第22話 ワックスの魔導書

 トワイズ魔導図書館の中。そこは特に異変は無かった。

 怪しい人影は無い。もしかしてもう逃げられた後?

 私は周囲をキョロキョロと見回すも、怪しい魔力も感じられない。

 そこで魔導書達に知恵を借りることにした。


「みんな、なにか怪しい人影は無かった!? なんでもいいの、なにかった!」


 私はトワイズ魔導図書館の魔導書達に届くよう、胸を張って声を飛ばす。

 すると頭の中に魔導書の声が届いた。

 怯えた様子はないけれど、何か言いたそうにしている。


『イたよ!』

『おジイさんがキた』

『ランボウにユカをゴシゴシしてた!』

『でももういナくなったよ』

『ううっ、あのヒトキラい』

『ボクタチのことドウグイカでミてるよ』


 魔導書達の声が頭の中を順繰りに回った。

 よく分からないけれど、如何やら誰か来たらしい。

 だけど特に変なことはされていないようで安堵すると、私はホッと胸を撫でた。


「良かった。なにもされてないんだね……じゃあ、これはなに?」


 私は魔導書達が無事で安心はした。だけどこれは何? 視線を床に預けると、ツルッツルのピカピカに磨かれていた。

 何だか滑りたい。だけど滑っちゃダメそう。

 なんでこんなことになっているのかは分からないけれど、理性を本能が抑えられそうになくなると、私はウズウズしてしまう。


「いやいやいや、ここは流石に……」


 ここはまだ理性で勝てる。私はグッと奥歯を噛むと、踵を返すしてトワイズ魔導図書館を後にしようとした。

 しかしその瞬間、私は変な音を耳にする。ゴトン! と、硬いものが落ちる音が二階の方から聞こえ、私は踵を返した足を戻した。


「今の音……もしかして誰かいる!?」


 私は二階の方に誰か居るかもしれない。もしかすると隠れているのかも。

 そんなことになったら流石に手遅れになってしまう。

 貴重な魔導書を奪われてなるものかと、魔導書士としての正義感が無性に働いて、私は五回まで駆け出す。


 ツルッツルでピカピカの床を駆けるとなんだか気持ちが良い。

 そのまま階段の段差に足を掛けると、ここまでピカピカ。

 灯りが乱反射して眩しい程で、私は気分上々、息は少し絶え絶えで二階に辿り着く。


「よっと! 二階に到着……で、誰かいるの?」


 私は眉根を寄せて二階に隠れているであろう誰かを睨みつけた。

 鋭く尖った魔力を飛ばすと、これで威圧はできた筈。

 あまり得意ではないけれど、頑張って虚勢を張るも、一向に姿を現さない。

 階段の真上で立ち尽くしていても埒が明かないのか、私は仕方なく書架に近付いた。


「いるなら早く出て来た方がいいよ。変なことしたら、容赦しないからね」


 私は精一杯の脅し文句を口走る。

 完全に素ではなく作り出したもののせいか、非常に効果は弱い。

 ムッとした表情のまま書架の反対側に回り込む。音がしたのは多分この辺、三パーセントくらいでこの変だと思い足を踏み出した。


「アルマの魔導書……って、誰もいない」


 私は自分の魔導書を取り出して臨戦態勢を取った。

 きっとこの裏に隠れているはず。そう思ったのも束の間、誰も居なかった。


「魔導書? なんでこんな所に。もしかして、書架から落ちたのかな?」


 完全に取り越し苦労の私だったが、何故か本が一冊落ちていた。

 手にしてみると魔導書のようで、近くの書架から振動か何かが原因で落ちてしまったらしい。

 もしかして偶然の事故にビビった? めちゃくちゃ恥ずかしい。私は顔を赤らめると、誰も居ないで良かったと思いつつ、原因となった魔導書の名前を確認した。


「ワックスの魔導書? えーっと、なになに。名前を呼ぶとワックスを自動で掛けてくれる魔導書。へぇ、これは便利って……名前を呼んだら!?」


 勝手に発動されるタイプの魔導書。私は急いで手から放そうとしたが遅かった。

 魔導書が急に光り輝き、私は眩しさのあまり目を伏せる。

 同時に全身から魔力が失われる感覚に襲われ、「うっ」と嗚咽を漏らしてしまった。


「ま、まさか勝手に発動されるタイプなんて……しかも結構な魔力を持って行かれて……ん?」


 私は目を開けた。全身の疲労に苛まれてしまうが、それでも何とか立ち上がる。

 魔導書を読んだからにはきっと何か起きている筈。

 一体何が起きたのか。期待混じりに周囲を見回すも、特に変わった様子はない。もしかして不発? そう思った瞬間、失ったのは私の魔力だけで落胆する。


「なにそれ、ただ疲れただけだよー。はぁ」


 私は余計な心配に損をした。

 きっと全部が全部私の勘違いに繋がった偶然だ。

