九鬼龍作の冒険 美しき采女伝説
青 劉一郎 (あい ころいちろう)
第1話
鳥取県では一部の人の間に話題になっているのが、九鬼龍作である。鳥取県の日野市に住む歴史収集家である山名源太郎の別荘から、四種ある領巾の内の一つが九鬼龍作によって盗まれたのである。新羅国王の子、アメノヒボコが日本に渡って来た時に持って来たといわれる領巾が四種あり、《波振る領巾、波切る領巾、風降る領巾、風切る領巾》である。もともとは呪具として用いられたようで、今でいうショールで肩を覆うように掛けるようになっている。奈良県の正倉院の「鳥毛立女屏風」や薬師寺の「吉祥天画像」にもみられる。山名源太郎に家宝として四種の領巾は代々存在していた。九鬼はその中の紫がかった領巾一点を盗んで行ったようだ。もちろん、この情報は小原正治警視正に報告された。だが、警視正は、
「何だ・・・領巾とは?」
これが第一声だった。小原は時として九鬼がとんでもないものを盗むのは知っているが、この領巾は、彼には盗んだ理由が分からなかった。そういうこともあり、小原はわざわざ鳥取に向かう気にはなれなかったのである。
だだ、鳥取県の日野市ではちょっとした話題をさらったのは言うまでもない。
「鳥取に九鬼龍作が現れた・・・」
県警では捜査しないわけにはいかないので、蜂谷巡査長にその役割が回されたのである。
蜂谷巡査長はもちろん九鬼龍作を知っていた。あの人が鳥取に・・・始め信じられなかった。まさか鳥取に来ているとは考えもしていなかったのだが、ある日突然彼の前に毛並みのきれいなコリー犬が現れ、あの人が鳥取に来ているのか、と内心喜びを隠しきれなかった。蜂谷巡査長は、
「何かが起こるのは予想できたのだが、今の所どんな事件が起きるのか分からない」
のが、本心だった。
「ビビ・・・何処だ、何処へ行った?」
九鬼龍作は恥じらいもなく声を張り上げた。ちょっと眼を離した隙に、ビビがいなくなったのである。
(あの子には、弱ったものだ)
龍作は笑みを浮かべた。
「憎めないやつだな」
ここは鳥取県の南東部に位置する八頭郡智頭町であり、鳥取藩の宿場町である智頭宿として知られていた。新緑で眩しい山々が波打ち連なっている。それらは迫って来る迫力はなく、心地よい気持ちにさせてくれるのは、ふと、
(何だ、その心地よさは・・・)
と思ってしまう。今は八月の眠くなってしまうような陽射しが照りつけて来る。風も爽やかである。ごく当たり前の風景だが、それがぴったりの時間帯だった。
「もう少しで十一時か・・・」
龍作が今いるのは鳥取県の智頭急行線、恋山形駅である。駅全体がピンク色で、周りの深い緑とは真逆のような色合いで、ここに立った人の心持ちが落ち着かなくなってしまう。何という駅なんだと叫びたくなる色合いを呈している
「いい所だが、この色合いは異様だな。それに、落ち着かない」
「ところで、あいつは何処へ行った?」
まあ、そんなに遠くにはいかないだろう・・・という気持ちが、龍作にはある。
しばらくすると、何処からか猫の鳴き声が聞こえて来た。
「あっ!」
龍作は声のする方を探した。
「こんな所にいたのか」
ビビである。見ると、十代の女子に腕の中に抱かれていて、少女はこっちに近付いてくる。
「あの子と一緒だったのか。いつの間に・・・」
龍作は少女に近付いて、
「こんにちは!確か・・・龍作さん、九鬼龍作さんといいましたね。そこで、ビビちゃんと会ったんです」
といい、笑みを浮かべた。
「五月裕さんも、ここにいらしていたんですか?」
「はい、こんにちは!」
少女、裕は小さな顔をあげると、身体は細いが逞しさを感じる中年の男に眼をくりくりさせた。
五月裕は、ここ智頭町の生まれだった。
五月の家は、もともと智頭町の智頭駅から西を二十キロばかり行った日野町に住んでいた。千数百年前のことである。いや、もっと詳しくいうと、裕の先祖はその日野町に住んでいたのだが、いろいろな事情が重なり、諏訪神社の麓に移り住んだのである。だが、その理由は、今となっては大して問題ではなく、大切なのは、裕はここが大いに気に入っているということである。そして、ここが裕の故郷なのてある。
