19 可喜可賀
天は高く、澄み切った青がどこまでも遠く広がり、本日は雲一つない見事な快晴である。
こんな日は、気持ちよく散策に出かけるか、はたまた日向で丸くなってまどろみを楽しむかに尽きるのだけれども、実際問題として、そんなのんびりとしている余裕は、今の私には一切なかった。
「……ええと……建設補助の木の氣の
ぶつぶつと呟きつつ、今日も今日とてこの私、
先達ての、青妃様が煽動した内乱から、既に二か月が経過している。もう二か月、と言うべきか、まだ二か月、と言うべきかは、未だに非常に悩むべきところではある。
あの内乱で、皇宮も城下も荒れに荒れ、今なお復旧作業にあちこちがてんやわんやしているというのが現状だ。現在も
あの内乱の実態のすべてを、正確に理解しているのは、おそらく当事者であった
青妃様がなぜあのような凶行に至ったのか。そもそもなぜ
――
――僕はそれで十分だよ。
そう言って、何やら憑き物が落ちたかのように微笑んだ
そんな
その間に何があったのかと問われれば、まあ本当に、それなりに色々あった。青妃様が主犯であったことはすぐに知れ渡る事実となり、彼女の生家である春家は責任を問われる運びとなった。いくら青妃様ご自身がその命を散らしたとしても、それで「はい終わり」とするわけにはいかないことくらい、私にも解る。
なお、彼女の護牌官である宵華様は、青妃様が亡くなったことを知ると、自ら命を絶たれた。
あの内乱の日、彼女が青妃様の元に辿り着く前に、先に私のほうが
また一つ罪が重なってしまったね、なんて、冗談にしては笑えなさすぎる発言をかました彼の頬をつねり、「半分こですよ」と進言させていただいたのは記憶に新しい出来事である。
青妃様に利用されただけとはいえ、内乱に手を貸すことになった黒妃様は、幸いなことに命は取り留めた。私の治療用
ただし問題は、彼女の
この五星国で、龍氣を封じられては、まずまともに生きてはいけない。だからこそ彼女は極刑をまぬがれ、生家である冬家に生涯の謹慎を申し渡された。
もしかしたら死んだほうがマシだったと、彼女は言うかもしれない。私のことを、さぞかし憎んでいることだろう。けれどそれでも、生きていれば。生きてさえいれば、未来はあるから。どうかその『当たり前』に、彼女もまた気付いてほしいと思う。
ああそうだ、生きてさえいれば、と言えば、朱妃様の護牌官である煉鵬様と、黒妃様の護牌官である氷雅様も、前者は元気に、後者はぎりぎり、という注釈は付くものの、どちらもちゃんと生きている。
女子会と表されて追い出された煉鵬様は、氷雅様によって捕らえられてはいたものの、そこに朱妃様と白妃様が駆けつけて事なきを得たそうだ。ついでに氷雅様は、今度はご自身が宵華様によって虫の息にされて捕らえられていたそうだが、そこをなんとか生き延び、今は妹姫である黒妃様とともに、春家同様に責任を問われている冬家にて謹慎……というか、幽閉されている、のだそうだ。
誰も彼もが救われたわけではない。そんなことは当たり前だ。私にとっての幸運が、誰かにとっての不運になる。それはきっととてもずるいことで、けれど逆もまた然りなのだから、私は今回の『幸運』を粛々として受け止める所存である。
ううむ、それにしても、そろそろ疲れてきたな。本日の達成目標まであと何枚だろう。休憩を入れるべきだとは解っているけれど、こうなると一気に仕上げてしまいたいところだ。
