第5話

『トランプをシャッフルし、参加プレイヤーに均等に配る』

『任意の方法で最初のプレイヤーを決め、順番に手札を一枚ずつ場に出していく』

『場に出せるのは、元々場にある札よりも書かれている数字が大きい札である』

『出す手札が最初になくなったプレイヤーの勝利』


「そして勝利したプレイヤーが、次のラウンドに新たにルールを付け加えることができる、か」


 山札をよく切り、橘がカードを配る間に改めて『オリジナル大富豪』のルールを確認する。こうして見ると本当にシンプルなゲームだ。


「細かい不備はあるかもしれませんが、それはその時々、臨機応変に対応するのが良いですね。その場に居合わせたプレイヤーたちが作り上げていくのが『オリジナル大富豪』です」


 そもそも、と。

 山札の半分ほどのカードを振り分けた段階で、橘は手を止めた。


「『オリジナル大富豪』というゲームタイトル自体も、便宜的なものでしかありませんから。できれば遊ぶたびに呼び方も変えたいぐらいです」


「ふうん。前に遊んだ時は、じゃあ、別の名前だったりしたのか?」


「そうですね、このゲームを思いついた時には『創世クリエイト』と呼んでいました」


「格好良い」


「他には『統治ゲーム』とか『法整備』などと呼んでいたこともありましたが、しかし一見してゲーム内容の分からない不便さから、通称『オリジナル大富豪』で定着してしまいましたね」


「まあ、タイトルにするにはちょっと過激な名前だよな」


 キャッチーなタイトルのボードゲームというのは、巷に溢れているみたいだけれど。

『テストプレイなんてしてないよ』とか。

 改めてすごい名前だ。しろよ、テストプレイは。


「過激というのであれば大富豪も負けていませんけれど。地方によっては、大貧民という呼び方をすることもあるそうです。こんな国民的ゲームの名前にするには、尖っていますよね」


「子どもに遊ばせるのには重いよなあ」


「トランプなんて、今時、貧民しか遊ばないでしょうに」


「お前が尖りすぎてるだろ」


 イントロダクションとしての不機嫌なのかと思っていたけれど、どうやら今日は本当に荒れているみたいだ。しかも橘があまり自覚していないようなのが、性質たちが悪い。

 何か僕に落ち度があって、それに気づかせるためにわざと怒っているのであれば、話は早かったのだけれど。そうでないなら、僕には手の施しようがない。


「二人プレイで山札を配り切ってしまうと、お互いの手札が筒抜けになってしまうので、山札の半分だけを使用しようかと思うのですが、よろしいですか?」


「ああ、そのほうがいいだろ、たぶん」


「三人以上ならこんな心配は不要なんですけれどね」


 と、橘はやや寂しそうに言う。


「そういうこと言うんだな、てっきり、二人だけで居られてサイコー! って思ってるのかと」


「それは先輩のほうでしょう」


「僕はそうだけど、橘もそうなのかと」


 どうやら、それに関しては僕の片想いだったらしい。


「別に部活動でしか一緒に居られないわけではないですからね。ボードゲームをする時は、ボードゲームが優先です」


「そうなのか……」


 照れも衒いもなく言われると、露骨に落ち込んでしまう。

 僕はゲーム中でも橘のことしか考えていないのに。

 とはいえ、僕からすれば付き合いたての彼女だけれど、橘からすれば交際半年以上、高校生同士としてはそれなりに長続きしている関係なので、そこまで夢中にもならないか。

 記憶喪失の悪影響――というほどでもない。この程度の認識の差異であれば。

 そんな風に思っていると。


「――先輩だって」


「うん?」


「先輩だって、部活以外で学校にいる間は、私のことなど忘れているようでしたけれど」


 橘は目を伏せ、手元のカードを見つめながらそう言った。

 橘のことを忘れて?


