22

 老人は右手に持つ黒檀のステッキの先で、こつん、こつん、と子気味よく音を立てた。

 ニハマチは戸惑った。老人に「力」があるのは分かる。しかし、力が読めないのだ。今までに会ったことのない、複雑怪奇な気配を漂わせていた。

(なんだ……? オストワールとも違う。彼と向かい合った時は、あまりにも純粋で大きな力だったから、不思議と恐怖は感じなかった。けど、この人の力は不気味すぎる。俺の本能が、この人は危険だと全身で告げている……!)

「力」を敏感に感じ取り過ぎるニハマチは、生まれて初めて吐き気というものを味わった。相手から読み取ろうとする力の気配を本能が拒絶し、激しい嫌悪感を催したのだ。

(落ち着け。得体の知れないものに適応出来ていないだけだ)

 さらに、ニハマチは思い出した。この老人が一度会ったことのある人物だということに。

(――そうだ。コリンと乗馬をしてた時に現れた、馬に乗って帽子を被っていた人……!)

 あのとき、「高いところ」――この世界では「離天」と呼ばれる世界の真の名前を呟き、恐らくこの地に根付いているのであろう邪悪な存在たちが呼び寄せられた。その気配を感じとり、この人物は風のようにやってきたのだ。

「――お戻りなさい」

 厳粛な声と共にステッキが振られる。すると、離れたところにいるはずの子供たちの数人が見えない力に引っ張られるようにして、牢屋の中へと叩き付けられた。

「チッ!」

「これだけの人数に逃げられては、流石に骨が折れますな」

 テリオンが剣を正面に構えた。禍々しい気配が濃くなり、その気配は地面から漂った。

 ――突如、地から大きくて歪な獣の顎が這い出る。顎は瞬く間に老人に襲い掛かり、両脚を挟むようにして嚙みついた。

「ふむ」

 しかし、万力のように喰らい付く顎を意に介せず、老人はそれを強引に引きずって飄々と進み出た。自身の眼前に立ちはだかる三人を見て、彼は言った。

「膨大で透明な力、豪快だが砥がれた力。邪悪な力はその剣からか。そして……? 夥しく、混沌とした力」

 老人はにこりと笑うと、踵を返した。

「ついてきなさい」

 背中を無防備に晒しながら歩いていく老人に、三人は手を出せなかった。 

「なんだ……? くそ、背中に目があるみてえだぜ……」

「大人しく、ついていくしかないみたいだね」

 城の中は、壁にある燭台にきちんと蠟燭が灯されてあるために明るかった。古ぼけて蜘蛛の巣の張った石壁の間を進んでいくと、下へと降りていく坂道があった。

 坂道を何度か曲がり、何かの入り口らしきところに着く。老人のあとを追って入っていくと、そこは殺風景な正方形の空間だった。奥の壁には通路の入り口があって、まだ先があるようだった。

 老人は真ん中あたりで立ち止まると、入り口付近にいる三人を振り返った。そして、ステッキの先でもう片方の手のひらを叩きながら、挑発的に口角を上げた。

「ここなら戦いやすい。好きにかかってきなさい」

「このジジイ……!」

 テリオンが苛立ちに顔を歪め、すぐさま剣を構える。それより先にパントマが動く気配があった。何故か、左手の指先を老人に向けて伸ばしている。

 相手の懐に飛び込もうとしたテリオンはそれを見て躊躇したが、右手を虚空に伸ばしたきり、特に何も起こってはいないように思われた。

 すると、いつもは穏やかなパントマの目がきっと細められた。

「テリオン、止まる必要はないわ。相手を見て」

「あ?」

 老人の方をよく見れば、ステッキを振り上げているところでやけにぴたりと静止していた。――動きが止まっているのだ。

「ふむ? 可愛いらしいお嬢さんや。見た目に似合わぬ趣味をしておられますな」

「何か知らねえが、行くぞ!」 

 剣に瘴気を纏わせてテリオンが走る。ニハマチもその後に続いた。

「化け物には容赦しねえからなあ!」

 肩めがけて剣が振り下ろされたところで、突如として老人の体が動いた。ステッキが剣を受け止める。鉄格子をあっさりと斬った剣だが、ステッキはびくともしなかった。

 テリオンは剣を構えなおして何度も斬りかかる。老人は華麗な手捌きに喋りも交えながらそれをいなした。

「ふっ。ほう。多少は慣れている。しかし、剣技が浅い。独流ならまずまずかな」 

 ニハマチはいつでも攻撃できる距離から気配を消して、じりじりと円を描くように背後へと回ろうとしていた。隙を伺いつつ力の集中に努めていると、老人の体勢が傾き、ステッキを持つ腕の脇が開いた。そこを狙い一気に飛び出した。

