私刑執行人

糸田三工

第1話 失踪

Sからの連絡が途絶えて二週間になる。


見栄を張って敢えてSと説明したが、私は公安警察でないのでスパイを束ねている筈もなく、組織犯罪対策部の捜査協力者としてのSである。


恥ずかしながら駆け出しの坊やである私には協力費が定期的に支給されるSが認められる筈もない。


尤も全国の警察で明らかになった裏金問題を切っ掛けに捜査費や捜査協力費の透明性が求められるようになり、野放図であった過去と決別しており、幹部であっても爪に火を灯すような状態である。


それでも一日に二、三度の電話と平日の晩若しくは週末の面談を三か月間も公明正大な割り勘で欠かさずに続けていた。


勿論、片務的な関係ではなく、職業的な知見や人格も含めて尊敬していた同志と言った方が相応しいかもしれない。


最初の面談は警視監である部長直々に呼び出され、大物捜査協力者である通称理事長の説明を受けた。


「ヤクザマンションの理事長であり、オークション会社の顧問等を現在も務めており、派閥の領袖であった代議士の秘書や大物右翼の金庫番も経験していたので、表裏の世界に精通しているので、勉強を兼ねて訪問して下さい」とだけ指示をされた。


裏金問題が表沙汰になる前から理事長は菓子折りを含め一切の捜査協力費を拒否して


「安全安心を維持するのは市民にとって当然の務めだから」と言って、手弁当で協力を惜しまなかった。




柔道一筋で餃子耳をした強面の先輩に連れられて、歌舞伎町の喫茶店で小柄だが眼光が鋭い理事長と同行したのがSだった。


「彼は大手証券に勤務しているが、何かと黒い噂の絶えない新規公開株について気になる話をしていたので、一緒に来て貰った」と紹介した。


Sの話を掻い摘んで説明するとリクルートコスモスや佐川急便の新規公開では闇紳士だけでなく、政界を巻き込んだ一大疑獄となったので、諸外国からもマネーロンダリング防止措置が要請されたことで、上場前の売買やビジネスの潤滑油としての露骨な配分等の表立った行為こそ下火になったが、水面下ではダイレクトコースと呼ばれる非対面口座を舞台にして仮名借名口座が野放しにされている疑惑であった。


「月末残高だけでステージが決定されるのに目を付けて、月末に数千万円から数億円を入金して、月初に出金を毎月繰り返しながら只管新規公開株の公募を申し込みます」とSは緊張気味に力説した。


「それだけで必ず当選するんか、利益は大体どれくらいになるんや」と餃子耳は見るからに気乗りでない様子だった。


「最近では当選確率も低くなっており、所謂お宝銘柄でなければ、数万円から数十万円程度で損失の可能性もあります」とSは正直に答えた。


「悠長な話やな」の一言でコーヒー代も支払わずに餃子耳が立ち去ったので、私も後を追う以外の選択肢はなかったので、二人分のコーヒー代を置いて後を追った。




Sの名刺が無造作にゴミ箱へ捨てられたのを確認すると先輩が帰ったのを見計らって拾って、私の名刺入れに保管した。


餃子耳が非番であることを確認してSに電話をして、池袋の喫茶店で面談する約束を取り付けた。


「一般大衆は警察っていうだけで、緊張するんやから胸襟を開いて自己紹介せんとあかん」と餃子耳から教わった唯一真面目な言葉を思い出した。


因みに餃子耳の十八番は関西の柔道名門校で春の武道館で二年生にして決勝戦で五人抜きの偉業を達成したが、最後に捨て身の蟹挟による奇襲を受けると監督に


「残り三十秒や凌げ、耐えろ」と発破を掛けられ、仁王立ちで堪えた試合終了直前に腓骨が悲鳴を上げた。


団体優勝の代償に選手生命を絶たれ、競技生活に終止符を打ち、警視庁に入っただけで終われば青春の苦い一頁であるが、決まって最後に


「あんなことさえなければこんなところで燻っていない」と未練がましく語るのがお決まりだった。


嘗ての好敵手が華やかな舞台に上がるのを横目で眺めながら、叩き上げの部長刑事は国家公務員採用である恩恵を受けて、警部補の私にも複雑な感情を持っていることは明らかだった。