「いや、そんなことはないけど」


「そうですか――それなら、私の勘違いだったかもしれません」


 わざとらしく鷹揚に橘は言う。

 その様子から察するに、どうやらご機嫌斜めな理由は、やはり僕の所業のようだった。

 しかし繰り返しになるけれど、身に覚えが一切ない。特に橘のことを忘れるだなんて、そんなことはありえないと言える――そんなことは、一度だけで十分だ。

 毎日会っている以上、橘が不機嫌になった原因は今日の僕の行動だとは思うのだけれど、振り返ってみても、片時も橘のことを忘れてはいない。一緒に下駄箱まで登校して後ろ姿を見送った後、別れたふりをして追いかけて教室に入るのを見届けたところから始まり、離れ離れの授業中も、橘の教室の方向を床越しに眺めながら過ごしていた。

 これは日常的な僕の行いなので今更、何か問題になることはないはず。普段と違うことと言うと、生物実験のための移動教室で一年生のフロア、一階を通ったことか。その時は、ついでに一年生の下駄箱に寄って橘の靴を手に取り確認して、可愛い小さい足のサイズを実感し、匂いを嗅いだぐらいなのだけれど――。

 僕の行動のどこに問題があるか、全く見当がつかない。

 自分から言い出す気のない時の橘には、こちらから尋ねても無駄だろうし。僕に非があるとしても、自力で気づかない限りは、彼女の内心に留めてしまうだろう。

 だとすると、今日の僕の活動目標は、橘が不機嫌な理由を突き止めることだ。その答えは僕の記憶の中に眠っているはず。つくづく、自分の記憶に振り回されるな。

「今回も、罰ゲームを設けましょうか」


 橘は平坦な口調で言う。

 ここだけ切り取れば、怒っていることなんて微塵も感じさせないのだけれど。部活中は、僕のことよりもゲームが優先だと言っていた通り、実戦が始まれば怒りなど本当に忘れてしまうのかもしれない。

 それはそれで嫌だと思うのは、捻くれているのだろうか。


「いいね、罰ゲーム。罰ゲーム以外のゲームなんて、全部クソゲーだし」


「先輩も随分なことを言いますね」


「このゲームだと、最終的な勝者っていうのがあんまり意味を為さなそうなんだけど、罰ゲームの権利はどうするんだ?」


「そうですね、一ラウンドごとにしてしまいましょうか。毎ラウンドごとに、勝者がゲームにルールを付け加えるのと同様に、勝者が敗者にも、ルールを与える――」


「ルールを?」


 いまいち要領を得ない僕に、橘はさらに言葉を重ねる。


「前回のような一度切りの命令権ではなく、恒久的な制約のようなものが適切かと」


「例えば『脱いだ下着を渡してほしい』とかじゃなくて『部室の中では下着を履くのは禁止』みたいなことか?」


「例えがいちいち陋劣ですが、その通りです」


「例えというか、その罰ゲームなら僕は絶対そう命令するけども」


 いや、命令じゃなくて規定か?

 とにかく突飛な話ではなく、現実的に真っ先に思い浮かんだ案だ。前回のゲームでの消化不良を引き摺っているのかもしれない。


「先輩は、私に下着を履かないでほしいんですか?」


 と、橘は素朴な風に尋ねてくる。今更、無垢を装う必要があるとは思えないが。


「そういうわけじゃないけど。どちらかと言うと、下着を履かないでほしいと頼んで嫌がられたいというか、嫌々ながらもやってくれるところを見たいというか、いやいや、一度脱いで僕に見せつけた下着を再び履いてほしいというか――」


「すみません。そこまで赤裸々に語られても困ります。最後に関しては意味も分かりませんし」


「何? 分からない?」


「具体的に説明もしなくていいです」


 強めに牽制されてしまった。橘でも恥ずかしがることあるんだな。


「最近の先輩は、本当にたがが外れていますね」


「でも、別に普通に下着を履いていてくれるだけでも、それはそれで興奮する」


「どうしようもないじゃないですか」


 手札を伏せて溜息を吐く橘。

 だらしない息子を見るような、呆れていているけれど心の奥では優しさのあるそんな表情を見たくて、僕はこんなことを言っているのかもしれない。

 いや、彼女にされる表情ではないのだけれど。親か? 本当に。


「結局、先輩って、何でもいいって感じなんですよね」


 うん?

