第参話 願ってもないことは実現しない

 黒い髪の毛に絡まって寝息を立てる珍獣フェルネを乗せた少年は、ひくひくと顔を引き攣らせていた。

「新芽がっ、秒で紅葉して枯れていく。命の循環が、早すぎる」

 植物の一生が、瞬く間に駆け抜けるひとときは、通常の一年分にも勝るだろう。

 あまりの変貌ぶりに理解が追いつかない少年と、その様子を見守る少女は、絶えず降り注ぐ黄色い落葉の絨毯の中を歩いていく。辺りの景色はすっかり秋の模様に移り変わっていた。

「ねぇさぁ、これは一体、何がどうなってるの?」

 これまでの個性的な植物の特徴、変幻自在の虹といった怪奇現象に共通する原因が、ひとえに魔法と言われても、無知な少年には理解できるはずもなかった。

 一体どういう仕組みや理屈で、魔法は成り立っているのか?

 鋭く熱い視線を向ける少年に反して、リナは軽くあっさりと答えた。

「魔法はね、変素へんそ願素がんそ望力ぼうりょくで起こす現象だよ」

 ――は?なんかいきなり専門用語が出てきた。

 混乱する少年の方へと向き直り、リナは得意げに話し始める。

「まずね、世界中に存在する万物を形作る最小物があるの、それが変素!」

 物質構成の最小単位、変素はつまり原子、または素粒子にあたると――。

「そして次に、ああなりたい、こうしたいという独自の志向性を願素と合わせることで、幻想を実現させる素。通称、魔素ができるの」

 願素を足して魔法の素が出来る。複数構造になり性質を示せるようになった――魔素が変素と決定的に違うのは、既に魔法として影響を及ぼし、現象を起こせる所。この世界における分子か?

 結晶を踏み砕く音が鳴り、二人の前を、四足歩行する巨大な獣が通った。

 四足と首を伸縮自在に伸び縮みしている生物が、群れを率いて高い場所に実る果実を長い舌で舐め取っている。高さは最小で三十メートル程で、強固な蹄で結晶を踏み砕いて悠々と散策していた。

 その背中には、扇状に広げた大きな飾り羽根に、絡みつく植物の葉が、絵画を思わせるあまりにも美しい模様で着飾る鳥達がいた。

「高い所に届きたくて足と首を伸ばせるトロスツェルカ。魅力磨きの烏美うび。こんな風に、動植物にも魔素は影響を与えるの」

 ウビという鳥には模様に対する拘りが強く、あたかも集中線の中央で己の迫力を演出するもの、ダンスで動きを見せるもの、音を鳴らして自己主張する個体もいた。広げられた扇形の飾り羽に絡みつく植物が、網目模様、幾何学模様と色彩豊かに装飾を施され、鳥の魅力に箔を付けている。

 自身の飾り羽で生け花をするウビは、移動をトロスツェルカに任せ、取りこぼした果実のおこぼれに預かりながら、自身の芸術性と魅力を競い合う。

 ここでは、植物と動物が共存関係にある。

 この景色は、植物が化学的に、動物が本能的な願素が濃縮され、具現させた変化の形だった。

 魔法になる前の魔素ですら、無限の可能性を秘めていた。

「自由度の高い影響力だね」

「ただ、魔素は集まるほど不安定になり崩壊してしまうの」

 口元に手を添えて考えに耽る少年は、あの猛禽が作った虹の道もすぐ霧散していた事を思い出す。

「魔素を完全な魔法にする為の三つの要素、それは量と質、そして速さが重要なの!正確に精密に確実に望みを操る力――それが望力!実現したいと望む力が魔法を育む。変素、願素、魔素、望力という魔法にする力を総称して魔力と呼び、到達した時、初めて魔法が起きるんだよ!」

 リナの説明から受けた魔法の印象が、ファンタジー寄りというよりは、意外と現実的で泥臭く、少年は少し幻滅した。

「なるほどね~人だけでなく動植物も。だとすれば、進化もまた緩やかな魔法という訳か」

「理解が早いね。少年君」

 さも感心したかのように、リナは少年を見た。


 少年は、聞いた説明を自己流に軽くまとめて、魔法の起こし方を二段階に分けた。魔素を作る事、魔法に起こす事。即ち魔法は、願望によって作られると――魔法への理解をそう結論付けた。

「あの倒木を浮かせたのも、重力軽減っていう魔法だよ。他にもあるんだ、見てて。≪風見鳥かざみどり≫」

 そんな彼を見守るリナは、両の手のひらを合わせて出すと、小さな旋風を巻き起こした。

 風はみるみるうちに収束して、小鳥の形を模して飛び立った。

 小鳥は、大木の枝葉を縫う様に飛び回り、トロスツェルカにも届かない場所の芳醇な果実を集め始めた。

「風でできた鳥を使役する魔法か!いいな〜魔法って便利そうでさ、羨ましい」

「そのうちできるようになるよ。楽しみだね、少年君はどんな魔法を覚えるのかな?」

 無理だな――そう思った少年だが、口には出さずに気を取り直して、次の質問に取り掛かった。

「じゃあさ、この透明な物は何でできてるの?」

「ん?あ、これは世界樹が作った糖!糖面っていって、この世界の足場は全てコレだよ」

「この結晶体が、大地全部が、糖だとぅ!?樹液?みたいなもんが、この大陸並みの樹を覆うほどに!?」

 空から見た地平線を思い起こし、少年に戦慄が走る。

「なんで、糖の床面?」

「ん〜と?そうなってるからとしか……」

「あぁ。確かに」

 なんで岩石の大地なの?と聞かれても、そうだから。としか言えないだろう。

 そういえば落下の衝突時に粉砕した鉱物、あれも糖の一種だろうか?

