24

 ……ゆっくりとまぶたが開く。視界には塗り込めたような灰色。暫くして、それが冷たい石壁であることが分かった。

(……体が重い……)

 上手く思考が回らず、ニハマチは放心状態で壁を見つめた。

「――マチ! ニハマチ! 大丈夫か!?」

 誰かの声で意識が少し覚醒し、どうやら横向きに寝ていたらしい自身の体を音の方向へ寝返りさせる。まだ完全に開かないまなこでぼやけた檻の鉄棒ごしに、向こう側の牢屋にいる声の主の輪郭が徐々に鮮明になる。短髪の少年が檻を両手で掴んで心配そうな目をこちらに向けていた。

「……リック。うん。何とか。ちょっと力がはいらないや」

 ニハマチは目をこすって上体を起こすと、思い切り伸びをした。手を膝の上に置いて背筋を正すと、体の奥に微量ながら残る『力』を意識し、目を閉じて深呼吸しながら血流を巡らせる。体温が上昇して心臓が脈打ち、全身が目覚めていく。

 強く息を吐いてぱちりと目を開けると、「ニハマチ、復活したか!」というリックの声ににこりと笑いかけ、視界の端に映った別の姿にすぐ視線を移した。

「バルサム!」

 リックのいる牢屋の右隣に、気怠げに壁にもたれる波打つ癖毛の少年がいた。バルサムは起きた瞬間のニハマチと同じようにぐったりとした寝ぼけ眼で彼をじろりと見た。

「体にいやなところはないか?」

 そうニハマチが聞くと、バルサムは控え目で疲れた笑みを浮かべ、

「……少し、体がだるい。ちょっと力が入りづらいかも」

(バルサムも力を抜き取られたんだろう。この力は、どんな人でもほんの少しだけ持っているらしいからね)

「――ニハマチくん」

 すぐそばで声がした。左肩ごしに振り向くと、そこにはパントマがいた。どうやら同室のようだ。彼女が優しげに笑み、ライラックの瞳に心配そうな色が浮かんだ。

「大丈夫だった? あの人に何をされたの?」

 ニハマチは地下で起きたことを説明した。

「そう……。殴られたり、変なことはされてないんだね。良かった」パントマがほっと表情を緩める。

 ニハマチは彼女を向いてあぐらを掻いた。

「これからどうしよう」あっけらかんと、大して深刻そうではない表情で言う。

 パントマは抱えている自分の膝に視線を落とした。

「……私に出来ることはなさそうだわ。ニハマチは、何か考えがあるの?」

 ニハマチは「うーん」と唸ったあと、首の後ろで両手を組んで上体を反らせて、

「何も出来ないや……」

「……だよね」

 ――牢での生活は十分に快適と言えるものだった。

 寝床兼部屋である檻の中には毛布とシーツが置いてあって、清潔だった。衣服も頼めば変えて貰えるし、庭で水浴びをすることもできた。それぞれ牢の鉄格子にベルがあり、鳴らすと老人の召使いらしき大男が現れ、大男は手で鉄格子を捻じ曲げてトイレに連れていったり、多少は外で散歩させてくれた。子供たちの番をする見張りには、大男以外にまだ20代ばかりに見える男と、城内と場外の敷地内を徘徊する、目や口が体毛で隠れた真っ赤な犬が三匹いた。そして、食事にはパンやスープのほか、焼いた肉までが支給された。

 牢で三回目の朝を迎えた日、雑草に浸食された城のガーデニングの名残にて、ニハマチはレンガのベンチで食事を楽しんでいた。サンドイッチと銀の皿に入ったスープという、クーパー家でのランチと比べても何ら遜色のない優雅な昼食だ。

 ニハマチが三個あるサンドイッチにかぶりついている間、傍らではくだんの大男が無言で立っていた。この男ともう一人の男の二人は、必要な言葉と動作以外はしないという傀儡くぐつじみた存在だったが、感情や意思が無い訳ではなさそうだった。

 大方、「傭兵」という立場なのだろうと踏んだニハマチは、髪を後ろに撫で付けている茶髪の大男に話しかけた。

「ねえ、君も食べなよ。三個もあるからさ」

 そう言って左手でサンドイッチを差し出すが、口を真一文字に結んだ大男は微動だにせず、瞳孔は遠いところに向けられている。

 ニハマチはにっこりと笑って差し出したまま大男を見詰めたが、効果がないと見るや彼のように遠く向こうにある山脈に視線をってサンドイッチにかぶりつき、左手と右手のそれを交互に齧った。