 吐き捨てるような言い方にやや引っ掛かりを覚えたが、それも束の間、橘は手のひらを差し出しゲームの開始を促してきた。


「今回も、先輩の先行からでいいでしょう。ハンディキャップです」


「それじゃあ、ありがたくもらっておくけど」


「ご存じの通り、数字の小さい順に出していくんですよ」


 にや、と少し意地悪そうに笑う橘。そう見えるのは僕の思い込みかもしれないけれど、このゲームのルールは、初心者のミスリードを誘うようにできている気がしている。


『3、4、5、5、7、8、8、9、J、Q、K、2、2』


 僕に配られたのはこの十三枚のカードだ。配牌としては、大富豪最強の数字である『2』が二枚と悪くない――と思わせられるが。


「じゃあ、最初はこれで」


「ふむ、『2』でいいんですね?」


「ああ」


「では、私は『3』です」


 本来の大富豪ならあり得ない数字から始めた僕にさして驚くでもなく、橘は淡々と数字の札を重ねてきた。やはり、僕の読みは当たっていたようだ。

 大富豪では数字の強さが『3、4、5――』と続いていき、最強の数字は『2』とされているが、この『オリジナル大富豪』ではまだ『数字を小さい順に出していく』というルールしか定められていない。

 つまり強さの順番は『A、2、3――』と続き最も強いのが十三である『K』ということになる。そう考えてみれば、僕の配牌は恵まれていなかった。

 しかしこのルールの差異に気付かず『3』から出していたら、一手分、手番で遅れが出ていたことになるので、それを未然に防げたのはファインプレイのはずだ。


「随分と初心者に優しくない導入だったんじゃないのか?」


「『オリジナル大富豪』のコンセプトは、常識を疑うことですから。もし販売する際には、パッケージに大きくそういう文言を入れてもらおうかと考えていたぐらいです」


「そこまで練ってから、売るものがないことに気づいたのか……」


「初心者に厳しいのは、その八つ当たりでもあります」


「最悪すぎる」


 とはいえ、ここから先は順番に数字を出していくだけで、トラップの仕込みようはないはず。

 四回目の僕の番に『9』を出したところで、橘は。


「パスです」


 と言った。


「パス? そんなわけないだろ」


「いえいえ、本当に、順当に、パスですよ」


「…………」


 橘の運の悪さは折り紙付きだけれど、こんな早い段階で手詰まりになるか?

 強いカードを温存するのは戦術としてありだが――例えば『9』より大きな札が、『K』一枚であればここでのパスも戦術的正解だ。それ以上の温存は、二人プレイであることを考えると、後手に回ることにしかならない。

 もしくは、僕がトラップを見抜いたことを踏まえて、また新たなミスリードを仕掛けてきたとか。その場合、深読みすればするほど、思惑に嵌まってしまう。


「まあ、出せないっていうなら、それでいいさ」


「はい。そしたらまた、先輩の番からですね」


 一旦思考は放棄し、そこから再び、順当にカードを繰り出していく。

 一瞬、カードの強弱を反転させる『革命』を狙うため、僕の弱いカードを先に吐かせようとしているのかと思ったけれど――橘の手札にも強いカードが残ってしまうし、そもそも、現段階の『オリジナル大富豪』には『革命』がないのだった。

 二巡目もとにかく小さい順、出せる順にカードを切っていく。だいたい一巡ごとに三、四枚のカードを出せる。現状、僕の手札は七枚まで減り、順当に『J』や『K』で流れを切ることができれば、手札を捨てきることができるはずだ。

