希望と呼ばれた星

 惑星スプラニーク。

 その惑星は緑に覆われ、木々の間を穏やかな風が吹き抜けていく。渓谷を流れる水は透明で、川面はきらきらと輝き、あちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。

 そこに住むヒトは心から自然を愛し、動植物との共存を願ってきた。そして自然の豊かさを保ちながらも、同時に高度な文明の発展も成し遂げてきた。この自然との共存は常に試行錯誤の繰り返しであり、ときにはヒトの力によって破滅寸前にまで追いやってしまうことがあり、またときには逆に自然の圧倒的な力の前に無力となり、ただ立ち尽くすしかないこともあったが、それでもなんとかバランスを保ち、共に生きてきた。

 自然との共存を選んだのは、食料や資源などが持続的にかつ少ないコストで得られるメリット、経済的な観点から得られる価値が他のものと比較して大きい、といった打算的なものも確かにあった。しかし、その最も大きな理由は、ただ純粋に、自然の中にいると幸福を感じるという、その感覚が、すべてのヒトの心の中に共通してあったからかもしれない。


 ヒトはやがて宇宙に出ていった。

 宇宙からこの惑星を眺めると、まるで漆黒のビロード生地の上に無数に散りばめられた小さなダイヤモンドが輝き、その中心で、丸く大きな緑色の宝石がひときわ美しく輝いているようだった。惑星は見る角度によってさまざまに表情を変え、恒星からの光の加減によっては、惑星自体が明るく光り輝いているかのようで、そのきらめきは最高に美しくカットされたエメラルドのようだった。


 ヒトはさらに遠くを目指した。

 パイオニアたちは鉱物資源を求めて暗黒の宇宙へ飛び出していった。孤独な宇宙、荒涼とした惑星の探査を続ける宇宙船乗りたちにとって、生命の危険は常に隣り合わせで、肉体的な疲労はもとより、精神的な消耗ははかりしれないものがあった。そんな仕事を終えて帰路につき、長い航行の末に彼らの目に飛び込んでくるこの緑の宝石は、生命豊かな生きる希望に満ちあふれた惑星に見えるだけでなく、そこに待ち受ける家族や恋人に会える喜び、また心のうちから湧き上がるさまざまな希望から生まれる感情そのものが形となって見えているようにさえ錯覚してしまうことから、誰ともなく“希望の星”、あるいは“希望の地”と呼ぶようになっていた。


 しかし、これらはずいぶんと過去の話である。この惑星の美しく輝かしい時代を知るものはもう誰もいない。


 いつまでも続くかに思われた穏やかな時代は、ヒト同士のほんの些細な行き違いをきっかけに亀裂が生じ、やがて地域間の争いに発展した。一度火を吹くと各地でくすぶっていた火種が次々に炎を上げ、飛び火した争いは惑星全体のものとなり、泥沼化の一途をたどり始めた。原子核の分裂や融合の反応を濫用した兵器も躊躇することなく使われた。

 終わりのみえない争いのなか、自然環境が荒廃してきていることに警鐘を鳴らすものはいたが、それらの声はことごとくかき消され、使える資源は見境なく浪費された。地上を覆っていた緑の面積は減り続け、水の循環は失われ、赤い砂の地表がむき出しとなり、それが自然破壊をさらに加速させ、この星からエメラルドの輝きは失われていった。

 生態系がわずかでも回復できる可能性のあったデッドラインはすでに越え、動植物の絶滅へのカウントダウンは不可逆的となり、ヒトの間では原因不明の伝染病が蔓延し、荒んだ心は犯罪を多発させた。

 やがて為政者たちはその座を追われ、連邦政府を樹立することでヒトは戦争を終わらせたが、ここにあっても真に平和を望んでいたヒトたちの意見は汲み入れられることなく、“平和的な戦争の終結”ということすら、決して相容れることのない民族同士の見栄から来る単なる建前だった。その実際は、争いを続けるための資源が枯渇し、十分な食糧すらもうどこにも残っていなかったというのが真実であった。

 地上のすべての生命は、意識するしないに関わらず、物質的にも精神的にも、みな救いようなく疲弊していた。


 そして、さらに悪いことに、小惑星がこの星へ向けて接近しているという情報がもたらされた。

 ここにきてようやくヒトはひとつの目標に向かって協調する道を選んだ。ヒトという種の存続を願ったのである。

 残された時間は多くはなかったが、小惑星が衝突する前にヒトは地下へ都市を築き、可能な限り自然環境を再現した。恒星の光を地下へと導くシステムを導入するとともに、地上に降り注ぐ宇宙線を光に変える技術を発明した。この発明によって植物や農作物を容易に育てることができるようになり、地下の環境は劇的に改善された。そしてようやく限られた種類の動植物とともに生きるすべを編み出したが、すべてはもう遅かった。

 やがて小惑星は間違うことなく惑星に衝突した。この星が不毛の地になるにはこれで十分だった。空はまんべんなく厚い塵の層で覆われ、地上にかろうじて生き残っていた動植物はことごとく絶滅した。


 ヒトは地下の世界でいくつもの世代を重ねた。

 ここまでの出来事は宇宙の歴史から見るとほんの一瞬のものだが、ひとつの惑星の運命として、さらにはひとつの生命体の運命にとっては十分すぎるくらい長い時間が経っていた。

 自身の生きる時間を含めて、せいぜい三世代前後の時間しか理解できないほとんどのヒトは、刹那的に日々を過ごしているように見えたが、静かに忍び寄っているヒトという種の絶滅が、もはや時間の問題であることに気づくものも少なからずいた。

 地上はやがて全球を覆っていた塵の影響は収まってきたものの、大気は薄くなり、強烈な宇宙線が容赦なく降り注ぐ、赤茶けて荒涼とした風景が広がるだけになっていた。ヒトが過去に築き上げてきた建造物も多くが崩れ落ち、そして埋もれていた。瓦礫の奥に見える赤黒い空には、日中にもかかわらず、いくつかの星がぎらぎらと輝いていた。地上に出るには宇宙服と同様な防護服が必要となり、もはやヒトや動植物が生存できる環境に戻すことは、現在と同じ時間、同じ宇宙の中に存在したどんな高度な知性と技術を持った生命体にとっても不可能であっただろう。

 加えてもうひとつ、この惑星の置かれた状況に情報を加えるとすると、小惑星の衝突により惑星はこれまでの恒星を中心とした公転軌道を外れつつあり、地上に届く光の総量は減少し、塵による影響を除いたとしても、地表面の温度は下がり続けていたのである。最初期は誤差の範囲だったものの、近年では加速度的に進行しつつあった。この事実は、地上での活動が制限され科学技術も大きく失われていたヒトには観測が困難であったため、まったく知る由もなかった。

 ヒトという種の絶滅のみならず、生命にあふれていた惑星の滅亡はすぐそこまで迫っていたのだった。

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