026 私は、生き残った

 …へ……?

 え……?


 頭が痛い。

 体も痛い。それに力が入らない。

 力を入れたいのに入れられず、ただただ全身が鉛のように重たい。

 吐き気を催しそうな忌避的な脱力感が、頭と体を支配する。


 何か聞こえた……なに…?

 …ふぁいあぁぼーるを……そうだ、火玉ファイアボールを、撃たないと。

 魔法を、撃たないと。

 アラネアが………ぁ…死にたく……。


 ……あれ…。

 おとが、しない…。


 朦朧とする意識の中、キンキンとする耳にそれ以外の音が聞こえなくなっていることに気が付く。

 それに気が付いたことがきっかけだったか、さらに気配察知のスキルで気配を感じられなくなっていることにも気がつく。


 ……アラネア…は……

 あれ…。


 なぜ、そう思いつつも、私はその答えをなんとなく察せてきていた。

 ただ、まだ信じられない、だけで。


 そ、そうだ、確認……目視で死亡確認…しないと。

 黒いアラネアは、気配察知じゃ、感じられない……。


 そう思い、立ち上がろうとして後ろ足に力が入らず、そこで足を切断されたことを思い出す。

 先ほどから感じていた全身を蝕む痛み、その元凶はこれのようだった。意識した途端、全身の痛みが薄れ、逆に足の痛みが増したような気がした。

 いや、足の痛みが劇的に強くなったせいで、他の痛みを感じづらくなったのか。


 仕方がないので、前足で全身を引きずって穴の外に這い出る。

 一応、穴の外をできる限り見回しながら、ゆっくりと、慎重に。




 ─────死屍累々。地獄絵図。

 その光景は、そういう言葉の似合うものに見えた。


 穴の外には、無数のアラネアの死骸が積み重なり折り重なり、ぐちゃぐちゃになってあふれ出た体液と一緒に地面を覆い隠していた。

 その死骸はほとんどは焼けたようになっていて、中にはまだ若干火がくすぶっているように見えるものもある。さらに死骸の共食いでもしたのか、明らかに食い荒らされたような死骸もそこかしこに見られる。

 もし虫嫌いの人がこの景色を見れば、胃の中のものを盛大にまき散らしながら失神すると思う。

 それほどに、虫特有のグロテスクさをひたすら詰め込んだ光景だった。


 そういえば、アラネアはこの穴に入ろうと必死だった。

 無理やり体をねじ込もうとして来たり、前に立って覗いてきたり。それら全てに、私はひたすら火玉ファイアボールをぶっ放し続けていた。


 遠距離攻撃手段を持っているやつもいたはずだけど、穴の中の私に攻撃が届かなかったのは幸運なのかどうなのか。火玉ファイアボールの連射でこちらに魔法を放つ隙がなかったのだろうか。

 良く分からない。


 ただ、それでも唯一この光景を見て分かったことはある。


 生きているアラネアが、いない。

 白いヤツも、色違いも、あの黒いのも。

 全部、なにもかも、さっきまで私を襲ってきていた全てが、私の目の前でぐちゃぐちゃの死骸になっている。


 それは、つまり。


 ………生き、残った…?

 …生きられた……?


 ……は。

 はは。あは、ははは。


 はぁぁっ!っはっはっはっはっは!!!

 あはっ、あはっ、ああぁぁ!!!


 ぃやったぁぁぁぁあああああああ!!!!!!


 ぁぁ。はぁ、ぅぅ……良かった……ぁ…。


 生きている。

 その実感が、湧いてくる。

 私は生きている。生き残って、今、生きている。

 全身が震えて、足の痛みすら生きている証拠だと思えて不快感を感じないほど。


 正直に言って、エンペラービートルに襲われたときよりも怖かった。

 あの時は、恐怖以上に怒りで頭がいっぱいだったから、今思うと最終的に怖さ自体は薄れていた。

 今も思い出すと身震いするし、動機が速くなるし、呼吸は浅くなる。

 死んでいたかもしれないという恐怖が心を襲う。


 でも、今回のことはそれを上回っていた。

 ただひたすらに、無機質で無感動な殺意が、膨大な量の波となって押し寄せてきたのだ。

 足を切られたときのこと、小さな穴の入り口に絶え間なく体をねじ込ませてくる無数のアラネアの顔。

 今も思い出すだけで、恐怖と吐き気がこみあげてくる。


 本当に。

 本当に、生き残れてよかった。




 ………そういえば。


 穴の外に這い出してから少し。

 気持ちが落ち着き、これからどうしようか、切断された足は治るのかと色々考えていた時、ふと一つのことを思い出す。


 さっき何か声が聞こえた気がしたんだけど、なんだっけなぁ。

 思い出せない。


 これだけ魔物を殺したわけだし、レベルアップとかしてたのかな?