 嫌な予感がした少年は、その疑問をひとまず横に置くことにして、周囲を見渡し感嘆の息を漏らす。 

 すると、役目を果たした風の小鳥が手頃な大葉っぱに集めた果実を包んで、透明な床の上に置いた。

 置かれた果実はとても良い匂いを放ち、思わずかぶりつきたい衝動を呼び起こす。

 すると、すぐに群れの中でも一際大きな一頭が誘われるように近づいて、伸縮自在の首を下げながら短くし、舌で葉の器から果実を舐めとる。

「さぁ少年君!この樹の上まで登るよ!」

 夢中に食べている隙に、リナは軽い足取りで獣の頭の上に駆け上がる。

「へ?」

「歩きだと数日経っても着かないからね!ほら!早く!登って!」

 いきなり襲いかかる無茶振りに、常識に勝る非常識はないと悟った少年は、断絶された距離を感じつつも、リナと同じ足取りで駆け上がる、事はできなかった。

 素人がすぐに登れる訳もなく、滑り、手間取り、何度も顔面を足蹴にしてしまった。

 鬱陶しさを感じたのだろう。トロスツェルカが振り払うように、勢いよく頭を上げる。

 その動作は、二人を飛ばす即席のジャンプ台となった。

 血も涙もない洗礼に「ぴぎゃ〜〜!?」と絶叫しながら猛烈な勢いで弾かれた少年は、何かに服を引っ張られている事に気がついた。

 風の小鳥に樹の上まで誘導されている。小さな体躯なのに、とんでもない力を持っていた。それは風を内包した重い空気の流れ。大気圧の塊が、打ち消しあう均衡を一方的に破棄して得られる力の奔流だ。

「はい到着!じゃあ少年君、ちょこっと萎れちゃってるけど、これに乗って!」

 下を覗き込むとトロスツェルカが小さく見えるほどに高い枝の上に着くや否や、リナは樹皮にへばりつく少年を捨て置き、近くにあった扇状の黄色い葉を一枚手折って戻ってきた。

「葉?何それ?じょ、冗談だよね?」

 青ざめる少年をいとも簡単に引き剥がした風の小鳥は、人が一人眠れる広さの葉の上に無理やり乗せると、空気に溶けて消えていった。

 風見鳥を解いたリナは、今度は重力軽減の魔法を葉にかけて、少年ごと宙へ浮かした。

「とにかく早く掴まって!落っこちちゃうよ?」

 さっと飛び乗る少女は、とんとんと肩を叩いた。

「えェッ!?わかった!何があっても絶対にこの手は離さないから!」

 躊躇う暇すら与えられず、こうなれば死なば諸共と意気込む少年は、肩に手を乗せてギュッと強めに掴んだ。

「ゔぉぅ!?い……意外と強く掴むね。うん、遠慮しなくていい感じ!じゃあ行くけど、いい?」

「ぃ、やっ、ちょっと待ってェ!まだ!?てかやっぱ無理!一旦、降ろしてぇ!」

 握力のみで飛行する身体を支えるなど無理がある。ましてや身じろぎ一つで飛ばされ落ちる自信が少年にはあった。

 しかし、リナは涼しい顔で「いいけど、もう飛んでるよ?」と、応えた――

 目を開けると、既に少年達は遠い空の彼方だった。

「へ?あぎゃああッ!?」

 風一つ吹くだけで身が捩れ、精神が削れるような戦慄に喚き散らす少年を「大袈裟だなぁ〜」と、リナは半ば呆れ顔ながら、片手を添えてくれていた。

 高く怖くて身がすくむ。

 飛行は自由落下とはまた違う格別の恐怖だった。重心が常に安定せず、震え一つで平衡感覚が暴走して目眩を起こす。

 もし転げ落ちれば、彼女にも危険が伴う。その連帯責任感が、更に少年の体をより強張らせた。

 精神に限界をきたす懸念はもう一つ、あの猛禽が来たら、襲われない保証はどこにも無い。そうなったら、彼女はどうなる?


