5 「キツツキ」

 玄関に行くと、一人の青年が待っていた。


「よろしく。俺はコリンだ」


 白っぽい金の短髪の青年はそう名乗り、爽やかに笑った。そして、ニハマチにじっと視線を合わせた。


「いい目をしているな」


 ニハマチの頭に手を乗せる。彼の目もまた、ニハマチに劣らず輝きを放っていた。「外に行くぞ。仕事だ」

 コリンはニハマチを連れて玄関を出た。彼は、古都の中央ではなく外れの方に向かって進んだ。


「屋敷には慣れたか?」


 コリンが聞くと、ニハマチはすぐに頷いた。


「ああ! マレーのめしは旨いし、スミレはいいやつだよ」


 コリンは顔を綻ばせて笑った。


「うん。それは良い」ニハマチの頭を叩くように撫でる。

「なあ、コリン。子どもたちがいっぱいいるのは何故?」


 コリンは少し考える素振りを見せたあと、


「俺たちみたいな身寄りのない子どもを集めているんだ。それで、仕事をさせる。仕事をすれば雇い手から金を貰える。マレーも儲かるし、俺たちも小遣いが手に入る。それに、仕事をすればするほど俺たちは逞しく育つ」一旦言葉を切ると、ニハマチはうんうんと頷いた。「それに彼女は街の相談役なんだ。色々な大人に助言をする仕事をしていて、子どもたちが仕事に行く度に彼女は街との繋がりを強める。『養い所』で働く俺たちは、街とマレーを繋ぐパイプでもあるんだよ」言い終えると、コリンは苦笑してニハマチを見た。「難しい話だったかな?」


 ニハマチは肯定も否定もせずにこりと笑った。


「まあ、旨いめしが食えればいいさ!」

「その通りだ。そのためにも今日の仕事を頑張ろうな。ちゃんと働いたあとの飯は旨いぞ」

「うん。俺もそう思う!」


 二人は顔を合わせて笑った。

 コリンがニハマチの出自や何やらを聞いて、どうやらこの子は謎に包まれているようだと理解したあと、見かける建物や物一つ一つに興味を持って尋ねてくる彼に答え続けた。気付けば二人は、草原にある大きな厩舎へと到着していた。

 厩舎では、主である太り肉の男が二人を迎えた。ニハマチに仔馬の世話を教え、人間に慣れさせるための躾を頼んだ。

 ニハマチが馬の手綱を引っ張ってついてこさせると、彼の頭より低いところにある馬の顔が潤んだような目で彼を見上げた。あのトカゲ博士に振る舞われた魚の目を思い出して、ニハマチは暫く馬と見詰め合った。


(……馬って、美味しいんだろうか?)


 午後になるとコリンが乗馬を教えた。彼曰く、一か月ほどの間、厩舎で働かせて貰って、ニハマチが馬を乗りこなせるように指南するということだった。

 空は曇っていたが、強く振り出しそうな気配はしない、とコリンは言った。


「君は随分特別扱いされているよ、ニハマチ。でも、今日君と一緒にいて、マレーが君に期待するのも分かった気がする」


 二人は草原で二頭の馬を並んで歩かせていた。黒い牡馬を操るコリンは、ニハマチにその暖かな笑みを向けた。


「飲み込みが早い。好奇心も向上心も高い。そして人並み外れた感覚を持っている。ニハマチ、君は自分に自信を持っていい。君のようなやつは、曲者が集まらざるを得ない僕たちの中でも珍しい方だよ」

 ニハマチは頷いた。「ああ! 俺はよく褒められるよ。あと、それ以上に怒られる」

 コリンは盛大に笑った。「そうか、やんちゃなところもあるんだね。褒められるし、怒られる。それは君が愛されている証拠だよ、ニハマチ」言って、コリンはふと眉を顰めた。

「それは、君が言っていた森での話かい?」

「そうさ。森――」


(あ。動物は普通喋らない)


「森の動物が、鹿なんかが俺の顔を舐めてくれるんだ。悪いことをしたときには、角でつついてくる」

 コリンは目を丸くすると顔いっぱいに喜色を浮かべた。「凄いよ。人間みたいな鹿じゃないか。その不思議な森に僕も行ってみたいなあ……」


 ニハマチは困惑ぎみに目を丸くした。


(俺も、少し戻ってみたいかも……)


 胸中に仄かに寂しさが芽生えたところで、ニハマチは強く頭を振った。


(自分で決めて出てきたんだ。戻ることは出来ない)


