↓第51話 いのちの、ふっかつ

 みんなは攻撃を仕掛ける。

 ゆららが投げた円月輪は、悪魔の脚を這うように転がり、切り裂く。

 うららは壁走りの要領で、巨人の脚を切りつけながら駆け抜けた。

 ネーグルとアルヴァは、高速の突きで巨大な足の指に斬撃を浴びせ、迷子とカミールは移動しながら、遠距離射撃を繰り返した。


《グオアアぁぁァァ!!》


 ぐらっと巨体が傾く。

 蓄積したダメージのせいで、バランスが崩れたようだ。そして思わず膝を突く。


「やったぜ!」


「でもぉ、相手は後ろよぉ」


 膝を突いたとはいえ、その身体は大きい。

 ゼノは悪魔を盾にしたまま、なおも安全な体制を維持する。

 シルバーソードの充填はもう少しで完了するが、これでは正確な射撃ができない。


「クッ、どうする?」


 ウェルモンドは歯噛みする。


「クックックッ。無駄ですよ。それしきのことで私が倒せるとでも?」


 ゼノは余裕だ。

 歩みが止まったとはいえ、悪魔が消滅したわけではない。

 攻撃の手を緩めると傷口が回復してしまうため、迷子たちは厳しい状況にあった。


「わわわわわっ! アホ毛―! コイツの脚が回復してきたぞ!」


「ギリギリまで粘ってください! とにかく攻撃です!」


 地上の焦りに勝利を確信したゼノは、


「クックックッ。さぁ、トドメといきますか」


 悪魔に指示を出そうと手を振り上げる。


 ――と、そのとき。


 背後から、なにかが迫る感覚を覚えた。

 ものすごい圧。

 ゼノは思わず振り返る。


「――ッッ!!」


 が、遅かった。

 それはエネルギーの波動が、高速で飛んできたものだった。

 致命傷は防いだものの、片方の羽は損傷してしまった。

 さらにその波動は、そのまま悪魔の背中から胸を貫通し、大穴を開ける。


「な、なんじゃ!?」


 その光景に、カミールが声を上げる。

 迷子は「間に合ったようです!」と、口元に笑みを湛えた。


「みなさーん!」


 やってきたのはビリーだった。傍らには、エリーザとソル、そして羊のダンもいる。

 巨大な羊の化身をつれて、迷子たちのもとへと駆けつけた。


「あとはボクにまかせて!」


 ビリーはターゲットを見据える。

 羽を損傷したゼノは、コントロールを失い、羊の化身の右手に捕縛される。

 逃げることができず、もがくことしかできない。


「ぐっ……小癪こしゃくなぁァァァ……ッ!!」


 思わず怒りを口にするが、それを掻き消すように、ダンが声高に叫んだ。


「メェーッ!!」


 その意思がウェルモンドに伝わる。「そのまま撃て」と、そうささやいた。

 間もなくシルバーソードの充填が完了する。


「いまですっ!」


 ビリーが合図を出した。

 ウェルモンドの目が鋭く光り、その指が重いトリガーを引く。


「眠りにつくがいいッ!!」


 放たれた閃光。

 蒼白い光が巨体の穴を抜け、捕縛されたゼノに命中した。


「グワアアアァァァッッ!!」


 化身の手もまるごと包んだ光の筋は、貫通して空へと抜ける。

 黒焦げになったゼノは、動きが止まり、そのままボトリと地面に落ちた。

 みんなは駆け寄り、様子を確かめる。

 周りのゾンビたちは、全員動かなくなっていた。


「仕留めたのでしょうか?」


 迷子はゼノを覗き込む。

 と、そこで、


「ま……だ……だ」


 あれだけの攻撃を受けながら、彼の指がピクリと動く。


「ここで……果てる……な、ど……」


 そして瞳に邪悪な光が宿る。

 残りの力を振り絞り、剥き出しになった片翼の骨の先で、迷子に攻撃を仕掛けた。


「――!!」


 本来なら躱せなかっただろう。串刺しになっていたはずだ。

 そんな中、カミールには周りの動きがゆっくりに見えていた。

 戦いの中で意識が覚醒したのか、いずれにせよゼノが何か仕掛けるような気配を察した。


 ――このままでは迷子が死ぬ。


 そう直感した。

 過去の体験が、死に対する嗅覚を敏感にさせたのか。

 大事な人に迫る死。それが繰り返されようとしているのに、身体がこわばる。


 ――あのときと、同じ思いをすることに?