 その時、少年の重苦しかった心が、ふわりと軽くなった気がした。


「平気。落ちない。落とさない。だから、ね、ぼーっと遠くを見るんだよ」

 囁くようなリナの言葉に、逆らう気が全く起こらなかった。

 ようやく少年は、リナの肩越しに前を向いた。

 時折、雲がかかる樹上にも、数多くの動植物が生息していると見て取れた。

 もこもこと生い茂る綿状の植物が体毛の代わりをして、本体が見えなくなった毛玉のような生き物。

 袋のような形状の葉に、ぎゅうぎゅう詰めになって密集し、モゴモゴと蠢く細長い獣。

 そして、籠状の樹の窪みの中に、咲き誇る花々を体毛に生やした猿がいた。本物の植物の衣装の猿は、大小様々な種類の果実を片手に、腹を出して寝入っていた。衣食住を植物によって完備されている様子は、さながら王のような贅沢な生活を送っていた。

 この区域の動植物にはまるで常識のように、身体中に植物を宿して張り巡らせていた。植物からエネルギーを譲渡される代わりに、安全な場所を提供する形の共生も、魔素による特異的な特徴だろう。

「重力軽減ってさ、どれくらい軽くなるの?」

 気がつくと、少年の声色に恐怖は混じっていなかった。

「少し浮かぶ程度かな?自由に飛び回る事はできないけど、けっこう便利だよ」

「ずいぶん汎用性が高そうだけどさ、願って望めば、魔法ってどんなことでもできるの?」

「願ってもないことは実現しない――残念ながら、できるけどできないよ」

 怪訝な表情の少年を見て、リナは朗らかな微笑で続ける。

「空を飛びたい、風に乗りたい、物を作りたい。そんな純粋無垢な願いだけが、魔法という奇跡を呼び起こすの」

 リナは、風の小鳥を生み出して、少年の方へ飛ばした。

 小鳥は激しく少年の顔面へとぶつかると、無風のまま消滅してしまった。

 全くの無害で腑に落ちた少年は、「なるほど」と言って頷いた。

「つまり火が好きなら火の魔法が使えて、水が好きなら水魔法で、その逆は無い。と?」

 火が好きな者が水の魔法を使いこなすことはできない。つまり、風が好きなリナには、火も水の魔法も使えない。そして、危害を加えられるか否かも、性格によって決定される。

「そうだよ。幼いうちは移り気で、ふわりとした願いでいろんな弱い魔法を使えたりするけど、成長につれて精度が高くて強い魔法はひとりひとつ程度にまで収束するんだよ」

 そして幼少期ならば低次元の器用貧乏、成人ならば先鋭化されて、高次元の強い願いを持つが他を願わなくなる。そして、大人になると新しく作れないのは、夢を見なくなるからだろう。 

 攻撃魔法、防御魔法、支援魔法と種類は多かろうが、どれに特化するかは本人の気質、特性、個性次第という話。そして、一点特化型の魔法より、複数持ちは、性能面が弱くなる傾向がある。好きこそ物の上手なれ。つまり、その人を知りたければ、使う魔法で一目瞭然、という訳だ。少年はこの情報が、核心であると理解した。無論、その中にも例外はいるはずだ。特に業の深いもの、幼少のまま大人になった者は、強い魔法を複数使いこなすかもしれない。 

 この情報は必ず役に立ち、他にも応用は効くはずと、少年は強く肝に銘じた。

 リナの説明を整理して頭に捩じ込みながら、少年はアイツの事を訊ねようと口を開く。

「話は変わるけど、イーリスっていう虹を纏った猛禽は、なんで僕を目の敵にして襲ってきたの?」

 それを問われたリナは、やや困り気味に眉を顰めた。

「昼の護守もりかみ虹王こうおうイーリスフォーゲルは≪虹装天武こうそうてんぶ≫でどんな悪しきも退ける森の守り手。でも、あそこまで荒ぶってるのは初めて見たよ。もしかして、少年君は悪い人なの?」

「さぁ?僕が知りたいくらいさ」

 原因も分からず、殺意を向けられて、肩をすくめる少年。

「あの……ね、空から人が落ちてくるなんて、私達にとっても前代未聞なの。だからなにも分からないんだ。ごめんね」

 ぎゅっと握ったリナの手から申し訳なさが伝わり、少年は首を振る。

「ううん、別に気にしないで」

 とは言え、なぜここへ来たのか?という、そもそもの疑問に対する解えを得られると期待した少年は、流石に落胆を禁じ得なかった。


 大空に舞う風を受ける二人と一匹は、夕日に照らされて飛んでいく。

 無言。しかし、少年はそれを苦にしなかった。 

 肌を撫でる涼やかな風に、妙な親しみを抱く。

 風が体を撫でる感覚と朱色の光に照らされて、僅かな風情を感じる。

 この不思議な世界で、頭に乗っかる重さと彼女の存在感だけが、少年の心細さを和らげた。


 僕は、ひとりじゃなかった。


「ふぅ……」

 一息とはいえ、やっと安心した少年は思わず感傷に浸る。

 リナを見ていると、どうにも精神的に良い影響を受けている。この無自覚に染み入る安心感。無条件に信じてしまう警戒心の消失は、これもある種の魔法かもしれない。

 しばらくすると、ある一定の境目で、滑空する大きな鳥たちの姿が次々と消えていく。少年も何度か確認していた透明の境界線だと即座に気づいた。しかし今度のは、明らかに異質だ。消失したのはなぜか?夜になる前に鳥たちは巣への帰る途中のはず、わざわざ集団で死にに行く訳はない。有害ではなさそうだが――しかし、謎の消失現象が、少年にも適用されるとは限らない。余所者だけ別の場所に飛ばされる懸念は、現状、否定できない。

