5-③ 印象

そして私達は、中庭の一角に居する、見事な造りの東屋へと辿り着いた。


「待たせたね」


その言葉に、東屋に集っていた面々が、一斉に立ち上がり、地面に膝をついて両手を組み、こうべを垂れる。その姿の、その光景の、なんて美しいことか!

こんな場合でもなかったら、間違いなく私は大きな白布を用意して、あらゆる顔料を使い、この光景を後世へと残していたに違いない。


「我らが皇帝陛下、夜昊やこう様におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じまする」


そう口火を切ったのは、波打つ藍色の髪を丁寧に結い上げた、深い青の瞳を持つ、楚々とした美貌の女性。数々の青い生花……それも春に限定した花々でその髪を飾っているけれど、そのはっとするような瑞々しい生命力に勝るとも劣らない面立ち。見る者の心を自然と安らがせてしまう、穏やかで美しいその微笑だけで、その身に宿す龍氣りゅうきを読むまでもなく、彼女が青妃たる淑蕾しゅくらい様であると解る。

ならば彼女の背後に控える、五星国ごせいこくでは比較的珍しいとされる女性の武官は、彼女の護牌官ごはいかんだろう。ああ、そういえば、青妃様の護牌官ごはいかん様に関してだけは聞いたことがある。確か平民出身で、その腕を青妃様自ら見込まれて、ご自身の護牌官ごはいかんに取り立てられたのだとか。下町でも、その護牌官ごはいかんとなった女性のことを、「平民の星だ!」と誰もが褒めそやしていたことを今更思い出した。

ははぁ、なるほど、彼女が……と呆けている私を放置して、陛下は「うん」と鷹揚に頷いた。


「わざわざ茶会だなんて、なかなかない機会だ。全員、楽になさい」


その許しの言葉に、跪いていた面々……四人の妃と、その護牌官ごはいかんは、洗練された所作で立ち上がり、円卓の周りに並べられたおのおのの椅子にお妃先様方は腰かけられ、その護牌官ごはいかんたる皆様は彼女達を守るようにその背後に立った。ちょうど、それぞれの家が司る方位通りの定位置だ。返す返すも、壮観、この一言に限る。

ほう、と呆けたまま感嘆の吐息をついついこぼしていると、不意に、この手をぐいと引く手が現れる。言うまでもなく我らが覇王サマである。ぎょっと目を剥く私のまなざしなぞ何のその、彼はそのまま、あろうことか私のことを軽々と、いつぞやと同じように軽々と抱き上げた。ヒッと息を呑む私に、陛下はぱちんと片目を閉じてから、にこやかに円卓を見回した。


「さて、僕らはどこに座ろうかな」


ひいいいいいいい! と、その場で即絶叫しなかった私は、もしかしなくてもとてもすごくて偉いのでは。

がっちごちに硬直する私を抱き上げたまま小首を傾げる陛下に、お妃様方ばかりか、当然のように護牌官ごはいかんの皆様達もまた驚きをあらわにしてこちらを見つめている。

地獄のような沈黙がこの場に降り立った。ぐさぐさぶすぶすと突き刺さる視線の鋭さと言ったら、金の龍氣りゅうきを宿した針鼠の皮衣だって、こんなにも痛くないだろう。

誰もが見つめるその先にあるのは、私の顔、そこにある大きな傷跡である。誰もが「どうしてこんなキズモノが……?」と多かれ少なかれその瞳に疑問を宿して、そのまなざしで私の顔の傷跡を辿る。

いっそこのまま気を失えたら……と私が死んだ魚のごとき目になって現実逃避を始めたころ、ぴっと勢いよく、まだ幼さを残しながらも、その爪を薔薇色に染め、はっとするような色香を宿らせた手が、宙へと持ち上げられた。


「陛下! でしたらぜひとも、この燦麗さんれいのおとなりに! あたくし、今日をとぉっても楽しみにしておりましたの! ほら、煉鵬れんほう、お前も陛下にこちらをおすすめして!」

「姫、いくらなんでも僕がここで口を挟ませていただけるわけがないでしょう。無茶ぶりも大概になさってください」

「何よ、お前はあたくしの護牌官ごはいかんでしょ!? あたくしの言うことが聞けないって言うの!?」

「姫の護牌官ごはいかんとしての僕の任務は、姫をお守りすることであって、姫のわがままを陛下にお伝えすることではございません」

「っもう! 生意気よ、ほんっとうに生意気なんだから! あたくしより年下のくせに!」


その手と同じくまだ幼さを残した、けれどいずれは大輪の花のような美貌を誇るに違いないと思わせる、華やかな美姫。燃えるような赤い髪を左右に分けて結い上げて、赤系統で統一された宝石の髪飾りが、彼女がむきーっと彼女の護牌官ごはいかんであるのだというまだまだ歳若すぎる少年に食ってかかるたび、しゃらしゃらと音を立てる。苛烈な光を宿した瞳の赤が、やはり炎のように爛々と輝いているのが印象的だ。