というわけで、さてお次は……と、絵筆を握り直し、新たな
「
「あら、
そっと声をかけられて顔を上げると、いつの間にか
そんな私を、
「ちょ、ああああああの、
「休憩、休憩。僕も君も、そろそろ休憩すべき時間だよ」
「そんな勝手な……!」
「この五星国では僕が法律だから問題ないさ。安心して」
「どこをどう安心しろと…………って、ああもう、はい、ご自由にどうぞ……」
ここで下手に暴れて
「……あの、
「うん?」
「いえ、あの……」
「何?」
「…………なんでもございません」
「ふふ、そう」
負けた。圧倒的敗北感に打ちひしがれるより他はない。降ろしてくれるどころか、
ものすごく突っ込みを入れたいところだというのに、輝かしい笑顔の圧に黙殺されてしまった。悔しいけれど勝てる気がしない。というわけでやはり私の敗北なのである。
私が抵抗を諦めて大人しくなったことに敏く気付かれた
「お疲れですね」
「……解る?」
「いくらなんでも解りますよ」
「ふふ、ふ、ははっ、そう? そうかな。君くらいだよ、そんなことを僕に言うのは」
褒められているのかとがめられているのか、絶妙なところで判断に困る言い回しである。とりあえず、今なお続く内乱後の復興施策に追われてこれ以上なくお疲れの覇王サマの頭を、なでなでと撫でる。甘えるようにすり寄ってくる彼に、思わず苦笑がこぼれた。
「お疲れ様にございます、
「…………うん」
あ、これは甘える“ように”ではない。完全に私に甘えるおつもり満々だこのお方。けれどそれを拒絶する気になるはずもなく、私はゆっくりと彼のすべらかでなめらかな、とろけるように柔らかい髪を指で梳く。
穏やかな風が吹く。季節は巡る。この五星国は、これからもこうして続いていくのだろう――――と、そこまで思って、不意に「あ」と思わず声をもらしてしまった。私の髪に顔を埋めていらした
「このようなことを私が申し上げるのは僭越ではございますが、あの、このままでは後宮制度そのものが変わってしまいそうですよね?」
そうだった。なんとなく聞けずじまいになっていたけれど、今回の内乱の主犯は、あろうことか青妃様と黒妃様だ。四人の妃のうち、その半分が皇帝に対して反旗を翻したと言うことになる。
それはひいては、十年前の季家の反乱――正確には冤罪であったとはいえ――に繋がる結果になってしまうのではなかろうか。現在進行形で責任を問われている春家と冬家。あくまでも青妃様と黒妃様の個人的な暴走が根本的な原因であるとされているから、春家も冬家も季家のように断絶にまで追い込まれはしないだろうけれど、それでも今まで通りに再び新たなお妃様を擁立する……というのは、四方八方からそれはいかがなものかと言及されかねない。でも。だがしかしだ。
「五星国の龍脈の安定の要は、確かに
お妃様、という形に囚われる必要性はないのかもしれないけれど、五星国の存続のために引き続き四大貴族もまた存続を求められるだろう。かつては五大貴族と呼ばれた、その一角であった季家の血が、今となっては
「そもそも、
そういえばそうだった。だからこそ、私とこのお方の『賭け』は始まったのだ。
けれどそれは、よくよく考えてみなくても、とてもとても、それはもうものすごくまずい決心なのでは……?