 かくも確かな決定事項は、このまま突っ込めば、二人と一匹も同様に消えてしまうだろう。

「あの、これ……」

 不安がる少年の心配をよそに、にっこりと笑顔を向けるリナ。

 彼女の判断に疑念を抱くのは、今後に良くなかった。そして、何の根拠もないが、少年は既に彼女に対して疑いを持ちたくないと思い始め、静観を決めた。

 少年達が、透明の領域を突破する――すると、また景色が変わり、細長い葉が集まって連なる縦長の木々が群生するようになった。針葉樹林といっても、不適切では無いだろう。どれもこれもニョキニョキと伸びて細長い形状をしていた。

「お待たせ。ここが目的地だよ!」

 真っ先に少年の目に入ったのは、密集して立つ針葉樹林、ではなく、その樹々の下の方に絡みつく黄色の物体だった。糖の地面いっぱいに垂れ流されていたそれは、例外なく固形化しているようだった。 

 その中で更に一際目を引くのは、一本だけ青い色をした特別な物体が付いた木があった。

「この黄色いのも糖かい?あの青いのも気になるけど」

 糖にもよく似ていたが、色と透明度が違って見えた。

「琥珀だよ。普通は黄色だけど、稀に陽光を浴びると青色になるものがあるの。それが私達が住む宿木の目印!だから夜だと見分けがつかないんだ」

 リナ達の進行方向にある樹は、まるで青空を閉じ込めたような青い色で、まさに異彩を放っていた。

 ――だが、少年には気がかりが一つ。

「一族の居住区にしては、随分と細いね」

 縦には長いが、横幅が十メートル程度しかなく、今までの樹の中でも特に小さかった。

「外からだとそう見えるけどね、中の空間を広げてるから大丈夫!」

 朗らかに笑うリナの言葉は、再び少年の神経を研ぎ澄まさせた。

「ね、少年。なんで鳥達がいないか分かる?」

 少年は、リナにそう問われた時、定められた手順があると気づくが、悪戯心から首を振った。

「適切な場所で、適切な速度と角度で、定められた動きをすると入れる。でないと、反対側に出るだけ。鳥達はみんな、向こう側に行ってるんだよ」

「動植物の侵入を阻み、余所者返しにもなってると。よく考えられているね」

 この時点で、空間を操り、転移魔法があるということを少年は理解した。

 ここへきて、魔法の頻度が明らかに増えてきている。

 懐疑的に思考を働かせる少年は、注意深く宿木を凝視した。彼ら、カラフルとやらの本拠地である宿木と呼ばれた針葉樹は、自然に生えた普通の木と違いは見られなかった。大勢が暮らしている雰囲気なんてとても感じられず、そのことが俄かには信じ難いと眉を顰めた。