本職と見紛うような派手な衣装やスイス製の高級時計も現状に対する不満を覆い隠して虚栄心を満たす、彼にとっての鎧なのかもしれない。


彷徨する思いを断ち切って


「警察官には珍しい教育学部卒であり、教育実習先で出会った「将来は警察官になりたい」と目を輝かせて語った少年の死を切っ掛けにこの世界に入りました」と自己開示をした。


「どうして少年は死んでしまったの」とSが率直に尋ねたので


「職務質問を強行突破した麻薬中毒者が運転する暴走車両に巻き込まれてしまって」と重い口を開くと


「嫌なことを思い出させて申し訳ありません」と言うSも打ち解けた様子で自分の経歴を語り出した。


「自分で言うのも何ですが、営業成績は抜群でしたが、顧客の利益と対立するビジネスモデルに疑問を持ち始めてからは内部告発と報復人事の応酬です」と悲しそうに話してくれた。


先日の話に水を向けると


「金額の多寡よりも、合法的な行為で思慮の浅い素人と接点を持てることが、反社会勢力にとって最大のメリットであると説明する前に帰ってしまったから、半分諦めていました」とSは興奮を隠さずに話した。


コールセンターの事務局で出金確認をしていて、支店が異なるのに携帯電話若しくはメールアドレスが同一の口座が複数発見され、月末月初の資金移動を繰り返していた。


証券は銀行と異なり、全店ネットワークは総務課に設置されているだけで、各支店で顧客管理されているのが盲点になっていた。


Sは内部管理責任者にこの事実を報告したが、黙殺されたのでコンプライアンス統括部にも通報したが梨の礫であった。


ダイレクトコースはネット証券に対抗する為、肝煎りで導入されたが、誰もが責任を回避する真空地帯になっており、ネット上の伝言板では月末月初の資金移動のことを新規公開株当選の錬金術と紹介されており、未成年口座も含む家族総出で申し込みが奨励され、仮名借名口座の手口も紹介されていた。


「該当する顧客情報を提出して頂けませんか」と懇願すると


「社外秘の機密情報なので、それは出来ません」と即座に拒否をされた。


「公益通報者保護法の二条柱書による通報先は一、事業者内部二、監督官庁や警察・検察等の取締り当局三、その他外部となっており、内部管理責任者に報告して、コンプライアンス統括部にも通報しているので、要件を完全に満たしています」と力説した。


「本当に大丈夫ですか、事件に巻き込まれないですか」と不安そうに言い


「理事長も暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律によって雁字搦めで身動き取れないから「悠長なことまで」はしないだろう」と言っていたので」と躊躇したので


「金額の多寡よりも、合法的な行為で思慮の浅い素人と接点を持てることが、反社会勢力にとって最大のメリットです」とSの言葉を反復して


「これ以上不幸な少年を増やしたくありません」と私の持論を強調すると


「了解しました、連絡先と一、二週間の猶予を下さい」と覚悟を決めたようだ。




私が戻るのを待ち伏せしていたように


「喫茶店で面談した捜査協力者は大物であることを何故黙っていたんや」と餃子耳が掴み掛らんばかりに詰め寄るので


「ご存じないとは思いませんでした、申し訳ありません」と素直に頭を下げたが


「お荷物のロートルと将来有望なホープじゃ所詮待遇が違うからな」と絡むので


「相手の立場によって態度を変えるのですか、事前に大物だと知っていたらもっと丁寧な対応をしていたのですか」と応酬すると


「舐めた口利くんじゃねぇ」と凄んで、キャビネットを思い切り足蹴にした。


周囲の目が一斉に集中したので


「お騒がせして、申し訳ありません」と二人同時に頭を下げた。


「ご安心して下さい、あれ以来、理事長とは一切連絡を取っていません」と真実を告げたが


「どうだかな、殿上人と叩き上げの差は歴然で、情報源だけでなく待遇も全然違うからな」と納得しなかった。




このような経緯もあり、日中は電話で連絡をして、あらぬ疑いを抱かれないように理事長のお膝元の新宿ではなく、Sの職場がある池袋で平日の晩若しくは週末に面談するようにしていた。


