第17話 秘密

 春から夏に移る頃とは言え、夕刻になるとまだ冷たいような風が吹きます。

 着ているものが乾くはずもなく、家に帰り着くまでにタケもタケルも寒気に顔を青くし、震えながらお互いに体をくっつけ合うようにして歩いていました。確かに水も冷たかったけど、今こうして歩いている方が冷え冷えとします。二人を見かけた村人からは「何しとったんじゃ、早う帰れや!」などと心配そうな声をかけられます。

 家に近づくにつれ、二人とも歩くのがゆっくりになっていきました。おとうにもおかあにも無茶苦茶怒られるに決まっているからです。まだまだ一人では行くなと言われている滝まで行ったこと、それだけでも大概なのに、案の定水にはまってしまったこと・・・。

 何で水に落ちたのかは絶対に問い詰められます。

 「タケル! タケも!」

 二人はギョッとして立ち止まりました。家に着くより先におかあに見つかってしまったようです。

 おかあは走り寄ってきました。

 「何じゃ、二人とも!」 タケとタケルの両肩をそれぞれ両手でつかんで、濡れているとわかると「早う来い」と二人の襟首を両手につかんで押し立てていきました。

 「おとう! 風呂沸かしてくんろ!」

 家に着くなりおかあは外から叫びました。

 「はあ?」 おとうが呆けたような返事をしながら出てきました。風呂など何か祝い事かよほど泥まみれか何かにならなければそうそう沸かすことはありません。

 「揃いも揃うてどこぞの水にはまりよったみたいじゃ」

 「何とな⁉︎」 おとうも二人を見てびっくりしたようです。何を言うでもなくあわてて裏手の風呂場に行きました。

 風呂場といっても、木の蓋のある大きな口の広いカメが石積みのカマドにはめ込んであるだけで、あとは板屋根が申し訳のように架けてあり、三方が隙間だらけの板壁で囲まれているだけの吹き晒しです。カメの底に小ぶりの丸い板を沈めてその上に乗って湯に浸かるのです。

 おとうの発案で、家の表の戸口の真正面にある裏口から板の上を通って素足で行けるようにしてあり、その板の上にも渡り廊下のように屋根が架けてあります。カメには何かの時のためにと、いつも水は十分に入れてあるので、あとは火を起こすだけです。

 二人は土間の上がりがまちに座って、濡れた小袖を脱ぎ、それぞれおとうとおかあの洗い替えの小袖で十分にくるまれていました。そして夕餉の一汁に丁度出来上がってきた具沢山の汁物をフーフーしながら飲み、風呂が沸くまでとりあえず体を温めていました。

 おかあはまだ何も言いません。少なくとも、二人がお腹を温め終えるまでは待っているようです。

 「ふぁ〜〜〜うまかった!」 タケがお椀を平らげてお箸と一緒に自分の傍に置きました。タケルも同じように置きましたが、タケが言ったからか何も言いません。

 「おかわりは、ええのんか?」 おかあが二人に聞きます。

 「・・・ええ」 タケルがぼそりと言いました。行くなと言われていた所に行って、タケまで巻き添えにして水にはまってしまったのですから、おかわりなどできる気分ではありません。

 「おらは、いる」 タケは無邪気にお椀を持って、囲炉裏の鍋の所まで行きました。

 タケルが箸を置いたので、おかあはいよいよ真相究明に乗り出したようです。

 「で、どこで水遊びしとったんじゃ?」 別に怒る感じでもなく聞きます。

 「・・・滝」

 タケルは正直に言いました。あわよくば洗濯場の溜まりにすべって落ちた、と言うこともできるのでしょうが、これ以上タケを巻き込みたくありませんでした。が、さすがにおかあの顔色が変わりました。

