じじつは小説より①

「この前届けてくれた『君主の名は』という物語、女官たちにも評判が良いのよ」


私を茉莉花まつりか宮へ呼んだ燕淑妃イェンしゅくひは、褒美と称した菓子を差し出しそう言った。

彼女が座るのはもちろんあの場所。自分の夫とその臣下に『分桃』(BL)を再現させたというあの椅子だ。


「そうですか。それは何よりです」


『君主の名は』は私が書いた青×憂小説。高州への行幸から帰ってすぐに書き上げたものだ。


「特に、はじめて青藍さまに名を呼ばれて照れる陛下の描写が良かったわね」


淑妃がそう微笑みながら隣の女官さんの方を向くと、彼女もうなずきながら口を開く。


「陛下の恥ずかしそうなお顔が目に浮かぶようでした。わたくし陛下のご尊顔は拝見したことありませんけれど」


今度はまた別の女官さんが続く。


「そのあと、陛下の名を口にした罰として自分の頬を叩く青藍さまには笑ってしまいましたが」


「ああ、あれね。傑作だったわ」


ずっとすましていた淑妃が思い出したようにケラケラと笑う。その表情は年相応の少女らしい。


そんな描写もあったっけ……。どうやらあの作品は行幸での出来事や私の個人的な感情を随分と反映させていたようだ。


「それでねトウコ、あなた最近はネタがないと嘆いていたでしょう?今日はとっておきの話があって呼んだの」


「とっておきの話……?」


私が首をかしげると、淑妃が片手を上げて合図した。

すると孔雀くじゃくが描かれた豪華な衝立ついたての奥から、見慣れない女官さんが出てきた。彼女はふだん茉莉花宮の掃除などをしている下働きの宮女らしい。


宮女さんはこちらへ向かって揖礼ゆうれいをささげたのち顔を上げる。


「……私、見てしまったのです。武官の緑狛リョハクさまとチェン医師が……逢引きしているところを」


「え?」


思わぬ組み合わせに私は息を呑む。あの大柄で豪快な緑狛リョハクさんと、可愛らしい医官のチェンさんが?

私は彼らが逢引きどころか話しているところすら見たことがない。それも当然、武官の緑狛さんは普段後宮の外にいるのだから。


「逢引きって……一体どこで?」


「後宮の生薬庫です。お2人がこっそりと中に入っていかれるのを見ました」


生薬庫は橙さんが務める医局にある小さな倉庫だ。

宮廷で処方される薬は、主に外廷にある御薬院という所が作っているので、後宮の中の医局は狭く少数精鋭である。


私は当時の状況を詳しく聞くことにした。

宮女さんは洗濯場に衣類を届ける最中に、2人が人目を忍ぶように生薬庫へ入るのを見かけたそう。そして届け終わって茉莉花まつりか宮へ戻る折にもちょうど、倉庫から出てくる2人に出くわしたと。


「じゃあ中の様子は見ていないんですよね。なぜ逢引きだと?」


私がたずねると宮女さんはうなずく。


「中から出てきたお2人のお顔が、心なしか赤らんでいて、それに……チェン医師のお団子髪がほつれていたのです」


宮女さんが言い終わると間髪いれずに淑妃が言う。


「きっと中でとんでもない事が行われていたのよ!」


「………」


さすが後宮。うなじの毛が乱れていただけでも不義密通を疑われる世界だ。


「それ、単に2人で倉庫作業でもしていたのでは?」


冷ややかに返すとおとなしかった宮女さんが勢いよく顔を上げる。


「それだけではないのです!」


声がとたんに大きくなり、私は少しのけぞる。


「倉庫から出てきた緑狛リョハクさまの、あの……黒いひもの長さが、左右で大きく異なっていたのです!それがかなり不格好で。倉庫に入る前はそんなことなかったのに!」


黒い紐というのはアレでお馴染み、彼らの大事なモノに装着された宝具パオジーの紐のことだ。


「じゃあ緑狛さんが中で……宝具を外してたってことですか?」


私が言うと宮女さんは真っ赤にした顔を縦に降る。

周囲の侍女さんたちが口元を手で隠し、顔を見合わせながらヒソヒソと話し始める。


「そうに違いないわ!ただの作業であの紐がずれるはずないもの!」


興奮した淑妃がとうとう両手に拳を握って立ち上がる。


かつて宦官らが"男性"であるという事実だけで涙目になっていた少女は一体どこへ行ったのだろう。若いって凄い。


それに感化された周りの女官さん…もとい腐女官さんたちもきゃあきゃあと手を合わせて騒ぎ出す。

さすがに淑妃の元乳母である侍女頭さんが「おやめなさい!」と彼女らを制した。



そんな彼女たちを横目に、私はひとり思考を巡らせる。


「確かにそれはおかしいですね。中で着替え……だとしてもアレは外さないし」


去勢の代わりに宦官達が装着する宝具パオジーは、後宮の何処においても外すことは厳禁。それは普段後宮の外にいる緑狛さんらも例外ではない。

見つかれば極刑も免れないだろう。


そんな危ない橋をなぜ緑狛さんと橙さんが?