 これが真実であれば、とんでもなく繊細な作業とかなりの警戒心と注意力が必要だ。

 そして、同時にある事実を露呈していた。

「さあ少年君!先に降りて!」

「んは?」

 いつの間にか、浮遊する葉は宿木の中腹にある大きな枝の上で静止していた。

 リナは風が無い事を確認してから、少年の方へと向き直る。

「えちょ、マジで言ってる?」

「実はこれ、ただの落ち葉だから、垂直下降が難しいの。最悪、乱回転して落ちちゃうよ?」

 激しい動揺を隠せず、頭にくっつく小動物を振り落とす勢いで、少年は首を振る。

「いやだからって、ここからァっ!?無理無理!絶対無理ィ!せめてもう少し高度下げてよ!?」

 真下の枝と少年の距離は約十メートル、人が飛び降りるには、結構な恐怖を刻み込ませた。

「そうしたいけど、もう日が暮れちゃうから、とにかく降りて!」

 最初こそ温和に見守っていたリナは、こそこそと逃げ回る少年の背後に回り、彼の両脇に腕を通して抱き寄せた。

「動かず身を委ねてね。≪重力軽減≫!」

 往生際の悪い少年の無防備な背中に、説明や前触れもなく魔法を施したリナは、その後、ゆっくりと手を離した。

「えェ?浮いたァ!?ちょっマ、これどうすればァっ!?……うぉう!?」

 少年の体が宙に浮かび上がった。髪の毛の先端が静電気を帯びたように上向きになる。

 慌てて戻ろうとするが、空中にいながら体勢を維持する事がやたら難しく、一度手を振るだけで少年は制御不能に陥っていた。

 振り回した手をリナに掴まれ、そのままぐいっと引っ張られ、強制的に葉から放り出された少年は、羽毛みたいにゆったりと落ちていった。

 問答無用で突き落とされた事実に、多少の不快感を抱いたものの、少年は貴重な魔法体験中である事を思い出し、咄嗟に思考を切り替えた。

 宙を舞う間は、言われた通りに不動を貫いた。少しの動きで気流が生まれ、明後日の方向へ飛んでいくのは、先ほど学んだ。

 足がついた瞬間、浮かびたいと強く念じてみると、高さこそ激減していたものの、再び宙へと浮かび上がった。

「へぇ……かけられた魔法なら、僕にも多少は操作出来るのか」

 一度かけられた魔法なら、その影響下の少年にも、逸脱しない範囲内で、微調整が可能。

 だが思考がぶれたことで、重力の影響が強まった。

 今度は、深呼吸を一つして、少年は願いを断ち切ると、重さを急速に取り戻して着地した。

 その瞬間、リナの魔法は役目を終えたようで、再度願っても、何も起こらなかった。

「これは……想像以上に難しい技法だ」

 魔法の根幹を担う願素と望力を十全に生かすには、かける方とかけられる方にも、雑念を廃した純粋さが必要。次いで望力、思念は基本的に抱いた瞬間が最も強い。以降は、衰えて濁り、感情の維持すら困難だ。質速量を巧みに扱えば、効果の強弱は緩急がつけられて、良いフェイントになるし、弱さを偽装できる。いずれ実戦で役立つだろう魔法技術だ。

 願えば叶う魔法は、簡単であるが故に奥が深いと事を理解した少年の隣に、リナが降りてきた。

「はい!じゃあ、ちょこっと待っててね。≪風見鳥≫この葉を元の場所へ!」

 リナの手の上に編まれた風が固まって集まり、三羽の小鳥の姿へと形を変えた。

 可愛い小鳥達を模した風が、リナの望みに応えるべく、一糸乱れぬ動きで飛び立ち、黄色い葉を咥えて飛び去った。

「元の場所に戻すのは、紅葉した葉がここに無いからだね」

「うん。人為的な痕跡は、特に注意が必要なんだ」

 彼女の含みを持たせた言い分に、敢えて少年は閉口した。

「それで入り口は?どこにも見当たらないけど……」

「普段は飛扇ひせんっていう乗り物で飛んで出入りするんだ。入り口は日暮れに閉めちゃうから、それまでに帰宅する掟があるの!私たちは破っちゃったけどね!」

 リナは手本を見せるかの様に、扇子を開いて右へ左へと動かした。

「さて少年君。これから宿木の中にあるカラフルの都に入るけど、守ってほしい約束があるの。とにかく私以外の人とは話さず、離れないでついてくる事!出来ないなら玄関口で待っててもらいます。みんなが君に好意的じゃないから。ダメかな?」

 少年は小さな頷きで返した。

 同意を確認したリナは、竹で作られた小指サイズの笛を取り出した。楽器の音色に特別な意味を持たせるのは、どこの文化、文明も同じな様である。

 凛とした甲高い竹笛の旋律に反応して、樹幹が急に立体映像のように透き通り、光のベールを下ろしたトンネルのような出入り口が唐突に現れた。

「なにこれ、立体映像?」

「これはね、樹の一部を一時的に光に変えて、通り抜けれるようにしてるの」

 ――物を光に変換できるだとっ!?なにそれ!?なんて発想!?ヤバすぎる!?こんなの対処しようがないぞっ!?ファイヤーウォールならぬ、ライトウォール。もし攻撃として生身に使われれば、波長の光はその場に留れず、バラけて即死。防御として活用すれば、どんな物理攻撃も光に質量はないから実体を失い影響を例外なく遮断する。まさに、攻防一体の超常現象だ。

「これは最上位魔法。本来、私たちには使えない過ぎた力なんだけど、コルトさんが誰でも使えるようにしてくれたの!」

「なるほど。コルトさん、ね」

 特に一番やばいのは、こんなのを願った奴だ。あの猛禽以上の脅威に違いない。最大の注意と警戒をせねば……。

「魔法は基本的に、最下位、下位、中位、上位、最上位の五段階の位付けがあってね。そよ風を起こす物から、天災規模に至るまであるんだよ」 

 それを聞いた少年は、冷静に緊張感を高め始めた。自由に天災を起こせるコルトと呼ばれる人物が、この集落の指導者かつ一番の実力者だと判明した。

 更にこれまでの情報から、少年は重大な事実の裏付けと確信した。

 痕跡を徹底的に消して隠れ潜む樹中生活に隠し扉に厳格な門限。


 間違いない――彼らは、何かを恐れている――


 光と化した樹の中を通る二人は、宿木内部のトンネルのような玄関口を通り抜ける。

 その際、細胞のような長方形の空間に、泡の様なものがぎっしりと詰まっている。衝撃吸収か、断熱材を使った防災構造だ。支柱は何本も交差して張り巡らされており、元々の針葉樹の作りをさらに人工的に強固な物へと変貌していた。耐震、耐熱に強く密封性にも優れ、物理的にもしっかりと対策がなされている。その厳重さは、如何なる災害にも耐久性を獲得しており、大規模爆発が起ころうと、この樹はシェルターの役割を十分にこなすだろう。

 この設計を考えた者の凄さに感心していた少年は、直後、驚きの光景を目の当たりにした。

「ぅわぁっすっげぇッ!……壮観っ!」

 悠久の時が育んだ樹木の空洞には、血管が張り巡らされたような蔓の壁が樹の皮を何重にも補強していた。

 分厚い木の床が節のように足場を形成しており、何層にも渡り等間隔で天井になっている。広さは一階層で縦横高さで一キロメートルもあり、外から見るより何倍も広かった。

 中央に聳える魔法によって駆動する風の通り道は、飛来する花びらに乗るだけで上下階層に移動できる主要の手段であろう。同じ所をぐるぐると循環して上昇下降する様子から、少年は勝手に花エスカレーターと呼ぶことにした。

