第15話 いのちの祈り
土間の台所で米をとぐ用意をしながら外の会話を聞いていたおかあがふと振り向くと、タケルが後ろでニコニコと立っていました。開けっ放しの戸口からいつの間にか入ってきていたようです。
「タケは?」 わかっていても聞いてみるのがおかあのやり方でした。
「鶏小屋へ行った。今日はおとうと一緒にトリ絞めてみるべて」
「そうか・・・ちと歳には早いような気もするが・・・まあ、おとうがええようにするじゃろ」
言葉が遅いと心配していたタケですが、ある日突然「ちゃー」が「おかあ」に変わった途端からの成長ぶりは驚くばかりで、まるで遅れた分をあわてて取り返すかのように何もかもを『その歳なり』よりも早め早めに身につけていくのです。
タケルが考え込むように言います。
「タケは・・・トリさばく気なんじゃろか・・・」
「それをやらんと鶏鍋はできんからのう」
う・・・と何か言葉に詰まったようなタケルに、
「タケルは見に行かんのか?」 おかあが問いかけます。
「う・・・おら・・・菜っぱ切りたい」
おかあは笑いだすのを堪えるように言いました。
「そうじゃな・・・鶏鍋はトリだけじゃないからな。よしゃ!」 おかあは両手で膝を叩いて中腰から背をピンと伸ばしました。
「菜っぱ洗いに行くべ」
おかあはザルに根菜野菜をてんこ盛りに乗せて、ウキウキするタケルと一緒に井戸端へ向かいました。
同じように菜っぱを洗っている近所の人たちに混じって、ワイワイ話しながら冷たい井戸水でおかあと手分けして洗っていると、片手に一羽のむしりたての鶏をぶら下げたおとうと、解体用のナタをかついだタケが戻ってきました。水を使うので、解体は井戸端です。
村にいくつかある井戸端で鶏や野ウサギや山の大きな生きものがさばかれるときは、子たちは大人たちと一緒に目を閉じ合掌して、生命が食糧になっていくところを見学します。さばきながら生きものたちの体の仕組みや、薬や衣類として利用することなどを学んだりもするのですが、タケルは用事のあるふりをして井戸端には近づきませんでした。でも、おかあの鶏鍋も作れるようになりたいのです。これを見ておかないことには、鶏鍋は・・・今日は、今日こそは、さばくところもちゃんと見て・・・
ぶら下げられた赤剥けの鶏がだんだん近づいて来・・・
「きゅ」
タケルがトリを絞めたような声を上げました。
おかあがタケルの方を見たときには、タケルはもうそこにはいませんでした。
トリをさばくと聞いて子たちや若い者たちがバラバラと集まってきています。もう何度か見ている子たちばかりです。若い者たちは子たちに色々説明する練習のためにもやって来ます。何度も見て、できるところは手伝って、やがて自分でもできるようになりたい子たちなのですから。タケルも自分でそう言っているはずなのに・・・。
おかあは井戸端の人たちと顔を見合わせながら、いつもと同じことをまた思いました。
・・・姉と弟にしといた方がよかったんかのう・・・
その夜、夕餉の鶏鍋を囲む囲炉裏端、鶏肉をパクつくタケの隣で、タケルはひとり食欲がなさそうでした。今日こそは頑張ろうと思っていたのに、体が勝手に走り出していたのです。それが悔しくて、タケルは少し口に入れたご飯をもぐもぐしながらも、また堪えきれない涙が滲んできました。いつも肝心なところを見ない自分に鶏鍋なんか作れるわけがない・・・。
おとうもおかあも何も言いませんでした。こういう時は下手に声をかけると余計に泣き出してしまうからです。理由もわかっているのですから。
「泣くな、タケル!」
タケの声が響きました。「あしたも鶏鍋じゃ。な、おとう」 おとうを見ながら決めつけるように言います。
「さあ・・・それは、のう?」 おとうはおかあを伺います。
いくら何でも二日続けて鶏を持って行くのは・・・
「まあ・・・そのうちじゃ、そのうち」 おかあは答えました。
「んじゃ、あわてんでもまだ充分間に合うべな」 おとうも言いました。
タケルはどっちとも言わないおとうとおかあに、結局、自分で決めないといけないのだと痛感していました。人の迷惑になるようなこと以外、ほとんど叱られたことがないのです。
タケも「あしたがんばれ」と言うつもりだったのに・・・次の鶏鍋はいつになるかわかりません。他の家が何かをさばくのを見に行ってもいいのですが、そういつもあるわけではないのです。自分はちょっとドキドキしながらも、おとうに急所を教えてもらい、羽をむしって、さばくのもちゃんと最後まで見ていたのに、