「警視庁管内の情報だけを抽出して、該当する顧客の個人情報と入出金履歴と新規公開株の売買データを作成しました」と予定より随分早く手渡された。


当然のことながら氏名、年齢及び住所には何の法則性も見られないが、東京都全域の地図上に印を付けてみると携帯電話は地域で重なるのに対して、メールアドレスは地域が重複しない不思議な集合を形成していた。


「恐らく、見せ金を横領されないように月末月初は地域別の纏め役が近隣の拠点に監禁をすることで対応して、横の繋がりを絶つ意味で匿名性の高いメールアドレスで纏め役を元締めが統括する本社支店方式を採用していると思います」と冷静に説明した。


「専門外なのでもう少し詳しく説明して下さい」と依頼すると


「総元締めにとって最大のリスクは見せ金の横領とスキームの露見です、従って月末月初の監禁は威嚇の意味を持つと容易に想像されます、ダイレクトコースは需要予測の申し込み時点で前受金方式なので基本的にはメールで完了しますが、万が一に備えて携帯電話は地域別にしているのでしょう、恐らくご本尊はヤクザマンションにあると理事長が言っていました」と澱みなく解説した。


「これから先、私は具体的にどのような行動を取れば良いのでしょうか」と興奮して尋ねると


「憶測の段階で大規模に介入すれば、却って警戒されて地下に潜ってしまう恐れがあるので、二、三か月は地区別に的を絞って、手分けして、張り込んでみましょう」と提案されたので


「お仕事は大丈夫ですか、月末は多忙な時期に該当するのじゃありませんか」と恐縮して尋ねると


「恥ずかしながら、内部告発と報復人事の応酬によってある意味透明人間ですから」と自虐的に答えた。


「色々な意味で、くれぐれも無理だけは絶対にしないようお願いします」と懇願するのが精一杯であり、終始主導権はSが握っていたが、専門性だけでなく、人間性も含めて全幅の信頼を寄せていた。




最初の月末は住所から対象者を絞って、事前にアパートを訪ねて、写真で人相を確認して、私が墨東地域の錦糸町、Sが多摩地域の立川に分かれて尾行を開始した。


拠点は対象地域で最大のターミナル駅だというSの予想に基づいて、都心よりも周辺から開始することで意見が一致した。


両国に近いアパートに早朝から張り込みを開始すると九時過ぎになって対象者が姿を現した。


二、三日外泊出来る程度のデイパックを背負っていたので、恐らく間違いないだろうと判断し、Sの助言に従って同様の格好をしていたことに安堵した。


錦糸町から徒歩五分圏内の築二十年超と見られるマンションの一室の前で


「しまった、忘れ物をした」と言って引き返すと


「十時に遅れると懲罰対象だから、急いで下さい、虫の居所によっては連帯責任を取らされることもあるから」と親切にも教えてくれた。


池袋の喫茶店で十二時の待ち合わせには早過ぎるあっけない収穫に喜び勇んで到着するとそこにはまだSの姿はなかった。


最悪の事態が脳裏を過り、携帯電話を確認すると


「再開発で古いマンションが少ない立川でなく八王子に拠点があったので、少しだけ遅れます、奥多摩、青梅も考慮すると却ってこちらが適当なのかも知れません、今後はそれらも考慮しましょう」と何とも呑気なメールが届いていたので、安堵すると可笑しさが込み上げてきた。