あらあらおかわいらしい……とついついそのやりとりを見つめていたら、彼女のその燃えるような赤い瞳が、ぎらりとこちらへと向けられた。ひえ、と身を竦ませる私を、彼女のその瞳がじーっと見つめ、そして、赤をまとう彼女、もとい朱妃様は、それでもなお愛らしくフンッと鼻を鳴らした。


「陛下の前でなんて恰好かしら! 女官として……ううん、乙女として恥ずかしくないの? 信じられない!」


ああー……ごもっともでございます……。

あまりにもごもっともすぎて反論できず、もはや反射的に浮かんだ愛想笑いを見せると、「陛下の前ではしたないですよ」と煉鵬れんほう様とおっしゃるらしい護牌官ごはいかんの少年にたしなめられた朱妃様は、またフンッと鼻を鳴らして顔をそむけた。

そんな彼女の、年頃の少女らしい愛らしい姿に、彼女の隣に座る人物が「ははっ」と声を上げて笑った。


燦麗さんれい殿は手厳しいな。いつもあなたがかわいらしくいらっしゃるのも、そのご努力の賜物と言ったやつか?」


凛と澄んだ声音は、女性にしては低いものとされるのだろうけれど、だからと言って女性らしくない、というわけでもない。むしろ彼女だからこその、男女を問わずに惹き付けてやまない魅力がそこにあった。

私を未だに抱き上げたままの陛下とそこは似ているかもしれない、と思いつつ、そおっとそちらを見遣ると、ばちんっと磨きぬいた鏡のような、白銀の瞳と目が合った。そのまままじまじと観察されるように見つめられ、下手に目を逸らすこともできずに大人しくしていると、彼女は――その名を夕蓉ゆうようとおっしゃる男装の麗人は、その凛々しく整った柳眉を下げた。


「……とはいえ、燦麗さんれい殿ほど咎める気はないにしても、きみの恰好も、汚れ具合も、確かにいかがなものかとは俺も思うぞ? 創牌師そうはいしとしては正しい姿かもしれないが、その前に、きみは陛下の御前にはべる女だ。化粧はそれなりにしているようだが、衣装とて女の戦装束。その点、きみは失格ではないか?」


ああああー……これまたおっしゃる通り、ごもっともで……。

白妃様の言いぶりには、怒りや嫉妬は感じられないけれど、純粋に呆れと、なんなら「こいつの頭は大丈夫なのか」という心配まであった。普通に怒られるよりも胸に刺さる感情である。

白妃様には、事前に聞いていた通り、その背後に立つ護牌官ごはいかんはいらっしゃらない。必要ないのだろう、と、そのお姿を見ればすぐに解る。長く伸びた白髪を高く一つに結い上げ、しっぽのようにしゃんと伸びた背に流したその姿に一切の隙はない。彼女がまとうのは、高位武官が身にまとうような動きやすい男物の衣装であるけれど、精緻に施された刺繍や、縫いこまれたきらめく金属のかけらが、よく日に焼けた彼女の肌に花を添えている。

男装していても、彼女は間違いなく、美しい一人の女性だった。

そんな彼女に真っ向から『失格』と言われたこの私。……いや、今更、そう、今更落ち込んだりはしないし、傷付いたりもしないのだが、それでもこれだけは言いたい。


――私だって、ちょっとくらいは体裁を整えようとしたんですよ!?


と。それをすべてぶん投げて、着の身着のままここに私を連れてきたのが、どこのどなた様であろう、なんて問うまでもなく、まだまだまだまだいい加減放してくれればいいものを、ちっとも放してくれない我らが覇王サマである。この野郎。

この距離でにらむくらいは許されてしかるべきだ、というわけで、腕の中からお妃様方から見えないよう顔を背けつつ、じっとりと陛下をにらみ上げると、彼はふふふ、と、お妃様方に負けず劣らずお美しい、花よりも花のようなかんばせをこれみよがしに薔薇色に染めてみせた。


「朱妃も白妃も、そう言わないでやってくれるかな。こういう飾らないところも、この娘の魅力の一つなんだ」


――――――ちゅっ。


…………………………ちゅっ?

えっ鼠が鳴いた……? なんてすっとぼけている場合ではない。え、あ、え、い、いいいいいいま、今、このお方、私の額に、しかもちょうど傷跡に触れるところに、く、くち、口付け、を?


