永遠の眠りへ
「ハル、聞こえますか。聞こえたら応答願います。ハル、聞こえるか!」
地上ではヨシアキがさかんに呼びかけていた。すると、わずかな反応があった。
「…ザザッ……もうす…も……くな………さ…に…よ……う…」
「おい、ハルか。もう一度言ってくれ。ハル、聞こえますか? 応答願います。ハル!」
「……………………」
「ハルさん…!」
ナツヒサも思わず呼びかけた。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
返ってくるのはかすかな雑音ばかりで、二度とハルの声が聞こえることはなかった。
男たちは無言で群青色の空を見上げた。満天の星がきらめき、いくつかの星がまたたいて、ふっと消えた気がした。
ぽつり。
「ん? 気のせいか…」
ぽつり。
「水……?」
「どうした?」
「これ、水じゃないのか?」
ナツヒサはヘルメットに付いたいくつかのしずくを指差して言った。
「水だって? 水なんて落ちてくるはずが…」
ヨシアキは自分の目を疑った。自分のヘルメットの表面にも水滴のようなものがいくつか付いていて、まさにもう一粒落ちてきたところだった。
『これか…確かに水滴のようだが、地上に水なんてあるはずがない。水とは違う何かの液体だろう』
ナツヒサに話しかけようと振り向いたとき、瓦礫の割れ目にある緑色のものが視界に入ってきた。
「あれは何だ。植物…なのか?」
ヨシアキは思わず声に出していた。そして、その緑のひとつに駆け寄り、地面に膝をついて顔を近づけた。
ヘルメット越しに見る緑色のものは根本から細かく二股に分かれていき、その作りは植物に違いなかった。そして目を凝らしてみると、ごく小さな白い花が咲いているようにも見えた。
顔を上げあたりを見回してみる。目が慣れてくると、あちらこちらの隙間に同じようなものが生えているのが見えてきた。
「植物じゃないか。これはいったいどういうことだ…」
いつの間にか隣に立っていたナツヒサがつぶやいた。
「そう見えるよな…植物だよな…?」
「ああ、なんで植物が生えてるんだ?」
「あのうわさは嘘じゃなかったんだ…そんな……」
ヨシアキは膝をついたまま放心したように固まっていた。
「うわさ? おい、ヨシアキ。うわさって何だ?」
「………」
「ヨシアキ! 答えてくれ」
「…もうひとつの計画だ」
ヨシアキはふと我に返り、ナツヒサの言葉を遮るように答えた。
「もうひとつの計画?」
「この星を生き返らせる計画だよ。よりによって、なんで今なんだ…」
「ヨシアキ、わかるように話してくれ」
「“希望の地”計画の前から、別の秘密の計画が進んでいるといううわさを聞いたことがあったんだ」
「秘密の計画? どんな計画なんだ? いまさら秘密もなにもないだろ」
「もう一度この星をヒトが生きていけるように改造する計画だ。もちろん暗号の名前で呼ばれていたが、大昔の言葉で、確か惑星再生計画とかそんな意味の言葉だったはずだ」
「惑星再生だ? ヒトが生きていけるようにだって? ここでか? 冗談じゃない」
「ああ、おれも冗談だと思って本気になんてしていなかったよ」
「なんだって?」
「その手の眉唾ものの話はいくらだってある。だからこれもそのたぐいの話で、単なるうわさだと思っていたんだが…」
「草も生えないこの地上で生物が生きていくなんて無理なんじゃなかったのか?」
「そう考えられていた…いや、そう騙〈だま〉されていたのかもしれない。それとも、生命はそんなに弱くなかったということかもしれない。この植物がその証明だ」
「それじゃ、ハルさんは危険を犯してまで宇宙に行く必要はなかった…無駄死にってことか? それに若者たちはどうなるんだ、おい、どうなんだよ!」
ナツヒサはヨシアキに詰め寄り、その肩を大きく揺らした。
「そんなわけはない…。無駄死になんて、そんなことあるはずないだろ! 植物が生えているといっても、こんな小さなものじゃないか。それにごく限られた生物しか生きていけないんだろ。ヒトが地上で生きていくことなんて、それこそ何年かかるか分かったもんじゃない。何百年かかるか、いや何千年かかるか。その前にヒトは絶滅してしまう。そうだ、そうに違いない。だから“希望の地”計画は絶対に必要だったんだ。そうだよな、ナツヒサ。ハルが無駄死になんて、そんなことあるわけないじゃないか…」
ヨシアキは両手で地面の土を握りしめていた。その目には涙を浮かべ、そして呟いた。
「だが、最悪のタイミングだな……。遅いんだよ…くそっ…」
肩を震わせながら嗚咽するヨシアキを見ていたナツヒサだったが、一度目を閉じ、再び空を見上げた。
「ハルさん……」