 ――あのとき自分が、ちゃんと行動できていれば?


 一瞬のうちに駆け巡る思考の波。そして恐怖との葛藤。

 指先が震え、呼吸のリズムが狂う。


 ――でも、考えてる場合じゃない。

 ――もう、後悔は、したくない。


 いつのまにか身体は動いていた。

 彼女は迷子を突き飛ばし、代わりに自らの身体と入れ替わる。


「うああっ……ッッ!!」


 カミールの身体から迸る鮮血。

 ゼノは血の匂いにハッとし、咄嗟の判断でカミールの身体を抱き寄せる。

 そしてそのまま、空中へと飛翔した。


「貴様ッ!!」


 ウェルモンドが上空を見上げる。

 ゼノはなんとか呼吸を整えながら、こう言った。


「……クックック。悪魔は……私に味方したようですねぇ」


「彼女をはなせッ! その身体でおまえになにができるッ!」


「勝機はありますよウェルモンド。この少女を見て、まだおわかりになりませんか?」


「なにっ!?」


「あなたも知っているハズです。この娘、あのメリーダの子孫です。この面影……忌々しい。炎に焼かれた記憶がよみがえります」


「キサマ……なにをする気だッ!」


「血ですよ」


「!?」


「このニオイで確信しました。この娘、上位種族の血を継承している。つまり奇跡の稀血をもつメリーダそのもの。吸血鬼の細胞を回復させるほどの力を秘めたその血は、この状況にうってつけと思いませんか?」