 そう思えば納得ができてしまい、私はヒノワ館長とマリーナさんとの待ち合わせ場所に戻ることにした。


「ん?」


 すると階段の下から視線を感じた。まるで私のことを射殺すようだった。

 突然の殺意に背筋をピンと伸ばすと、階段の下にはやはり誰か立ってい

 その人は男性。だけどお爺さん。何故か私を見上げると、苛立った目をして怖かった。



 あれから十五分。

 ヒノワは一人、トワイズ魔導図書館の前で立ち尽くしていた。


 待つのは決して嫌いではない。

 けれど性には合わない。

 腕を組んだまま、外観の壁を背もたれにしてジッと待つ。


 その度に指でトントンと組んだ腕を突く。

 リズムは一定で、その度にメラメラと燃え盛る魔力が渦を巻く。


 側から見ただけだと、何をしているのかは分からない。ただ苛立っている人にしか見えない。

 けれどそこにやってきた人物は違った。

 ヒノワの様子にいち早く気が付き、真っ先に声を掛けた女性が居た。


「あっ、ヒノワ館長」

「ん? やっと来たね、マリーナ」


 そこに居たのは私服姿のマリーナ。

 黒のワンピースが良く似合い、ヒノワの姿を見つけて駆け寄る。


 何処か申し訳なさそうな顔になる。

 それも仕方ない。マリーナはあくまでも職員で、上司である館長を待たせてしまったのだ。


 怒られるとは最初から思っていなかったが、マリーナは多少焦る。

 そこにはヒノワの姿しかなく、アルマの姿が無い。

 一人壁に背中を合わせる同じく私服姿のヒノワにマリーナは頭を下げた。


「おはようございます、ヒノワ館長。後、遅れてすみませんでした」


 マリーナは反省していた。

 丁寧なお辞儀をすると、ヒノワは手を前に出す。

 決して待ってはいない。そう言いたいのだ。


「気にしないの。それよりアルマは?」

「えっ? 来ていないんですか?」

「やっぱり」


 やはりというべきか、そこにアルマの姿は無い。

 ヒノワもマリーナも気にしていたのだが、こうも姿が見えないと不安だ。


 アルマが好奇心に身を任せてしまうタイプであることは、多少なりとも気が付いていた。

 あるだけ魔導書に詳しく、そして好きであるのなら間違いない。


 しかし時間まで見誤るだろうか? そんな筈はないと信じたい。

 だけど既に二十五分が経過している。

 連絡も無いのは不自然で、直近でトワイズ魔導図書館の扉が開いているのも引っかかる。


「マリーナ、確か今日は清掃の日・・・・だったよね?」

「えっ? あっ、はい。そうですね、清掃の日です。確か全体にワックスを掛けるって、用務員のウェルジさんが言ってましたよね」

「そうだよね。それなら、どうして扉が開けられているのかな?」


 ヒノワはマリーナの視線を誘導させる。

 トワイズ魔導図書館の扉。何故か開けられた跡があることを、マリーナも気付かされ、口元に手を当てる。


 驚いた声を押し殺すと、ヒノワに目を見開く。

 これは相当マズいことになった。

 ウェルジさんを怒らせるのは、大変危険だった。


「ど、どうするんですか!? もしアルマちゃんが間違って入っちゃってたら」

「その可能性もあるよね。うーん、ウェルジさんになんと説明したら」

「説明の前に怒り狂っちゃいますよ! もしかしたら今頃……」


 マリーナはゾッとした。ウェルジは魔法を使えないが、歳に似合わない身体能力の持ち主。

 自分の仕事に誇りを持っていて、それを踏み躙られたとなればきっとただでは済まない。容赦のない鉄槌が振り下ろされるかもと思い、ヒノワに救いを仰いだ。


「ヒノワ館長!」

「落ち着いて、マリーナ。まだアルマが入ったとは決まってきないし、私達が追い掛けても怒られる矛先を増やすだけだよ?」

「そ、それはそうですけど……」


 マリーナは黙らされてしまった。

 確かに一理ある言い分に納得せざるを得ない。


「それにウェルジさんだって、そこまで鬼じゃないんだから、子供相手なら許してくれるかもしれないよ」

「そうだといいんですけど……」

「そうだね。心配だよね。でも、少なくとも後三時間は中には入れないかな」


 今頃ワックスをかけている頃。

 となると、どれだけ早く見積もっても乾くまで時間が掛かる。それまでは中には入れないので、待ち某けるしかなかった。


「アルマちゃん」

「これも通過儀礼ってことで諦めてもらおう」


 マリーナもヒノワも心配していた。

 けれど如何にもならないので、諦めの言葉がよぎってしまった。


 本人の無事を祈ること。今はそれしかないのだから。

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