19 「テリオン」
次の日からニハマチは、まず人攫いの件を解決するのが先決だと、怪しい人物探しに精を出した。仕事の帰り道のたびに周囲を見渡したり、夜中に街へ行ってフードを被った状態でその犯人を釣ろうとしてみたりした。大寝室で子供たちとたびたび会議を行ってみたりもしたが、有益な情報はなかった。その一週間のうちに進展はなかったどころか、養い所の仲間がまた一人戻ってこないという悪い知らせがあった。
あっけらかんと物事に動じないニハマチでさえ、彼ら子供たちの周囲に取り巻く不気味な思惑じみたものを感じとり、背筋が寒くなるのを抑えられなかった。
そんなある日、ニハマチが犯人探しに精を入れていることを知っているテリオンが、珍しく食堂に現れて彼を呼びつけた。
わざわざ裏庭のさらに後ろにある木立ちまで行くと、彼女らしからぬ抑えた声でこう言った。
「……なんつうかな。マレーが変なんだよ」
テリオン曰く、失踪が続いているのにも関わらず、養い所全体の仕事量――言い換えれば子供たちが外出する頻度――は変わらなかったり、マレーが夜中に留守にしている機会が増えているらしく、どうも彼女が思うマレーという人物像からずれているというのだ。
「マレーって人はな、私ら子供を大切にする人だ。でも、最近のあの人はきな臭せえ。『女の勘』ってやつだ。ちょっと気持ち悪い気がすんだよ。それが人攫いとかいうのに関係してるのか分かんねえし、むしろマレーが犯人を見つけようとして街の大人と協力してるだけなのかもしれねえ。どっちにしろ、私らがちょっと気付けば感じる違和感ってのを私らに説明しないまま、ってのが……」
テリオンの意見はニハマチの腑に落ちて、彼も納得して強く首肯した。
早速二人は次の日から行動した。まず、こっそりスミレと落ち合ってマレーの話を詳しく聞いた。一応、彼らがマレーを怪しんでいるというのは伏せておいた。最もマレーに近しいと思われるスミレが何を隠しているか分からないからだ。
怪しまれないようにニハマチだけで行き、世間話のような感じで聞くと、スミレは何やらどぎまぎした様子で答えた。
「――そうね。何だか留守にしていることが多いわ。それがどうかしたの?」
「夜中にマレーと相談したいことがあってさ。いないことが多くて困ってるんだ」
「そうなんだ。ニハマチくんでも悩みごととかあるんだね……」
「なに?」消え入るような声だったので、ニハマチは聞き返した。
「う、ううん。何も言ってない。――相談ごとあるなら、私で良かったら聞くわ」
ニハマチはにこりと笑った。
「ああ! もしあったら、飯にでも誘うよ。食事しながらの方が話もしやすいからね」
「ニハマチくん、ご飯好きだもんね」
「そうだね。飯より好きなものはないかな。えへへ」
ニハマチが照れたように笑うと、スミレは顔を赤らめて視線を彷徨わせた。
「そうだ!」と突然大きな声を出したので、スミレはびくりと肩を振るわせてからニハマチを見た。
「なにか、マレーが新しいことをしていたりはしないかな? 俺が頼みたいことは、ちょっと時間がかかることだからさ」
「新しいこと? 新しいことを始めてる感じはしないわ。いつも通り、書類を作るのに忙しそうなだけだよ」
「分かった! ありがとう!」
ニハマチは手を振るとすぐに行ってしまった。スミレは何やら気が抜けたように肩を落とした。
夜中、外から養い所に戻ってきたテリオンと食堂で合流すると、話をした。
「どうだ? スミレは怪しそうだったか?」
「ううん。これは『俺の勘』ってやつだけど、スミレはいつも通り、いいやつだよ。ただ、マレーが留守にすることが多いっていうのは、彼女も感じてるみたいだったね」
「なるほどな。まあ、スミレ以外に怪しい感じの子供はいなさそうだし、養い所の誰かが協力してるって線は薄そうだなあ。となりゃ、もうマレーのあとをつける以外にやりようはないぜ」
テリオンは席から立ち上がった。
「私の部屋に来な。そこで話し合うぞ」
彼女のあとについて部屋に入ると、机に向かって勉強をしているらしい女の子がこちらを見たが、ニハマチがいることに特に反応は示さなかった。部屋の左右にベッドが一つずつあるので、二人部屋ということらしい。テリオンもニハマチの紹介などはせず、ベッドにどかりと座った。
「ああ。あいつなら気にすんな。同居人の普通の女だ。聞かれてまずいことはねえ。……んで、マレーのあとをどうやってつけるかって話だ。お前、人を尾行したこととかある?」
「ないよ! 追いかけっこなら何回もしたけどね」
「私もねえ。となると、まあ単純に見失わないように後ろを追っかけりゃいい話だが、私ら二人とも初心者ってなると気を付けてやらなきゃならねえわけだ。マレーがやましいことをしてなかった場合、一応、私もあの人には恩があるからな。養い所の全員そうだが。後ろをこっそりつけてましたなんてばれるのはやだぜ。マレーは、んなこと大して気にしねえだろうがな」
