読書家の幼なじみが家出したので、小説家Vtuberになってみる

冬凪てく

第1話 幼なじみを追って異世界(ニッポン)へ

『楽しい物語がある世界に行ってくる。この世界にはバッドエンドの物語しか無いみたいだから』 


 僕がいつも通り仕事を終えて家に帰ってくると、同居人の彼女がいなくなっていた。


『To 冬凪ふゆなぎてく』


 僕にてられた書置き一つだけをリビングの机に残して。


「あちゃー……」


 窓際に置かれた椅子は寂しそうに月明かりに照らされていた。普段のこの時間なら同居人が座っているはずだが、もちろん主は不在だ。


 あの椅子に座ってかび臭い色の表紙の本を広げながら、いつも退屈そうにしていた彼女の横顔を僕はつい思い返す。


 『彼女』とは僕の遠い親戚しんせきで、幼馴染おさななじみで、親友で、そして。


 ――許嫁いいなずけ


 お互いの両親から、将来の婚約者ともくされた相手のことだ。


 まだ正式な結婚には至っておらず、今は単に両親の庇護ひごから離れ、二人で同棲どうせい生活を送っていた。


 同棲といっても言葉の響きほどの特別感はお互いに無かったはずだ。

 僕たちは既に小さい頃から、ほぼ毎日のように親の屋敷を抜け出して、二人で秘密基地に集まっていた前科があった。

 しかも、秘密基地に行ったからといって特別何かをするわけではない。

 僕と彼女は言葉を交わすことも少なく、ただそれぞれが好きなように時間を過ごすだけ。


 本当に特別感のない関係のまま、これまで惰性だせいで付き合ってきた仲だった。


「秘密基地、か」


 数年前にこの家で同棲を初めてからすっかり口にしなくなった、懐かしい響きの言葉に妙な引っ掛かりを感じる。

 おそらくだが、手がかりがそこにある。そう感じずにはいられない。


 居ても立っても居られなくなった僕は仕事帰りそのまま、家を飛び出した。



 ここを訪れたのはざっと10年ぶりくらいだろうか?


 深い夜闇の森の木々の隙間に隠れるようにして、古びて使われなくなっていた小屋が見えてきた。

 外観は10年前よりさらに古びた様子となっていた。

 僕と彼女しか存在を知らない様子の小屋は、今もなお誰にも気づかれずにひっそりとたたずんでいるようだ。


 玄関部にあたる扉のノブに手をかけて、意を決した僕はそうっと押し開ける。


 僕たちが秘密基地と呼んだ、かつて親の屋敷よりも長い時間を過ごしたこの空間は思いのほか当時の面影おもかげを残したままだった。


 特に彼女がこの秘密基地に入り浸るきっかけとなった、古びた本が大量に収容された本棚は最後に見たときとほぼ変わらずだ。

 放置されていたら積もるはずのホコリや蜘蛛くもの巣も少なく、むしろ状態良くきれいに整頓せいとんされていた。

 僕とは違い彼女は同棲を始めた後も、ここによく通っていたのかもしれない。


 もっとも、彼女がつい最近も秘密基地に来ていたと思われる痕跡こんせきはこれだけでなかった。 


 部屋の奥から強大な魔力の気配を感じる。

 おそらく術式とかのたぐいだ。


 この世界には科学だけではなく、魔法が存在する。


 しかも基本的には老若男女問わず、貴賎きせんも関係なく、誰でも使える。世間にとってはもはや当たり前の存在といっていい。


 誰でも使える、とは言ったものの、さすがに大規模な魔法や高難度の魔法であれば、それなりに才能と修練が必要となる。

 例えば部屋の奥から感じる魔力は、並大抵の人間では作り出せないレベルの術式から発せられるものだ。

 それこそ、学生時代に既に稀代きだいの魔法使いと呼び声の高かった彼女くらいの人間でない限り、扱うのは不可能に違いない。


 この先に手がかりがある。僕はそう確信した。


 彼女がかつて愛読していた本が収納された本棚をさらに2つほどかわして奥に進む。

 

 より一層魔力の痕跡を色濃く感じられる扉の正面にたどり着いた。


 この扉は秘密基地として使っていた当時から彼女専用として使っていた部屋に通じている。

 普段は滅多に怒ることのない幼なじみが僕の不用意な言動で不機嫌になってしまったとき、僕を放ってよく一人でこもっていた部屋だ。


 何だかんだ僕が入るのは初めてな気がする。


 少し後ろめたさを覚えながら慎重に扉を開けると、探していたものがそこにあった。


 薄暗い部屋の真ん中で、それでもなお全ての光を飲み込むほどの黒いもやが浮かんでいる。

 人を飲み込むにも十分なサイズの、魔法で作られた時空間の歪み。


 通称『ゲート』と呼ばれる、異世界へと通じる魔法の扉だ。


 状況から察するに、探し人はこのゲートを使って、この世界ではないどこかの異世界へと旅立ってしまったのだろう。


「明日も早くから仕事なんだけどな……」


 後ろ髪をくるくると指先でいじってしまっていた手をおろす。僕が困っているときによく出る癖だ。

 