 少年の目の前を通り過ぎる赤い髪の人、琥珀の滑り台で遊んでいる青い髪の人、小鳥たちに囲まれている緑色の髪の人と、まさにカラフルな色に染まる人たちが生活していた。

「ほら!壁に引っ掛けてるのが飛扇。それぞれ固有の柄で同じ物はないの。見るだけでも楽しいよ!」

 新しい情報の氾濫で生返事しか返せない少年は、凝った内装の芸術的工芸品に、ただ息を呑むばかりだ。

 リナの指さす方向には何人かが集まって、飛扇とやらを乗りこなしていた。

 見た目は完全に巨大扇子だ。紙製から細い糸を編み込んだ物まで様々で、金色のような、ごうしゃなものから、風光明媚な自然の一幕など、華やかな色柄が先の方へ徐々に末まで広がっていく。

 その一番の注目点は、飛扇が風を受けたり傾きが変わると、不思議なことに描かれている柄も動いたことだ。草木は揺れ、模様は様変わりして、動物は生き生きとその姿を魅せた。

 いくら鑑賞しても飽きない工夫だ。

 さらに少年が、目を丸くしたのは、その飛行だ。その御技は目を見張るものがあり、その場一回転や側転なんて可愛いもので、中には複数個を同時に操って曲芸じみた飛行を見せ合っていた。

「すごいでしょ?そのうち、少年君にも覚えてもらうよ」 

「リナさん、あれを……覚えろと?年単位かかるぞ……」

「何もそこまでしなくても……その場飛行さえできればいいんだよ」 

 打ちひしがれる少年をよそに、花エスカレーターは更なる上層へと向かった。

 途中、階層を跨ぐ間に、巨大な龍を模った木の彫像のようなものがあった。 

 あれは、記念碑?それとも戒め?ここでの悪魔のような恐怖の象徴なのかな?もしあれが動き出したら。無事に明日が来るとは、限らない。そんな脅しで警戒心を養う目的かもしれない。

「あれは御伽話に出てくるんだよ。みんなが安心しない様に、密かに不定期で動かしているんだって。コルトさん渾身の作品だよ」

 またコルトか――謎の人物への関心を強める少年が花の上から集落を眺めていると、目の前を何かがヒュッと通り過ぎた。

「ぇえっ、物が飛んでる!?あの下にある丸いのってシャボン玉じゃね!?」

 大きな泡に飛ばされて縦横無尽に荷物が運ばれていく様子を、少年は身を乗り出して見下ろした。

風輝球ふうききゅう。押し込んだ反発力で物を運ぶんだ。角度の初期設定が難しいけど、安定したら割れない限り、何度でも使えるよ」

 見るのは二度目となる少年は、ただ純粋な好奇心を駆り立てられて、覗き込む。

「ねぇ――僕、あれに乗ってみたい!」

「危ないよ?かなり経験が必要だし、角度が少しズレただけで壁に激突、なんて事にも……」

「無理だやめた諦めよう」

「即断っ!?」

 まるで観光案内のように和気藹々とはなしながら最上階まで来た二人は、緩やかに花エスカレーターから降りた。


「ここがカラフル一番の要所。極彩社ごくさいしゃだよ」

 それは昔の武家屋敷みたいな建物だった。真っ直ぐと伸びる道。小さな白い砂利が敷かれた道の両脇には、石の台が等間隔に置かれて、上には、石像が置かれていた。真ん中に構える木造の大きな五階建ての家に、周りにはリナが供えた七色の花が並んだ花壇で囲まれていた。

 ここより上の樹の先端は細くなる為、建物はそれ一つだけだった。

 この光景を見た少年は、どうしても疑問が残った。

「趣きがあって、良い屋敷だ。けど、極彩というには……その……」

 素材そのものの彩りである茶色ばかりで、極彩色を銘打つ建物とはとても思えなかった。

「無駄な豪華は不必要だからね。それに煌びやかじゃない方が親しみやすいし、手直しも楽!」

 それまでは気さくなリナだったが、振り向くと急に笑うのを止めた。

「では少年君、今から余計な事は絶対にしちゃ駄目だよ?特に、ご意見番のムト―さんの前では!とても疑り深い人だから」

「いや、それはむしろ、至極当然な反応だよ」

 意を決した少年が極彩社の古めかしい扉をくぐると、天井から吊るされた囲炉裏の温かさが快く迎えてくれた。火がついてもいないのに熱せられているのは不可解だが、もはや疑問に思わなくなった。

 より大きな発見に、思考回路が奪われたからだ。

 ここへ来て初めて金属を見た。この建物は、釘や鉄板も一部用いられており、内装も全てが木造建築で、人の手によって作られていた。 

 要所と呼ぶに相応しく、希少素材をふんだんに使っている。だが、天井との距離が近い。扉や通路の縮尺が何故か二人並べないくらいの手狭さがあった。他の階層では十分に広さはあったはずなのに。

