第36話 涙の記憶 4

 ジョセフがそこにたどり着いた時には、二、三人がサーベルの家の前で立っていた。

「おい、救急車!」

 そう、一人の筋肉質の大柄の男性叫ぶのだが。

「バカ、消防車だろう」

「しまった。スマホ持ってくるの忘れた」

 街の人たちは慌てふためいていた。

「サーベルは救出したの?」

 後できた女性が大柄の男性に言う。

「いや、あの婆さんは中だ。一向に出てこない」

「おい、サーベル。いたら返事しろ!」

 そう痩せ型の男性は叫ぶのだが、ゴミ屋敷で、気温も低いことから火の勢いは一気に増していく。

「うわー」「キャー」

 二階建ての洋館が疲弊し、少し傾いたことで、悲鳴が聞こえる。

 ジョセフはこの光景を見ていた。

 サーベルとの記憶は、あのいつの消費期限なのか分からない棒付きの飴のことが思い出す。

 あの時、家に帰ってゴミ箱に捨てたのだが、必ずしも嫌な記憶だったわけではない。

 渡した時の、サーベルの笑顔が今でも思い出す。優しく、ニコッと笑った皺だらけの顔だった。

 普段は笑っているところを見たところがなかったサーベルが、ジョセフだけかは分からないけど、ジョセフは自分だけに見せた笑顔だと思っていた。

「このままだったら、消防車が来るまでに崩壊してしまうな」

 痩せ型の男性がサーベルの燃えている家を見ながら呟いていた。

 ジョセフは燃え行く洋館に対して軽くうなずいて、後で家で飲むために買っていたジュースのペットボトルを開けて、自分の顔と体に掛けた。

 そんな意味不明なジョセフの光景を誰も見てはいないくらい、みんな洋館に注目している。

 ペットボトル全てをお空にしたジョセフは、走って洋館の中に入っていった。

「おい、お前、何を」

 そう呼び止める、体格のいい男性は慌てて走ろうとするのだが、火の勢いが強くて、とても入れそうにない。

 ジョセフは入った時、熱気に負けそうになったが、それ以上にサーベルを助けることに必死だった。

 四方八方火の海になっていた。このままだったら自分も火傷だけでは済まされない。体力が一気に奪われる中、ジョセフは叫んだ。

「サーベルさん。どこ、いたら返事して」

 大広間のような場所から、さらに奥の部屋に入っていく。もう戻れるかは分からない。

 一方、サーベルの洋館の前では、人々が寝間着姿で、何事とかとサンダルを履いて走ってくる。

 そこに、マムと隣の家のダーナも駆け付けた。

 いつしかサーベルの前には人だかりが出来ていた。遠くから消防車のサイレンが鳴り響く。

 ジョセフは奥の部屋に入り、「サーベル……」と、辺りを見回して進むと、奥に背にもたれた痩せこけた老婆のような女性がいた。

「サーベルさん!」

 ジョセフは彼女に駆け寄った。

「サーベルさん、しっかりして」

 ジョセフは意識が遠のいていくサーベルの肩を揺らすと、彼女は薄目で、ジョセフの方を見た。

「誰だ、あんたは……」

「ジョセフです。この近所に住んでるガキです」

「知ってるよ。この間まで学校に行かなかった子だろう」

「え? その噂も知ってるんですか?」ジョセフは思わず声を上げた。

「噂も何も、私はいつも登校してる小中学生の子供たちを心の中で見送っていたからね」

 そういえば、サーベルは息子が交通事故にあって亡くなってしまったというマムから聞いた話をジョセフは思い出した。

 炎は勢いを増して、更に館が崩れる音がする。

「サーベルさん、行こう。みんなが待ってるよ」

 そうジョセフは、サーベルの手をつなごうとしたのだが、彼女はそれを払いのけた。

「いいんだよ。私はこのまま死なせてくれ」

「何を言ってるんだ! みんなサーベルさんが無事か心配してるんだ」

「そんなことないだろう。私はみんなから嫌われていた。この街の人たちなんて毛嫌いしていたのは分かってたし、いろんな人に迷惑を掛けた。このまま息子のところに行かせてくれ」

