神津龍之助(かみつりゅうのすけ)による殺人ゼロの事件ファイル
ぴこたんすたー
CASE01 紀伊国堂書店万引き事件
PARTA 推理編
第1話 想定外の万引き(プロローグ)
季節は桜舞い散る四月上旬。
幾分か冷たい北風が和らぎ、小鳥のさえずりが心地よい春の某日本列島、
午前10時、それなりに広い平屋のリビングでスマホ片手にすっかり冷めてしまったベーコンエッグと食パンをかじりながら、インスタントコーヒーをすする冴えない痩せ型の男。
白いロングTシャツに黒いカーゴパンツという格好で、服は着れたら何でもいいスタイルらしい。
そこへ一人の元気そうなスレンダーなトレーナー姿の女性がパタパタとスリッパの音を鳴らし、ファンデーションのメイク道具を片手にコーヒーのおかわりをする。
「なーに、暗い顔してんのよ。
「ああ、
「また、例の何でも屋のお仕事なの? お父さんがいない今、あんな店を経営しても赤字になるだけよ。さっさと畳んだら?」
ドライヤーで変色したショートボブな茶髪で目線を隠した俺の名は
年齢は24歳、170センチで定職に就いてないフリーター。
血の繋がりがないが、唯一の妹でもある絵に描いたような美少女、長い黒髪の
愛理は大学生の20歳、150と小柄で胸はそれなりにある。
「それは分かってるんだけど、まだローンの返済とか残ってるし、思い入れもあるから潰せないんだよ」
「でもその家を売ったほうが逆に儲けが出るんじゃないの?」
「相変わらず愛理は毒舌だな」
俺と愛理は恋人同士ではなく、俺が小さい頃、小学低学年の時から知り合った腐れ縁という関係である。
この平屋の隣接する三階建ての廃ビルにある最上階を貸し切ったのはいいが、目の前が国道のせいか、高すぎる固定資産税。
おまけに風呂なしトイレなしの物件で書類や物置の倉庫と化して、寝る場所もない探偵事務所。
そうやって不満を抱きながらも、仕事の都合で渡米した父さんが苦労して築き上げてきたビルの財産を手放したくはない。
「それに俺の力を必要としてくれる依頼人もいるからね。困った時はお互い様だろ」
「はあ、その経営者の方が逆に困ってるようだけど……」
愛理が化粧を済ませ、熊のキャラクターが描かれた黄色のトレーナーに白いカーディガンを重ね着する。
下はスカートじゃなく、色んな安全面を考えた青いジーパン。
春とはいえ、まだ朝晩は肌寒い。
『ジャジャジャジャーン♪』
持ち前の黒いスマホから例の時代劇のテーマソングが大音量で流れ、愛理が迷惑そうに耳を塞ぐ。
こんなのは日常茶飯事だ。
「おっ、早速電話だ。仕事の匂いがプンプンするな」
「私の頭の中はカンカンなんだけどね」
愛理が不機嫌そうに両手を腰に当てて、念を入れて忠告をしてくる。
見た目は美少女で可愛らしいが本性は怖い。
そのぶりっ子なことを知ってる者はごく僅かだが……いけないな、今は電話に集中しないと。
「もしもし、何でも屋の神津探偵事務所にお電話ありがとうございます。浮気調査、迷子のペット探し、またまたお庭の草刈りなどご依頼があれば、是非ともご相談を……」
「……草刈りくらい自分でできないのかしら」
「愛理はちょっと向こう行ってて」
「はーい。お邪魔だったわね」
お見積もりまでは無料と受け答えしながら愛理に無言の手振りをすると、彼女は何か言いたげそうに隣にある居間の方へと移動した。
やれやれ、これで気兼ねなく通話ができる。
俺は古びたカーペットに置かれた灰色のデスクの横にあるゲーミングチェアに座り、通話無料のLINA通話に切り替える。
「──ええ、ウチでもそのようなケースも扱えますが、そういう風な事件ごとでしたら、警察に一度ご相談なさってはいかがなものかと」
一時の間が流れ、年配なかすれた声の男性の依頼が耳に届く。
「はい、そう仰るのなら、こちらとしても有り難いのですが。差し支えなければ、お名前、電話番号、ご住所の方をお伺いしてもよろしいでしょうか」
俺はスマホを首と肩で挟み、丁寧な口調で伝えてくる個人情報を手持ちのメモ帳に黒いボールペンで乱雑に書き込む。
