ワケあり赤ずきんちゃんの恋愛事情
碧居満月
Ⅰ. 赤ずきんちゃんと残酷な堕天使さま
堕天使の噂話
日本海側の、海沿いに面した
海山町は新森市内の中でも人口が四千人と少なく、保育園を経て幼稚園を卒業後は、小中一貫の学校に通っていた。片田舎と言うのに相応しい故郷だった。
当時、中学三年生だったまりんはその年の春に学校を卒業後、かねてより思い描いているフラワーデザイナーの夢を追って、フラワー専門科がある県立
そしてここから、非日常生活が始まる。それまでは特殊能力などと言う摩訶不思議な力とは無縁の生活を送っていて、どこにでもいるごく普通の女子高校生だった。
それがあんな事態にまで発展、自身が普通の女子高校生だと信じて疑わなかったのにまさかの事実が判明して……
などなど、引っ越した先でまったく予期していなかった出来事に巻き込まれようとは、この時のまりんは知る由もなかった。
卒業式当日、それは起きた。海山町で唯一開店している小さなカフェのテラスにて、仲のいい同級生のえっちゃんこと
いつもの場所でえっちゃん、みのりちゃんと別れ、まりんはひとり、自宅へ向けて歩を進めていた。
この地域では毎年、五月の中旬頃になると田植えが始まる。そのため、春の陽気漂う三月のこの時期の
アスファルトで塗装された田圃道をまっすぐ進み、右側へ曲がりかけた時、息を呑んだまりんは異変に気付き、近くの電柱に身を隠す。緊張するあまり、顔が強張った。恐るおそる電柱の陰から顔を出したまりんは、前方を凝視する。
三つ編みに結わいた紫紺の長髪、紅蓮の炎を身に纏っているかのような、真っ赤な着物と裾が絞れた
まりんから見て、向かって右手側には私服姿の少年達の姿、そして紅色の狩袴に白色の狩衣、ウェーブした焦げ茶色の長髪を一本結びにした小学生くらいの、容姿端麗な少年が路上に倒れる子供達を背に、前方の男と対峙していた。
あそこで一体、なにが起きているの?
まりんが訝っていると、真っ赤な着物姿の男が動き出す。徐に、左手に携えた、赤い飾り房付きの、黒い剣を鞘から引き抜き、一振りする。
次の瞬間、銀白色の光が楕円形に広がり、アスファルトの路上に倒れる少年達の周りを覆って、剣先から
すごい……あの少年……自力で結界を、張ることが出来るのね。
感心しつつも、まりんは目を
現実の世界で、非現実的な要素てんこ盛りのこの状況……これは首をつっ込まずに逃げた方が良さそうだ。
気転を利かし、まりんはそ~と電柱から離れると、光の速さで来た道を引き返したのだった。
明日は、卒業式だ。小学生の頃から中学生までの九年間、慣れ親しんだ校舎ともお別れの時がやってくる。
お世話になった先生方、九年間を通して仲良くなった同級生の友達と離ればなれになってしまうのは淋しいが、まりんにとっては小さな頃から思い描く夢へと向かって旅立つ時でもあった。
一般人として、現実の世界でいつもと変わらぬ生活を送る。夢と希望を胸に、卒業式から一週間後には海山町を出る。
新たな地でスタートする新生活を楽しみにしているからこそ、首をつっ込む気はなかった、筈なのに……気がつくと、町外れに聳える、古い日本家屋の屋敷前まで来ていた。
海山町に、古くから伝わる噂話がある。この屋敷は江戸時代に建てられたもので、先祖代々、受け継がれてきた長者が住まう屋敷だった。
そして、屋敷の地下には祠があり、天と地を揺るがすほどの強大な力を持つ
堕天使は、町に災いをもたらす負の象徴として怖れられており、屋敷を管理する長者は、先祖代々続く、強大な霊力を持つ退治屋としても知られ、先祖が封じた堕天使が再びこの地に復活することがないよう、祠の上に屋敷を建てて監視をしていた。
この噂話がもし、本当だったら加勢出来るかもしれない。自力で結界を張り、あの男から三人の子供達を守っている……あの、美少年に。
まりんが見た限り、僅かだが結界にヒビが入っていた。男の攻撃を受けて生じたヒビであれば少年の結界は、そう長くは持たないだろう。
堕天使の封印を解けば、特殊能力を持たない単なる人間であっても、あの男と戦える筈だ。まりんはそう考えたのだ。これが後に、浅はかな考え方だったと後悔することになるのだが。
まりんは意を決し、長い歴史を感じる立派な門構えの、屋敷の敷地内へと足を踏み入れた。
