第5話 冷女との急展開

 先程まで上層部の男たちに囲まれていたはずの玲が、いつの間にか健斗の隣へと移動していた。これまで言い寄っていた男達は、切り捨てられて以降は大人しく集まって飲んでいる様子である。健斗は絶好の機会が突然起きたのと、何故玲が自分の隣に来たのかがわからないのとでパニックになっていた。玲も一息ついている最中のため会話は途切れている。


(雑談が得意と豪語していた佐々木よ、こんな時はどういう話をしたらいいのか教えてくれ……)


 知り合ってから三年、始めて聡一に頼りたくなった健斗だがその祈りは届かない。健斗が正念場を迎えている中、聡一と小里は別の課の友人と盛り上がっていて、こちらの状況などまるで気にしていなかったのである。空のコップで何度も空気を飲んでいた健斗に、玲は首を傾げながら話を始めた。


「直接話をするのは、これで二度目ですね」

「はい! 覚えていてくれてたんですか!」

「ええ。音無君はいつもきちんと仕事をこなしてくれていますからね、上司としても誇らしいですよ」

「あ、ありがとうございます!」


 名前を覚えてもらっているだけでも嬉しかったのに、手放しで褒められた健斗はここまでに吞んでいたアルコールよりも強い刺激に見舞われた。


「今朝も貴方の同僚の、……ええと」

「佐々木と戸村ですね。まあいつもあんな調子ですよ」

「そのお二人に始業準備を促していた事も、好感が持てましたよ」

「見られてたんですか……、お恥ずかしい限りです」


 健斗が朝に玲と目があった事は気のせいじゃなかった、という事が判明したのだが健斗はそれに気づいていない。そもそも今は嬉しい事が連続で起きすぎているためにそこまで気が回らないのである。この時間がずっと続いてほしいと思っていた健斗だが、玲が真剣な眼差しで健斗に向き合った事で空気が変わった。


「本題に入りますね。君の隣に来た理由は、確認したい事があったからです」

「確認したいこと、ですか?」

「はい。……ああ、君の仕事に関係する話ではありませんから構えなくても良いですよ」

「え、じゃあ一体何を……?」


 仕事中に見せているような表情の玲を見て背筋を伸ばした健斗だったが、違うと聞いてまた力を抜く。

 

「音無君の家には、防音仕様の部屋があるそうですね」

「あ、はい。ありますね」

「そして現在、その部屋は使用していないと」

「はい、全然です。……あれ? 泉さんにこの話ってしてましたっけ?」

「いえ、先程偶然耳に入ったもので」

「……もしかして俺達の会話、全部聞こえてました?」

「……はい。ごめんなさいね、勝手に聞いてしまって」

「あいえ、それは全然構わないんですが……」


 健斗がその話をしていた時、玲は上層部の輪にいた。普通なら別の輪の会話などほとんど聞こえないはずなのだが、玲は何故かこちらの会話を把握している。その事をふと疑問に思った健斗だったが、玲が聞いたと言っている上に事実なので信じる他無かった。

 

「音無君、お願いがあります」

「な、なんでしょう?」


 玲が上半身を健斗のほうに向けて距離を縮める。少し動けば触れてしまいそうになり健斗は思わず体がビクッと震えた。ここまで居酒屋に居続けていたとは思えない玲の香りに心臓が跳ね上がる。


「泉さん!? な、なんか近いような……」

「……あまり他の人には聞かれたくない話なので」

 

 耳を貸して欲しいと口に片手を添えて更に近づく。暖かい吐息がかかり健斗の精神はどんどん攻め込まれている。そして玲の口から発せられた予想外のお願いによって、健斗の思考は停止してしまうのだった。


 

「その部屋を、私の在宅用の仕事場として使わせていただけないでしょうか?」

「……え?」

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