「ビビ、何処へ行っていたんだ、気まぐな奴だな。私のビビが迷惑を掛けていませんか?」
ビビは裕の腕の中から離れようとはしない。龍作と裕はホームの中に入り、ベンチに並んで座った。
「ビビちゃん、座るよ」
裕はビビを抱いたままである。
龍作は少女、裕の隣りに座った。彼の眼は勝手な行動をしたビビを睨んでいる。だが、ビビは少女に頭を撫でられて気持ち良さそうに、少女に甘えている。
「ここへはよく来るの?」
「ええ、そうです。退屈になったら、喜久磨くんと・・・」
「きくま・・・」
龍作はビビを抱いている裕から眼を離せない。可愛い・・・というより、美しい女の子であった。
(そうか・・・采女の子か)
龍作はそんなことを思ったりもした。
恋山形駅を出た所で若い男が道端の石ころをけっている。どうやら、その少年が喜久磨のようである。少年は余程退屈しているのか、手当たり次第に石ころをけっている。
「あの男の子が喜久磨くん?君の友達かい?」
「えっ、ああ・・・そうです」
裕はその方を見ると、にこりと笑い、
「そうです。喜久磨、坂田喜久磨くんです」
「君は高校生だと分かるけど、あの子は違うね」
「はい、去年卒業し、今は何もやっていません」
「そうか、いかんな」
龍作は不快な眼をした。だが、すぐに平静な表情に戻り、またビビを睨んだ。と、次の瞬間、彼は急に立ち上がり、
「ビビ、行こうか」
と、声を掛けた。ところが、ビビは、
フゥっ!
龍作に向かって吹いたのである。
「びっくりするじゃないの、ビビちゃん」
「ははっ、こいつ、怒っているな」
「仕方がないな。私は用があるので、失礼します。ビビを少しの間預かってもらえますか?」
「ええ、いいですよ」
ビビの機嫌はすぐに直ったようだ。
「何処へ・・・?」
裕は行こうとする龍作を呼び止めた。が、
「大切な用事です」
と、言うと、何処かへ行ってしまった。
龍作と入れ替わりに、坂田喜久磨がホームに来て、裕の傍に座った。
「何処へ行っていたの?」
「退屈だから、その辺をぶらぶらしてたんだよ。僕は、ここ・・・あまり好きじゃないからね。僕は君が好きで、こうして付き合っているけど・・・どう、僕と何処かへ行こうか?」
「何処へよ・・・」
「何処でもいいのさ。君と一緒なら、何処でもいいのさ」
こういうと喜久磨は線路に降りた。列車は頻繁に通ることはない。警報機が鳴ってからでも、余裕を持ってホームに上がって来られる。いつだったか喜久磨はぎりぎりまで線路が逃げないでいた。裕はその時にことをよく覚えていた。また、あんなことをやるんじゃないよね、と、裕は嫌な予感がした。
案の定、警報機が鳴り始めた。
「ほら。喜久磨・・・スーパーはくと号が来たよ」
それでも喜久磨はホームに上がって来ない。彼もスーパーはくとを確認した.。列車も警笛を鳴らした。線路に人がいるのをかくしたようだ。
「早く!」
ニャー
「何をやる気なの。何処まで我慢できるかって・・・また馬鹿な事しないでよね」
喜久磨は笑っている。
「馬鹿じゃないの」
裕は罵り始めた。
ビビは裕の腕の中で黒い目をくりくりさせている。
一日五本の普通列車ではない。それなら、いい。だが、そうではない。智頭急行のスーパーはくと号なのだ。
警笛がなっている。向こうでも異常な事態を確認したようだ。
「こら、喜久磨。あんた、死ぬ気なの!」
向こうは止まる気はないのか、スピードを緩めそうにもない。
「ああ、もう、ダメ!」
裕は九鬼がくれたショールに手を掛けた。何か・・・助けて欲しいことがあれば、そのショールに祈るといいよ、と九鬼龍作が教えてくれたのを思い出したのである。だが、何も起こらなかった。
その時、誰かが・・・喜久磨の前に現れた。老人だった。裕にはそう見えた。次の瞬間、その年老いた男の人が喜久磨を引っ張り上げたのである。
「あっ!」
裕の声が智頭の山々を漂う爽やかな空気に乗り、響き渡った。間一髪、喜久磨はホームに引っ張り上げられ、倒れ込んだ。
そこに立っていたのは、老爺だった。
「誰・・・あなたは・・・確か・・・」
裕の頭は混乱してしまつていた。
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