 少年の目に一種の決意の光が燃え、すっと首を伸ばして眼前を見詰めるニハマチの横顔に、コリンは呆気にとられた。


「君は本当にいい顔をするな」


 ニハマチは我に帰り、コリンを見た。


「ニハマチ、君は何かを目指しているんじゃないのかい?」


 そう言われて考えを巡らせた。確かに、彼には目指すべきものがあった。


「冒険家とか、騎士とか。あるいは学者か。俺には、君がこの古都に留まるような人間には見えないな」


(冒険家、学者……。確かに、そう言えるものかも知れないけど)


「――ううん。何かになるとかじゃない。とにかく行かなくちゃならないんだ。あの場所に」

「へえ……? 何処かに行かないと駄目なのか?」


(何処か……遠い、ここよりもっと遠い場所)


 自分でも気付かないうちに、ニハマチはそれを呟いていた。


「■■■・■■■■」


 ――その時、彼らの周囲に濃密な気配が出現した。

 いつの間にか辺りに凝縮された空気が立ち込めている。それはぐるりと二人を取り囲んでいるように思えた。


(……複数の気配?)


 ニハマチは数を数えた。無数の存在が塊を成している。


(駄目だ。数え切れない。いつ現れた?)


 じわじわと円が縮まり、二人を圧し潰そうとしている。周りは草原のみで一つの方角に森林が見えるぐらいであり、何かが忽然と現れうるような間隙などありはしないように思えた。


(力を使えば視える。でも、一つ一つの気配が強すぎる。使えば襲いかかってくるだろう)


 コリンがいる状況で無茶はできなかった。何しろ、敵の得体がまったく知れないのだ。

 肌がちりちりと逆立つ。ニハマチは自身の体温が下がっていくのを感じた。冷たく、氷のように。


(いや、むしろ「力」が満たされていく。制御できない。俺自身が俺を守ろうとしているんだ)


「ニハマチ、どうした……?」


 コリンは変化に気づいていないようで、不意に険しい表情になったニハマチを訝しんだ。


(逃げるしかない。コリンを連れて、出来るだけ速く、出来るだけ遠く)


 紐で作った輪が内側に撓むように、気配の1つが大きく接近していた。


(時間がない)


 ニハマチは体内にある力の流れの渦を消して、両足にだけそれを集中させた。


(「力」をちゃんと使うのは初めてだ。――でも、全力を出せば逃げられるはず!)


 少年に刹那の緊張が生まれたとき、コリンが言った。


「お。誰か向こうから来たね」


 見れば、乗馬している人がこちらに向かってくるところだった。それはハットを被った老紳士で、二人の前に進み寄るとにっこりと笑った。

 コリンは馬の手綱を引いて老人に向き直させてから言った。「やあ、こんにちは……?」


「こんにちは。今日は良いお日柄ですね」


 老人は片手でハットを上品に脱いでゆっくりと胸に当てた。


「ところで……」


 老人の瞳の色が変わった。少なくとも、ニハマチにはそう見えた。


「さっき、何か妙なモノは見かけませんでしたかな?」老人は上品な笑みを口角に浮かべて言った。

「妙なものですか。ニハマチ、何か見たか?」

「……ううん、何も」

「ああいえ。なら良いのです。私は今から古都の教会に向かうところです。あなたがたは今から旅でして……?」

「いえ。今この子に、馬を教えているところなんですよ」

「ほっほ! それはいい。その年で乗りこなせれば、大人になればなあんの問題もない」


 老人はハットを目深に被ると、淑やかに頭を下げつつ、


「では、良き午後を」二人とすれ違ってそう言った。

「はい。またどこかで」


 コリンは暫く老人を見送ったあと、


「彼、どこの国から来た人だろうね。あの風体と佇まいは学者か何かのようだけど……」


 ニハマチはまだ後ろを振り向いていた。すると、俄かに振り出した小雨が霧を作り、老人の姿はやがて溶け込むように見えなくなっていった。


「雨も降ってきたし、俺たちも帰ろう」


 屋敷へ戻った二人は、騒がしく広い食堂で食事を取った。食堂には女の子たちもいて、ニハマチが初めて見る顔もあった。

 男だけの寝床では、形式上の就寝時間である22時を過ぎても周りを寝かせようとしないやんちゃ者とそれをどやす者があったが、後者の方が力の強かったためにやんちゃ者は自然と静かになって、気付けば皆が眠りに付いた。