「そういうわけでトウコ、次はあの2人をモデルに話を書いてよ。ついでに2人が"本物"かどうかも調べてちょうだい」


「え……」


執筆だけならまだしも実態調査なんて…とは思いつつも、こんな謎だらけのまま話を書くのは不可能だ。


それに緑×橙はビジュアル面からしても王道カプになる予感がする。腐女子の食指が動かないはずがない。

どちらにせよ2人について調査する羽目にはなっただろう。


「はい、かしこまりました」


「頼んだわよ?」


私が承諾すると、満足したように淑妃はおとなしく席について優雅にお茶を口にする。

侍女頭さんは呆れ顔でため息をついてから私に頭を下げる


「トウコさん、いつも申し訳ありません」


「いえ。元はといえば私がBLを勧めたせいなので」


たった14歳で異国へ嫁がされた燕淑妃。

可愛らしく聡明な彼女をこんな場所へ閉じ込める事を皆が不憫ふびんに思っている。

陛下や青藍さんでさえ彼女の前で『分桃』を演じたのはそのせいだろう。

もはや後宮で彼女に逆らえる人間は誰もいないのだ。



*  *   *



緑狛リョハクさんとチェンさんって仲良いんですかね?」


後宮の事といえばこの人だろう。ということでさっそく紫雲さんに聞いてみた。


「2人とも人懐っこい性格なので、交友関係は広いみたいですね。ただお互いは勤務先も全く違いますし特別仲が良いとは……あ、でも」


仏殿の執務室。応接用の長机で私と向かい合って書類をめくっていた紫雲さんの手が止まり、視線が斜め上を向く。


「先日の夕刻、外廷がいていにある我々の居住区を緑狛が歩いていたんですよ。武官の彼がいるのは珍しいので声をかけたら、橙医師の家に行くと言ってましたね。何でも彼の好物の杏酒が手に入ったからと」


「へえ、そんなに親しいんですか」


「私も2人が仕事終わりに酒を飲む仲とは思っていなかったので、驚きました」


ということは、2人の仲が縮まったのは最近ということだろうか。


ひとり思案していると、紫雲さんの視線がまっすぐ私をとらえた。


「……で、その2人に何かあるんですか?」


「いや、何となく気になっただけで」


私は悟られないよう顔を伏せ、机の上の木簡もっかんを読むふりをした。


すると木簡が独りでに机の上を移動する。奥へと目で追っていくと今度は持ち上がる……その先には木簡を手にする紫雲さんの妖艶な笑顔があった。


「トウコさんがそうやって誤魔化す時は絶対何かありますね。ものすご~い"大事件"が」


……確かに。これがもし本当だったらものすごい大事件ではある。

あくまで本当だったらだけれど。



「実はですね────……」



私が事情を話すと、紫雲さんは頬に手を添え目を大きく開いた。


「それは、やはり後宮を揺るがす大事件ではないですか!」


「でも彼らが"本物"かは、いまいち信憑しんぴょう性に欠けますよね」


話すのをためらったのはこれが理由だ。


「だって万が一2人がそういう関係だったとして、わざわざ後宮の中で密会する必要あります?橙さんの家でも会ってるのに」


橙さんは宦官なので家は外廷にあるし、妃や女官のように後宮から出られないわけではない。


紫雲さんは木簡もっかんを手にしたまま、ソファの背もたれに身体を預けた。


「橙医師は医官仲間と共に住んでいます。屋敷には下働きもいますし、内緒で事に及ぶのは不可能でしょう」


なるほど。実家住みみたいなものか。


「でも、さすがに後宮での密会は危険すぎでは?その……アレも着けてるし」


言いよどむ私の気配を察した紫雲さんは、餌でも見つけたように嬉々としてこちらに身を乗り出す。


「そういうのが逆に燃える人もいるんですよ?」


何だか見てきたような台詞だな。

"そういうの"がどういうのかは詳しく聞かないでおこう。


「それに、アレも使いようによっては…」


「説明は結構です」


私は紫雲さんから木簡を奪い返し、それで彼の顔を覆い隠す。


「………」


紫雲さんの声が止んだ。


最近は彼のあしらい方が分かってきた。

こういうモードに入った時、私が恥ずかしがるとさらに調子に乗るのだ。逆にこちらから近づいてみたり物理攻撃すると大人しくなる。

こうして彼の美貌を隠してしまえば私だって恥ずかしくない。


「……ともかく、真偽のほどは分かりませんが、女官たちに変な噂が広まるのは避けたいですね。こちらでも調べてみますよ」


急に真面目になった紫雲さんの声が木簡越しに聞こえる。


こうして私達はこの後宮スキャンダルの調査をすることになった。

しかしここに来て初めてのスキャンダルが男同士って……。どうなってるんだこの後宮。

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