異世界の正しい壊し方 〜水月姉妹の破滅的な天然ボケは人も建物もセオリーも王道冒険譚も容赦なくぶち壊します〜

猫とホウキ

プロローグ

 砂利じゃりで舗装された道路を、ダチョウくらいの大きさのスズメみたいな鳥が人を乗せて走っている。


 石や木でできた家々が並び、その間を通る道沿いには多くの露店がある。活気に溢れ、怒声や笑い声があちらこちらから聞こえ、様々な格好(鎧を身に付けていたり、ローブを身にまとっていたり)をした若者たちが行き交っている。


 ここはどこだろう。夢にしては少しリアルすぎる感覚。しかし夢でなくては説明がつかない。


 わたしは日本にいたはず、そしてこのような場所は日本にはないはず。このような場所に来てしまう道理はないし、このような場所に来てしまった理由も思いつかない。そうなれば夢と解釈するしかない。


「よく分からない黒い塊(一口サイズ)を食べたところまでは覚えているのだが……謎だな」



***



 水月すいげつ水音みずね。姉、20歳。大学生。

 水月すいげつ水面みなも。妹、17歳。高校生。


 日本国、神奈川県。季節は冬。水月姉妹は買い物袋を片手に、横浜市内の歩道を歩いていた。


 日差しはあるが気温が低く、二人とも手袋をしているものの──それでも手が冷えるのか、時折ときおり空いている方の手で買い物袋を持っている方の手をこするような仕草をする。


 この姉妹。趣味も性格もまったく違うが、こうして一緒に買い物をする程度には仲が良い。ただ今は(寒いせいか、買い物袋が重いせいか)無言のまま、淡々と歩を進めている。


 その二人の目の前に、が落ちてきた。流星のように降ってきて、隕石のように地面にぶつかって、風船のように大きく膨らんで──


 暗黒は姉妹を包もうとした。


 妹の水面みなもは驚きのあまり動くことさえできず、一方、姉の水音みずねは冷静に『観測』していた。そして彼女は──なにが起きたのかは分かっていないが、は理解し──黒い塊に向かって言ったのである。


「貴様、何者かは知らんが、また今度にしてくれ。なんだ。ずっと楽しみにしていたんだ。それを阻むものは神でも悪魔でも許さない」


 黒い塊の動きがぴたりと止まる。迷っているのか、困っているのか、そんな挙動である。水音みずねはその隙に妹の手を引き、歩みを再開する。その進路を塞ごうと黒い塊が動き出すが、水音みずねに睨まれるとビクンと揺れ、また停止してしまった。


「物分かりが良いな。ではまた会おう」


 水音みずね水面みなもは黒い塊を避け、歩道を歩く。彼女たちに置き去りにされてしまった黒い塊は、姉妹がすっかり遠ざかってから、ざわつく目撃者たちにをして、近くのマンションの屋上に逃げ込んだ。



***



 水月姉妹が黒い塊と再会したのは、翌日の夜のことである。


 流星のように降ってきて、隕石のように地面にぶつかって、風船のように大きく膨らんで──


「邪魔だ」


 街灯に照らされつつ出現した黒い塊は、水音みずねに蹴っ飛ばされて、闇から闇へとすっ飛んでいった。


「…………」


「よし水面みなも、行こう。早く行かないと半額セール品が売り切れてしまう」


「いや待ってお姉様。今のキックでなにか重要で重大な事案もすっ飛んで行ったような気がするのですけど」


「今、我々にとってもっとも重大な事案は、半額セール品が売り切れてしまい、お惣菜そうざいが買えなくなることだ」


「そうかもしれませんけど……いや、いやいやいや。絶対よろしくない対応ですわ。得体の知れない存在を得体の知れない存在のまま、物理パワー(弱)で処理してはいけません。あの黒いお方もたぶん大事な役割があって──ろくでもないことかもしれませんけど、わたくしたちの前に現れたのでしょう?」