 そう思い、橘が出した『10』の札に『J』を重ねたところで。


「先輩――そのカードは、何ですか?」


 と、橘はさも不思議そうに、そう尋ねてきた。


「何って、ジャックだろ」


「そうですね、ジャックです」


「何か問題があるのか?」


「その札のどこに、数字が書いてあるのでしょうか」


 言われて、改めて僕が出した札を見る。

 クラブのジャック。いわゆる絵札には、棍棒を持った兵士のイラストが描いてあるだけで、数字はどこにもない。いや、でも、それって……。


「ジャックは『J』としか描かれていない――数字じゃないから、出せないってことか?」


「もちろん、そのように説明したはずです」


 たしかにルールでは『場に書かれた札よりも大きい数字を持つ札を出せる』としか規定されていないけれど――。


「悪質な初心者狩りだ!」


「良質な初心者狩りなんてあるんですか?」


「ないけども……そんな初心者に不親切な導入じゃあ、プレイヤーがいなくなるだろ」


「そうですね、他の人とも遊んだことはありますが、だいたい、一回きりになってしまいます」


 だろうな。

 せっかく面白そうなゲームなのに、本筋の、ルールを増やすところに入るまでにこんなに落とし穴があるんじゃあ、素直に楽しみきれないだろうに。悉くゲーム制作に向いていない。


「でも、先輩はゲームが嫌になっても辞めませんから、それでいいでしょう」


「……それでいいなら、いいけどさ」


 僕と遊べれば十分だ、と遠回しに言われたようで、それ以上の反論が封殺される。

 考えてみれば、数字は低い順に弱いのだから『2』が強くないと見抜けたことや、一ラウンド目で四稜郭が『9』を前にパスを宣言した時点で、『J』や『K』を数字として扱わないことを示唆するヒントは散りばめられていたのだ。

『出す手札が最初になくなったプレイヤーが勝利』という文言も、手札にそれらのカードが残った状態でアガりになることを前提としている。

 つまり僕の残りの札は『3、5、8、J、Q、K』から絵札を抜いた三枚だけ。

 橘のほうは一手分カードが余分にある七枚だが、そのうちの何枚が絵札か分からない以上、アガりまでの手数も不明だ。そして更なる問題は、絵札を強カードと考えて戦略を組み立てていたため、僕の手番でラウンドを切ることができず、『3』を出す機会が回ってこなさそうだという点。

 果たして、順番にカードを出していき橘が『9』でラウンドを切った後、「これで出せるカードは全てです」と『2』を出したところで、一ラウンド目が終了した。


「私の勝ちですね」


「……ま、まあ、一回目だからな」


「それではルールを追加しますが――とりあえず『6切り』にしましょう。『6を出した時点で場を流し、そのプレイヤーから次の番を始める』です」


「要するに普通の『8切り』と同じってことでいいんだよな?」


「ははあ、警戒心が強まりましたね。ですがこれは、読んで字のごとくです」


 橘の設定した文面を復唱してみるが、他に解釈の余地はなさそうだ。

 そちらよりも、気にするべきは別のことかもしれない。


「それで? もう一個のルールはどうするんだ?」 


 勝者はゲームにルールを付け加えられると共に、敗者にもルールを与えることができる。

 いまいち、具体的にどんな内容が来るのか分からないのだが。


「そうですね――ひとまずそちらも簡単なものから始めましょうか」


 橘は言う。

 簡単なものと言うわりには、少しだけ言いづらそうに、口籠るようにしながら。


「『校舎の一階を歩く時は一人でいること』にしましょう」


「そんなことでいいのか?」


 思わぬ肩透かしに、浮ついた声で応じてしまう。


「最初ですから、あまり厳しいルールを追加しても面白くないでしょうし」


「僕はもっと厳しい命令を実行させられたかったんだけど」


「そういうプレイのための罰ゲームではありません」


 橘は言って、カードを混ぜ直し始める。

 そういうプレイのための罰ゲームではないなら、一体、何のための罰ゲームなのか。

 真面目に検討してみる価値があるかもしれないが、配られた手札とのにらめっこよりも優先順位は低い。次の回は『6』が勝負を分かつが――僕の手札には一枚入っていた。

 対して、出す必要のない絵札が今回は五枚もあり、実質的な手札の枚数がかなり少ない。

 今度は最大限に警戒しながら、『10』を最大値だと最初から考え一枚ずつ出していく。

 手元にある『10』も一枚だけなので、詰め筋として最後までキープしておくと、順当に、今度は僕が先にアガることができた。相変わらず橘は一枚も『10』を引いていないというのが、本当に不運で不憫だけれども。