 息を吐いて意識的に気分をリセットした後、再びゲートを注意深く観察する。

 さすがは魔法にたけていた彼女の術だ。使用できる人が数えるほどしかいない超高難度魔法にもかかわらず、発動からしばらくたっているらしい今でもなお、非常に安定している。


 この様子だと、ひとりでに魔法の効力が切れて術式が解ける可能性は限りなく低い。

 つまり、術者である彼女がこの魔法を解かない限りはゲートが存在し続け、こちらの世界と異世界を行ったり来たりできそうだ。


 もう一度短く息をついて、僕は覚悟を固める。


「よし。いったん向こうの世界の様子を見てこよう。話はそれから」


 と呼ばれる僕たちの世界を蹴りだして、僕は夜よりも深い闇の歪みへと足を踏み入れた。



 ……まぶしい。


 頭の上から降り注ぐ膨大な量の光に目を細めながら、元の世界では見慣れない青い色をした空を見上げて僕は思った。


 魔法による異世界へのゲートをくぐると、なんだか騒がしい街の中へとたどり着いた。空の色に限らず、僕の周囲を取り囲む景色もまた、見慣れないものばかりだ。


 直方体に角ばったデザインが中心の建物が林のように立ち並んでいる。

 特に建物の外壁に掲げられた青い大看板の、両手をあげる人のイラストが印象的だ。

 その周りにも色鮮やかに彩られた看板が所せましと並んでおり、見える景色が一体と化して一つの芸術作品のような様相をていしている。


 看板群の手前には川があるようだ。僕はそちらに足を向けると、幅広の橋の上を行きかう群衆が見えてきた。


 手に持った小さな機械を思い思いの方向にかざしながら、談笑する人たち。

 その反対側で趣向をらした芸を披露ひろうする人たち。

 それを立ち止まって見守る人たち、横目で通り過ぎる人たち。

 

 この空間を支配するガヤガヤとした人々の声は、日本語と呼ばれる異世界の言語らしい。

 とはいえ既に僕は対策済みだ。事前にゲートをくぐる前に、元の世界で異世界の言葉も理解できる魔法を自身にかけておいた。

 おかげで、何の問題なく群衆の言葉を理解することができる。


 あと、もう一つ気づいたことがある。

 どうやらこの世界には魔法が存在しないらしい。


 試しにてのひらの上で火を起こそうとしてみたが、うんともすんとも言わなかった。

 僕たちが普段住んでいる世界なら、どれだけ魔法が下手な人間でも火花や煙くらいは出せる。超初歩の魔法と認識されている術式ですら発動しないのだから、この世界にいる間は魔法を使うことが出来ないと考えていいだろう。


 ただ、事前に元の世界で魔法を発動しておけば、この世界でも持続できることは翻訳の魔法からも想像がついた。

 今後仮にこの世界で魔法の力を頼りたいなら、ゲートをくぐる前に行使する必要がありそうだ。

 改めてこの世界の仕組みを理解した僕は、再び周囲を見渡す。


 本当に人が多い。


 そして、人々の何気ない楽しげな表情が僕にとって非常に印象的だった。


 ――僕の世界とはまるで正反対だな。


 の世界とは違い、やはりこの世界には光があふれている。これほどに愉快な世界ならば、彼女が家出した目的、「楽しい物語」も存在しているに違いない。


 物語が手っ取り早く見つかる場所といえば、本屋だろうか?


 僕は商店街の方に足を向け、近くの本屋を探すことにした。


 通りにあった手近な本屋に入ってみて驚いたことがある。

 それは本の表紙が非常に多種多様で、色彩が鮮やかだったことだ。


 元の世界の本といえば、見た目からして既にかび臭く、重厚な表紙に包まれていることが常識だった。


 また、何色とも形容しづらいその表紙や背表紙には本の題名しか書かれていないことが多かった。

 つまり本の内容がどんなものか判断するためには、ある程度を中身を読んでからでないと想像がつかない。

 本屋での立ち読みを躊躇(ためら)い、勢いつけて購入したものの、帰って中身をよくよく確かめたら想像していた内容とかけ離れていた、なんてことは多々あるらしい。(by 許嫁)


 反対に『日本』というこの世界には、本にさえも色どりがあふれていた。


 特に『ライトノベル』と書かれた書棚はイラスト中心の表紙が視覚的に引き付けられる。

 それぞれの本の題名も長いことから、どのような内容の物語なのか、表紙を見るだけで容易に想像がつきそうだ。


 彼女に比べると圧倒的に読書家レベルの低い僕ですら、既にこの世界の本が非常に興味深い。


 ハマってしまったら、取り返しのつかないことになりそうだな。


 かつて秘密基地の一角でも、同棲していた家のリビングでも、彼女は大好きな本を読み終わった後でさえ、いつも物足りなさそうにしていた。


 どうやら長丁場の捜索を覚悟しなくてはいけないらしい。

 小さい頃から見慣れた物憂ものうげな彼女の表情を思い返して、嫌な予感がよぎった。


 僕は再びため息をつく。

 

 はたして、この見ず知らず世界の中から、たった一人の彼女を見つけ出す方法はあるのだろうか?

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