第九話

 今日の天気は曇りのち雨雷と予報がされていた。午前の授業を終えた頃には分厚い灰色の雲が広がり、すっかり雨が降り出しそうな雲行きに移行しつつある。


 ヒビキはパイロットスーツに着替えた後、待機室で呼び出しがかかるのを待っていた。急遽、焔隊が〝チェルノボーグ〟に乗り込む事になった為、午後からの授業は公欠扱いになり、一対一の模擬戦を行う事になったのだ。


 模擬戦を行う前に法人事務局から一通のメールが転送されていた。中身を確認すると電子署名ファイルが添付されていた。


 特別乗艦許可証と同意書にサインして初めて〝チェルノボーグ〟に乗り込む事ができるのだが、ヒビキはまだサインをしていなかった。このまま〝チェルノボーグ〟に乗り込んだら、逃げる機会を失うのではと懸念していたからだ。


 しかし、焔隊の皆がサインしているのに勲章を授与される予定のヒビキがサインしないのもおかしい話なので、せめてサインをする前にマリウスと作戦会議を開きたいと思っていたのである。


 そんな事を考えていると、隣に座っていたダリアがいきなり立ち上がった。


「えぇっ!? エリア6の砂漠の道デザートロードで模擬戦をやるの!? 精鋭部隊が集まる〝チェルノボーグ〟に乗れるのは名誉に思ってるけど、こんな所で模擬戦なんてやらなくても良いのに!」


 ダリアが持っていたデバイスで模擬戦のルールを確認をしながら嘆いていた。今から行われる模擬戦は過酷な環境下での戦闘を予想したもの。敢えて環境整備もなされていない無法地帯がランダムで指定され、運が悪ければ昔の戦争で使われた地雷や不発弾が地中に埋まったままだったりする。

 

 特にエリア6――元々アジアと呼ばれていた地域に広がる広大な砂漠は、かつて絹の道シルクロードと呼ばれていた。しかし、現在はエリア7にまで砂漠が広がっている為、砂漠の道デザートロードと呼ばれている。核戦争の時に使用した地雷が埋まっていると有名なエリアだったので、ダリアが嘆くのも無理はなかった。


「あ〜、やだやだ! 地雷が埋まっているかもしれない環境下でヴァルキリーを操縦するだなんて! 私が乗ってるヴァルキリーの足がなくなっちゃったらどうするのよぉ〜! ねぇ、ヒビキ聞いてる!? デバイスばっかり弄ってないで、私の話も聞いてよ!」

「おー、最悪だな。最悪最悪……」


 ヒビキは待機室のベンチに座り、デバイスの画面を操作しながら適当に返事をした。『今から模擬戦に行ってくる。暫く返事できないかも』というメッセージを送信した後、ヒビキとヴァルキリーが写っている写真を選んで追加で送ると、〝SAKURA〟からすぐに返事が返ってきた。


『凄いっ! 〝HIBIKI〟って、本当にヴァルキリーのパイロットだったの!?』


 〝SAKURA〟からの返事を見て、ヒビキは薄らと笑みを浮かべた。


『まぁな。この写真に写ってるヴァルキリーは〝グルヴェイグ〟っていう名前なんだ。格好良いだろ?』


 〝グルヴェイグ〟という名前はヒビキが名付けた。ある神話に出てくる神様の名前で、戦場に出て危険に晒されても死なないようにという願いを込めて、登録申請を出したのである。 


『うん、とっても格好良い! いいなぁ、私もヴァルキリーに乗ってみたいなぁ〜! こっちでは男の人しかヴァルキリーを操縦できないんだけど、地球では女の人もパイロットになれるんだよね!?』


 〝SAKURA〟がヴァルキリーに興味を持ってくれて、とても嬉しく思ったヒビキは『あぁ。地球は良い意味でも、悪い意味でも実力主義な所があるからな。才能があれば、誰でも乗れるんだ』と打ち込んでメッセージを送信した。


 暫くして、ジトッ……とした視線に気が付き、ヒビキが顔を上げると、ムスッとした表情で睨んでいるダリアとデバイス越しに目が合った。


「な、なんだよ……」

「んーん、なんだか楽しそうだなーと思って」

「楽しそう? 俺が?」

「うん。ずっと口角が上がってるから気になって」


 ダリアは何を思ったのかこちらに歩み寄り、ヒビキが持っていたデバイスをいきなり取り上げた。突然の出来事に驚いたヒビキはベンチから立ち上がり、「いきなり何すんだ!?」と怒りを露わにする。


「今、人の許可なく盗撮したでしょ? 副隊長権限でデバイスの中身を確認します」


 素早く画面を操作するダリアに対し、「盗撮なんて、趣味悪い事するかよ! 勝手に人のデバイスを取り上げるな、職権濫用だぞ!」と非難したが、ダリアが画面を見たまま、見た事のない表情で固まってしまっていた。