 だとしたら、聞き逃したのは痛いなぁ~。せっかくスキルのレベルを覚えてたのに、これじゃあどのスキルが何レベルか分からない。


 とりあえず、自分のこと鑑定してみるか。

 ほい鑑定っと。


『《ヴァルプス Lv.10(進化可)

 ステータス

 名前:なし

 魔力:9/184(+61)

 体力:27/140》』


 ……ん?

 あれ??


 なんか情報増えてね…?


 うぁぁああ!!やっぱりレベルアップしてるぅ!!

 鑑定のレベルも上がったんだ!今何レベルなんだろぉ!!

 くっそ~っ!!聞き逃したのが痛すぎるっ!!


 …いや、まて。まてまて落ち着け。

 まだ慌てるような時間じゃない。


 スキルのレベルについては、このあとレベルアップしていったときにまた把握しなおせばいい。

 新しくスキルを取得していたりしたら…うん、もうそれは諦めよう。

 聞き逃してしまった今、鑑定のレベルを上げる以外に把握する術はもはやない…と、思う。

 分からないけど。


 それよりも、今は見るべき部分があるだろう。


 そう、私のレベルの横にある"(進化可)"の文字だっ!!


 進化っ!!?

 進化だってっ!!?

 いいのか!!ついに!!


 あぁ、私もついにここまで来てしまったか…。

 魔物に色々上位種っぽいのいたし、アルカディア・オンラインっぽさがある異世界だし、ゲームみたいなスキルやらなにやらがあるし、もしかしたら進化なんてものもあるのかもとは思っていた。


 いやしかし、ネトゲして寝て覚めたら狐になってて、それから苦節…何日くらいだろ。

 まぁいいや、適当にそれなりに経って、ついに進化か。


 もちろんやります。えぇ、やりますとも!!

 進化して弱くなることなんて早々ない、はず!!

 某ポケットにバケモノな世界的ゲームでは、進化させたらむしろ弱くなる救いようのないモンスターもいたが、流石にこのヴァルプスがそうだということはないだろう。

 そう信じたい。


 ……よし。

 はい、進化!!進化します!!お願いします!!


『条件を満たしました。〈ハイヴァルプス〉〈ウィンドヴァルプス〉〈フレアヴァルプス〉のいずれかへ進化が可能です。進化しますか?』


 うぉ!??え?はい…?

 …あ、そのまま進化するわけじゃないのね、あ、はいはい。

 いや?分かってましたよ?最初から。

 なんとなく、複数選択肢があるんだろうなぁ~って。

 ね、えぇ。はは。


 いや、ていうかぶっちゃけ選択肢とかあるんだ…。

 アルカディア・オンラインの方だと、モンスターに進化とかなかったしなぁ。

 同じ系統の上位種かどうか、って感じだったし。

 このヴァルプスのことはちょっとうろ覚えだけど…。


 こうなると、流石に悩むなぁ。

 進化で選択肢があるってことは、毛色の違う別系統に進化することができるってことだ。

 そしてそれは、今後の私の命に関わる。

 下手に今の自分に合わない性能を持った系統に進化して、それでうまく動けなければ一巻の終わりだ。


 これは、よく考えよう。


 まず、ゲームでのことを思い出そう。

 確かヴァルプスは、他のモンスターと同じように無属性のノーマルな系統と、各属性に対応してそれぞれの属性の魔法を扱える派生が何種類かいたはず。

 私がメインで潜ってた場所ダンジョンとかにはいなかったからなぁ~。

 くっ!こんなことならもっと狩っておくんだった!!


 まぁとりあえず、〈ハイヴァルプス〉はなし。

 名前からしてノーマルだし、ノーマルの上位種はただ図体デカくなるだけだから大して強くない。


 そうなると、残るは〈ウィンドヴァルプス〉と〈フレアヴァルプス〉の二つだけど……。


 これはぁ~、フレアヴァルプスかなぁ。流石に。

 風魔法のレベル低いし、虫には火が効きやすいっぽいからここを生きる上で火を得意にできるのはかなり良いことのはずだ。

 ウィンドヴァルプスにも興味はなくもないが、何分、これまでの風魔法と火魔法の実績の差がデカすぎる。


 さっき生き残れたのだって、火魔法を習得していたからこそ。

 進化するならフレアヴァルプス。そして、さらに火魔法に磨きをかけよう。


 ヨシ!決まり!

 というわけで、フレアヴァルプスへの進化でお願いしま~す!


『条件を満たしました。進化を開始します』


 おっ!?


 その声が聞こえた瞬間だった。

 私の視界が一瞬にして真っ白に塗りつぶされ、そして。


 ───全身の感覚が、綺麗さっぱりと消失した。





────────────────────────────────────

補足。

ステータスの鑑定で表示された(+数値)は左の総量値に含まれています。

つまり、「魔力:9/184(+61)」における魔力総量の見方は184 + 61ではなく、"184"のみです。

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