「なあ、俺たち、いつ出られるのかな? 知ってる?」

「……」 

 男は無言だ。

「綺麗な髪だね。どうやってそんなカチコチに固めてるの? 髪をカチコチにするのもあのおじいさんの命令なのかい?」

 ――沈黙。

 すると、男は一瞬顔を横にやって咳をした。

「……」

「……あ! そういえば向こうに池があったよね。池で釣りしていい? 見張ってていいからさ」

 数秒の沈黙のあと、男は頷いた。

 ――さらに数日が過ぎた。その間に、新しい子供が二人増えた。力を水場に抽出させたあとの子供は、回復に十分な休息が四日以上必要なため、老人は早いペースで子供を増やし続けているようであった。

 ニハマチは、その気になれば鉄格子を力づくで破ることはできたが、城は広く、街からも離れているため、全員を逃げ帰らせるまでに男たちに見つからずに済むとは思えなかった。それに、老人がいる限り根本的な解決にはならず、むしろ事態の更なる混乱を招くだけだと思われた。

 このニハマチの考えには、ある一つの根底があった。それは、この街にはもう自分たち以外に多流で老人に対抗できる者などいるはずがないという考えだ。老人の話によると、力を持つのは15年前に子供だった者がほとんどらしいので、大人を頼るのは現実的ではない。オストワールのように子供の頃に力を授かり、今は十分な大人である人物がいる可能性はあったが、古都に来て以来、あのような強力な気配を感じ取れたことはなかった。

 古都は平和と商業の街という感じで、外界の脅威に備えるための自衛組織や兵隊、さらには武術を教える機関も見当たらない。「力」の存在は300年以上前に起こった呪いによる王国の衰退以来、すっかり忘れさられ、調和と維持が重んじられる文化が形成されたのだろう。

 ――しかし、彼の身近と言えなくもないところに、その考えの例外・・・・・・・がいたということを知るのに、あまり時間はかからなかった。

 牢屋に入ってから六日目の夜。

 老人がまた一人の子供を伴って現れた。子供はみすぼらしい外衣を纏い、フードを目深に被っていた。

 老人はニハマチがいる牢屋を通り過ぎたあと、言った。

「さあさあ。怖がる必要はない。お入りなさい」

 牢屋にいる他の子供たちはじっと反応を見た。この老人に何か抗議の声を上げたり、暴れたところで無意味なのは分かっているからだ。彼らは、新しく入った子供がどんな子供かと観察するばかりだった。

 フードを被った少年は、声を出さず、頷くこともなく、じっとその場に立ち尽くした。

「おや。狭い牢屋は嫌いかね? ならば、開放的な場所を君に与えてあげよう。さあ、来たまえ」

 老人が少年の背中に優しく手を添えるが、少年はじっとして動かない。

 ――すると、通路の向こうからどさりと音がした。

 老人も牢屋の子供たちも一斉にそちらを見向いた。

 ――大男ともう一人の男が重なり合って倒れている。

 気絶する二人の前には、フードを被った長身の男が肩幅に足を広げ堂々と立っていた。

 ニハマチは、老人が多流を準備する気配を感じた。そして、何が起こるかをよく見ようと、鉄格子から顔をはみ出さんばかりにして二人を交互に見た。

 老人は重ね合わせのコートの中に右手を突っ込んで、体を半身に構えると、目を薄っすらと細めた。

「来るなら来なされ。年を取ると、待つのが苦手なものでしてな」

 フードの下の口元がにやりと笑う。

 長身がフードをばさりと脱ぎ捨てた。同時に、外衣の下に隠れていた長剣を華麗で滑らかな動作で抜く。

「――え!?」

 長身の男の顔を見て、ニハマチは驚きの声を上げた。

 ……自信と傲慢さに溢れた目元、せせら笑うように上がった口角。長身の男は、溌剌と滑舌の良い、歌うような口調で言った。

「どんな奴かと思えば、ジェントルジジイとはな。――俺は、この街で悪人を取り締まってる、町廻りのクラウスだ・・・・・・・・・。三十人以上の誘拐、監禁……軽い刑で済むと思うなよ?」

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