 嫌な予感がしたヒビキはデバイスを力尽くで奪い返したが、眉根を寄せたダリアにジロリと睨まれてしまう。


「……ねぇ、ヒビキ。写真に写ってた黒髪の女の子は誰?」


 ダリアの指摘に心臓が大きく脈打った。血の気が引いていくのを感じる。〝SAKURA〟にメッセージを送る事に夢中になって忘れていたが、ダリアは幼い頃の教育と刷り込みによって、地球の外に住む人間は全て敵だと思っている節があったからだ。


 あぁ、マズイ事になった――。


 ヒビキは心の内で舌打ちする。〝SAKURA〟とのやり取りを誰にも見られないように気を付けているつもりだったが、一緒にいるのが幼馴染のダリアだった為、完全に油断していたのだ。


「別に、ただの友達だよ」


 本当の事を言ったが、ヒビキの心臓はずっと早鐘を打っていた。〝SAKURA〟が地球の外に住んでいる事がバレてしまえば、迷惑をかける以前の問題に発展してしまうと考えたからだ。


 最悪の場合、逆探知をかけて居場所を特定し〝SAKURA〟が乗っている船に軍が攻撃を仕掛けるかもしれない。


 そんな馬鹿な話があってたまるか――。


 ヒビキは心の内で自分を責めていた。ダリアの返答次第では〝SAKURA〟とのやり取りを断たなければならなくなってしまう。最近のヒビキは〝SAKURA〟と連絡を取る事が楽しくて仕方がなかったから、それがなくなってしまうと想像するだけで、チクンと胸が痛んだ。


「もしかして〝宇宙間通信〟で知り合った子?」

「まぁ、そんなところだな」


 平静を装いながら淡々と答えると、ダリアは納得したかのように軽く頷きながら「ふーん、そうなんだ」と小声で呟いた。


「……相手の子、男かもしれないわよ」


 ダリアが前触れもなくそんな発言をしてきたので、「はぁ? 相手が男って、どういう意味だよ?」と聞き返すと、ダリアはヒビキの隣に座り、水が入ったペットボトルに手を伸ばした。


「ゼンイチがね、愛しの人キャシーちゃんがネカマだったっ!! って騒いでたの。どこで知り合ったんだーって聞いてみたら〝宇宙間通信〟で知り合ったんだって。隊の皆が慰めてたけど、私は同情できなかったわ。だって、写真を見ただけじゃ相手が男が女なんて分からないじゃない。ゼンイチもよく初対面の人の言葉を信じられたわね。私は絶対に無理だわ」


 ダリアは一気に水を飲み干し、空になったペットボトルをゴミ箱に投げ入れると、隣にいたヒビキの顔をジッと見つめてきた。


「今度はなんだよ……」

「ううん、なんでもない。とにかく、私が言いたいのは面識のない人には気をつけて欲しいって事よ。でも……それにしても珍しいわね。ヒビキがそんなアプリを使い始めるだなんて。今日の模擬戦で雷でも落ちるんじゃない?」

「そうそう雷なんて落ちねぇよ。それに今日、俺が向かう先はエリア3の山岳地帯だ。むしろ俺が心配してるのは強烈な吹雪だよ。雪が関節に詰まったり、強風に煽られて墜落するパターンが一番怖い」


 それを聞いたダリアは苦笑いしながら「あぁ、確かにそれは怖いかもね」と言ったので、俺はベンチに置いてあったヘルメットを手に取り、出口へ向かって歩き出した。


「じゃあな、ダリア。お前も地雷を踏んで怪我しないように気を付けろよ」

「心配してくれてありがと。ヒビキこそ、新しいヴァルキリーに数回程度くらいしか乗ってないんでしょ? この前みたいに無茶してぶっ倒れないようにね」

「わかってるよ。じゃあ、また後でな」


 ダリアに軽く手を振って待機室から出たヒビキは、廊下を早歩きしながらデバイスを確認する。画面に表示されたのは〝SAKURA〟が着物を着て微笑んでいる写真だったので、他に見られた所がないか画面をスクロールして確認し始めた。


「ダリアが見たのはこの写真以降だな。この辺りは確か……〝花嫁修行〟のくだりだっけ? だったら、地球の事について話してないから、セーフって事になるな」


 ヒビキはようやく胸を撫で下ろした。ダリアに地球の外についてのやり取りを見られてしまっていたら、今頃どうなっていたかとヒヤヒヤしていたのだ。


「あー、良かった……。これからは取り上げられても見られないようにデバイスの仕様を変えるぞ。マリウスに頼んでロック機能を付けないとな」


 今回の件で肝が冷えたヒビキは、誰にもデバイスを見られないようにすると誓いながら、〝グルヴェイグ〟が置かれている格納庫に向かって歩いていった。

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