 日々は目まぐるしく進んだ。ニハマチは街中に派遣されて色々な仕事をしながら、馬術の練習をこなしていった。そして養い所のことを理解していった。コリンのような養い所の年長者は地下の大寝室ではなく、4人~6人または2人の部屋をあてがわれていること。屋敷でマレーの補佐をするスミレなど、1人部屋を与えられている者もいること。

 大寝室を共にする仲間たちのことも段々と把握していった。赤毛の先端が跳ねてゼンマイのように丸まっているエレック、歌うのが好きな茶髪のターキー、大寝室のまとめ役である丸眼鏡のロイ、やんちゃ者のジェイミーとリック、ニハマチを気に入っているらしい黄金の髪の毛のクローブ、波打つ癖毛の本好きバルサム。他にも、魅力的な子どもたちの名前をニハマチはすっかり覚えてしまった。

 ある夜、ふと目が冴えたニハマチは外の空気を吸うために寝室を抜け出した。建物の外周をぐるりと散歩していると、誰かが壁に背を凭れて空を見上げていた。


(……キツツキ?)


 その子供の顔は凛々しく、何処か謎めいていて、深緑色の前髪の一部が少し弧を描いて垂れている。大寝室の仲間であり、寝室でも食堂でも一人でいることの多い少年、キツツキに間違いなかった。


「やあ! 寝れないのか?」


 キツツキは一瞬驚いてニハマチを見ると、視線をまた空に戻した。


「……お前か」


 ニハマチは無造作に彼の隣に並んで、同じように壁に背を預けた。キツツキは特に反応する風もなく、2人は一緒になって空を見上げた。聞こえるのは虫の鳴き声だけだった。


「へへ」


 ニハマチは何だか面白くなって笑ったが、キツツキはやはり反応しなかった。暫くそうしていると、キツツキがおもむろに口を開いた。


「寝ないのか?」

「目が覚めたんだ。それに、今は君と空を見ていたい気分だね」

「……そうか」


 キツツキがこちらを拒絶しないのを見て、ニハマチは自分より少しだけ高い横顔に向かってにこりと笑った。


「なあ、キツツキに親は居るの? ――俺は、生まれたときから両親の顔を見たことがないんだ。ここって、そういう人たちが集まっているんだろう?」

「親か……随分前に父と居た気がするけど、顔は思い出せないな。母は会ったことすらなさそうだ」


 ニハマチが嬉しそうに頷く。


「俺たちが生きてるってことは、俺たちの親はいたはずなんだけど、顔すら思い出せないってとても不思議な感覚だ。覚えていないから寂しさもないや」


 キツツキは躊躇いがちな流し目をニハマチに向けると、目を合わせたまま意外そうに、


「お前……話せる奴なんだな。てっきり猿みたいな奴なのかと思ってた」

「ふひひ。森にずっといたからね! とても大きな森さ。ほとんど猿で間違いはないよ」


 キツツキは視線を落とすと静かに笑った。


「変な奴だな……ニハマチだったか?」

「ああ!」

「どうせマレーから貰った名前だろう。その妙ちくりんな名前も、気に入らないなら自分で勝手に変えてしまうといい」

「……そうかな? 俺は気に入っているよ」

「なら、いいか」


 キツツキの表情は、心なしか柔らかくなっているように見えた。キツツキは、涼やかな目を空に向けながら言った。


「あのさ。こんな感じで喋るのって、俺からしたら珍しいことなんだ」

「そうだよね。キツツキ、いつも皆と離れて一人でいるじゃないか。皆のことが嫌いなのか?」

「いや、そういう訳じゃないが……何か、いつも一人でいたい気分なんだ。達観、と言えばいいのか」

「達観……カッコつけみたいな感じ? 『斜に構える』という言葉があったよね」


 キツツキはまた俯きがちに笑った。彼の癖なのかもしれない、とニハマチは思った。


「まあ、カッコつけてると言われればそれまでか。いや、何ていうか……」


 真っ黒な夜空を見詰めるキツツキの目が少し見開かれる。


「『気持ちがここにない』んだ。ずっと、違うことを考えてる」

「……」


 ニハマチは、キツツキと同じように空を見詰めた。空は何処までも漆黒で、星たちはすぐ手の届くところにあるように思えたし、ずっと、遥か遠く辿り着けない無限の距離にあるようにも思えた。


(俺が居るべき場所はここじゃない……) 


 すると、キツツキは壁に凭れるのを止めて小さな欠伸をした。


「俺は寝る……寝た方がいい、ニハマチ。朝は早い」


 そう言うと彼は寝室に戻っていった。ニハマチは地面に座り込んで何かに思いを馳せているうちに、こくこくと眠りについた。

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