任務:賢妃に御簾を上げさせよ①

「トウコさんは"翻訳者として働く覇葉人の女官"ということにしてあります。異界からの聖人というのは一応隠しておいてくださいね」


「分かりました」


紫雲さんと共に後宮を東に向かって歩く。

背後には紫雲さんに仕える宦官と女官が2人ずつ。

上級妃に会う時はもっと大所帯で向かうのがマナーらしいが、これから会う妃はそれを好まないらしい。


「これから行く東櫻とうおう宮の賢妃様は、トウコさんに早く会わせたかったのですよ」


「何故ですか?」


「賢妃様のお名前、ショウコ様と言うんです。トウコさんの名前と似てませんか?」


「ええ!?」


私は驚きのあまり足を止めてしまった。

そのせいで後ろの宦官や女官がつかえて困惑する。


ショウコ……?

ずいぶん耳馴染みが良い響き。もしかして────



*  *  *



東櫻宮は四夫人の屋敷だけあって、桃華宮と比べて大きく創りも豪華だった。

仕えている侍女も多い。

賢妃様と一緒に来国した侍女とこっちの国の女官が一緒に仕えているそうだ。


さっそく部屋に入ると右手奥の壁際には四角い大きな寝台(ベッド)があり、そこには天井からとばり(カーテン)がかかっている。帳は薄い絹生地に金色の華鳥が刺繍された美しいものだ。