「昨日、怖がっていたのは水面みなもの方だろう。ゴキブリと正体不明アンノウンは速やかに処分するに限る」


未確認生物UMAさんがお姉様と出会わないことを祈りますわ──出会ったら即座に叩き殺されること間違いなしでしょうし。さておき、お姉様。本当になにが起こるか分からないので、あのような不気味な存在には触れるべきではないと思いますわ」


「分かった。次はもっと強く蹴って、物理パワー(強)で処理することにしよう」


「いえ、強弱の問題ではなく……」



***



 水月姉妹が黒い塊と三度みたび出会ったのは、最初の遭遇から一週間後のことである。


 姉妹は二人とも実家暮らしである(家はマンションではなく二階建ての一軒家)。両親がいない日も多く、この日も出張のため不在だった。


 時刻は夜の八時過ぎ。夕食を終え、後片付けも終わり、姉の水音みずねはリビングでお茶を飲みながら本を読んでいた。そのとき玄関のチャイムが鳴り、(インターフォンはリビングにあるので)必然的に水音みずねが応対することになった。


 そして彼女は客人を迎え入れると、リビングに案内してしまったのである。


 その頃、妹の水面みなもは二階の自室にいた。インターフォンが鳴ったことには気付いていたので──なんとなく不安になり、部屋を出て、階段を下りる。


 リビングのドアを開けるなり、彼女はフリーズした。


水面みなも。どうして『開いた口が塞がらない』みたいな顔でほうけているのだ。お客様の前で失礼だぞ」


「いえ、実際に開いた口が塞がらなかったのですわ、お姉様。お客様って──なんでこいつを家に招き入れちまっているのですの?」


「こいつだなんて呼ぶんじゃない。正式な手続きを踏んで玄関からやってきた以上、客人として扱うべきだろう」


「今回こそ問答無用で蹴り飛ばして追い払うべきだったと思うのですが……」


 リビングで水音みずね相対あいたいしているのは、あの『黒い塊』である。気体だか液体だか固体だかも分からないような質感の存在が、座布団の上あたりでゆらゆらと漂っている。


「見ろ、菓子折りだ。これを持参してきた者には、最低限の礼節で応じる必要がある」


「菓子折り……?」


 水面みなもは見渡すが、それらしきものはない──と思ったのち、テーブルの上にある謎の物体を見て、姉に尋ねた。


「お姉様。菓子折りって、まさか『それ』のことではないですのよね?」


「なにを言っている。『これ』以外に菓子折りがどこにある。形状、サイズとも他のものとは考えられないだろう」


「わたくしには黒い塊(小)にしか見えないのですが。たぶん中からは黒い塊(一口サイズ)しか出てこないでしょうし」


「まあ好みはあるだろうが、文句は言うな。で、そろそろ始めようか。お客様きさま、この前からわたしたちに何用だ? 今回は話くらいは聞こうじゃないか」


「…………」


 水音みずねの声に反応し、黒い塊は黒ずんだ霧のようなものを噴出した。それは空中を漂いながら結合し、いくつかの線となり、その線が重なり合って文字を作る。


「惜しいな。鏡文字になっているぞ」


「…………」


 文字が崩れ、また再構成される。


「いくつかよく分からん文字が混ざっているが、なんとか読めるな。なになに、『お前らを異世界に連れてゆく』だと?」


「え! 異世界!?」


 急に歓喜の声を上げたのは、水面みなもである。悪役令嬢の生まれ変わりを自称する彼女にとって、異世界というものは東京大学よりもトップアイドルよりも憧れて想い焦がれる存在であった。


「『拒否権はない』か。でも残念ながら拒否させてもらう。ちょっと暗黒っぽいオーラをまとっているからといって調子に乗るんじゃないぞ、黒いやつ」


「お、お姉様。異世界ですのよ? チート能力全開で無双したり、勇者と魔王を無視してスローライフを満喫したり、楽しいことばかりの世界ですのよ? 断る理由なんてないですわ!」