 サーベルは涙を流していた。風貌にしてはまだ老いていない声がする。ジョセフはサーベルの年齢が分からないが、風貌は七十くらいだが、多分実際の年齢は五十くらいだろう。

「このままあんたが死んでしまって、息子さんが喜ぶとでも思ってるのか?」

 ジョセフは後ろ向きになっているサーベルに対して口調が強くなっていた。

「あんたには分からないだろう。私はずっと孤独だった。あの子を亡くしてしまった時……。丁度あんたくらいの中学生で、登校途中に乗用車にはねられたんだ。しかも相手は仕事に遅刻しそうだったから、速度を上げて信号無視をして、中学生等を引いたんだ。

 助かったのは加害者と、他の中学生たち。唯一まともに車にぶつかった息子だけが、その日に帰らぬ人となった。

 まるで、夢を見ていたかのような、目まぐるしいスピードに私はその日から笑う事を失った。全てが敵に見えた。そして、私は孤独を愛するしかなかった。それが、分かるか……」

 サーベルは感情的になって、大きく息を吸ったのか、火の煙が肺に入って、思わずせき込んだ。

 ジョセフはうつむいて言った。

「分からないよ。僕はあなたが十年以上もそれほどの悩みを抱えてるなんて……。でも、僕も孤独な時はあったし、それは辛いことだと分かってる。だから、僕は半分捨て身であなたに会いに来た」

「フン、一緒に死ぬか? もう、出られないだろう」

「別に死んでも良かった。でも、あなたの話を聞いた時に、僕は生きなくちゃいけないと思った」

「どういう意味だい?」

 サーベルは少しうろたえていた。

「僕はあなたを助けたい。きっと息子さんもそう思っているはずだ。サーベルさんはもう忘れたかもしれないけど、昔、僕に飴のキャンディーをくれたんだ。その時、サーベルさんはどこかに息子さんを探してたんじゃないかと思った。だから、息子さんの為に生きて思い続けて欲しい。その息子さんは天国にいるのかもしれないけど、それが僕であってもいい」

「何を言ってるんだ?」

 そうバカにした自嘲を見せながら、サーベルは涙を流していた。

「単純にいうと、僕の為に生きて欲しい。僕はあなたが必要なんだ」

「必要? どうして?」

「あなたを助けたい。女性として、息子さんを愛した母親として、そして、一人の女性として……。

 あなたかが嫌だと言っても、僕はあなたを守るから。ここで約束する」

 サーベルは涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。思わず、サーベルはそっぽを向いた。

「フン、勝手にしろ」


「おい、もっと水出ないのか?」

 そう痩せた男は怒りながら消防士に言う。

「すみません。これが限界で……」

「ここの家主と中学生がいるんだぞ。分かってるのか?」

「今一人、中に救助しに行ってます」

 マムはジョセフが中に入ったという事を知って、気が気でなく、両手で祈りながら口を開けてドアの中の炎を見ていたのだが、やがて眼を見開いた。

「ジョセフ! ジョセフとサーベルが……!」

「何だと!」

 痩せた男もその方向に目を向けると、ジョセフがサーベルの身体を支えながら、二人で歩いて玄関まで現れた。

 そこで、サーベルは体力が限界になり、気を失ったのだが、後ろから救助隊が支えた。

「ジョセフ」

 マムは思わず駆け寄り、全身真っ黒になっているジョセフを抱きしめた。

「何だよ。恥ずかしいじゃないか」

 ジョセフは周りを見まわした。そこには野次馬も含み、心配して駆けつけた何十人もの人たちが一斉に拍手でたたえていた。

「本当に心配したんだから」

 マムは涙目でジョセフを見上げた。

「大丈夫だよ。僕が生還できたのは空にいるソフィアのお陰だから」

 そう言って、ジョセフは本当にソフィアが助けてくれたのだと思い、空を見上げた。

 空は小さな星で散りばめていた。そこに一瞬流れ星が見えた。

 ソフィア……。ありがとう……。

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