「今度は先輩がルールを決める番ですよ」


「ああ、そうだな……」


 ゲームの性質上、橘もラウンド毎の勝敗に一喜一憂したりはしない。

 とりあえず、意外性重視の不便なルールを整備してしまうか。


「『絵札を数字として扱う』――って感じでいいのかな、『A』は『1』に、『K』は『13』にして、順列に組み込むようにしよう。そうじゃないと、絵札が多く来たほうが有利になっちゃうし」


「ふむ、自分だけその有利な勝ち方をしておいて、早めに封じておこうという発想ですね」


「嫌な言い方だな」


「いえ、このゲームでは重要な戦略であることは間違いありませんよ」


 橘は素直な口振りで言う。


「ルールを設定するのが、ゲーム作りの素人であるプレイヤーである以上、歪な有利不利が発生することもあります。そのルールの隙をついて勝利した後で、ルールを改正するというのは、真っ当な攻略法です」


「テストプレイをしながらゲームをしているみたいなものか」


 ゲームの未完成度すらも遊びに組み込むというのは、それはそれで新しい。近代ボードゲームの面白さも近いものがある。振り返れば、『テストプレイなんてしてないよ』はそういう需要に沿っているのか。気づかずに、頭ごなしに否定してしまった。


「先輩、もう一個のルールはどうするんですか?」


 そんなことを考えている僕を、橘が促す。


「私は一体、どんな人的権利を剥奪されてしまうのでしょうか」


「人聞きの悪い言い方をするな、決めづらくなるだろ」


「おっと、それは失言でした」


 橘は思わずといった感じで口を抑える。

 やや、らしくない反応だ。僕を陋劣だなんだと罵って悪評を吹聴するのは橘の生業なので、今更この程度で取り乱すとは思えないのだが。


「それじゃあ――橘、お前は『三階を歩く時は一人で歩け』」


「ふむ、私の命令のオマージュですか」


「なんだよ、不満か?」


「下着の着衣を禁止されるよりはマシですね」


「不満なんじゃねえか」


「いえいえ。最初のほうに厳しいルールを設定しようとして、拒否されてしまったらゲーム終了ですから。言いづらいルールは後回しにするのがいいですよ」


「僕が本当にお前から下着を奪う可能性を危惧するなよ」


「要らないんですか?」


「要るけどさ」


「では、続けましょう」


 三度目以降は、慣れもあってかゲーム自体は淡々と続いていく。

 三ゲーム目。『6切り』を上手く使いこなした橘の勝ち。

 追加したルールは『8飛ばし』。『8』を出した時に次の人の手番を抜かすというものだけれど、二人でやっている場合は、自分の手番が連続することになるので、大人数でやる時よりも強力だ。

 そして僕に追加されたルールは『一年生の下駄箱に近づかないこと』。

 靴の匂いを嗅いでいるのはバレていたらしい。

 四ゲーム目、『8飛ばし』を使いこなし、再び橘の勝ち。橘の不運は大局的なものに偏っているようで、つまり数値の高い絵札は入ってきづらいものの、『6』や『8』のような一般的な弱いカードには影響しないらしい。

 運というか、傾向や統計か。そういった偏りに対する積み重ねが欠落している僕には使えない戦術だ。橘の場合、偏り方が露骨すぎる気もするが。ともかく。

 次に追加されたルールは『奇数手番には黒のスートを、偶数手番には赤のスートを優先的に出さなければならない』という、本来の大富豪にはないもの。

 例えば初手であれば、手札にハートの『A』とスペードの『2』を両方持っていた場合、定石を無視して『2』を先に出さなければならないことになる。これは一気にゲームが複雑化するな。


「難易度を、少し上げてしまいましょうか」


 橘は連勝に驕ったのか、余裕そうな笑みを浮かべていた。

 そして僕に追加されたルールは『ほまれさんの部屋に立ち入らないこと』。

 誉――僕の妹、中学二年の折木誉。橘とはどうやら面識があるようなのだが、記憶を失って以降、妹のほうから僕は敬遠されているようなので、そんなのは制限されるまでもない。