帳の向こうには小柄な女性が1人、寝台の上にちょこんと正座しているのが透けて見えた。

それはかつて日本の時代劇で見た、玉座に座る帝の姿を思い出させる。


私と紫雲さんは寝台の前につくと、その場でひざまずき揖礼した。

その後紫雲さんが私を紹介する。


橘賢妃ジーけんひ、こちらが先日お話しした翻訳者のトウコ殿です」


「………」


何も返事がない。

紫雲さんは続ける。


「トウコさん。こちらが橘賢妃ジーけんひこと、橘尚子たちばなのしょうこ様です。大陸の東にある倭国という島国からお越しになりました」


タチバナノショウコさま!何て懐かしく、落ち着く響きなのだろう。


軽く感動を覚えていると、寝台の側に控えていた侍女さんがこちらを向いて挨拶をしてくれた。


「侍女頭の松子でございます」


「通訳の道子でございます」


マツコさん!ミチコさん!何て見慣れた顔────ではなかった。


2人の顔は厚いおしろいで真っ白に塗られていた。眉毛は地眉がすべて抜かれ、その上のおでこに丸っこい眉が黒く描かれている。

髪は長くまっすぐで、後ろで一つに束ねられている。

口紅はおちょぼ口に塗られた、いわゆる平安顔である。


しかし皆さん服装は覇葉国の女官のものだ。おそらく帳の向こうの尚子様が着ているのもこの国の衣装だろう。少なくとも十二単は着ていない。


でもそうか、日本は平安時代なのか────


感傷に浸りながら、侍女さん達に向けて私から挨拶する。


「翻訳者のトウコと申します」



「トウ、コ……?」



帳の向こうから、少女の驚きの声が漏れてきた。


それは私の名に反応したのではなく、私の話す言葉のアクセントが自分達と全く同じだったことに対してだろう。

彼女らにとって私は日本語ペラペラな覇葉人なのだ。


私は帳に向かって話す。


「実は母方の祖父が日本出身でして、日本語も得意なのです。ぜひ尚子様とお話をしたく伺いました」


伝わっているかは分からないが、倭国のことは日本と呼んでみる。


「ではお前には……日本の血が流れているのね?」


尚子様がそう問うと、私の右斜め前に座る紫雲さんの肩がピクリと揺れた。


侍女さん達は目を大きくし、帳の方をうかがい見る。


尚子様がこうして初対面の相手と口を利くのが珍しいのかもしれない。


「はい」


「……分かったわ。御簾みすをあげて話しましょう」


尚子様はこの帳の事を"御簾みす"と呼んでいる。

その事実こそが彼女が心を閉ざす理由なのかもしれない。


御簾とは平安時代の日本人女性が顔を隠す為に下ろしていたもの。

やはり文化的に顔を晒すのがはばかられるのだろう。



「でも、他の覇葉人は皆帰って。トウコだけ残ってちょうだい」


尚子様の声に覇気がこもってきた。ただの少女から屋敷の主へ。

こうして国外へ嫁いだのだから彼女は皇族なのだろうか。少なくともかなりの身分であることは間違いない。


「………かしこまりました」


どうにも解せないと言わんばかりの間のあと、紫雲さんの返事は清らかに響いた。


ちなみにこの東櫻宮で紫雲さんに対して塩対応なのは尚子様だけなようだ。

さすが美貌の宦官はどの国の女も虜にするらしく、倭国の侍女さん達は皆彼の退室を惜しむような表情をする。


「では、あとはよろしくお願いします」


「はい」


紫雲さんと私は互いに目配せを交わす。



お屋敷を後にする紫雲さんの背中を見つめながら、あらかじめ聞いていた今回解決すべき【問題点】を思い出す。


尚子様の問題、それはまさに「御簾を上げてくれない」こと。


普段から会話するのは日本から同行した侍女とのみ。

紫雲さん達は顔を合わせるのも、御簾越しに話すことすら拒否される。覇葉人の女官もダメ。

陛下とは輿入れの際顔を合わせたきり、一度も会っていない。

極度の恥ずかしがり屋なのか輿入れの時も終始下を向いており、本当の意味では一度も顔を合わせていないそうだ。


「甘いものがお好きと聞いていたので、何度か菓子など差し入れてみたのですが、全て拒否されてしまいます。最近はお食事もあまり召し上がらないようで……」と紫雲さんは言っていた。



しばらくして侍女の松子さんが言う。


「皆下がりましたので、御簾をお上げいたします」


上げると言うが実際はカーテンなので左右に開く。


私は跪いたまま顔を伏せ、帳が開いたところでまた顔を上げた。


……おや?


目にした尚子様は、すこし意外な顔をしていた。


年齢は15、6だろうか。

まず、顔のおしろいはそれほど厚くない。口紅はおちょぼ口ではなく、元より少し小ぶりなくらい。

そして眉毛はきちんと生えていて、眉墨は使ってない。


少し古風な化粧をしているかな?くらいの娘だった。


私が観察するようにしげしげと見つめていると、尚子様の顔がだんだん赤くなり、わなわなと震えだす。

そしてばっと顔を伏せてしまった。


「御簾を下ろして!早く!」


寝台に突っ伏したまま叫ぶ尚子様。

侍女さんが慌てて帳をしめる。


「え……」


強制終了?

まだ一言も喋ってないのに?時間オーバー?

これ握手会か何か?


「嘘つき!お前は日本の言葉を話すし、日本人の血が流れてるって言ったじゃない!だから御簾を上げたのに……」


帳の中からくぐもった声がする。


「そ、その通りですよ!尚子様と同じ日本の血筋です」


本当は血筋どころか生粋の日本人ですが……


「同じじゃない!全然違うわ!だってお前は───とても細いじゃない!」


「……え、細い?」


それ私の体型のこと?細いって生まれて初めて言われましたが……。


「尚子様……」


侍女さんが沈痛な声を漏らす。


そして状況が掴めず困惑する私を見かね、詳しい事情を話してくれた。



*  *  *



「………なるほど、そういう事でしたか」



どうやら尚子様は自分のふくよかな体型をとても気にされているとのこと。


祖国ではふくよかな女が美しいとされ、尚子様は幼い頃から玉のように愛らしいと評判の姫君だった。


しかし、この覇葉国にいざ着いてみると、男も女も皆ほっそりとしている。そして美しい。


尚子様は自らの美意識と女としての自信を失い、人前に姿を現せなくなったという。



「別に……ここへ来て初めて知った訳じゃないわ。輿入れの前、使節団が持ってきたこの国の美人画を見たの。皆ほっそりして美しかった。化粧も全然違う。だから私もあの絵のようにならなければと思って……」