妹ながらちょっと心配になってきます。
その夜から、いつもおとうとおかあの間にふたり並んで寝ているのですが、タケがタケルの寝巻きの袖の端っこをつかんで寝るようになったのです。タケルは鬱陶しがって怒りましたがタケは平気でした。そしていつも気がつくとつかまれていて、腕を振りまわそうが暴れようが眠ったまま離れないので、そのうちに何も言わなくなりました。
それから季節が一つ進み、秋の風が村を吹き抜ける頃―――。
タケとタケルは、花で周囲を囲まれたこんもりとした土の山の前にしゃがみ、両手を合わせていました。この土の下には一匹の子犬が眠っています。
村の
ところがある日の朝早く、餌やりを引き受けた寝床のそばの家の若者が、餌を持って行って見つけたのです。寝床が空になっているのを。縄などつながず放し飼いにしていたので、どこに行ったかとあたりを探しましたが、近くにはいませんでした。みんなに知らせて、村中を探しまわりましたが、どこにも見当たりません。一体どこへ行ったのか・・・。
子たちは子犬がどこかへ行ってしまったと知ってがっかりしました。泣き出す子もいます。
戻ってくるかも知れないと、寝床はしばらくそのままにされました。
そして何日か後、子犬を拾った若者がまた同じ山へ入った時、またしても見つけてしまったのです。拾った場所とそう離れていない所に、子犬の姿を。
子犬は何ものかに無惨に噛みちぎられて草むらに転がっていました。熊かシシか、それとも山犬のでかいのか・・・。
多分、『人』という異質な匂いがついていたから、敵にされてしまったのかもしれません。母犬にめぐり会うこともできず・・・。
若者はまわりの草花を集めて子犬の亡骸をくるむと、そのまま村に連れ帰りました。
大変なことをしてしまった・・・。
村は子犬の亡骸に衝撃を受け、不用意に山のものに手をつけてしまったことが悔やまれました。生きる糧として生きものを狩ることはありますが、人のそばで『役に立つもの』として共に暮らせるような生きものは、やはり人にとってただ獰猛なだけの生きものとは違うのです。
子犬は多分、母犬の匂いを求めて山に戻って行ったのでしょう。しかし、既に人の匂いを背負ってしまっていたから、山のものたちからは拒絶された・・・。せめて、夜の間ぐらいは縄でつないでいたら、母を探しに行くことはできなくとも、命は落とさずにすんだかも知れません。そして、この村で人々に囲まれて年老いるまで暮らせたことでしょう。
亡骸は子たちには見せないようにして、すぐに荼毘に付され、天へと送りました。そして灰と骨となった体をせめてもの印にと、寝床の跡に埋め、土を盛って墓を作りました。
自分たちの勝手で子犬は山犬になれなかった。始めに拾うことさえしなければ、同じように探していたかも知れない母犬と出会うこともできたかも知れないし、『山犬』のままなら無意味に襲われることもなかったかも・・・。
しかしそれは拾った者の責めではありません。村全体でそれをよしとしてしまったのですから。
子たちも集めて、子犬の墓の前で弔いが行われました。
子たちは泣きました。あんなに楽しく一緒に遊んだ犬っ子があっという間にいなくなって、本当にいなくなってしまったのですから。特にタケルはいつまでもギャン泣きし・・・
みんな帰った後も、こうして墓からなかなか離れようとしないタケルのそばにタケも寄り添っていたのです。ふたりでしゃがんで手を合わせたまま・・・
「犬っこはおとうにもおかあにも会えんまま、ひとりで天に帰ってしもうたんじゃなあ」
タケが自分の気持ちを確かめるようにつぶやきます。
せっかく乾きかけたタケルの涙がまた滲んできました。
「タケル!」 いきなりタケがタケルを自分の方に向かせるようにしてぎゅーと抱きしめました。
「ぐ・・・ぐるじい・・・」
「もし・・・もし、おとうもおかあもおらんようなことになっても・・・おらがタケル守ってやるべ! タケルをひとりにはせん!」
珍しくタケの頬にも涙が流れていました。
「放ぜ・・・だのぶ」
手を合わせたまま締め上げられたタケルは、タケに向かって合掌する格好になっていました。
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