 そもそも妹の部屋って、普通、兄が入る場所じゃないだろうに。

 何を畏れているんだろうか。

 そして五ゲーム目は、僕の勝ちで終わる。

 有体に言って、橘の自滅に近い形で終了した。自身で追加した手番とスートのルールに振り回される形で、僕の勝利となる。二人プレイだと結局のところ、大半はどんな手札が来るかに左右されてしまうので、連勝をしていたからといって次も勝てるわけではない。

 と、そこで僕は思いつく。


「じゃあ橘、次に追加するのは『前の試合の敗者が、勝者に一番強いカードを渡す』だ」


「攻めてきますね」


 四稜郭はカードを混ぜていた手を止め、不服そうに僕を見る。


「私が一方的に不利になるそんなルールが、受け入れられるとでも?」


「そりゃあ、原案は『大富豪』なんだからな。これぐらいならいいだろう」


「ふむ」


 本気で嫌がっていたわけではないらしく、橘は短く唸る。


「強いカードという表現だと語弊が生じる可能性ので、『大きい数字が描かれたカード』にしてはどうでしょうか」


「おいおい、それだとまた絵札を含まなくなるだろ? 自分に有利なように改竄かいざんしようとするなよ」


「ちっ」


 うわ、露骨に舌打ちやがった。先輩に対して。

 ゲームを続ける中で鳴りを潜めていた不機嫌が、会話によって引き戻されている。


「でしたら正しく、絵札を含めた最も数値の高いカードを渡す、ということでよろしいですね」


「ああ」


 しかし、こんな盤外戦術をわざわざ差し込んでくるとは思わなかった。

 なんだかんだ言いながら、橘はボードゲームにおいて、負けることを受け入れている。それは負けても悔しくないという意味や、勝負で手を抜くという意味ではなく、勝ったり負けたりを繰り返すことがゲームの本質的な面白さの維持に繋がると理解しているという意味だ。

 特に閉鎖的な集団においては、圧倒的に強いプレイヤーの存在はマイナスにしか働かない。

 だからか露骨な盤外戦を仕掛けてくることは、意外と少ないのだ。経験に勝る橘に、盤外で全力を尽くされては初心者の僕が勝てる見込みはなくなる。

 もしそういうことがあるとすれば、それは、ほとんど嫌がらせのためなのだけど――。


「次の勝負はどうしても落とすことができなくなったので、不利を減らしたかったのですが」


「何を企んでいるのかは分からないけど、残念だったな」


 ほくそ笑む僕を尻目に橘は黙々とカードを配る。

 そしてカードを僕が持ち上げ手札を確認するのを、猫のように鋭く開いた目で捉えた。


「先輩、残念ですが、私の企みは成功していますよ」


「うん?」


 不敵に、素敵に呟く橘。素敵は僕の恒常的な見解だが。

 何だ? ルールの設定をミスったか? いや、あれだけ確認をして、橘の盤外戦術も防ぎきっていたはずなのだけれど――。


「では先輩、私の一番強いカードを受け取ってください」


 差し出されたのは紛れもなく『K』、スペードのキング。

 ジョーカーを使用していないこのゲームにおいては最強のカードであり、これで橘から一手、アドバンテージを奪うことができたのは間違いない。しかし、橘は妖艶に余裕さを残している。


「……ああ、本当にただ、忘れていたんですね。余計なことをしてしまいました」


 しかしいつまでもぼうっとしている僕を見て、恥ずかしそうに微笑んだ。


「何だよ橘、僕は何を忘れているんだ?」


「『勝者が敗者に要らないカードを差し出す』は、設定しなくてよろしかったんですか?」


「あっ」


 言われてすぐに合点がいった。

『大富豪』において、敗者が勝者にカードを徴収されるのと同様に、重要なルールの一つだ。

 勝者と敗者で強いカードと弱いカードを交換することで、勝者はその強さをより盤石なものにするわけだけれど、僕はそこを設定し忘れていたので、見た目ほどの有利は生まれていなかった。

