけど、全く歯が立たなかったよ」

「そうか。いや、戦っただけですげえとは思うが、あのジジイはとんでもねえ達人だぜ? 俺も、相手側が条件十分だったらやばかったかも知れねえ。まだ何を隠してるのか分からなかったしな」

「――あと八か月、」


 ニハマチはぐっと拳に力を込めた。老人に歯の立たなかった不甲斐なさ。そしてクラウスの強さ。まだ見ぬ世界の広さ。知らなければならないことは山ほどある。 


「あと八か月で、俺はクラウスぐらいに強くなれると思う? ――ううん。クラウスよりも強くなれると思う?」

「ああ……?」


 ニハマチの表情があまりにも真剣なので、クラウスはどうやら冗談ごとではないと察し、煙草をふかして宙を睨み、


「お前が只者じゃねえ多流の素質を持ってるってのは、テリオンから聞いてんだけどよ。しかし、だとしても、あのジジイと勝負にならなかったんだとしたら……」


 ふう、と、息を一つ吐いてクラウスは言った。


「あと一年以内に俺を超えようなんざ、まずどうやっても無理な話だな」

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