任務:徳妃の色香を抑えよ⑪
「あの方が、
ブルーグレーの瞳が追うのは、芝生を駆ける馬の上で
民族衣装に身を包んだ紅貴妃が、長いポニーテールを揺らし馬術稽古にはげんでいる。その表情は出会った頃よりもずっと晴れやかだった。
後方からは同じく馬に乗った若手武官の
貴妃は私たちを見つけると、手綱をひいてこちらへ馬を向かわせる。
近くまで来ると馬の上から声を張り上げた。
「お前が徳妃だな!年はいくつだ!?」
覇葉語だった。
徳妃は被っていた黄色いベールを少し上げ、その場で深く揖礼をささげた。
「……18、ですわ。貴妃さま」
同じ妃とはいえ相手は大陸で屈指の勢力をもつ金国の姫。おまけに馬上で武器を持つその威圧感で、徳妃はすっかり萎縮している。
そんなことは歯牙にもかけない貴妃は「妹と同じだな!」とふたたび快活な声を上げると、
「……ああ、陛下もだったか。最近顔を見ていないが」
視線が徳妃から自分へ移るのを感じた私が決まり悪そうにうなずくと、貴妃が口元に笑みをうかべる。
彼女はいつも目の前にいるのが誰であろうと態度を変えない。
「秀徳妃」
呼びながら一歩、また一歩と芝生を踏みしめこちらへやってくる貴妃。立ち止まると徳妃へ右手を差し出した。
「私のことは
独特の距離感にとまどっていた徳妃が、その言葉をきっかけにハッと目覚めたような顔つきになる。
「姐姐……」
言葉の意味をかみしめるようにつぶやく。
「重く考えなくて良い。ただ姉は妹を守り、妹は姉を支える。それが義姉妹の契りだ」
徳妃はおそるおそる腕を伸ばす。そして貴妃の手を両手で包み込んだ。
義姉妹の契りを交わした徳妃は、遠い昔に失ったものをようやく取り戻したような顔をしていた。
かつて少女ハリシャを唯一愛してくれた、姉のような人の姿がその目に映っているのかもしれない。
「ところで陛下は?今日は朝議が無いはずだが」
貴妃が大げさな所作で周囲を見渡す。
私は視線をそらしながら答える。
「えっと、重臣との謁見が……」
「逃げたな、あの坊ちゃん」
「……」
返答に詰まる。
彼女たちの交流を後押ししたのは陛下だった。『貴妃は元気がよすぎるゆえ』とのこと。
要するに自分の代わりに貴妃の相手をしてほしいのだ。
「『次は相撲で勝負しよう』なんて貴妃様がおっしゃるからですよ」
いつの間にか貴妃の背後にきていた姜忍さんがあきれ顔で言った。
遊牧民出身で幼い頃から草原を駆けまわっていた貴妃。今は陛下との交流という名目でありあまるエネルギーを発散する機会を得ている。
貴妃との交流に近ごろ乗り気でなかった陛下、まさかそんな勝負を持ちかけられていたとは。日頃から武より文を重んじる陛下の青ざめる顔が頭に浮かぶ。
「まあ。陛下と相撲を…?」
徳妃は目を丸くする。女が人前に姿を現すことすら
「金国の女は自分より強い男としか寝ないからな!」
貴妃が豪快に笑うと、つられて吹き出した徳妃。
正反対の国に生まれながら、共に女であることに苦しんだ二人の妃。
この貴妃こそが徳妃を救えるもう一人の人物だと私は確信した。陛下がどこまで見越していたのかは分からない。
* * *
その後日、よそゆきの羽織を着た私は
「お久しぶりです」
すこし力の入るつま先で部屋に踏み入ると、卓を囲む二人の妃と華やかに着飾った侍女が私たちを待ちかまえていた。
真珠や造花を飾った冠を頭にのせた19歳の
二人はかつてひと悶着あったとは思えないほど
「最高級の団茶が手に入ったから、陛下に献上しようと思っているの。その前に皆で味見したくてね」
そのためのお茶会になぜか私もお呼ばれしたわけだ。
小指を立てながら優雅に茶杯をもつ
どうやら秀徳妃から紹介してもらった
「これからの時代はやっぱり、こういう光る石だと思うのよ」
手をひらひらと動かしこれでもかというほど指輪を見せつける
「よくお似合いです」
私は茶をすすりながら適当に賛辞を口にした。
こういう正統派な女子会は慣れておらず、すこし居心地の悪さを感じる。助けを求めるように視線をさまよわせると、「いつものが始まったわ」と言わんばかりに肩をすくめる
「それよりも桃聖人、まんまと騙されたわ」
親友を軽くスルーしながら
「え、何がでしょう」
「『化粧師』の攻め…じゃなくて国王よ!」
『化粧師』とは私が書いた後宮BL小説だ。陛下の指示でこの二人のために書き下ろしたはずが後宮中に広まり、なぜか今も連載中。噂では宦官らも読んでいるとか。
「横暴な男だと思っていたのに、
爽というのは主人公の青年。
聖人として活躍する爽をはじめ国王は重用していたが、しだいに「飽きた」と邪険に扱いはじめる。それは後宮内での勢力争いから彼を守るためだった────というのが最新話の内容だ。
「ギャップ萌っていうの?意外な優しさにときめいちゃったわ!」
この話には自称隠れ腐女子(全く隠れてない)の
しかし私が教えた覚えのないそういうワードは、一体どこから覚えてくるのだろう。
今日呼ばれたはこのせいか、と私は心中でつぶやいた。
目の前に広がるのは茶の上品な香りに色とりどりの菓子。ここはまぎれもなく妃のお茶会ではあるが、目的はただのBL談義。そのうちここに燕淑妃が加わるのが容易に想像できた。
「えっと…はじめはそんなキャラクターにするつもりなかったんですけどね」
「あら。なにか心境の変化でもあったのかしら?」
無邪気にたずねる
「いえただ……人は大事な人を守るために、本人さえ
つくづく実感するのだが、私は創作が苦手だ。ゼロからは何も生み出せない。
物語の中で彼らが目にして触れるもの、感じる事すべてが私の中にある。
寡黙な横顔を思い出しながら、私は目の前の桃饅頭へ手を伸ばした。
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