8-③ 土精
五年前、私が十三歳になったばかりのころに、質の悪い風邪をこじらせて、驚くほどあっさりと死んでしまったけれど、あの人との日々は、いまだこの胸に確かに残されている。
私の言葉に、ゆるゆると
「カイ、ジン?」
ほんとうに? と音にせずに問いかけてくる彼に、頷きを返す。
「はい。私に
もうその声を思い出すことは叶わないけれど、私が
私が駄目押しのように続けた台詞に、
「
きみが、と、もう一度繰り返して、そうして彼は、再び顔を上げる。もう瞳は潤んではおらず、いつものそれよりもいびつだけれど、それでも確かに美しい笑みをそのかんばせに無理矢理浮かべて、
「怒鳴って悪かったね。君の師が仁であるならば、君が土の
「……さようにございます」
「だろうね。ふふ、そう、そうか。これが運命なのだとしたら、はは、随分と皮肉が効いているものだ」
あーあ、と溜息交じりに天井を仰いだ
「
どうぞ、と寝台を示されて、一瞬迷ったけれど、結局
なんとも居心地が悪くて縮こまりながらちょこんと腰を下ろす私に、ふふ、とようやくいつもの調子で
「どこから話そうかな。とりあえず、
「……その、当時は五大貴族であった大貴族の一角である、今は断絶した『土』を司る季家の皆様が、先代の皇帝陛下に反旗を翻し、逆賊として一族郎党全員……」
「うん、全員、処刑されたね」
「……」
さらりと頷かれてしまい、言葉に詰まる。なぜならば、目の前のお方は。
「正確には、当時黄太子だった僕を除いた、季家の者全員が、と言うべきだとは理解している?」
「…………はい」
そう。当代の皇帝陛下たる
この事実は、十年前の内乱を知る者であれば誰もが知っているそれであり、同時に、誰もが口を噤むそれでもある。生活に欠かせない土の
その上で、養父は、私に、土の
いくら皇帝陛下であるとはいえ、今となっては季家唯一の生き残りでいらっしゃる
「あの内乱はね、仕組まれたものだったんだ」
「――――え?」
「つまり、冤罪。父上……先代皇帝と、今でいう四大貴族の計らいで、季家は滅亡に追い込まれたんだ」
「……っ!?」
それ、は。いったい、どういうことなのか。言われていることが理解できずに、ただぽかんと口を開けるばかりの私の間抜けな顔が面白かったのか、くつくつと喉を鳴らした
「五行のことわり、はもちろん知っているよね」
唐突と言えば唐突な確認に、反射的に頷きを返す。五行、すなわち、火、水、木、金、そして土という五つの属性で世界は構成され、それらがひとしく並び立つことで、世界の調和が保たれているという考えであり事実である。その一つ一つの属性を強く宿した一族が四大貴族、正確にはかつての五大貴族だ。そして、その大貴族が宿すそれぞれの属性の龍氣を平定し、龍脈を正しい流れに整え、国を安寧に導くのが、皇帝陛下の役割でもある。
その一般常識がどうかしたのかと視線で問いかけると、
「僕がね、強すぎるんだそうだよ」
「…………え?」
「だから、僕の龍氣が。僕が宿す土の属性の龍氣は、現在の四大貴族一門全員の龍氣を合わせて、やっと平衡が保てるほどのものなんだって。僕が生きている限り、龍脈は乱れ、国は荒れる。だから先代と、四大貴族は、十年前に季家に迫ったんだ。五行のことわりを守るために、僕を殺すか、あるいは僕以外の一族郎党すべてが死ぬかを」
極端だよね、と、
いくら国のためだとはいえ、そんな、そんなことは……!
