ショートショート 背中

阿賀沢 周子

第1話

 祐貴は小樽の大浜海岸の駐車場に、赤いシビックを停めた。車内が熱くなり過ぎないように四方の窓を、ドアバイザーに収まるくらい下げ風を入れる。助手席の知保子が先に降り立ちハッチバックを開けた。パラソル、シート、ピクニックバスケット、手荷物をおろす。

 祐貴と知保子は同じ会社の同僚で、知保子は入社の一年先輩だった。

「水曜日なのに、結構ひとがいるわね」

 額に両手をかざし日光を避けて、知保子が言う。海の家の間から、カラフルなパラソルが並び、人々が行き交うのが見える。

「学校が夏休みだもの」

「そうか。私達はずる休みだけど」

 そう言って知保子は舌を出し、車内で着ていた白いレースのカーディガンを脱いで腰に巻いた。

「あら。ちぃ、大胆だけど素敵」

 知保子は青いホルターネックドレスを着ていた。まだ日焼けしていない白い背中がまぶしかった。

「日焼け止めを塗らなくちゃ」

 荷物を手分けして持ち、海の家の間を抜けて海岸へ向かう。砂浜には、駐車場の車の数からは想像できないほどの人々がいた。


 雲ひとつ無い空を映して、紺碧の海が広がっていた。彼方の水平線は水色で空の色と入り混じる。岸に寄せる白い波と戯れる子どもたちの歓声と、海の家から流れてくるロックがにぎやかだ。

 知保子は青いドレスをひらひらさせて砂浜を歩く。祐貴は後ろをついていく。若い男性が振り向く。リボンを首の後ろで結び、背中と肩を出した知保子が人目を惹いているのが、祐貴にはよくわかる。無造作にひっ詰めた長い髪と、薄化粧の小さめの顔もドレスに合っていた。Tシャツと短パンの祐貴は、ついでに見られているようなものだった。

 東へ100メートルほど進むと、砂浜に余裕があり、音楽が遠ざかった。

「あそこにしようか」

 引き潮でぬれた砂と、乾いた砂のはざまに居心地のよさそうなスペースを見つけた。

 二人はシートを広げ、風よけに4隅に荷物を置いた。水着の上に来ていたものを脱ぎ、互いの背中にサンオイルを塗り合っていると、学生風の背の高い男が近寄ってきた。二人をかわるがわる眺め頬を赤くしていたが、やっとのことで声を出した。

「俺たち三人連れなんだけど、一緒に泳がないですか」

 裕貴は知保子を見、男を見上げて応えた。

「友達が来るの」

「そうか。残念」

 案外簡単に引き上げて行った。その男は海の家の前に並んだビーチチェアに座っている二人に、笑いながら両手を交差させバツを作ってみせた。


 裕貴と知保子は、今日は二人で楽しむと決めていた。最近、裕貴は彼氏と何となくうまくいっていない。これという理由がないのに、会う回数が減ってきている。逢えばいつもと同じように過ごせるのだが。付き合う期間が長くなり過ぎたのだろうか。気分転換がしたいと、知保子を海へ誘った。

 違う部署に移動になってから、二人同時のサボタージュが可能になったのもあり、混む週末を避けてウイークデーに来たのだ。

「また男子が来た。同じように断るわよ」

 知保子は、裕貴の目線の先を見る。鍛えた胸筋を見せている二人連れが近づいて来ている。

「今度は私がやるわ」

 知保子は膝立ちになり、太ももにオイルを塗り始める。

「一緒に遊ばない」

ひざ丈の青い海パンを履いた青年が誘ってきた。黒い海パンの男は後ろに立ち、腕を組んで自信ありげだ。

「えーっ。今夫と子どもたちが来るの。それでもいいかしらってことないわよね」

 肩紐のない白いビキニトップで知保子は無邪気に言う。

「いや、どうも」

 よい体格を小さくして二人は去った。

「ちぃ、夫と子どもって何よ」

 知保子は真剣な表情で男の目を見つめ、はっきりと嘘をついた。そのギャップが愉快で、裕貴は大笑いをした。


 海に入りしばらく泳ぐ。二人とも水泳は得意だ。知保子は平泳ぎでゆったり前へ進む。つかず離れず、裕貴はクロールや平泳ぎで泳いでいた。疲れてくると知保子の背中を見ながら立ち泳ぎになった。

 私がホルタードレスを着たらどうだろう。ミニスカートや肌を露出する服は、男の気を惹くために着る、と考えてしまう。自分にそう言う傾向があるからだ。でも知保子は違う。いつも、自分に似合うかどうかだけが基準だった。

 何を着ても、どこへ行っても泰然としている。物怖じしないというのだろうか。何を着ても似合うのは、着る物で邪心を抱かないからだろう。そこまで考えた時、左足が吊った。立てる場所まで戻り、アキレス腱を伸ばすようにゆっくりストレッチをした。違和感は残ったが痛みはひいた。

「つっちゃった。ちぃ、私は上がるわ」

「大丈夫? 私も、お腹がすいたので同じく上がります」


 浜に戻り、砂の暖かさで身体を乾かし、オイルを塗りなおす。

 祐貴が作ったサンドイッチと、知保子が持ってきた飲み物やおやつを食べていると、海の家の音楽が止んだ。急に波の音が近づき、鴎が何羽も低空飛行をしているのに気付いた。

 知保子が鴎を指さす。塗りたてのオイルで頬も肩も背中も紅くてかっている。

「焼けたわね」と話しかけると、知保子は裕貴の顔を見た。「あなたも焼けたわ。笑い皺の中は焼けていないけどね」

 彼氏のことで塞いでいた気持ちは、今日の天気のように晴れていた。

「ありがと。この皺は自慢に思っているの。人柄の現れよ」

 自分は時々知保子の後ろを歩く。それが居心地良い、と祐貴は思う。 

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