「はい、分かりました。後日、ご自宅の方にご訪問いたします。どうもありがとうございました」
向こう側から通話が切れたのを確認し、椅子から飛び降りてガッツポーズを決める。
「やったよ、愛理」
「どうしたの? 今回は妙に嬉しそうね」
「ああ、依頼初の事件絡みだよ。さあ、愛理も早く支度して」
「支度ってどこに行くのよ?」
「
「天心って目と鼻の先じゃん。お客から出向いた方が早くない?」
シャツの上に襟のついた緑のチェックシャツを着込みながらも、思ったことをすぐ口に出す愛理に正直、嫌気がさしてくる。
「分かってないな。事件性があるから迂闊に向こうから来て、状況を荒らすわけにはいけないだろ」
「何なの、殺人事件でも起きたの?」
「いや、でもこれから起こるかも知れないんだ。銭は急げだよ」
「それ、善は急げじゃないの? 本当、お金儲けのことしか頭にないじゃん……」
ああ、金が無いと生活ができないからな。
まだ三十年ほどの平家のローンも残ってるし……貯金も心許ない。
探偵業一本では食えそうにないし、また本格的にバイトしないとな……。
****
──それから数時間後……。
「わざわざ当店にお越し下さり、誠にありがとうございます。私が依頼人の
「では篤郎さん、あなたがこの店の店長さんですか?」
「いえ、店長は妻の
ビシッと決めた茶系のカジュアルスーツと黒い革靴を履いた篤郎さんが深くお辞儀をする。
そんな華麗な身のこなし、初めどこぞの執事さんと思ったほどだ。
「それでできれば警察では対応したくない例の万引き事件というのは?」
「はい。こちらの防犯カメラを観ていただけませんか」
自宅のある
和風なテイストである店内の天井の壁から捉えた四つの映像は一つ一つの本棚の一角をしっかりと照らしている。
端から奥まで隙間なく並んだ壁にきちんと取り付けられ、五段重ねの高さで天井にまで届きそうな黒い色の本棚。
棚には漫画本や資料集などがぎっしりと詰まっていて、棚のあちこちにある『防犯カメラ録画中』の白い張り紙。
こんな目立つような場所で万引きが起こりそうには見えないのだが……。
ふと右上の映像から、一人の黒いパーカーのフードを深く被った体格の良い男がその本棚に現れた。
男は灰色のトートバッグを持っており、キョロキョロと辺りを見渡して、本棚に陳列されていた本を手に取って色々と眺めている。
「まさか、こんな白昼堂々と万引きとかあり得ないだろ。この男は対象外だな」
「あっ、龍之助、見てよ!」
「はん、何だよ。面白い映像でも見つけたか。ほんとお笑い好きだなあ」
「違うって、あの男が!」
「分かったって。猿みたいに騒がしいな」
そのままカメラに映っていたフードの男は本棚に陳列してあった一冊のコミックを素早く抜き取り、何の疑いもなく、トートバッグに滑り込ませた。
「なっ、こちらからは丸見えなのに堂々と!?」
「そうなのですよ。これには困ったものでして」
男はそのまま本棚から遠退き、他の本には見向きもせずにレジの方へと歩いていく。
いや、まだ万引きと決まったわけじゃない。
エコバッグ感覚で入れただけで、紳士的に会計を済ますかも知れない。
しかし、その男はレジを通り過ぎて、防犯ゲートのある場所を突っ切っていく。
だが、悪行もここで終わりだ。
会計もせずにゲートを潜れば、警報音がなり、この男は万引きの罪で逮捕されるはず。
篤郎さんも一体何を見せたいんだか。
俺と愛理が大きな溜め息をついた時、事件は起こった。
「あれ?」
フード男が防犯ゲートを抜けても、何も反応が無いのだ。
反応があったのは、この犯行映像を映した防犯カメラのみ。
「……ということでして、犯人を逃してしまい、翌日カメラを観た妻からとばっちりを受けまして」
「龍之助、これって……」
「ああ、正真正銘の事件だよ」
この時、すでに俺と愛理は犯人の思惑通り、すっかりはめられていたのだった──。
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