「きゃああっ!」

「あらあら」

「おやおや」


上から朱妃様、青妃様、白妃様である。朱妃様は顔を真っ赤にして文字通りの悲鳴を上げ、青妃様は穏やかに微笑みを深め、白妃様はおもしろがるようにヒュウッと口笛を吹いた。


――悲鳴を上げたいのは私なのに!!


これで相手が心底好いて好かれた相手ならば話は別だが、実際は絶対に敵に回したくないのになぜか敵、というか『賭け』の対戦相手になっている覇王サマである。なんだろう、これはいったいどんな拷問だというのか。

もうそろそろ暴れてでも下ろしてもらうべきではないか……と、ようやくその考えに至った私が、身じろごうとした、そのとき。ぞっとするような視線が、全身を貫いた。

凍えるように冷たいまなざし。そちらを見るのが怖いのに、見ないでいるほうがもっと恐ろしい気がしてそちらへと恐る恐る視線を向ける。そしてすぐに後悔した。


「…………」

――こ、黒妃様……!


そう、艶やかな漆黒の髪を、何で飾ることもなく、何で飾られなくても何よりも美しくその背に流した、可憐な美少女が、私をじっと見つめ、もとい、にらみつけていた。髪色と同じ漆黒の瞳にはうっすらと涙が浮かび、さも恨めしげに、そしてそれ以上に憎々しげに、私のことを睨み付けている。

儚げな美少女の、そのすさまじいまでの気迫にあふれたまなざしに、今度こそ私は凍り付く。怖いどころの騒ぎではない。どこまでも冷たく凍える妬心に満ちた視線は、つららがそのまま私を貫こうとしているかのような迫力に満ちていた。


「……陛下には、わたくし……達がっ、いるというのに……っ。なんですの、そのキズモノの醜女しこめは」

「ん? だから言っただろう。僕のかわいい、僕専属の女官兼創牌師そうはいしだ」

「……っ!」


ごう、とその『雪凛せつりん』という名が示すような、冷たい龍氣りゅうきが黒妃様の身体から噴き出した。ひえええええ、とおののく私とは裏腹に、私以外の誰もが平然としている。これはあれだ。「あー、またか」という空気だ。えっこれがいつものことなんですか……? と怯え戸惑う私のほうがおかしいような気がしてくる。そんな馬鹿な。


「こぉら、雪凛せつりん。そこまでにしてやんな。お嬢さんが泣きそうになってるぜ」

「で、でも、氷雅ひょうがお兄様っ! あの、あの女が、陛下に馴れ馴れしくしてるから……!」

「うんうん、そうだな。でもよく考えてみな。あのお嬢さんと、お前、どっちがより陛下にふさわしいかなんて、鏡を見ればすぐに解るだろ?」


涙目になって震える黒妃様のすぐ隣に身を乗り出して、「貸してやろうか?」と懐から手鏡を取り出すのは、彼女の護牌官ごはいかん……その名を氷雅ひょうが、というらしい青年だ。

お兄様、と、黒妃様はおっしゃった。よく見たら、彼と彼女は、よく似た可憐な面差しの持ち主だ。つまり、と私ががたぶる震えつつ判断を下したころ合いを見計らったように、氷雅ひょうが様は陛下に向かって優雅に一礼を決めてみせた。


「我らが皇帝陛下におかれましては、我が未熟な妹が失礼を。なにとぞお許しを」

「うん、気にしてないから構わないよ。でも、そうだね。全員、このまま茶会を続ける気分ではなさそうだ。お開きにしようか」


えっ。それは願ってもないご提案ですが、いいのだろうか。お茶会と言いつつ本当に何もしていないと思うのだけれども。そう私が視線で訴えかけても、返事は当然返ってこない。代わりに、ころころと錫を転がすような笑い声が耳朶を打つ。


「まあ陛下ったら。本当に意地悪なお方ですこと。最初からそのおつもりでしたのね?」


青妃様だ。彼女のその言葉に、陛下は答えない。けれど笑みを深めた、それが答えだと、誰もが理解した。

そうして、お妃様方は、自らに与えられている後宮の宮、青妃宮、朱妃宮、白妃宮、黒妃宮に、護牌官ごはいかんをともなって引き返していった。残されたのは私と、やはり未だに私を抱きかかえたままの陛下だけだ。

どうすることもできずその美貌を見上げていると、彼はにっこりと満足げに笑った。


「第一印象としては上出来かな。イイ感じに全員に悪印象を与えたようだね。流石宝珠ほうじゅ、僕の見立ては間違っていなかった」

「…………」


この瞬間、私の胃は、鋼でできた細い糸で締め上げられたかのような音を上げた。これが日常となるのかと思うと、めまいがするような思いだった。

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