「んー。上手くやればばれないと思うけど。俺、気配を隠すのも得意だし」
「くく。そりゃ頼もしいな。つうか尾行の話はもういい。私が心配してんのは、あっちに何人の仲間がいるかって話だ」
「仲間がいるのかい?」
「さあ。知らねえよ。人攫いっつうか、ガキの失踪は色んなとこで起こってっからな。あの人が夜留守にすんのは、仲間に会いに行ってるからってパターンもあり得る。勘違いされねえように言うけどよ、私はマレーを疑ってる訳じゃない。ここんところのあの人に気味の悪さを感じるってだけだ。その違和感をほっときたくはねえし、万が一ってこともある。用心に越したことはねえからな」
ニハマチは話を理解していると言いたげに何度も首肯した。
「仲間がいた場合、俺たちで立ち向かえるのかということだね」
「自信はあるか?」
ニハマチはにこりと笑った。
「ばっちしさ。相手が
すると、テリオンは威嚇する猫のようにニハマチを睨んだ。
「
「ま、まあまあ」
「……私がお前に声をかけたのは、お前がこそこそと動いてたのに気付いたからじゃねえ。なんつうかな。お前から、何かこう、じわじわと気合いみたいのが漂ってくるんだよ。――言って分かるようなものじゃねえと思うけどな」
ニハマチは目をぱちくりとさせた。
(この人、力を使えるし「感じる」ことも出来るんだ。でも、それがどういうものなのかを分かってはいない)
「俺は大丈夫だよ。君の言う通り、気合いはたくさんあるからね!」
「はっ。良く分かんねえガキだぜ。――明日だ。明日、マレーが出かけるようならもう尾行する。心の準備は出来てんな?」
「うん!」
「よし。決まりだ」
翌日、ニハマチは屋敷で自分の部屋として使っていた一室に向かった。そこは空き部屋になっていたが、クローゼットにしまっていた薄茶色の不思議な生地の服はそのままだった。埃を払って久しぶりにそれを着ると、大寝室の仲間としばらく遊んで時間を潰し、庭の静かなところで瞑想をして力を高める訓練をした。
15時ごろになって屋敷に向かい、玄関にある折り返し階段の裏の暗闇に隠れ、マレーが出てくるまでじっと息を潜めることにした。マレーが出かけた日は翌日の早朝以降に戻ってくることが多いということで、長丁場を覚悟して伸縮自在の内ポケットには紙で包んだ様々な弁当(すべて、スミレに作って貰ったものだ)を入れておいた。
手持ち無沙汰を間食で紛らわせたい気持ちを堪えて数時間が経つと、階段を降りる重い足音が聞こえた。それは玄関へ向かい、次いで扉がしまる音が鳴った。ニハマチはすぐにテリオンを呼んで、養い所を出たマレーの背中を追うことにした。
マレーは養い所前の通りを左に進んだ。方角で言えば南の方角だった。二人は民家の壁や段差を利用して、見失わない程度に距離をとってマレーを追跡する。
「本心を言うと、マレーがそんなことしてるなんて思いたくねえんだけどな……」
マレーの歩く坂道より高い軒先で彼女を見下ろしながら、テリオンは押し殺した声で言った。
「でも、テリオンは変な感じがして仕方ないんだよね」
「ああ。あの人から嫌な匂いがすんのは確かだ。女の勘というか、これはあの人を長いこと見てきた『私の勘』だな」
「テリオンは昔から養い所にいたのかい?」
「あ? ……何歳だったかな。9歳とかそのぐらいだった気がするぜ。だから、六年ぐらいは居ることになんのか」
「へえー。問題児とは言われているけど、ちゃんと養い所から抜け出さずにはいるんだもんね」
「何だと? 」
凄まれたニハマチが咄嗟に謝ると、「からかっただけだ」と言ってテリオンが笑った。
「誰にんなこと聞いたのかは知らねえが、否定はできねえな。自由気ままにルールを無視して、色々迷惑はかけてきたけどよ、最低限やるべきことはこなしてきたつもりだぜ。私は私でやりたいことがあってな。養い所は悪くねえところだが、ずっとガキどもとつるんで、言われた仕事をするだけなのは性に合わねえ」
マレーを追いかけるテリオンの瞳、常として煌々と輝き、生命力で開かれたような瞳が、穏やかに細められた。どこか郷愁を感じるような目付きだ、とそんな風なことをニハマチは思った。
「コリンもロサも、もう養い所を出なきゃいけねえ年だ。私も、少し早いが今年中にはここを出ようと思ってんだよ。そんな時に、今までの全部を裏切られるような真似はごめんだぜ」
テリオンの目がきっと鋭くなり、複雑な感情に瞳が揺らぐ。
「感謝してんだよ、あの人にはな」
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