それからふと思い出したように、ナツヒサはヨシアキに尋ねた。
「なあ、ヨシアキ」
「…何だ?」
「他にもいろいろうわさはあったんだよな」
「他にもって?」
「計画の話だ」
「ああ、そうだ。他にもいろいろあった」
「そうか。それじゃ、まだ他にも進行している計画があるのかもな」
「いや、さすがにもうそんなことはないだろう」
「おれがお偉いさんなら、リスクを分散させるために、可能性のある計画をいくつか同時に進めているだろう。現にこうして別の計画を目の前にしているんだし、規模の大小は別として、まだ他にも計画が進んでいてもおかしくはない。なあ、そうは考えられないか? それが分かってさえいれば、ハルさんはひょっとして……。いや、こんなことを考えるのはやめておこう……」
ナツヒサは再び星々のきらめく空を仰ぎ見た。
*
『みんなが無事に新しい希望の地にたどり着けますように』
レーダー上のカプセルの輝点はすべて見えなくなってしまった。ハルは飛び立っていったミノリやナオキをはじめみんなの手の温もりを思い出していた。
『けっこう飛んだのね。スプラニークがもうこんなに遠くにあるわ』
突然ハルの目の前にランプが表示され、耳をつんざくような警告音が鳴り響いた。
防護服の酸素がなくなる警告だった。
残り5パーセント。
替えの防護服や予備の酸素などはない。ハルはこの現実を受け入れるしかなかった。
カプセルの放出に手間取っている間にずいぶんと減ってしまった。すぐにこうなることはわかっていたが、いざ現実を突きつけられると心の準備などできるものではない。
はぁ、はぁ、はぁ。
冷静でいようとしても緊張で息が荒くなる。
汗が長い髪を濡らし、べったりと顔にはり付いているのがわかる。
残り2パーセント。
どくん、どくん、どくん。
心臓の音が大きくなる。
汗が目に入り視界がぼやけた。
残り1パーセント。
はぁ、はぁ、はぁ。
心臓は張り裂けそうだ。
『まだ、死にたくない……』
残り0パーセント。
警告音が鳴り響く。
『いやだ……』
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、う、うぐっ………。
呼吸ができず意識を失いかけたハルは体に電気が走ったように感じ、無意識のうちに手を伸ばした。
警告音が鳴り響く防護服に身を包んだハルが手を伸ばすその姿は、誰かに助けを求めるものではなく、あたかも目の前を遠ざかって行く、愛しいヒトたちを追いかけるかのようであった。
ハルの脳裏にはいろいろなヒトが現れては消えていった。
両親や友達、ヨシアキ、ナツヒサ、“希望の地”へと向かう若者たち…。
しかしその誰もがみんな別れを告げ、ハルを置いて去っていく。
『ねぇ、待って。どこに行くの! ひとりにしないで…!』
ハルが必死で追いかけて行くと、突然目の前にいつか見たステンドグラスの色鮮やかな草花が咲き乱れる光景が広がった。その背後には数えきれない数の星々がきらめいている。
『宇宙にはこんなところがあったのね。あぁ、なんてきれいなの………』
まるで春の暖かく穏やかな昼下がり、今まで見たこともないような一面に広がる美しいお花畑。
色とりどりの花びらが風に吹かれて舞い上がり、はらはらと落ちてきた。
その一枚一枚は光に照らされて金色に輝き、ハルはそんな光景に永遠を感じた。
静寂に包まれ冷えきった宇宙船の船内。壁を隔てたその外側には、生命の存在しない無慈悲なまでの漆黒の宇宙空間がどこまでも広がっているだけだった。
ハルは…もう二度と動くことのないハルは、これ以上ないほどの満ち足りた表情をたたえ、無重力に
それからしばらくして、前方から強い光をともなった1隻の宇宙船が迫ってきた。その船はクローバー号の横を並走し、中から出てきたいくつかの人影がクローバー号へと近づいて行き、やがて戻っていったかと思うと、今度は進路を迷わずスプラニークへととったのだった。
時空を飛び越えて遠宇宙より帰還した宇宙船は多くの情報をもたらしたが、一方その乗組員たちはスプラニークのあまりの変わりように言葉を失っていた。
そしてヨシアキが聞いたところによると、クローバー号の様子を確認した航海士が言うには、船内にはカプセルはなく、ハルは宇宙船の窓から入り込んできた光で包まれ、まるで祝福されているかのようだったという。
*
ハルを乗せたクローバー号は燃料の限り飛び続け、ほどなく燃料が底をつくと、そのまま宇宙空間を漂う塵になった。
ラ・プリム銀河がどこまでも美しく輝いていた。
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