それから眉毛を抜くのをやめて、大好きなお菓子も我慢していたという。


「だけど体はちっとも細くならないし、顔も下ぶくれのまま。何も変わらない!」


声に含まれる悲痛な嘆きが、だんだんと怒りに変わっていく。


「覚悟はしてたけど、いざこの後宮に来てみれば、下働きの女官でさえ皆私より細くて綺麗なの!それに……」


何かを思い出すように一瞬途切れた声。


「それに何よあの紫の宦官は!坊主のくせになんであんなに綺麗なのよ!?男ですらあんな美しいのに囲まれて陛下は暮らしているのよ?私の姿を見たらきっと……」


怒りが悲しみになり、涙声になる。


「あー…あの宦官は、ちょっと特殊だと思いますが……」


尚子様は外に出ないし、ここへ頻繁に通っていた宦官は彼だけなのでそう思うのも仕方ないだろうが。


「唯一の自慢だった肌にも、最近は吹き出物ができて……もう、お仕舞いよ……誰にも会いたくない。国に帰りたい……」


尚子様につられて侍女さん達も涙ぐむ。


彼女らも総じてふくよかな丸顔である。

体型は衣装がゆったりしているのでよくわからないが、確かに肩は丸みを帯びている。

国内外から女が集まる後宮へ輿入れということで、祖国では選りすぐりの美女を揃えたのだろう。


先ほど見た尚子様の顔を思い出す。

たしかに丸顔ではあったが、侍女さん達よりはずいぶん細く見えた。

これまでのダイエットは功を奏しているのだろう。

肌に吹き出物なんか、あったかな?



ここで分かったのは、尚子様がただのわがまま姫ではないこと。

彼女はきちんと努力して、輿入れ先の文化に合わせ陛下に好かれたいと切に願っている。


健気で可愛らしい方だと思った。


ぜひ力になりたい。



「尚子様、お菓子を控えるのは良い事ですが、食事は召し上がった方がよろしいかと。逆効果になるかもしれません」


「────え?」


私がそう言うと、泣き声がぴたりと止まった。


「食事を抜くと血糖値…じゃなくて、それだけ身体が栄養を欲し、余計に溜め込もうとします。なので少しの食べ物でも余計太るようになるのです。

少量を複数回に分けて食べ、極度の空腹や満腹を避けるのが良いでしょう」


「……本当なの?」


「はい。私も昔はもっと太っておりまして。色々と試行錯誤の末この方法で今の体型になりました」


私の体型はまさに中肉中背ではあるが、ここでは細身ということにさせてもらおう。


「とくに朝は、食べても1日の活動で消費してしまいますから、気にせずお召し上がりください。甘いもの、果物などもぜひ」


帳の向こうで突っ伏していた尚子様が起き上がる。本当は甘いものが食べたかったのだろう。


「それとお顔の吹き出物ですが、胃腸の疲れからくるものかもしれません。この国の食事は油が多いので、もっと淡白なものが用意できないか聞いてみますね」


今度は侍女さんたちが嬉しそうに顔を見合わせる。


ふだん洋中ジャンクフードも食べてた私でさえ最近は和食が恋しくなる。彼女らにとってここの食事は口に合わないのかもしれない。


「あと最後に、お顔を少しだけ細くする手技をお教えしたいのですが……」


「御簾を上げて!早く!」


帳は再び開かれた。


こんなことなら元の世界にいたとき、もっと美容系YouTuberをチェックしておくべきだった。BLボイスコミックばかり見てるんじゃなかった。


せめてもと、推し現場の直前にだけやる小顔リンパマッサージを尚子様へお教えした。


鏡を見ながら、鎖骨や耳の下をぐりぐり。


「今マッサージした右側と、なにもしない左、顔を見比べてみてください」


「すこし頬が上がってる……かも?」




こうして何度か東櫻宮を訪れていくうちに、私と尚子様の間に御簾は無くなっていった。

加えて少しずつだが覇葉人の女官とも打ち解けているようだ。



しかし本題はここからだ。

尚子様には陛下と対面してもらわなければならない。


さすがに尚子様が自身の容姿に納得するまで待つ……なんてのは本末転倒。


そもそも御簾を下ろしているのは尚子様だけじゃないはずだ。

あの寡黙な陛下にも心を開いてもらわねばならない。


さて、どうしたものかと考えながら私は東櫻宮を後にした。



************************************************



【こぼれ話】


大陸では倭国=日本という名が正式に認められてはいますが、あくまで形式上のもの。

昔から倭国と呼んでいる覇葉人には全く浸透していないのが現状です。

だからトウコが召喚された時の3人が「ニホン…??」という反応だったわけです。

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