 おそらく、限られた素材でやりくりすれば、こうなるのかもしれない。少年の素人目ではあるが、この最上階の社では、魔法が全く使われていなかった。理由までは、知る由もないが……。


 和室のような独特の香りと燻る煙を散らすような熱気と、力強い怒気迫る激論の声が、奥の間から聞こえてきた。

「熱心だね。こんな時間まで会議とは」

「緊急だからね。少年君のことはみんな知ってる。森中に配置した鳥時計が情報共有して伝達するの」

「鳥時計?」

「鳥達の様子を鳥小屋の中に映して最新情報を送信するの。虹王の様子がおかしいって知って私が駆けつけてこれたのも、それが理由だよ」

 少年の周りでさえずっていたあの小鳥たちが、必要以上に近寄り鳴いていたのは、監視が目的だった。

 ――違和感はあったが、即時情報伝達していたとは。いや、それよりも――少年は、思うより声を上げた。

「じゃあ、あの黒い波動みたいなのは――」

「シッ!皆に質問攻めにされちゃう!?」

 リナの手で口を塞がれた少年は、ちょっとだけ会議室を覗くように身振りされた。

 促されるままに少年は、リナの背中越しに覗き込んだ。


 数十人の大人達が椅子に座って前の人を見ている様子が窺えた。すらっとした赤い髪の男性が会議を仕切り、叫ぶ勢いで話を切り出す老婆が果敢に捲し立てていた。

「南方に良い条件の樹を見立てた。危険は分散すべきじゃ!今すぐにでも取り掛か――」

 鬼気迫る言葉を放つ老婆の言葉。

「棄却します。それでは次の――」

 それを男性は一言で処断するが、老婆も負けじと喰らいつく。

「待テッ!避難したとて簡易的な拠点では迅速な対応ができぬ!いざという時に便利じゃろうが!?」

「待ち伏せの危険性が高くなり、往復移動で残る痕跡から追跡される恐れ、維持や隠蔽の労力を鑑みても見合う効果は見込めません。次の方――どうぞ」

 それも簡潔に否定した族長は、次の人を指名した。

神楽かぐらが決まった直後の異変じゃ!無関係とは考えにくい!万全を期するなら今すぐ――」

「――厳命ッ!此度の会議におけるあなたの発言を禁止します!次の方、どうぞ」

 何らかの権限で強引に話を終わらされた老婆は、怒気をむき出しにしながらも、渋々と引き下がった。

 その場に残る悪い空気に気圧された女性は、やや遅れてから話し始めた。

「か、神楽の準備ですが、急な話で難航しておりまして、最悪、間に合わないかと――」

「厳命を発しましょう、明日から総動員しますので、確実に間に合わせてください。次の方――」

「調査の結果、痕跡は見当たりませんでした。これ以上は無為との結論に至り、今後は人手が足りない箇所に配置すべきではないかと。いかがしましょう?」

 今度は小柄の女性がハキハキと報告を述べた。

 しかし男性は、毅然とした態度で応じる。

「危険は常に杞憂せよ!危険の過小評価は、失われる命の過小評価です。最悪を想定し、更に増員、広範囲かつ徹底的に――」


「アルフレッド――」


 その時、上から地響きのような重低音が降ってきた。まるで大気を圧倒して怯え震わせたかのような重厚で厳格な声は、耳にした皆の刻を一瞬止めた。


「リナさん、奥で待っていてください。お隣の方も、ご一緒にどうぞ」

 突然の指名に驚いたリナは、頭を下げながら「は、はい!」と返事をしてから部屋を飛び出した。

 一拍置いて、状況を察した少年も、後に続いて急ぎ足でその場から退出した。

 逃げるようにリナに追いついてから、少年はやっと溜まった息を吐いて、一安心できた。

「恐っ!あの婆さんに追求されたらゾッとしちゃうよ」

「それは無いよ。少年君は無知過ぎて返答できないから。あとさっきの低い声がコルトさん。カラフル一番の凄くて怖い人!ムトーさんを黙らせる唯一の人だね」

 言われる前から既に、少年は気づいていた。偉そうな男性を呼び捨てにして皆を黙らせた強い影響力。彼が思った通り、間違いなくコルトが事実上の指導者である事を物語っていた。

「けど誰よりも優しいよ。そして一番前に立ってたのが族長のアルフレッド・リン・カラフルさん!色んな物を作る職人さんで、今は飴細工に嵌ってるんだ」

 狭い通路を平然と歩くリナが、人気のない渡り廊下の突き当たりで立ち止まる。

 その周囲からは、ほんのりと甘い香りが漂っていた。

「ここはその工房。会議が終わるまで、ここで作品を鑑賞してよっか」

 木彫りの虹のアーチが装飾された扉を開けると、さらに香りが強くなった。手の込んだ装飾が、職人気質の拘りを強調している。

「さあ少年君、カラフルの文化をとくとご覧あれ〜!」

 リナに押されて博物館へ入ると、所狭しと並ぶ煌めく宝石達が迎えてくれた。どれもこれも精巧な数々の飴細工で美しく、食べてしまうのが勿体無いと思う程だった。

「うへぇ〜!?完全に舐めてた!?凄いね!これはもはや。芸術だ」

 飴細工は、基本の丸い飴玉から始まり、繊細なアート作品から人より大きな造形物もあった。きめ細やかな芸術品は、飴細工の歴史の年表を形にして示していた。

 数々の造形物は、人の手による精巧さを上回り、動物や植物の力強い躍動感、雲や虹や太陽の自然の美しさ、一つ一つが切り取られた世界の一部と見紛う絶品の数々で少年は圧倒させられた。

