魔導書士アルマ・カルシファーの読唱

水定ゆう

プロローグ:過去

第1話 ある日の少女の記憶

 物心ついた時から、私は魔導書に囲まれていた。

 家の近くには両親が建てた二階建ての倉庫があり、その地下室に私はよく出入りしていた。


 あの頃の私は、幼い子供の好奇心に駆られていた。

 たまたまお母さんが地下室に入って行く姿を見つけて以来、私も勝手に入口を開けると、下へと続く階段を下りるようになっていた。


 ギシィギシィーー


 階段は木製で、魔法が掛かっているから壊れはしない。

 けれど小さな私が踏むだけで、ギシィと軋む音を上げる。まるで小さな悲鳴のようだった。


 だけど私は全く気にしない。

 好奇心旺盛だった私は、階段を下りると、そこに広がる景色に心を奪われる。


 一面を覆い尽くすのは、体力の本棚。

 そこに埋め尽くされるのは、大量の本。

 綺麗な本、汚れた本、解れた本に、何も書かれていない本。とにかくたくさんの本が収められ、本棚に収まらない分は、床の上に無造作に積まれていた。


 赤に青、黄色に緑と、とにかく色とりどり。

 私は目をキラキラと輝かせ、興奮が収まらない。


 もちろん普通の人達には何の価値もない。

 特に子供は本なんてつまらないはずで、興味の欠片も抱かない。

 けれどそんな常識が私には通じなかった。


 そこにある本達は自然の存在感を放つ。

 キラキラと迸る粒子を広げ、私に語り掛けてくれる。


「うわぁ、とってもきれい」


 私は言葉足らずでとにかく粒子に踊らされる。

 スッと手を伸ばすと、本棚に収まっていた一冊の本を手にする。


 自分よりも大きな本だ。

 真っ赤な表紙には難しい文字が書いてある。

 私には読めない。でも何故か解る。まだ開いてもないはずが、心と心で通じ合うような、不思議な感覚に囚われる。


「あなたはほのお? がだせるの」


 私は真っ赤な本の声を聴いた。

 だから炎が出せると問い掛けた。

 すると真っ赤な本は眩く光り、炎がボワッと出た。同時に私は少しだけ疲れる。


「うわぁ! ほんとうにでた。すごい、カッコいい!」


 私は興奮してしまった。

 急に炎が出たのもそうだけど、本から出てくるなんて思わなかった。

 子供の私にとって、それはとても不思議で好奇心をくすぐる。


 楽しいから他の本にも手を出す。

 もしかしたら他にも何かできる本があるかもしれない。

 だから私は積まれていたボロボロの本に手を出すと、語り掛けていた。


「ねぇ、あなたはなにができるの?」


 そう語り掛けると、本は答えてくれる。

 私の頭に直接答えてくれた。

 如何やらこの本は、部屋の埃を取り除けるらしい。


「おへやのほこりをとってくれるの! ねぇねぇ、やってやってやって!」


 私は本にお願いした。

 すると体の中から何かが抜ける感覚がして、疲れてしまった。だけど本は光り出し、部屋中の床や本の上に積もっていた埃が、一瞬にして消えてしまった。


 まるで初めから埃なんて無かったみたいだ。

 私は本の凄い力を目の当たりにする。

 もしかしたらここにある本は本当に全部凄いのかも、そう思って以来、私は定期的に地下室に足を運ぶことにした。


 そんなある日のことだった。

 私がいつものことながら、両親の目を盗んで地下室に足を運んだ。


 今日も本に語り掛け、凄いことをして貰う。

 そう思って本に手を触れようとした時、階段から足音が聞こえた。


 私はビックリしてしまった。

 だけど驚く必要はなく、階段を下りて来たのは優しい女性。そしてカッコいい、私の大好きな人だった。


「アルマ、そこでなにをしているんですか?」


 私は顔を上げた。本を取り出そうとした手を引っ込める。

 もしかしたら怒られちゃうかと怖くなる。

 それもそのはず、ここに私は来ちゃダメと言われていたからだ。


「お、おかあさん」


 そこに居たのは私のお母さんだった。

 滑らかで艶のある金髪に聡明な瞳。

 色白の肌にスタイルは抜群と、子供の頃の私ですら、お母さんは可愛くてカッコいいと分かっていた。


「ここには来ては行けないと言いましたよね」

「ご、ごめんなさい! で、でも、ここにあるほんたちすごいんだよ! ほのおをだしてくれたり、おみずをくれたりするの! わたし、ここにあるほんがすきなの、だから……」