古びた木戸を押して、静まり返る敷地内の奥へと歩を進める。庭園を構えた長者屋敷の全貌が姿を現し、その前でまりんは立ち止まった。
そこはすでに廃墟と化していた。長者が住むに相応しい、大きくて立派だったかつての面影を残すこの屋敷の所有者は、十年ほど前に病死。以降、ずっと空き家となっており、廃墟と化した屋敷の外壁の所々はヒビ割れ、
長い間、風雨にさらされ続け、手入れが行き届いていない荒れた屋敷と庭園、まっぴるまなのに、今にも人ならざる者が出てきそうな、不気味で陰湿な空気が漂っていた。
本当に……あるのかな? こんな場所に、堕天使を封じた祠なんて……
お化け屋敷よりも怖い雰囲気を纏う屋敷におののきながらも、勇気を奮い起こし、まりんは屋敷の敷地内を調べてみることにした。
屋敷の正面玄関から左回りに屋敷を半周した時だった。地下へと通じる石段が姿を見せたのは。
石垣に囲まれた古い石段を覗き込むと、夜の帳よりもはるかに深い漆黒の闇が広がっているため、先が全く見えなかった。今にも吸い込まれそうな暗闇に、まりんはごくりと生唾を呑み込む。
このままだと怖くて足が竦んでしまうので、自力で結界を張り、身を守っているあの美少年の顔を思い浮かべながら一歩一歩、石段を降りる。
スマホの灯りを頼りに石段を降り、細い通路をまっすぐ進むと、古びた鉄製の扉が姿を現した。どうやらここが、地下室への入り口らしい。
なんとも不気味さ漂う扉の前で立ち止まり、再び生唾を呑み込んだまりんは、恐るおそる手を伸ばし、扉を開けた。
そこはまるでギリシアの首都、アテネにある古代ギリシアの、パルテノン神殿の一部を切り取ったような造りの広い、大理石の祠だった。
全面に広がる床の中央部には、十字架に組まれた大理石の柱があり、まりんの目は、十字架に組まれた柱に注がれた。
錆びた短剣で柱に打ち付けられた美しき青年の天使の像が、天窓から射す陽光に照らされ光り輝いている。
まりんは、吸い寄せられるように祠の中に足を踏み入れた。翼があり、いかにも天使と思わせる衣を着た美しい青年の像の前で立ち止まる。
全身が白色の像となっているため、その正体が天使であること以外は不明だが、彼こそが、海山町に古くから伝わる噂話に出てくる堕天使なのだろう。
「もしも……あなたが堕天使なら、私の願いを聞いて。自力で結界を張ることができ、敵と戦う武器を
切実たる願いだった。堕天使の力があれば、少年に加勢することが出来る。三人の子供達を救ってあげられる。その一心で、まりんは切願した。
辺りが静まり返っている。白色の天使の像は、まったく動く気配がない。やはり、単なる噂話だったのか。そう思い、肩をすぼめて白い天使の像に背を向けた時だった。
――その願いを叶えたければ、私の言うことに従え――
心地好く澄んだ若い男の美声が、どこからともなく聞こえた。
今の声は……どこから?
突如として聞こえて来た男性の声に、辺りをきょろきょろとしたまりん、はたと思い当たり、ゆっくりと振り向いた。
まさか……ね。
背にした天使の像に視線を向けつつ、動揺するまりんは心を落ち着けようとした、その時。再び、心地好くも澄んだ、若い男の声が聞こえた。
――私の左胸に刺さる、錆びた短剣を、君の手で抜いてくれ。そうすれば、切実たる願いが叶うだろう――
まりんは、確信した。今の声の持ち主はきっと……白い天使の像だ。天使が……私に語りかけてきた。
願いを叶える代わりに、自身の左胸に刺さる、錆びた短剣を抜いてくれと、天使が交換条件を持ちかけてきたのだ。
町の噂話が本当なら、白い像になっているこの天使は、町に災いをもたらす堕天使だ。彼の言うことを聞いて、左胸に刺さる錆びた短剣を引き抜いてしまったら……封印が解けて、堕天使が復活してしまう。それなら……
「約束して。この町と……この地球と、地球に住む全人類に危害を加えない、誰ひとりとして殺さないって。約束を厳守してくれるのなら、あなたの指示に従うわ」
像の前まで闊歩し、毅然たる態度でまりんはそう、天使の像に掛け合った。
――約束しよう。この町と地球そして、地球に住む全人類には手を出さないと――
白い天使の像がそう告げて、まりんと約束を交わす。まりんは、白い天使の左胸に刺さる、錆びた短剣に手を伸ばし、引き抜いた。
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