第31話 黒い霧、再び

「ふうっ。なんとか……なったのかな」


「な、なんということだ……。お前さん、本当に吸血鬼君主を倒したのか?」


 ハツカが吸血鬼君主が完全に活動を停止していることを確認した後、ギルドマスターであるフオーコが話かけてきた。


「お前さんはこの前まで確かに魔物一匹倒せんかったはず。それがなぜ?」


「なぜっていうか……、それは……」


「説明する必要はない。この場とおぬしを主殿が守った。それだけのことじゃ。違うか?」


 チラチラと様子を伺うハツカに代わってメデュラが答える。

 一瞬ピリっとした空気が流れるが、フオーコが微笑んだことで弛緩する。


「フォッフォッフォ。確かにそうだな。ワシにお前さん達を詮索する権利があるわけじゃないしの。何よりまず救ってくれたことの礼を言わねばならん」


 フオーコは改まって、ハツカとメデュラに頭を下げる。


「此度は本当に助かった。リールカーム冒険者ギルドマスターとして感謝する」


「いやいや、そんな。頭をあげて下さい」


「そうじゃ。それに……まだ終わってはおらん」


「メデュラ、それってどういう……」


 ハツカが問おうとした瞬間、ギルド内にもやっと黒い霧が現れる。

 それは広く室内を満たしたかと思うと、吸血鬼君主の上に渦を巻くように集まり始める。


「くっくっく、さすがは超越者。なかなかの拳であった」


 黒い霧の渦の中心から、ダズヒルの声が響いてきた。


「なにっ!?」


「まだ生きておったのか!」


 慌ててダズヒルの死体を見るが、動きは無い。

 しかし、黒い霧はダズヒルの声で話し続ける。


「心配するな。この分身体はもう死んでいる」


 黒い霧が笑うと、床に倒れていた吸血鬼君主の体が、徐々に黒い霧に変わり、声のする渦巻く黒い霧に吸い込まれていく。


「ふんっ、おおかた本体はずっと森の奥の隣村から覗いておったのじゃろう。趣味の悪いことじゃ」


「くっくっく。流石に精霊様は謀れない。お察しの通り、我の本体は隣の村にいる。あそこは森に囲まれていて薄暗く、居心地がいいものでな」


「念のために聞くけど、村の人たちは?」


「分身体が言った通り、全員餌にしたうえで魔物に変えてやった。なにせこちらは千年ぶりに復活したのでな。腹が減ってかなわん」


 分かっていたことだが、ダズヒルの返答に感情を抑え切れず、ハツカは拳をキツく握る。


「お前は絶対に許さない。今から隣村に向かうから覚悟しておけ」


「ほお、覚醒したての超越者が我を殺しにくるか。それは楽しみだ。念のため言っておくが、我はその分身体の三倍は強いぞ」


「何倍強くても関係ない。お前は僕が倒す!」


「良い気迫だ。期待して待っているとしよう。だが、ただ待っているだけではつまらん」


「いかんっ! 主殿! あやつを止めるのじゃ!」


「えっ!?」


 黒い霧は、気付けば床に寝ていたシルルの側に移動していた。

 霧はそのままシルルの体に絡みつくと、浮かびながらその身を吊り上げる。


「シルル! 彼女を離せ、ダズヒルっ!」


「必死だな、超越者。森で命を賭してまで守ろうとした女だ。大切なのだろう」


 霧の中、目だけを実体化させたダズヒルがニヤリと笑う。


「三時間待っていてやる。それまでに我が本体を倒せれば良し。出来なければ、この女は我の食事だ」


「そんなこと、絶対させない」


「ならば早く我の元に来ることだな。例え人間相手だろうと約束は守るが……」


 黒い霧から手が実体化し、シルルの身体を撫で回す。


「我は腹が減っている。我慢できるかどうかは保証できんなあ! ハーッハッハッハ!」


「くそっ! やめろ!」


 ハツカが黒い霧に飛びかかるが、霧はゆらりとそれをかわす。


「忘れるなよ、超越者。この女の首には常に我の牙がかかっていることを」


 今度は霧の中から口が実体化し、シルルの首に舌と牙を這わす。


「それと、森中の魔物にこの街を襲うよう命令を出しておいた」


「なっ!?」


「真っ直ぐ我の元へ来るのもいいが、そこで眠っている連中だけで、我が魔物達に対応できるかな」


 ブラッドウルフやブラッドバッドなら、リールカームの冒険者でも対応できるだろうが、ほとんどがDランク以下なので、グールの大群相手では分が悪いだろう。


「くっ、汚いぞ」


「なんとでも言うがいい。人間は我の掌で踊っていればいいのだ。では失礼する。来訪を楽しみに待っているぞ、超越者よ。ハーッハッハッハ!」


「待てっ! ダズヒル!」


 ハツカが手を伸ばすが、黒い霧はシルルと一緒に虚空に溶けて消えた。

 おそらく本体のいる隣村まで転移でもしたのだろう。


「くそっ!」


「待つのじゃ、主殿」


 すぐ踵を返しギルドから出ようとするハツカの腕を、メデュラが掴む。


「離してよ、メデュラ」


「分かっておるじゃろ。敵の待つところに向かうなど、罠の中に飛び込むも同義じゃ」


「そんなこと、分かってる」


 あの吸血鬼君主は狡猾だ。

 おそらくハツカを倒すため、二重三重の準備をして迎え討つ気だろう。


「それでもシルルを助けにいかなきゃいけないんだ」


「ふんっ、そんなこと分かっておるわ。じゃが、一人で向かうことは認めん」


「えっ」


 隣村に行くこと自体を止められると思っていたハツカは虚をつかれた。


「あやつの策ごときで主殿がやられるなどと、妾は思うておらぬわ。じゃが、念のためオッさんと妾は連れて行くのじゃ」


「ええっ、危ないよ! メデュラもだけど、オッさんもだなんて」


 グールの巣窟となっているであろう隣村に一般人のオッさんを連れていくなど危険すぎる。


「本人は行く気まんまんのようじゃが?」


「どういうこと?」


 メデュラが指差す方を見ると、オッさんがストレッチをして体をほぐしていた。


「ええっ!? オッさんいつの間に起きてたの!?」


 こちらに気付いたオッさんが、グッと親指を立てる。


「いやいや、ダメだよ。さすがにオッさんを連れて行くわけには……」


「吸血鬼君主の怖さはその手札の多さじゃ。多彩な絡め手故に対策が難しい。それに比べ、こちらの手札は髪の毛一択。せめていついかなる時もそれが使えるようにしておかなくては、何があるか分からん」


「けど……」


 それでもハツカが渋っていると、オッさんがポンと肩を叩いてきた。

 まるで「仲間じゃねえか」とでも言うように、「きゅっ」と優しく微笑んでいる。


「……オッさん!」


「それに魔物をけしかけられた今となってはこの街自体の危機じゃ。オッさんとてこの街に居を構える身。守りたいものの一つや二つあろう?」


 メデュラの言葉にオッさんが「きゅー!」と元気に返事をする。


「決まりじゃな」

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