 私は目を伏せてしまった。

 きっと何を言っても怒られるんだと苦しくなる。

 普段はお母さんは優しいけど、私が良くない時はとっても怖い。だからきっと今日も怒られるんだと思った瞬間、そっとお母さんの手が私の頭に伸びる。


「そうですか。やっぱりアルマはお母さんの子ですね」


 そう言うと私の頭を撫でてくれた。

 怒られるのかと思った私は顔を上げる。

 お母さんの表情はムスッとしていなくて、むしろ穏やかな表情をしていた。とっても嬉しそうだった。


「おかあさん、おこらないの?」

「怒る? どうしてですか?」

「だ、だって、ここにはきちゃダメだって!」


 私はお母さんとの約束を守らなかった。

 ここには来ては行けないと言われていたはずなのに、それを破ってしまった。


 なのにお母さんは怒らない。

 だから怖くて仕方がなく、心が震えてしまった。


「本当は来では行けませんよ。でも、お母さんは自分から進んでここに足を運んでくれたことが嬉しいです」

「うれしいの?」

「はい。ここに保管されている本は魔導書と言って、かつては存在していた魔法を記した書物。その原本がほとんどです」

「まどうしょ?」


 お母さんは淡々と話してくれた。

 だけど話の内容はさっぱりで、私は首を捻る。

 でも凄い本だとは気が付いていた。凄くてカッコよくて、あったかくて、気持ちがある。

 私は大好きになれものの一つだった。


「そうです、魔導書です。それにしてもアルマはやはり魔導書と相性が良いんですね。お母さんと一緒です」

「おかあさんといっしょ。嬉しい!」


 私はお母さんと一緒で嬉しかった。

 両手を天井に突き出すと、キラキラとしたものが魔導書と呼ばれた本達から迸る。

 みんな歓迎してくれているようで、お母さんはビックリしていた。


「魔導書がアルマと共鳴している? まさかここまで似ているなんて……アルマ、魔導書が好きですか?」

「うん、だいすき!」

「そうですか。では、お母さんと一緒に勉強しますか?」

「べんきょう? ……する!」


 私は勉強が嫌いではないけど、好きでもなかった。

 だけどこの時はお母さんと一緒に居られるだけで嬉しかった。


 春になったらまた忙しくて、お母さんは街に行ってしまう。

 そんな寂しさが限界になり、私は少しの時間でもお母さんに甘えたかった。


「そうですか。ではこれから毎日、魔導書について勉強しましょうか。それがアルマのためになるなら

「はい!」


 私は大きく元気の良い返事をした。

 それからと言うもの、私はお母さんと一緒にこの地下室に何度も何度も足を運んだ。

 それはほぼ毎日のようで、私はたくさんの本に囲まれた。


 ここは地下室に作られた書斎だとお母さんは教えてくれた。

 古今東西あらゆる場所から集められた魔導書やそれに関する資料が保管されているらしい。


 だけど当時の私にはそんなこと分からなかった。

 少なくとも、魔導書の価値なんてさっぱりで、私にとっては、お母さんに甘えられて、ここにある本達と語り合える大事な時間と場所だった。


「この魔導書は精霊フェニックスのことを記したものなんですよ。フェニックスは契約者に不死身の炎を授けると言われているんです」

「カッコいい!」

「カッコいいですか。確かにそうですね……アルマ」


 お母さんはいつものように魔導書の説明をしてくれた。

 読み聞かれると一緒で私を膝の上に抱えてくれた。

 そんな中、お母さんは口をつぐんだ。それから溜めを入れ、ゆっくりと私の名前を呼ぶと、私も首を捻って振り返る。


「なーに、おかあさん?」

「アルマは魔導書が好きですか?」


 変な質問をされてしまった。

 ここまでどのくらいだろう。きっとたくさんの時間、春になるまでの間ずっとお母さんに魔導書のことを教えて貰った。


 そのおかげで少しだけ分かって来た。

 だから私は迷わなかった。


「うん、だいすき! でもおかあさんのほうがもっと好き!」

「あら、お母さん嬉しいわ」


 私は笑顔で答えた。その答えに迷いはなく、嫉妬したわけではないのだろうが、魔導書達が光を放つ。

 私とお母さんの周りを取り巻くと、お母さんは更に続ける。


「じゃあアルマ、お母さんのお願い聞いてくれる?」

「なーに?」

「これからも魔導書を好きでいて、それから大切な人達を守れるような、愛しめるような人間になって。それがアルマがしたいことなら、私が手助けしてあげる。例えば魔導書士になるとかね」

「まどうしょし?」


 聞きなれない単語に私は首を捻る。

 お母さんは「ええ」と答えると、私の頬をそっと抱きしめた。


「お母さんはいつでもアルマの味方。だから、アルマがしたいことをして、素直に生きて。それが約束、できる?」


 お母さんは真剣そのもので私に伝える。

 言葉の重みなんて分からない。意味なんて知らない。

 だけど私は少しで応えようと思い、思いっきり声を上げた。


「うん、やってみる!」


 私は迷わず答えた。

 するとお母さんはホッと一安心した様子で、私のことを聡明な眼で見つめる。

 その温かみに触れ、私は気持ちがスッとした。

 嬉しくて楽しくて、魔導書達の声も生き生きとしていた。

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