塞翁が馬とはまさに至言であり、今から考えると望外の成功によって、周囲の視線にも無頓着となってしまったことが、躓きの石に変貌していたと言えるだろう。




餃子耳は私の行動を密かに監視し続けており、Sから手渡されたリストも合鍵を総務課から借り出してコピーをしていた。


何も知らない二人は翌月も私が城南地域の蒲田、Sが城北地域の王子を担当して首尾良く成功させていた。


立川でなく八王子だったことがヒントになり、街並みや人口等から候補を絞ることが出来たので、より精度が高まり、最後の月には山手線内を私が神田、Sが五反田を担当して各拠点の調査を終えた。


営業の経験に基づいて、バスや徒歩の不便さを排除してターミナル駅周辺だけに的を絞ったことと再開発地区よりも築二十年超のマンションは管理人も五月蝿くないことが絶対的な要件であった。


三か月の成果を上申書として作成するのに二、三日間も脇目も振らず作業に没頭していたことが、初動を遅れさせてしまった。


携帯電話の電波が届かない範囲にあることも達成感による暫しの休息程度の甘い認識をしていた。


会社に電話をしたが、Sの置かれた境遇を考えると誰も出る筈はなく、会社の連絡先及び携帯電話以外の情報は一切持ち合わせていなかった。




一週間後に漸く事態の重大さに気が付き、部長に概略を報告して、理事長と再度面談出来るように依頼をした。


「何てことをしてくれたのだ、SもSだが揃いも揃って何の断りもなしに三か月間も隠密裏に行動していたのか」と小柄な体の何処から出たのか不思議なくらい響き渡る怒声を浴びせられた。


普通の喫茶店であれば、周囲が震え上がるだろうが、流石に理事長の御用達なので誰も反応しなかった。


「過去を糾弾している場合ではない、善後策を考えよう」と豹変して、冷静さを取り戻した。


理事長がガラス越しに誰かに×のサインを示しているので、振り向くとそこには誰もいなかった。


「誰にサインを送っていたのですか」と尋ねると


「マンションの管理人が決裁書類を持って来ただけだ」と素っ気なく答えた。


「推定無罪の原則なので、事を荒立てたくなかったが、緊急事態なので致し方ない」と言って、餃子耳が捜査情報を暴力団に漏洩している疑惑があり、警察の中の警察である監察官による査察の対象となっているという衝撃の事実を教えてくれた。




身に着けている衣装も決して趣味が良いとは言えないが、高級ブランドでスイス製の時計も宝石を鏤めた代物である。


一介の警察官が購入することは、清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要であり、身分不相応だと断言することが出来る。


暴対法施行以前であれば、マル暴と本職の癒着は公然の秘密であったが、現在では状況が全く異なり、絶滅危惧種の部類に属する人間であった。


高校時代の柔道部のマネージャーであった糟糠の妻が待つ家にも寄り付かず、夜な夜な繁華街を徘徊して夜の蝶と戯れており、財政状況がかなり悪化しているという悪評も数多く絶えなかった。


週刊誌によって手口が暴露される以前は、首なし拳銃の押収や小口賭場開帳の匿名情報による摘発についても常習者であった。


過去にお世話になった鑑識課員に非公式に依頼してSから手渡されたリストを保管しているキャビネット及びリストの指紋を採集した結果、私とS以外に餃子耳が該当した。


庶務課員にキャビネットの合鍵を貸し出した記録簿を閲覧させて貰うと見紛うもない餃子耳の署名があり、共有資料を閲覧の為と殴り書きが残されていた。


二人の会話についても情報漏洩を警戒しており、池袋にある場末の喫茶店に年配の店長と女性従業員しかいない時間帯を見計らって利用していた。


両人に確認をした結果、女性従業員が餃子耳に警察手帳を見せられて、犯罪に関連するので、レコーダーによる録音を依頼されて疑いもなく応じていたことが判明した。


データと東京都全域の地図を利用しながら電話での会話も丁寧に摺合せしていたので、二人の意図することは文字通り筒抜けになっていた。


今更ながら事の重大さを再認識せざるを得なく、私にはSの無事を祈ることしか出来なかった。

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