希望を乗せて
「これから長い1日になりそうだな」
「そうね」
宇宙船の発射場に隣接するかつての輸送物資の一時貯蔵スペースで、ハルとヨシアキは作業員たちとともにカプセルの最終確認を進めている。それぞれのカプセルの横には、“希望の地”計画で選ばれたヒトたちふたりが思い思いに並んで立ち、誰もがリラックスした表情をしている。そしてあちこちからずっと楽しそうな話し声も聞こえてきている。ハルたちの緊張感に比べてまるで正反対の雰囲気だ。
「みんな仲がいいのね」
「あぁ、みんなも緊張してるのかもしれないけど、とりあえずよかった」
カプセルの最終確認が終わると、選ばれたヒトたちは、カプセルの中にある冬眠装置に乗り込んだ。
ハルとヨシアキと作業員たちは、遅れて来たナツヒサとともに、ひとつずつカプセルを回り、選ばれたヒトたちそれぞれと言葉を交わしていった。そしてその腕に注射をして冬眠装置を作動させ、カプセルのハッチを閉めるという作業を繰り返していった。
若者たちを片道切符で宇宙へ送り出すというとてもつらい作業なので、どうしても言葉が少なくなってしまう。
とくにハルにとっては、感情が表に出ないようにするだけで精一杯だった。何もしなくても涙があふれてしまう。作業を他のヒトに任せることも出来たが、せめて最後まで自分の手で送り出したいという、ハルなりの責任の果たし方だった。
作業が半分ほど終わったところで、腕を支えられながらひとりの初老の男性が歩いて来た。
「ユキトさん! そんな体で出て来て大丈夫なんですか?」
「やあハルさん、お久しぶり。足手まといになるのは申し訳ないが、もう少し何か手伝わせてくれないか。ナツヒサくんがすべてうまくやってくれていると聞いているので、口を出すつもりはないが、わたしも宇宙へ出ていく若者たちを最後まで見届けたいと思ってね」
「足手まといだなんて、そんなことありません」
「ナツヒサ、ここはおれたちだけで大丈夫だから、しばらくユキトさんをフォローしてくれ」
「了解。ユキトさんこちらへどうぞ」
「みんな、わがままを言って悪いね」
ハルとヨシアキたちは引き続き作業を行っていった。そしてついにミノリとナオキの乗る最後のカプセルとなった。
カプセルの中のふたりは、左右に向かい合いように置かれた冬眠装置の中にゆったりと体をあずけている。何か話をしていたようだが、ハルたちが近づいてくると話すのをやめ静かになった。
ハルがカプセルの中に入りミノリへ話しかけた。
「ミノリさんですね。どう? 心の準備は出来た?」
「はい。もういつでも大丈夫です」
「少し痛いかもしれないけど、ちょっと我慢してね」
「はい」
ハルは少し横へ体をずらすと、白衣を着た男が歩み寄り、ミノリの左腕の袖をまくり上げた。注射を打たれているあいだ、ミノリはずっとハルの瞳を見つめていた。その視線に気づいたハルはうるんだ瞳で見つめ返し、やさしくほほえんだ。ミノリはそれだけでもうじゅうぶんだった。思い残すことは何もない。
「アスカちゃん行ってくるね」
ミノリは小さな声でつぶやいた。
「それじゃ、またいつの日にか、時空を超えたどこかでお会いしましょう。元気でね」
ハルはミノリの手を優しく包んだ。
「はい」
その時、ミノリはハルの肩越しに、カプセルの外からこちらの様子を伺っているひとりの男に気がついた。背が高くてどこか見覚えのある顔。しかし男はこちらには気づいていないようだった。
『あのヒトはひょっとして…』
しかしミノリは声をかけるのはやめ、そのまま冬眠装置に体をあずけた。徐々に眠気がやってきて、今見たハルの姿が脳裏いっぱいに広がっていたが、やがてその輪郭はぼんやりとあいまいなものになり、その姿はナオキへと形を変えていった。とても幸せな気分だった。そしてカチリと小さな音を立てて冬眠装置の蓋は閉められた。
ミノリが見た背の高い男はユキトだった。彼はカプセルの中に飾られていたアスカとミノリの写真に気がついていた。亡くなった娘の友だちがこうして宇宙へ飛び立とうとしている。とても複雑な心境だった。まさかこの歳になってこんな感情を持つことになるとは思いもしなかった。
ハルはカプセルの中のもうひとりに話しかけていた。
「ナオキさんですね」
「はい」
「心の準備は整いましたか?」
「はい」
ナオキは注射を打たれている腕から目をそむけ、ミノリの冬眠装置をぼんやりと見ていた。頭の中には母と姉の姿が浮かんできた。もう会えないと思うとやりきれなく寂しい気分になってくるが、だんだんと頭がぼうっとしてきて、ふたりの姿は輪郭を失い、色も形も混沌とした中からミノリの姿が浮かび上がってきた。
「ナオキさん、よろしく頼むわね。またいつかお会いしましょう」
「はい…お母さんとお姉ちゃんをよろしくお願いします」
ハルはだまってうなずいた。左の目からひと筋の涙が流れた。
そしてカチリと音を立てて冬眠装置の蓋は閉められた。
「よし、これでいいでしょう」
ぴったりと蓋の閉められたふたつの冬眠装置に向かってハルは話しかけた。
「このカプセルは、“希望の地”へ着くまではけっして壊れることはないし、その目的地も自動で探してくれる。なにも心配しなくていいから、あなたたちには少し悪いけど、しばらくぐっすり眠っていてね。それじゃ、よい航海を」
「ハル、もういいか?」
「ええ」
ヨシアキは作業員に指示を出してカプセルのハッチを閉じた。
「さて、準備は整ったわ。あとは宇宙へ飛び立ってもらうだけね。みんな、元気でね…!」
「よし、もうひと仕事だ。ナツヒサ、こっちに手を貸してくれ」
「ああ、わかった」
「ユキトさん、いろいろありましたけど、やっとここまで来ることができました。ありがとうございました」
「おれからもお礼を言います。ありがとうございます」
「ハルさん、ヨシアキくん、それからナツヒサくん、全部君たちのおかげだ。こちらこそお礼を言わせてくれ。ほんとうに、ありがとう。じゃあ、そろそろ老人は引っ込むとするかな」
「今はどうぞゆっくりお休みください」
選ばれたヒトたちを乗せたカプセルは、作業員の手によってハッチが閉じられ、入念に最終チェックが行われている。そして、チェックの終わったものから花びらのように色付けされた薄い殻がパチリパチリと音を立てながらはめ込まれていく。それぞれのカプセルは金属だけの無機質な外観から有機的な生物の息吹を感じさせるものとなり、部屋全体があたたかい雰囲気に包まれた。これはハルが望んだイメージそのままだった。離れて見ると摘んできた花のつぼみが整然と並んでいるようだった。
「ここまで来たんだ、ぜったい成功させるぞ!」
「もちろんよ!」
「おれも最後まで責任をもってやらせてもらうよ」
「ありがとう、ナツヒサさん」
カプセルはかつて貨物用のコンテナを運んでいた台車にひとつずつ乗せられ、クローバー号の待つ発射場へと運ばれていった。
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