 側頭部を狙った渾身の飛び蹴りは、視界外だったはずの相手のステッキで止められた。返す刀でもう一度ステッキが振られ、空中にいるニハマチの体が吹き飛ぶ。

 老人は次いでテリオンの腹を突いた。さらに、怯む彼女の頬にステッキを払う。

「ゔっ!」

 顔を歪ませながら吹っ飛ばされるテリオン。

 二人が立ち上がると、老人は楽しそうな笑い声をあげた。

「ほっほ! 『多流タルー』を使う者がさも当然のように現れよる!」

「くっ、そ……! 喋んじゃねえ!」

 テリオンが駆け出し、再び猛攻を仕掛けた。ニハマチの目から見ても相当な練度に思える剣の扱いだったが、手品じみた老人の杖さばきに、ことごとく赤子のようにあしらわれていく。

「ジジイ! ここでガキどもに何してやがる!」

「気になりますかな?」

「言え! 切り刻むぞ!」

「……この地にまつわることです。なるべく純粋な『力』が必要でして」

「力……? この剣にもあるようなやつのことか」

「ふっふ。どうやら貴方あなた、誰かに師事は受けているが、知識を授けられてはいないようだ」

「はっ。力で口を割らせるしかねえくそジジイみてえだな! おら、手加減はいいからてめえからこいや!」

「若いですなあ。それでは、お言葉に甘えて」

 瞬時に振られたステッキがテリオンを吹き飛ばした。ニハマチが交代で向かおうとすると、テリオンが言った。

「いい。そこにいろ」

「大丈夫! 俺は戦えるよ!」

「まだ、いい。いいから見てな」

 ――すると突然、炸裂音がした。

 かん、かん、とステッキが地面を転がっていく。老人は、空になった右手を興味深げに見た。

「何が起こりましたかな?」

 テリオンがゆらりと立ち上がった。その手に握られた剣の瘴気が、さきほどよりも格段に強くなっている。

「こいつは『怨嗟の剣』と呼ばれてた代物だ。てめえが私をボコしたせいで、こいつは凶悪になっていくぜ。――いい頃合いだ」

 剣を構えるのではなく、剣先を地面に立てるようにする。

 ――すると、濃密な気配が辺りに満ちた。ニハマチはその気配を敏感に感じ取り、おぞましい寒気を催した。

 その気配は一つではなく、無数の存在の気配が重なっている。それは救いを求めるように剣へと縋り付き、一斉に這い上った。剣がみるみるうちにその気配を吸収していく。

「さあ、いくぜ……!」

 相手にステッキを回収させないために、テリオンが間髪を置かずに突っ込んだ。

「生身では分が悪いか」

 そう言いつつ、老人は素手で構えた。途端、コートの上から手と腕を包み込むように、鋼の鎧が奇術の如く現れた。

 剣を鎧の腕が受け止める。力は老人の方が強く、剣を押し返したが、刃先は鋼にめり込んで傷を作った。次の斬撃を交わし、老人は拳をテリオンの腹に打ち込んだ。

「――ぬっ!」

 しかし、拳が腹に到達する直前、見えない力に彼の腕が弾かれた。その隙を逃さず、テリオンは手を緩めない。刃を防御する鎧に幾つもの傷が生まれ、次第に鎧の表面が削られていく。老人は反撃を試みるが、その度に不可視の力に跳ね返されてしまう。

「おらおら! このままだと無くなっちまうぞ!」

 ニハマチはじっと戦闘の様子を見守り、機会を伺っていた。

(よし。テリオンが押しているぞ。武器のない俺の体では、あの相手には効かないかもしれない。だから、力を一点に集中する!)

 体内操作を得意とするニハマチは、自身の力を拳に集めることに意識をいた。そして、すぐ側にいるパントマの方を向いた。

「パントマ、さっきのは……?」

 ニハマチと同様に戦闘をじっと見ているパントマは、その視線のまま、

「あれは、相手と私を繋ぐ糸のようなもので、腕をがんじがらめにしたの。――これのおかげよ」そう言って左手をニハマチに見せた。

 彼女の色の白い薬指の先から第二関節までが、さらに真っ白な動物の皮に纏われている。薄皮を一枚貼ったようなそれはダークブルーの金属に装飾され、細い金属の一端が指の皮膚に食い込むようにして、表皮ごしに薄っすらと暗い碧が透けて見える。

 ニハマチは一瞬顔を顰めてから、当然のように話す彼女の表情を見て、不思議に思った。

(こういったものを集める趣味があるとは言っていたけど、使えるかどうかはまた別の話じゃないか? ……やっぱり、パントマって普通の人じゃないよな) 

