恩賞
「青藍さんが直接呼びに来るなんて珍しいですね」
いつも陛下の側を離れないこの人と2人で歩くのは、なにげに初めてかもしれない。
「……いま陛下の側には別の者がついている」
そんな日もあるのかと思いながら、私はちょっと寂しそうな青藍さんの背中を追う。
空は
予想外の寒さに私は足取りを速めた。
清龍宮に着くと待ち構えていた侍女さんに案内され、憂炎陛下の自室である寝殿に足を運ぶ。
「え……どうしました陛下」
相変わらず書物に囲まれた執務机には、真顔でゲンドウポーズをかまえる憂炎陛下が座っていた。
「トウコは……何が欲しい」
思いつめた様子の陛下は、じっと一点を見つめたまま開口一番そう言った。
その声はいつも以上にボソボソとして聞きとりにくい。
「はい?」
「今回の
「ああ。
私は聖人として任務を終えるたびに陛下から「恩賞」として
それはもちろん私自身が欲しがっているのではなく、「聖人」がきちんと役割を果たしている事を後宮の内外に知らせるための習わしだ。
陛下から最初に貰ったのは紙と筆、次は私の名にちなんだのか桃の木、次は
先日四つ目の任務を終えた私は、また陛下から恩賞を
「朝から考え続けているのだが、やはり
そう言って頭を抱える陛下。
彼の手元に置かれた紙を覗き込めば「桃」という字が十個くらい書いてある。また桃の何かを贈るつもりだったのだろうか。
「………」
陛下は真面目でとても賢い人なのだが、たまに何かがずれている。
「だからトウコ、欲しいものを言ってくれ」
顔を上げ真剣な眼差しを向けられるも、私は戸惑う。
「欲しいもの、ですか……」
親や友達ならともかく、一国の王に何かをねだるのはとても気が引ける。
しかしまた桃饅頭100個とか贈られても困るのは確かだ。
困惑しながら陛下の側に控える侍女さんの方をちらりと見れば「遠慮せずどうぞ」という表情で微笑まれた。
今日はめずらしく青藍さんを側に置いていないのは、この侍女さんに恩賞の品を相談していたからだろう。
有能な青藍さんも女性への贈り物に関しては全くの役立たずであろうことは、さすがの陛下も理解しているようだ。
かといって紫雲さんに相談しようものならまた「夜用」だの何だのからかわれるのは目に見えているし。
それで結局こうして当人にお
「……では、新しい衣をいただいても良いでしょうか」
ためらいつつも私が答えると、陛下は頭を抱えていた手を下ろす。
前髪をくしゃくしゃに乱した顔は、申し訳ないがただの冴えない青年にしか見えない。
「衣……桃色の衣か」
「いい加減桃から離れてください」
たずねる陛下に思わずツッコんでしまい慌てて周囲を見回す。青藍さんはいなかった。
「………」
「あ!夜用じゃないですから!」
再びゲンドウポーズをとった陛下の顔が赤くなるのに気づいた私は慌てて訂正する。
「私はこちらの衣が欲しいんです」
私はさっきの侍女さんの方へ腕を伸ばす。
「……宦官服か?」
実は陛下の身の回りの世話をする侍女さんの一部は宦官と同じ男性用の衣装を着ている。
これは何も彼女らが男のふりをしているわけでも、陛下が特殊な趣味というわけでもない。(はじめは後者を疑っていたのだが)
この世界の女性も気分やTPOに合わせて男性の衣装を着ることがある。陛下の侍女さんらは元々王太后の宮にいた人たちで、その頃からこの衣装を着ていたらしい。
「はい。いけませんか?」
私が答えると陛下は無言で数回まばたきしたのち不思議そうな顔を向けてきた。
「構わないが、トウコはこういう格好が好きなのか?」
この国の宦官服は、言うなれば腰までスリットの入ったゆったりロングワンピースの下に太めの白いズボン、腰には革ベルトのような帯を合わせたスタイル。
生地に
「女性の華やかな衣装も好きですよ。でもこの方が動きやすそうですし、何より暖かそうなので」
先ほど外で感じた空気の冷たさを思い出しながら答えると、視界の
私の話を聞いた陛下は「確かにそうだ」とまるで世界の
「母上が女官らにこの服を着せていたのは、そういう訳かもしれない」
そしてさっそく新しい紙に下賜品を書きはじめる。
「欲しいのは宦官服だけか?」
「はい。そうですね」
「分かった。では他の女官らにも支給する事にしよう。なるべく急ぐよう
陛下から紙を渡された侍女さんは、
「……女にとって衣は、着飾るためのものとは限らぬのだな」
侍女さんが下がると、陛下がぽつりと言った。
「そうですね。じっさい私たちの感覚は男性とさほど変わりませんよ」
「………」
私が答えると陛下は少しの間沈黙した。
そして机の上の
「かつて母上の宮ではじめて宦官服姿の女官を見たとき、彼女らは母上から地味な恰好を強いられているのだと思っていた」
「……だからさっき私が宦官服を求めた時、驚いていたんですね」
陛下の戸籍上の母、
そんな印象から陛下は、彼女が女官らから女性として着飾る機会を奪ったのだと思い込んでいたそうだ。
「本当は周囲を気遣える、優しい方だったのかもしれませんね」
幼い陛下を守りながら摂政として国を動かす立場の彼女が本当に冷酷な人物であったのか、あえてそれを演じていたのか。今となっては誰も知り得ない事だが、限りなく後者に近いであろうことを私たちは知っている。
「あの時母上に、なぜ女官たちにこの衣を着せるのかたずねればよかった。そうすればもっと理解できたのに。母上の事も
頬杖をついて寂しそうに陛下は言った。
どんな些細なことでも深く悩み、新しい見聞を得ればスポンジのように吸収するこの人は、それでも王太后の見えない愛情を受けながらまっすぐに育ってきたのだろう。
* * *
「
清龍宮からの帰り際、さっきの侍女さんが扉の前で私を引き止めた。
「外は冷えますのでこちらをお召しください。陛下からです」
そう言って差し出されたのはマントのような形の
送迎のため私の隣にいた青藍さんがつぶやいた。
「これは、たしか陛下が王太子時代に着られていたものだな」
その頃青藍さんはまだ宮中に仕えてはいなかったが、父親について王宮へ
「ええ、今はお召しにならないのでそのまま差し上げるようにと」
そう言って侍女さんが外套を広げる。
「あ、ありがとうございます」
私は恐縮しつつ
「このタイプの上着はじめて着たんですけど、けっこう暖かいんですね」
温もりとともに私の身体を包み込んだのは、陛下の執務室の香りだった。
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