ゴッド・オブ・ザ・ワールドメイカー ~ひとつ願いが叶うなら~

小人侍

第零話 愛は与えるもの

「ひとつ願いが叶うなら――」


 逢魔おうまとき――黄昏たそがれの不気味な薄暗さがわざわいを予感させるとして、古来より恐れられていた午後六時。

 黒く染まりゆくひとりの少年を、真紅しんくの光が煌々こうこうと照らし出す。

 伸びた影。

 すずやかな風が山のふもとけ抜けるのどかな田園風景でんえんふうけいの真ん中に残された、ひとつの、小さな公園。

 いつもは虫の声だけのさびれた場所に、金属の擦れる音がひびき渡った。

「ねぇ、ウチの話し聞いてる!?お兄ちゃはどんな世界を創りたいのっ?」

 色褪せた赤錆あかさびだらけのシーソーの真ん中に堂々と立つ小柄な少女が、夕陽を背にして声を張り上げる。

「いや、いきなりそんなこと聞かれてもな~……」

 困り顔で眉をひそめる少年は、箱型の大きなブランコに腰掛こしかけて、追及を拒むかのように目線を明後日の方へと泳がせる。

 まだ幼さを残した少女は、妖艶ようえんな黒い長髪をなびかせながら口を尖らせる。

「んんっ、じゃあお兄ちゃは何で生きてるの?嫌な事はない?何が楽しい?夢ってあるの?笑って死ねる?……ねぇっ!」

 無邪気で容赦ない怒涛どとうの問いかけに晒されて、どれも正解が分からず、どうすべきか迷い、いよいよ両手を上げながら笑って誤魔化す兄。

 その捌ききれない問題を放り投げる曖昧あいまいな態度が気に入らないようで、妹はまくし立てて声を轟かせた。

「もうっ!この手の解に正しいも間違いもないの!人の心それぞれなんだから。お兄ちゃの思ったことを言ってよぉ!」

 少女は、華奢きゃしゃな身体に似合わぬ猛獣さながらの強烈な威圧感をかもし出す。

「それなら分からないというのがボクの答えさ。悪しからず。ところで、何で急にそんな事を聞くのさ?」

 小指を左右に振りながら舌を鳴らした少女は、兄へ向かって悪戯いたずらげに微笑んだ。

「無論、生まれ変わっても一緒になる為よ!世界神様にそうして貰う予定なの!」

 何を当たり前なことを聞いてるの?とでも言いたげな妹に、兄である少年はあごに手をやって思案をめぐらせる。

「変化をつかさどる創世神話のデザイアか。確か、悔恨かいこんある死者の魂をもてあそんで何かを作らせるとか――褒美ほうびをちらつかせた悪どいやり方でね」

 世界神デザイアとは、世界を創造した唯一神の名前だ。

 デザイアは変化そのものであると考えられており、生命に宇宙、時間や思想に至るまでもが変化する存在――概念も含めて、万物の全てがデザイアであり、彼の創造物なのである。

 そんな変化の化身けしんたるデザイアは、唯一無二の永遠であるが故に、持っていない物がある。

「その世界神様の望みこそが不変。永遠をってしても変わらないモノ。死者をかいした実験は、その探究ではないか?と言われてるの」

 つまり、世界神が望みを叶えてくれる条件が、不変を提出しろ――という事だ。

 しかし、その説は早くも棄却ききゃくされている――不変は作られた時点で不変では無いからだ。

 現状、人類が確認している唯一無二の不変とは、変化という頓知とんちの利いた答えだけだった。

「神でさえ到達できない事でしょ?んなもん本当にあんのっ――ワァッ!?」

 悲鳴のような金属音が甲高かんだかく鳴り、急に箱ブランコが動き出した。

 椅子いすから落ちかけた少年は、咄嗟とっさに手すりに掴まって何とか耐えたが、箱ブランコの背もたれに飛び乗った妹は、軽やかに兄の無防備な腹の上に飛び降りた。

「死してなお変わらぬ願い!その心ある限り、それは決しておかされぬ望みなの!」

 悶絶もんぜつする兄とは対照的たいしょうてきに、妹は微笑みながら問いかける。

「だからとびきりの願いがなくちゃお話にならないわ。ウチには完璧かんぺきなプランがあるけど、問題はお兄ちゃよ。ウチが何とかしたげるから、ちゃっちゃと答えてよ」

 少年は、考えようとして……すぐやめた。

 数々の過去の失敗談から、これは当たり障りのない事を唱えると、陳腐ちんぷだと一蹴いっしゅうされるか雨の様な激しい追及が降り注ぐパターンだと判った。対抗策は話を逸らすぐらいのものだった。