 単純に、出すべきカードの枚数が一枚増えているだけとも言える。


「ルールの条文に突っ込んできたのは――」


「その忘れていたことに気づかなくさせるための撹乱でした。まあ、していなければ、自力で気づいていたかもしれないと思えば、私のしたことも無駄ではありませんね」


「その中途半端な庇い方が一番傷つくな……」


 たぶん何も言われなくても、思い出していなかっただろうし。

 表裏一体であることが当たり前すぎて、すっかりと忘れてしまっていた。


「近頃の先輩は、些か注意不足のきらいがありますね」


「さすがに、まだ頭が完全にクリアなわけじゃないからさ」


 記憶喪失や事故のことを全面に押し出すのは、不幸自慢のようで憚られるのだけれど、こればかりは言い訳のしようがない。普通にしている分には、というか自覚的には、そんなに問題があるようには感じないのだけれど、やはり健康体だった時と同じようにはいかない。


「そのせいで、気づかなければいけないことにも気づかないのなら、納得ですが」


「気づかなければいけないことって?」


「はて、何のことでしょう」


 橘が、取れるんじゃないかと心配になるぐらいの角度まで首を傾げる。

 可愛いは可愛いんだけど、仕草と合わない無表情が根源的恐怖を煽り、それもまた可愛らしい。橘にはホラー映画のヒロインは務められなさそうだ。

 しかし、これはまずい事態になった。

 事ここに至って、彼女は最早、自分の苛立ちを隠そうとしていない。明確に、僕に対して不満を示している。こうなると、僕は何としてでもその理由を突き止めなければならない。

 怒っていることだけ主張してその理由を教えないというのは、そういうことだ。

 そしてそもそもこのゲームも――。


「それよりも先輩」


 考えを進めようとした僕を促すそんな言葉に、思考が遮られる。


「もう一つのルールが、まだ未設定ですよ」


「とりあえず、首の角度を直してくれ」


「失礼、固定が緩くなっていました」


「人形か何かかよ、お前は」


「球体関節ですから」


「萌えるね、それは」


 ぐぐぐ、とゆっくりと首を戻していく橘。


「それじゃあ、『意味のない嘘を吐くのは禁止』だ」


「おやおや、それでは私の魅力が激減してしまうのでは? 生身の私では、人形性愛ペディオフィリアの先輩を満足させることはできませんよ」


「別に僕はそんな変な性癖を持ってはいないんだけど。もちろん小児性愛ペドフィリアでもないし」


「あえて付け足すことで疑わしさは増していますが」


「だとしたら、橘に惚れるわけがないだろ」


「おやおや」


 これは、照れているのかな。語彙が激減している。

 まあ、こんな簡単なことでご機嫌を取れるわけもないけれど。


「では、次のゲームを始めましょう」

 橘はこの勝負にどうしても勝ちたいと言っていたけれど、どういう意味なのだろう。

 戦略的な理由ではなさそうなので、より警戒してしまう。ここで負けたらゲームが終わって、そして橘との関係性も終わってしまうのではないかという、そんな漠然とした危惧がある。

 気を引き締めて次のラウンドに臨む――が。

 カードゲームにおいて、気の持ちようほど無意味なものはない。


「これでアガりです」


 橘に指摘されて気づいたルール制定の欠陥により、手札枚数で不利を背負った僕は案の定、その不利を覆すことができずに負けてしまった。


「ま、待て、橘」


「トランプゲームに『待て』はありませんよ」


 早まる橘を止めようとするが、僕の静止は届かない。

 定めようとしていたルールを、口にする。


「追加するルールは――『勝者を《後輩》と呼び、敗者を《先輩》と呼ぶこと』です」


「……は?」


「いやあ、決めていたんですよ、最初から。今回のゲームでは、ちゃんと上下関係の呼称を私が決めようと。大富豪における『大富豪』ですからね。花形ですよ。そのために、有利不利を定めるルールを制定した次ターンで勝利し、間髪入れずに決定する必要がありました」


「…………」


 そんなことのために、あんな懸命になっていたのか。

 後輩が上だなんて、そんな、言わずもがなのこと、わざわざ主張する必要もないはずなのに。どうやら橘と僕では、拘るところが違うらしい。

 であるならば、きっと――。

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