第8話 ハタキとちりとりで誘導
「ではまず、この手口には犯人による入念な下準備が必要です。犯人役の
「了解、まあこれも仕事と思えばいいのですね」
「衛生上、ちゃんとビニール手袋をして下さいね」
「分かりました」
渋々とした表情を見せながら仕事に忠実な江戸川警部。
そのまま彼は黙々とトイレに向かう。
「ねえ、これが万引きとなんの関連性があるん?」
「そうですね。トイレに本は持ち込んでませんし」
「言っただろ、下準備が必要って」
女子高生二人が当たり前の反応をするのに言って聞かせるが、聞く耳も持たない状況だ。
まだ10代という学生の身だし、許せる範囲でもある。
ふと、江戸川警部の動きがトイレの目の前で止まる。
目と鼻の先には壁と同化したような作りの扉があるが、当然、扉に鍵はかかっている。
「犯人は店長の
江戸川警部が扉の鍵を開け、用具入れにある手袋の入ったお徳用の紙箱を見せつける。
何も言ってないのに、このアドリブでの対応力。
警察官だけに民衆の目を向けさせるのが巧みだ。
「使い捨ての薄型のゴムでできたビニール手袋だね。これでそのまま本売り場に?」
「へえー、
「へへっ、探偵さんに褒められたぜ」
猿渡くんが頭をポリポリと掻いて、照れている。
小さな針でつついたような推理だが、令和に残る名推理ができて、ご満足のようだ。
「犯人はトイレ掃除をすると見せかけて時間を潰し、今度は用具入れに置いてあったハタキと底の深いちりとりを持って例の本棚にやってきます」
江戸川警部が手袋を付けたまま、二点の掃除道具を持ち出し、例の万引きが起きた奥の袋小路である漫画本が陳列された棚へと移動する。
「そして防犯カメラの前に背中を向けて死角を作り、ハタキでゴミを払い、床に落ちたゴミをちりとりで取り除きます」
本来ならホウキを使用するのだが、ハタキでゴミを取るという珍しい行為。
こうすることで防犯カメラからの視聴者の目をハタキへと誘導させる。
普段は意識してなくても、おかしな部分には目が行き届くという心理学にある常識だ。
「その僅かな隙に底の深いちりとりに入れてあった新書版の漫画本を本棚の展示場所に滑り落とし、あくまで掃除中に誤って商品を落としてしまったという事実を作り上げます」
江戸川警部がちりとりからさりげなく集めたゴミと単行本を落とし、傍に並べて飾られていた何冊かの本と一緒に棚の段や床に落とす。
この一連の動作はカメラ側では背中越しになっていて、普通に本を落としたようにしか映ってない。
「これで後はハタキでゴミを取りながらの自然な動作で落とした本を定位置の場所や本棚に並べたら、ひとまず工程は終了です。ビニール手袋を着けているため、本には自身の指紋も付きません」
江戸川警部が落とした本を棚に戻して、大きく一息をつく。
全てをやりきった充実感からか、少しだけ頑な表情が和らいでいた。
「これが万引きをする前の下準備、前日のお昼休みに行った犯人の行動になります」
江戸川警部と
ここからは気になる質問タイムだ。
早くも
「ちょっと待ってよ。それじゃあ、お客さんが誤って、その後にその本を買うこともあるじゃない。あなた、探偵のわりには推理がどうかしてるわ」
「だったら俺が戻した本を確認してごらん」
「何よ、そんなの簡単よ。一部始終見ていたんだから……あれ?」
「玲子ちゃん、これって」
玲子ちゃんが拍子抜けした表情で例の本を見ている。
これにはすみれちゃんも驚きを隠せないようだ。
「ま、まさか、ある程度はページをめくって読める“見本の漫画本”ですの!?」
「その通り。犯人は初めからお客さんが買えない見本を並べるためにここで細工をしたのさ」
本には透明なビニールのブックカバーに覆われ、その漫画は第一話の部分だけ読めるようになっている。
続きはビニールにて厳重に包まれており、先の内容が気になる人は新しい本を買って読んで下さいというシステムだ。
「確かに見本だったらお客さんは買わないし、犯人が盗んでも万引きにはならない……わけがないわ。それだって立派な商品ですもの。会計を通さない限り、万引きの対象になるわ」
「そう、澄香さんの言う通り。そこで犯人はこの見本を予め、澄香さんが休憩中か何かに手袋をはめて、自分自身でバーコードリーダーに通し、ポケットマネーでこの見本を購入していたのさ」
俺はその見本をレジ係である愛理に頼み、本のバーコードを読んでもらうが、会計済みのため、レジでの反応はない。
「えっ、レジで誤魔化したのー!?」
「そう。こうすることで購入の対象になり、売り上げ金にも影響は出なかったのさ」
人間にはこうすれば、ああいう結果になるという先入観を持っている。
万引きという常識を通り越した、見本の上に支払いを済ますという大胆なやり口で俺たちの目を見事に欺いたのだ。
「そうして犯人は澄香さんに気づかれないよう気合を入れてレジ担当をと一言付け加えて、スマホの遠隔操作で会社のPCを起動させ、前日のレジでの映像を繋げて持ち場を離れ、同時刻にある場所で変装した。
そして、前日に下準備した本棚から見本を手に取り、堂々とトートバッグに入れたのさ。古い防犯カメラだったから、黒のパーカーでフードを深く被ってたら人相は分からないからね」
そのパーカー姿がたまたま来店した猿渡くんの衣装に似ていたから、先ほどのように罪をなすりつけたのだろう。
「それからレジ周りの防犯カメラの映像を再編集してアリバイ工作をし、あたかも目の前で不可能犯罪な万引きをしたように見せかけたのさ」
「でも突然警察が来て、会社のパソコンを押さえられ、映像を編集する時間がろくに取れず、その編集作業をデジタルカメラと自身のパソコンで注意深く確認もせずに行ったことが逆に裏目に出たのさ。そうだろ、篤郎さんよ!」
もう一度、篤郎さんに向かって指を突きつけて、
「フフッ、何が言いたいんだ、この小僧は。そんなの全部推測じゃないか。私がやったという証拠はどこにもないぞ! このトーシロ探偵めが!」
「ははっ、言ってくれたな、篤郎」
自分は犯人じゃないと逆上する篤郎。
大人しそうな物言いとは裏腹に今までにない強い怒りの感情をぶつけてくる。
そうか、これがこの人の本性か。
「お前さんのその言葉をずっと待っていたよ。自分は無実だということを否定するためにね」
「何だとデタラメを抜かすな。場合によってはそこの警部に頼んで逮捕してもいいんだぞ!」
先ほどの演技指導の時、俺のメモ帳から前もって真相を伝えてある江戸川警部が、やれやれと呆れた顔をして、俺に困った顔をしてくる。
これで酒を一滴も飲んでないシラフなのだから余計にだ。
「この期に及んでも、まだしらばっくれるのかよ。デタラメかどうかはコレを見てから言えよな!」
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