「ちなみに、そのプランって何さ?」

 しかし、少年の口から出たのはそんな言葉だった。

 待ってましたと不敵ふてきに笑う妹は、力任せに手を引いて、兄を箱ブランコから雑草が生えた砂場まで連れてきた。

兄思あにおもう、ゆえにウチ有りィッ!――完璧かんぺきでしょう?」

 着くやいな珍妙奇天烈ちんみょうきてれつな物言いをする妹に、少年は怪訝けげんな表情で応じた。

「ボクゥ!?そんなの誰も興味無いさ!もっと別の凄い人のが良っ――ぐへェッ!?」

 言い終わるより先に突進をり出して兄を砂場に押し倒した妹は、たちまち怒りをあらわにした。

「良くないッ!他人の評価なんて知ったこっちゃないわ!本当に自分がしたいことに、他人が介在かいざちする余地なんてないんだからッ!」

 心中を激烈に吐露とろした妹は、ここに連れてこられた意味を知った兄にすがり付くと、妹は目を閉じた。

「お兄ちゃがウチの全て。死ぬ時を選べたら……今、ここで終わってもいい。ほんとに、そう思うんだよ?」

 ひとしずくの涙がつたい落ちた。臆面おくめんもなく本音を晒す妹に、無表情となった兄は、その後、おだやかに微笑びしょうする。

「そっか。でもボクは大人になった姿も見たいからなぁ〜」

 少年にそっと涙をぬぐわれると、まるで演技だったかのように妹は豹変ひょうへんした。

 倒れた兄を置いてけぼりにして、滑り台を駆け上がった妹は一番上の更に上、手すりを足場にした規格外の所まで登り詰めた。

「だから示すの!本物の愛をッ!」

「はぁ……真偽しんぎなんてボクには分からないけど……」

 仰向けに見る夕日に舞う桜の花びらが、黒髪がなびく妹を彩った。

「あれを見て!散歩をしている犬と飼い主。あれが模範解答の一つよ」

 静観せいかんな顔立ちの少女は、わだちが通った山道を歩いている犬とお婆さんを見つけて指差した。

「主人は無償むしょうで世話をして犬は精魂せいこん尽きるまでお共する。愛とは与えるものなの。大人にもなってそんなことも分からないなら、受精卵じゅせいらんからやり直した方がいいわ!」