 建物も再現されていて、色合い豊かな極彩色をした集落の模型や何かの祭壇もあった。

「え、ちょっと待って!!コレはなに!?」

 様々な工芸展示の中で、世界がひっくり返る程の衝撃的なものを、少年は見つけてしまった。

「何って、見ての通り世界模型だけど」

「いやいや絶対おかしいよ!?だってコレ、平面じゃん!?」

 ドーム型をした空を持つ円盤状の平坦な模型飴が置かれていた。

「あ!……もしかして、知らなかった?」

 確かに。かつて天動説と地動説が対立した時代もあった。しかしまさか、平面説が正しい世界があるなどとは、まるで予想だにしない出来事だった。

「ばかな……平面には……限りがある……はず……」

「超えたら反対側に出るだけだよ。鳥の群れと同じでね」

 少年の戸惑いを跳ね除けるように、淡々と答えるリナの態度から、次第に現実味を帯びる。

「てことは、下に行けば上に出ると。なら……僕は?やばい……頭がおかしくなりそう」

 背筋が凍る思いがした。これ以上考えると、精神的な限界を超えるだろう。


 上から落ちてきたものとばかり思っていた。地の底から沈んできたのか?だとすれば、僕は、何者なんだ?


 頭を抱えた少年は息も絶え絶えに世界樹の森を再現した立体展示を確認するが、真実は動かない。すぐ飲み込める話ではないが、それでも実物を前にすれば納得せざるを得なかった。

「衝撃!って感じだね。ちなみに、少年君の世界はどんな形なの?」

「楕円の球体だよ。丸く閉じているんだ」

 余裕のない言い方で、冷や汗を拭う少年。

「丸ゥ!?そんなのありえないよ!?どこか遠くへ転がっていかないの!?」

「へェっ!?えっと?あ~その説明は無理だね。教えられるだけの知識が無いし、第一、記憶喪失が何を言っても、説得力がねぇ」

「ふ〜ん……少年君の世界も素敵だね」

「それはどうかな?僕の夢物語かもしれないよ?」

 自暴自棄にも等しい下らない冗談だったが……リナは真面目に頭を振った。

「事実でも虚構でも、素敵な物は素敵だよ」

 だが、朗らかな笑顔から放つリナの言葉で、少年は思わずほくそ笑む。

「お待たせ致しました。これは私からの歓迎の気持ちです。気に入ってくれると嬉しいです」

 二度ノックした後で族長アルフレッドが入室すると、出来立ての飴細工を二つ差し出してくれた。それは透き通った水色の薔薇らしき花だった。

「ありがとうございます……いただきます」

 手渡された少年は躊躇いなく口へ運んでみると、思った以上に柔らかく、仄かで優しい甘さが口全体に広がった。

「ほぉ、これは美しい味だねぇ。ねぇリ、はぁっ!?」

 僅か数秒、少年は目を離しただけなのに、リナはすでに平らげていた。

「ん?ち、ちがうよ!食べ慣れているからで、決して食い意地を貼っているわけじゃないよ!」

 慌てふためくリナに、族長は凪のように静かな面持ちで語りかける。

「リナさん、私としても彼を擁護したい所ですが――虹王に襲われた件と慰霊碑を破壊した件については、我々の手には負えず――奏上するしか他にありません」

「慰霊碑?はっ!?」

 この地に舞い降りた時、破壊してしまった石柱の事だろう。糖でも琥珀でもなく、特別な物だったらしい。それを破壊したことがバレていることがわかり、ひやりと背筋が凍った。

 族長の曇った表情と声音から、少年は事態がより深刻に切迫している事を理解したからだ。

 彼らが選べる正体不明の人物に対する選択肢は、三つ。

 まず少年の追放。厄介払いをすれば面倒無く問題が片付く。しかし正体が危険な存在であれば、みすみす逃す事になる。

 次に監禁。宿木の外で監禁すれば安全かつ、何かが起こっても即時対応が可能だ。しかし無駄な労力を払わねばならない。

 最終的には始末する事が一番無難だろう。殺してしまえば脅威は排除される。

 最後にありえない手段としてはカラフル一族の逃亡だ。ムトーという老婆の提案が、この最悪の事態を想定しての意見だった。

 この中から何を選択するか?それで意見が分かれて結論が見えず、いよいよ彼らはコルトとかいう指導者に、指示を仰ぐということらしい。


 何にせよ、穏やかじゃない事態に少年は、邪魔な飴細工を噛み砕き、無理やり呑み込んで食べ終えた。

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