「タイミングが来たらまた使うわ。次はもっと上手くやる。ニハマチ君もそれに合わせて」

「ああ、分かった!」

 そして、老人の右腕の鎧にひびが入った。目の良いニハマチがその瞬間に走る。テリオンの追撃が亀裂に抉り込む。鎧は粉々に砕け散った。老人の姿勢も、一瞬ぐらついている。

「今!」

 パントマが叫び、ぴたりと老人の動きが静止した。重心が後ろによろめいているので、復帰できたとしてもすぐには反応しづらいだろう。

 怨嗟の剣が相手の急所に迫る。――しかし、テリオンはそこで踏みとどまった。

 それも当然だった。人を殺したことなどあるはずも無い。それに、ここで殺してしまうのではなく、生け捕りにして話を聞けた方が何かと良いだろう。

 かと言って、この男に動ける余地を与えては危険だ。留めた足を前に踏み込んで、テリオンは老人の左の太ももに剣を突き刺した。

 抜くと、鮮血が噴き出て老人はぐらりと膝を付いた。

 さすがに勝ち目がついただろうと、テリオンは剣先を老人の顔に向けつつ、様子を伺った。

 次の瞬間、地面に転がっていたステッキが老人の右手にぐんと引き寄せられた。掴みざまに一振りし、テリオンの体が後方へ吹っ飛ぶ。

 ニハマチの拳は既に相手へと到達していた。老人は左腕の鎧でそれを受け止めた。鎧が粉々に砕け散り、衝撃を相殺するように老人の足裏が地面を滑っていく。

「ほっほ。得物えものなしで砕きよる」

 老人は浮かせた左足を右足に揃え、姿勢を正してパントマに体を向けた。右足から流れているはずの血は止まっていた。

「お嬢さん、やりますな。――しかし、それは混沌とした力の一部であるはず。あと幾つぐらい隠しているのですかな?」

「……」

 パントマはおもてに表情を出さず、じっと老人を見返した。 

「ふふ。しかし出し惜しみではない。勝てるチャンスを見極めて使い分けようという訳だ」

「……何を言っているんでしょうか。全く分かりません」

「では、これで終わりとしましょう。もし、通用するものがあれば遠慮なく見せてみなさい」

 老人はステッキの先を天井に向けて構えた。すると、俄かに口を半開きにして、深く息を吐いた。

(なんだ? 口の中から何かを出している……? ――いや、そうじゃない。体の中に何かがある!)

 ニハマチの感覚は、老人の肺のあたりに力の源を捉えた。その力が喉を上って半開きにしたままの口から放出され、ステッキへと移動している。

 その時、どくんとニハマチの体が跳ねた。

「がっ!?」

(――熱い! 体が熱い!)

 全身で力が暴れている。支流のくびきを外したとか、そういうことではなかった。体内で力が膨張している。

 老人は腹話術のように口を開いたまま、

「本来の使い方ではないことを許して下され。それゆえに、非常に危なっかしい」

 ――テリオンの呻きが聞こえた。どさりと地面に倒れる音。パントマが気絶していた。続いてテリオンもくずおれた。

(ぐっ! うああああ!)

 ニハマチは膨れ上がる力を必死に抑え込んだ。「ほう」という老人のため息が聞こえ、力の膨張がそこでぴたりと止む。

 倒れ込んだニハマチを慈悲深く見下ろしながら老人は、

「坊や、名前を教えてくれるかな?」

「ニハマチ……人に付けて貰った名前だ」

「ふむ。生まれは?」

「生まれ……ここじゃない場所だよ。古都でもない。近いけど離れたところさ。何て言ったらいいか、俺もよく分からないんだ」

 すると、老人はその表情に明らかに驚きを表してみせた。

「……なんと? それは、言葉通りに受け取って・・・・・・・・・・よろしいかね・・・・・・?」

「……うん、多分……?」

 老人は喜色満面に顔の皺を広げて笑った。

「ほっほっほ! やはり、この街に来たのは、期待以上の収穫があったか! ――奥に来たまえ。そこで話をしてあげよう。どうかね? 君が興味を持てるような話のはずだが……。嫌でも構わない。その時は君を気絶させ、牢屋に連れていこう。大丈夫だ。ここの子供たちは一人も殺したりはしないし、君たち三人に関しては尚更だ。城内に監禁させて貰うが、それ以上の危害は加えないと約束しますぞ」  

「……悔しいけど、君の言ってることは本当だと感じるよ」

「ほほ。さかしい子だ」

 老人は奥の通路へと歩き出していった。同じような真四角の空間を二回過ぎたあと、角を曲がり、最奥の部屋へ付いた。

 そこには無数の鎖があった。部屋の中央には楕円形の水場があり、少しだけ盛り上がった金属に縁どられ、地面と同じ高さまで水位があった。湯気が立っていれば風呂場に見えたかもしれない。

 そして、水場をぐるりと取り囲むようにして、円柱を縦に切断したような鉄の枠が等間隔に十三個設置してある。無数の鎖はその謎の器具から繋がっており、水場の縁から垂れ下がるようにして水没している。

 さらに、器具のうち三つには子供が繋がれていた。子供の中に見知った顔を見つけたニハマチは目を見開いた。

「バルサム!」

 波打つような癖のある黒髪の少年が、気を失っているのか目を瞑っている。

 男は水面の縁まで颯爽と歩いた。ニハマチも傍まで付いていき、きっと目を細めて睨み付けるように老人を見上げた。老人は微笑み、

「落ち着きなさい。危害は加えていない。眠っているだけです」

 咳を一つ。顎髭をさすり、視線を上げて話し始めた。

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