頭の中がぐちゃぐちゃになって言葉が出てこない。何か言いたくて、でも何を言ったらいいのか解らなくて、はくはくと意味なく口を開閉させる私を、面白そうに見つめていた
「結果は知っての通りだ。季家は僕の命を取り、あとは全員逆賊として処刑されたよ。そのおかげで、五行のことわりは正されて、めでたしめでたしというわけだ」
「っなにが、めでたしですか……! そんな、そんなことっ」
「怒ってくれるんだ。
「っ!!」
違う。私は優しくなんかない。ただ
まただ。また言葉が出てこない。そのかわりにぶわりと涙がこみ上げてきて、そんな自分がみっともなくて拳を握る。爪が手のひらに突き刺さって痛い。そんな私の拳を、
「君の養父の、
宦官、という言葉に、「あ」と思い出した。そういえば養父と一緒にふろに入ったこともなければ水浴びをしたこともない。極力人前で肌を見せようとしなかった養父のあの態度は、自身が宦官であったと知られないようにするためだったのかとようやく合点がいった。
――ねえ、養父様。あなたは、こうなることを予見していたの?
私が、いつか、目の前の青年の前に辿り着いてしまうことを。いいや、予見とまでは言わないにしろ、心のどこかで望んでいたのではないだろうか。でなければ、私に土の
――あなたの目論見は、成功しましたよ。
とはいえ私が
彼はやはり穏やかに微笑んでいる。もうこの方にとっては、終わってしまった過去なのだ。取り戻せない遠い過去。
それが無償に悲しくてまた涙がこみ上げてきたけれど、なんとか耐えて、「あの」と声を震わせた。
「
三年前、この方は先代皇帝陛下と異母兄弟すべてを弑逆し、玉座に就かれた。自らから奪われたすべてを、取り戻そうとなさったのだろうか。そしてその上で、子を成す気がないからと、私にお妃様方を後宮から追い出させようとしていらっしゃるのか。
手が込んでいるようで、その実非常に解りやすい復讐だ。そんな言葉、こんなにも輝かしく麗しい佳人にはちっとも似合わない。
私の問いかけに、「んん……」とわずかに首を傾げた。
「復讐というよりも、死なないでいなくてはならない理由のため、かな?」
「……先日、私が
「うん、あれは自分でも意外だった。死ぬわけにはいかないのに、君のためならいいかな、なんて思ってしまったんだもの」
「お礼なんて、言えませんからね」
「うん。ただね、あのときが例外だっただけで、本当に僕は、死なないでいなくちゃいけないんだ。それだけは確かだから、安心していいよ」
なんとも回りくどい言い回しだ。そんな言い方で、何をどう安心しろというのだろう。そうなじりたいのに、穏やかに微笑む
「
「少々お待ちください」
不思議そうにこちらを見上げてくる
きょとんと金色の瞳が瞬いて、そのままじっとこちらを見つめてくるけれど、構うことなく絵筆を滑らせる。
鍛冶道具を掲げた低い等身の老人。槌に似た形の蛇。輝ける王冠を被った女性の上半身を持つ蜘蛛。先ほど召喚したばかりのもぐら。他にも次から次へと思いつく限りの精霊の皆様のお姿をまっさらな
「
どうか、どうか、この声に応えて。正式な手順を踏んでいない、その場限りの契約だ。けれどそれでも、彼らは――――土に属する
寝台に座ったままだった
――やっと会えたね!
――久方ぶりよのぉ。
――わたくし達のかわいい愛し子、イイ男に育ったじゃない。
――ああ、ああ、祝杯を挙げなくては、我らのこの再会に!!
明らかな歓喜を宿し、誰もが
散々好き勝手にされているのに、
「
「な、に」
「
「今この場にいらっしゃる土属性の皆様ばかりでなく、どんな方々も、
「……うん」
「
「…………だから、何が言いたいの」
「私は、あなたの力になりたい。あなたが独りではないということを、どうか信じていただけませんか?」
「っ!」
ぶわり、と。
今度こそ二人きりになった部屋で、
「
「……もっと、早く」
「え? きゃっ!?」
慌てて駆け寄って彼の前で跪く私の背に、
「
「もっと早く、君に会いたかった。君がこの国に、この世界にいてくれることを知りたかった」
震える声で紡がれたその台詞に、息を呑む。押し付けられた彼の顔は見えないけれど、濡れた感触が伝わってくるから、彼はどうやら、どころではなく確実に、泣いているに違いない。
けれどそこを突っ込むなんて野暮な真似はやめて、私はそっと自らの両腕を、
そうしてそのまま私は、
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