そうだとも。五星国は五行のことわりの上に成り立っている。五つの氣の流れにより安寧を保つ国だ。その要となるのが皇帝であり四大貴族であるというならば、ここで
まさか、と思いつつ、恐る恐る
「うん、たぶん
「と、申しますと、もしかしてもしかしなくても……」
震える声で問いかけると、ふふ、と
視線を逸らすこともできずに顔を引きつらせると、そんな私の鼻先に、彼はちゅっと音を立てて唇を寄せた。不意打ちに硬直する私の耳元に、その唇が寄せられる。
「そうだよ。こんな国、滅んでしまえばいいと思っていたし、滅ぼしてしまおうと思っていた」
とっておきの秘密を打ち明けるように、楽しそうに、そしてどこかさびしそうに、
ああ、やっぱり。やっぱり、そのおつもりだったのか。そう納得してしまう自分が確かにここにいて、改めて無性に悲しくなる。
「
「は、い」
「嫌だな、そんな顔をしないで」
「も、うしわけ、ございま……」
「謝ってほしいわけじゃない。ただ僕が、君の泣き顔より、君の笑顔のほうが好きなだけ。まあ僕のために泣いてくれるその顔も、もちろんとても好ましいけれど」
「…………ひどい」
「うん、ごめんね」
ごめん、ともう一度繰り返して、
このお方、は。
ぐぅ、と、喉が奇妙な音を立てて、そのまま嗚咽が飛び出しそうになる。けれどその寸前で、片手で身体をさらに抱き寄せられ、もう一方の手でくい、と顎を持ち上げられて、顔を覗き込まれてしまい、情けなく泣き出す機会を失ってしまう。
「――――やっぱり、傷痕が残ってしまったね」
どんな
「こ、んな、傷痕くらい、大したものではないと、もう、お伝えしたでしょう?」
大丈夫なんですよ、と、いまだに震える声でそう続けると、
「君がそう言ってくれるから。君が、その傷痕に後悔がなく、僕のそばにいてくれると言うから。だから、もう、いいんだ」
「もういいって……」
「だから、滅ぼさなくてもいいかなって。
つん、と唇を尖らせて、今度こそさも悔しさをあらわにしてそうぼやく
いいや、傲慢でもなんでもいい。私はもう、頼まれたってこのお方から離れてあげる気なんてないのだ。問題は山積みだろうけれど知ったことではない。大丈夫だ。大丈夫なのだと、そう思える。だって私とこのお方の先には、まだまだあまたの可能性に満ちた未来が広がっているのだから。
だから、とこぼれそうになる涙をこらえて、唇をきゅっと噛んで笑ってみせる。そんな私を、なぜかまぶしいものでも見るような目で見つめてきた
「あと、
「え」
「あ、いや待って、嘘。いや嘘ではないのだけれど、子供はもう少し先でいいよ。僕はまだまだ君を独占していたい」
だからこの話はまた今度、とうそぶく
――でも。
このお方が、自らの御子を望まれる。そこにどれだけの覚悟が宿っているのか、もう理解できてしまうから、私にはもう最初から断るなんて選択肢はなくて、ふふふ、と不敵に笑い返してみせるのだ。
「お互いの腕が足らないくらいに、子だくさんの家族になりましょうね」
「ははっ! うん、楽しみにしてる。ああ、うん……うん、本当に、楽しみだね」
金色の輝く瞳を幸せそうに細めて笑う
「
「はい?」
「愛してる」
「……へ」
今、さらりと。さらりととんでもない爆弾発言をされた気がしたのだけれど、気のせいだろうか。あまりにもこうさらりとしすぎていたものだから聞き間違いかと思ってしまう。
「駄目だな、いざ口にしてみるとこんなにも安っぽい台詞になるのか。でも他になんて言ったらいいのか……大好き、だけじゃ足りないし、君がよくて君じゃなくちゃ駄目なのも事実で、でも、いまいち浪漫に欠けるというか……昨今の戯曲はどんな言い回しをしているのかな。ねえ
「っ私も!」
ぶつぶつと呟きながら悩ましげに整った眉を寄せる
もともとこれ以上なくくっついていたのに、さらに顔を近づけることになって、さすがの
「私も、愛しています。
あなただけを、と重ねると、金色の瞳が大きく見開かれた。はくり、と淡く色づく唇がわなないて、やがてその唇は、柔らかで甘やかな、とろけるような笑みの形を形作る。
「そうか。愛してるって、それだけでいいんだ」
「ええ、そうですよ。そのための、愛してる、でございます」
そうしてどちらからともなく重なり合った唇は、どんな砂糖菓子よりも甘くて、あまりにも甘すぎて、うっとりと酔っぱらってしまいそうなほどだ。
ああ、そうだ。きっと、このときのために、私は今まで生きてきた。そしてこれから私は、
途方もなく広く広がる世界が、こんなにも愛おしくて、大切で、そのすべてが
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