 「滝まで行ったんか?」

 タケルはこくりとうなづくと自分から話し始めました。言い訳は先に言っておいた方がいいと思えたからです。

 「滝におったら、タケが迎えに来たで・・・すべって水に落ちたらいかんと思うて、タケの方に向こうて行ったら、止まれんで一緒に落ちてしもうた」

 「何じゃそりゃ」

 おかあは思わずそう言ってしまいましたが、後の言葉は呑み込みました。助けるつもりが巻き込んで自滅したんか、という。

 「今時分の滝の水は冷たかったじゃろ」 代わりにそう言いました。「よう、滝壺に呑まれんかった」

 「そんなすぐそばでなかったし」 タケルは安心してもらえるような言い訳もできたかな?と思いました。

 「ま、無事に上がれたんじゃから何よりじゃ」と、おかあが言うと、

 「おらがタケル引っ張り上げたんじゃで!」

 囲炉裏のそばでぬくぬくと二杯目の具を頬張っていたタケが口をもぐもぐさせながら、タケルに向かってまたニッと笑いました。

 「おう、タケは腕っ節だけはいっちょ前じゃからのう。こういう時は頼りになるわいの」おかあも言いますが、顔は笑っていません。

 「おまえがいつの間にか先に上がっとっただけじゃろが!」 タケルは思わずタケに言い返しました。

 「まあええが! タケルには滝まで行くよっぽどの事情があったんじゃろうから、それを聞かしてもらわんことにはの」

 とうとう、核心にまで来てしまいました。ですが、それだけはまだ誰にも知られたくないことでした。

 「・・・・」

 タケルは代わりになる言葉も見つけられず、黙り込んでしまいました。

 「タケもタケル迎えに行くのに何で滝に行ったんじゃ?」 おかあはタケに矛先を向けました。

 「小屋に行ったら、タケルは川の方に行った言うから洗濯場まで行ったら、なんか、タケルが上の方におるような気がして登っとるうちに滝まで来てしもうた」 タケが相変わらずもぐもぐしながら悪びれもせず言います。

 「そうか・・・タケルに呼ばれたか」

 「別に、呼ばれてはないけど?」 タケが不思議そうにおかあを見ます。

 「いや、そういうことではない」

 おかあはそう言うと、タケルの横に腰を下ろし、タケルが何か言うのを待ちました。

 ふとタケの方を見ると、タケは三杯目をお椀につごうとしゃもじを手に、鍋に向かっています。おかあは二度見しました。

 「タケ! ええ加減にしとけよ。風呂上がったらまだ晩飯があるぞ!」 あわてて言います。

 「風呂、沸いたぞ!」

 おとうが裏口を開けて声をかけてきました。タケルは助かった!と立ち上がりかけました。

 「あわてんでもええ」 おかあが袖口をつかんで引っ張り、タケルはよろけておかあの膝の上に仰向けに倒れ込んでしまいました。

 おかあが顔を近づけ、声を低めて言います。

 「秘密にしたいんじゃったら無理に言えとは言わん。秘密の一つや二つぐらいはできてもええ年頃じゃでな。じゃが・・・」

 おかあはタケルを起こし、向かい合わせに土間に立たせました。

 「人の迷惑になるような秘密は持つな」

 「おらが一番に入ってやるべ〜〜」

 二人のそんな話もよそに、おかあの小袖を脱ぎ散らかして真っ裸になったタケが土間へ飛び降りて来ました。

 「待てい!」 裏口の所でおとうがタケを捕まえました。

 「薪がもったいない。二人まとめて入れ」

 「うえ〜〜〜!」 タケルが信じられない!というように叫びました。もう二人一緒に入れるほどカメは大きくありません。ぎゅうぎゅうになる!

 「お湯があふれる!」 おとうに向かって言います。

 「その辺はちいと量っとるわい」

 「カメが割れる!」

 「ぐだぐだ言うな!」

 おとうに一喝されて仕方なくタケルは、早速お湯に浸かっているタケの隣に体を沈めました。思ったほどぎゅうぎゅうではないようです。お湯もうまい具合にあふれません。前に入った時に「次からは一人ずつじゃな」とおかあが言っていたので、てっきりそう思っていたのですが。

 「背中洗ってやるべ」

 タケが上半身を湯の外に出したタケルの背中を糠袋でこすり始めました。交代したあと、タケルは手桶でカメの外に向けてタケの髪を流してやりました。巻き毛のせいで肩ほどまでにしか髪を伸ばしていないタケルは自分の髪は自分で流しました。

 「次も一緒に入れるかな?」 タケが絞った手拭いで髪の毛を頭の上にまとめて巻き、だいぶ減った湯にもう一度首まで沈みながら聞きました。

 「もう無理じゃろ」 タケルはカメの縁に両腕を組んで顎を乗せながら言いました。

 「なあ・・・何がないんじゃ?」

 タケが思い出したかのようにタケルの方に身を寄せてきました。

 「ぶ・・・秘密じゃ」

 タケルがいきなり話を戻されてカメの縁に沿って逃げました。

 「そうか・・・秘密なんか・・・」

 タケはあっさりと諦めたようです。タケルと背中合わせにまた湯に沈みました。

 「タケもタケルに秘密があるんかもしれんなあ」

 タケはそんなことを言いました。

 「え? 秘密て?」 タケルが振り返ります。

 タケも振り返ってタケルを見ました。

 「秘密じゃ」

 タケはそれだけ言うと向き直って、

 「おかあ、上がる!」

 開いたままの裏口に向かってそう叫ぶとザバッと立ち上がりました。

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