「なにを言っているのかよく分からないが、とにかくだ。水面みなも、お前が今考えなければならないのは、高校卒業、大学受験、大学卒業、就職活動、仕事、キャリア形成、資産運用、婚活、結婚、出産、育児、老後の心配だ。異世界とやらはそのあとに行けば良い。まあ就活や仕事で有利になるというなら、どこかで一年くらいは行っても良いかもしれないが」


「お姉様、異世界は老後の趣味で行くようなところではないですし、留学みたいなノリで行くところでもないのですの……」


「とにかくダメだ。異世界なんて却下だ。というわけで黒っぽいお客様きさま、今日は蹴っ飛ばさないでやるから、大人しく帰れ」


 水音みずねが言うや否や、黒い塊は体を大きく膨らませて姉妹を襲おうとした。しかし水音みずねは近くに置いてあった(というより置いておいた)掃除機を手にすると、電源をオンにし、さらに掃除機の先っぽ(ノズル)を外し、それを黒い塊に当てる。


 ぐゅいいいいいいいいいいいいいいいん!


 ずぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!


 くぽっ。


「……………………」


 黒い塊は掃除機に吸い込まれて消えた。それを見ていた水面みなもは、またしてもフリーズぽかーん


「さすがはダイ○ン。唯一の吸引力の変わらない掃除機……いや、いやいやいや。いろいろとおかしいですわ。お姉様、以前にも同じようなこと申し上ましたが、得体の知れない存在を物理パワー(ダ○ソン)で吸引してはいけません」


「ゴキブリと黒カビと正体不明アンノウンは速やかに処理するに限る」


「昆虫と真菌と異世界転移アンノウンが同列ってどういうことですの? でも、あああ、それどころではなくて、わたくしの異世界の夢が消えてしまったのですの。なんてことをしてくれたんだ、ダイソ○め」


「○イソンに罪はない。さあ、これでもうこいつが我々の前に現れることもないだろう。一件落着だ」


「一件落着してしまって良かったのでしょうかね……さようなら異世界。あとこれって燃えるごみとして処分して良いのですの? ごみ収集の方が困惑しそうですけど……」


 水面みなもは悔しそうにしながらも、異世界への期待は諦めた様子だった。しかしまだ終わりではない。テーブルには菓子折りと称して置かれた黒い塊(小)が残されているからである。


「お姉様。これはどうしますの?」


「食うか」


「食うのですの!?」


「なにを驚いている? 菓子折りに罪はないぞ」


「異世界に憧れて想い焦がれるわたくしでも、この黒い塊を胃袋に入れる勇気はないですわ……。異世界に行ける確率より腹痛でトイレに行く確率の方が高そうですし……」


「じゃあわたしだけで食う。水面みなもは部屋に戻って勉強でもしていろ」


「ぐっ! なんという悪魔の誘い! 万が一、お姉様だけが異世界転移するなんてことになったら、悔しさのあまり憤死して異世界転生してお姉様に会いに行ってしまいかねないですわ……それもアリですわね」


「さっきからなにを言ってるのか分からんが、早く決めろ。ふむ、なかなか美味そうではないか」


 水音みずねは黒い塊(小)から黒い塊(一口サイズ)を取り出した。その表面に浮かぶ『苦悶くもんに歪む顔』のような禍々まがまがしい模様を見て、姉はにっこり(妹はドン引き)。


「よし食うぞ」


「姉様は馬鹿ですの? それを見て食欲を維持できるって、どういう神経をしておりますの?」


「文句ばかり言ってないで、食いたいなら食え、食いたくないなら食うな。どちらかにしろ」


「くうううう……ええ、分かりました! 食べますわ! こうなったら覚悟を決めて食らい尽くしてやりますわよ!」


 水面みなもも黒い塊(一口サイズ)を手に取った。


「お姉様! 『いっせいのーっせ!』で一緒に食べてくださいませ!」


「構わないが?」


「では食べますわ! 抜け駆け禁止! 後出しも禁止! 天国か地獄か異世界かトイレか、いざ行かん! それではいっせいの──」


 姉妹は黒い塊(一口サイズ)を同時に口に入れた。それはビターの効いたチョコ味であったという……。

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