「て……手厳てきびしいな。それじゃあ、何も無い僕は、頑張らないといけないね」

「なんで?お兄ちゃはそんな必要ないじゃない」

 影が顔をおおい隠しても、燦然さんぜんかがやまぶしい笑みを浮かべながら、少女は少年を見下した。

「絶望に暮れた餓鬼がきの空に希望を見せた責任。ウチは絶対、忘れないから!」

 初めて会ったこの少女はどこまでも虚無きょむの闇だった。全てを拒絶きょぜつする眼差しは、とりつく島もない程だった。

 それが今ではこんなにも色んな表情を見せてくれる妹が、兄にとっては例えようもなく嬉しかったのだ。

「それで、お兄ちゃは?」

 滑り台から飛び降りて着地した拍子ひょうしめくり上がったシャツの向こう側。下腹部かふくぶきざまれた縦に伸びた一筋ひとすじ手術痕しゅじゅつこんあらわになった。

 それを苦悶くもんの表情で見つめる兄の葛藤かっとうなどどこ吹く風と無視した妹は、夕日を背にしてそれをたずねた。

「ひとつ願いが叶うなら……何を願うの?」

 ドクンッ――

「……願い…………」

 逆光のせいか、神々しいまでにりんとした妹の姿を見て、鋭い痛みが少年の心に深く突き刺さった。

 願いなんて――と、妹が押し付けた赤錆で汚れた手のひらに触れながら、諦観ていかんの海に沈む気持ちとなった少年は、ふと……。

「ぁ……た……旅……かな」

 うめくようにしぼり出した言葉に、「普通じゃん!?」と、驚きの声を上げた少女は、いつものようにみ付いてきた。

「いろんな絶景を見ながら食べ歩きしながら、移動中にはウトウト居眠りしてさ。ご不満?」

「う~、違うのぉ!そういう事じゃないの!まただよ!嘘じゃないけど本当の事も言わないお兄ちゃの悪いくせ!一生に一度の願い事なの!もう、ちゃんと答えてよぉ!」

 さぶられても笑って誤魔化す少年に一度は不貞腐ふてくされたものの、切り替えが早い少女は颯爽さっそうきびすを返した。

「でも、確かに悪くないわ。旅は過程かていこそ大事だものね。どこの誰であれ、生きた結果は死ぬしかない。大切なのはそこに至る道程どうていをいかにいろどり、自分の終わりに納得できるか」

 妹は喋りながら草むらに分け入って一度しゃがむと、せみ死骸しがいを放り投げてきた。かつて生きていた物は、力なく地べたに転がり落ちた。

「人は夢を見たいのよ。望みの形は色々あるけど、お兄ちゃは、何をして見たいの?」

 これまた独特な軌道きどうで問いを投げてきたとさっした少年は、ち果てた虫のしかばねを見つめた――脱皮に失敗して成虫になれなかった蝉。

 願いと聞けば、普通は金持ちとか贅沢ぜいたくな暮らし、幸せや華々はなばなしい偉業や英雄譚えいゆうたん、あるいは不老不死とかだろう。

 だが、要求されてるかいはそういうのではないと理解していた少年は、逆に、何を失いたくないのか?と自身に問いかけた。

 すると、少年は自然に妹を見つめていた。

 このとうとい人の運命を知らずに終わるのは、それだけは、どうしても嫌だった。

 のどまで出かかった言葉を、反射的に飲み込んだ。

 焼けただれたような激痛が、突如とつじょとして死骸しがいを持っていた手から感じた。まぼろしだと瞬時に気づいたが、これが意味するのは警告か、それとも何かの予兆か――

 焦燥しょうそうに駆られた少年は、それでも……と、血のにじむ思いで歯を食いしばる。

 だけど、だとしても……ボクは……。

「…………た……」

 その時、無機質な電子音が短く鳴った。

 音に二人が意識を向けると、すぐに鳴り止んだ。

 一方的な着信履歴が何を意味するかを知っている二人は……沈鬱ちんうつに下を向いた。

「……時間だ。暗くなる前に、戻ろ?」

 虫の死骸を砂場に埋めた少年は、腰を落として、少女と同じ目線で語りかける。

「ぃや……いやだ、ここがウチの帰る場所なの!」

 俯いて表情は読み取れないが、勢いよく左右に揺れる髪が、少女の頬を打ち付ける。

「ほら、我がまま言わないで行くよ!」

 少年は心を鬼にして、拒絶する妹を置いて出口へと向かおうと背を向けたが、妹は両手を広げて静止した。

「……ったく、まだまだ甘ちゃんだね」

 少しの間をおいて観念して振り返った少年は、ぴょんと飛び跳ねて催促する姿の妹に破顔した。心に滲む恥ずかしさを押し殺す少年は妹を優しく迎え入れた。

「よいっしょっ……ととっ⁉」

 昔より重い、その成長の証を嚙み締める少年は、だがそのせいで鋭い痛みが腹部に走り、不覚にも僅かに体勢を崩した。

「……やっぱり降りる。早く下ろして!」

 抜け目のない少女はその一瞬を見逃してくれることはなかった。

 少し暴れて強引に地面に降りると、少年の脇に滑り込んで肩を無理やり貸し付けてきた。

「今日はこうやって、くっついて帰るの!」

 少年との隙間を埋めるようにして、少女は小さな公園から出た。

 冷たくなっていく手を大事に抱えた妹は、満面の笑みで言った。

「ウチ、お兄ちゃのこと大好き!死がウチらを繋いだら――また逢おうね!」 

「あぁ。何があっても、絶対、一人にさせない」

 ぎゅっと強く手を繋ぐ少年と少女の寄り添った影が、暗闇に溶けて消えていく。

 穏やかな時間が流れる中、笑顔の少女と対照的に無表情となった少年。

 その脳裏には先の問いかけが、何かを必死に訴えているようで……焼き付いて離れなかった。

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