「カミーラ様ッ!」


 地上でネーグルが叫び、アルヴァが怒りに表情を染める。

 カミーラを盾にさてれいるので、誰も攻撃を放てない。


「クックックッ。この戦いも終わりです。娘の血を吸い、私は真の復活を果たすのですッ!」


「カミらんっ!」迷子は名を呼ぶが、彼女はぐったりしたままだ。


「ああ、どれほどこの瞬間を待ち望んだかッ! メリーダにも見せてやりたかったですよッ! この世を滅ぼす瞬間を、これから訪れる吸血鬼の時代をッ!」


 酔いしれるように高笑いを響かせるゼノ。

 だが、そこでカミールの口が僅かに動く。


「……我を殺して、この世界を滅ぼすじゃと?」


「……?」


「……フッ、勝手なことを言いおって……」


「まだ意識がありましたか。もう諦めてください」


「お主は人間を滅ぼし、自分だけの世界を作ると……そういうんか?」


「フン、それのなにがいけないんです? ゴミは消えて当然でしょう」


「……繋がっとるんじゃ」


「はい?」


「みんながいて……世界なんじゃ。誰かのために……涙を流す人がいる」


「クックックッ。この期に及んで説教ですか? いいでしょう。あなたの遺言と受け取ります」


「……みくびるな」


「?」


「さっきも言ったじゃろ……繋がっとるんじゃ。我が死のうと……想いの鎖は切れん」


 カミールは空に手を伸ばす。


「切れん……切れんのじゃ」


 ウェルモンドがこの地を守ったように。

 ビリーがウイルスの可能性を信じたように。

 メリーダがいつまでも平和を望んだように。

 その想いは時を超え、次の世代へと受け継がれる。

 カミールは瀕死の状態でありながらも、瞳は絶望の色に染まっていない。

 そんな彼女に苛立ちを覚えたゼノは、眉間にシワを寄せ、奥歯を噛み締めた。


「……つくづく忌々しい。あなたが死んでも、ほかの誰かが私を止めると?」


「世界は強い……。おぬしが道を間違おうとも、ほかの想いがそれを断ち切るであろう……!」


 その表情が、かつてのメリーダと重なる。


 ――これ以上は不愉快だ。

 ――殺してしまおう。


 もう、彼の目に迷いはなかった。


「……疲れたでしょう。ゆっくりお休みになりなさい」


 ゼノは、小さな首筋にかぶりつく。

 目を見開き、痙攣けいれんするカミール。

 地上のみんなは絶句した。

 間もなくぐったりした少女の瞳から、光の色が消える。

 伸ばした手がだらんと垂れる。

 血を吸ったゼノが瞳を閉じると、すぐに身体に変化が生じた。

 ドクンと脈打つ鼓動。血管を巡る力の奔流。

 見開かれた目は真っ赤に染まり、吸血鬼というより、彼自身が悪魔になったようだった。


「クックックッ。すごい……すごいですよッ! これが王の力ッ! すべてを統べる世界のチカラッ!!」


 投げ捨てられたカミールは草原に落下する。

 すぐさまネーグルとアルヴァが受け止め、生命の安否を確認した。


 …………。


 ぐったりして動かない。心臓も動いていない。

 ここにいる全員、不安の色が濃くなる。


「おい、あれ!」


 うららが空中を指さした。

 ゼノの身体に、どす黒い邪鬼が渦巻いていたからだ。

 傷口はみるみる修復し、以前よりも身体の組織が若返っていく。


「クックックッ、すばらしいッ! これが王の力ッ! すぐにでも世界を支配できそうだァッ!」


 拳を開いたり閉じたりして、感覚を確かめるゼノ。

 両腕を広げて念じると、地上にいたゾンビたちにも活力が戻った。

 しかも黒い霧が腐った肉にまとわりつき、鎧の形を成す。

 最終的には、暗黒の剣をたずさえた騎士に変化した。


「おいおい、なんかやべぇぞ!」


「まずいわぁ……」


 メイドの二人が武器を構える。四方八方囲まれてしまった。

 執事たちはあるじの身を案じながら、辺りに険しい視線を巡らせる。

 ビリーの化身は腕の修復に時間が掛かり、攻撃に転じることができない。


「クックックッ。では手始めに、あなたたちから葬ってさしあげましょうッ!」


 ゼノの両手に禍々しいエネルギーが集まり、玉のように大きく膨らんでいく。

 迷子はカミールの身体を守るように抱き締めた。

 あの球体が解き放たれば、おそらく皆は無事ではすまないだろう。


「クソ……ッ!!」


 シルバーソードもエネルギーの充填が間に合わず、ウェルモンドは歯噛みする。


「さぁ、ゆっくりお休みなさいッ!」


 そして巨大な漆黒のオーラは、地上に解き放たれた。

 誰もが終わりを予感した。


「――――」


 迷子は目をつむる。時間にして、それはほんの数瞬のできごとだったのかもしれない。


 …………。


 しかし、なにも起こらない。

 どういうことだ?

 恐る恐る顔を上げると、ゼノの手からオーラが消えていた。

 なにが起こったのかわからず、彼は自分の手のひらを眺めて唖然としている。

 そんなときに雨が降ってきた。

 雫がポタポタと手のひらに落ちる。でも、それは雨ではなかった。色がついていたからだ。ゼノの鼻筋に冷たい感触が伝わる。


「……これは――」


 血だった。


 直後に勢いよく血を吐いたゼノは、全身の異変を感じる。

 さっきまで血管を巡っていたエネルギーが、血流にのって暴れているようだった。


「お、おい……どうなってるんだ」


 ソルは眉をひそめる。


「みなさん……あれ――」と、怯えながら指を差すエリーザ。

 みんなはその方向を見てハッとした。

 騎士たちが空に向かって剣を掲げていた。

 攻撃する気配はなく、なにかに敬意を表しているかのようだった。


「なぜだ……なにが……どうなって――」


 状況がわからないゼノは、ただ自分の震える手を見つめるばかりだ。

 そんなとき、ふと後ろから声が聞こえた。


「王の稀血を喰らい、無事でいられるハズがなかろう? 相性が悪ければ拒否反応がおこる」


 ――誰だ?


 しかも、まるでその気配に気づくことができなかった。

 心臓の音がドクンと跳ねる。身体の震えが、痙攣というよりも恐怖によるものだということに気づくまで、そう時間は掛からなかった。


 本能で身体が反応している。危険だと、そう脳が伝えている。

 恐る恐る後ろを向くゼノ。

 そこには大きな暁月が昇っていた。

 さっきまで空を覆っていた黒雲が晴れ、隙間から顔を覗かせる巨大な深紅の球体。

 その真ん中に誰かいる。

 一人の女性が、宙に浮いていた。


「き……キサマは……ッ」


 再び跳ねる心臓。その恐怖が確信に変わる。

 月光を反射して揺れる銀色の長髪。尖った耳と赤い瞳。思わずひざまずいてしまうほど美しい相好。

 忘れようとも忘れられない。


「久しいな。ゼノよ」


 そこにいた人物。自分の計画を阻止した女の名を、忘れることなどできるはずもなかった。


『メリーダ・リ・ファニュ』


 吸血鬼の王が、今ここに、帰還した――

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