王様の烙印
西井あきら
1章
第1話 夕食
その国の王はいつも白いローブを身につけていた。
金の糸でフードと袖口、裾の部分に幾何学模様の刺繍。肩には百合の花が施されている。
その装いとフードに隠された白い長髪から“しらゆり王”と呼ばれていた。
名をリスディア・オルレード。
オルレード国十三代目国王である。
「陛下、殿下。お食事の用意が出来ました」
午後七時。執務室で他国の王族から届いた夜会の招待状に欠席の返事を書いていると侍女がやってきた。
「ああ、ありがとう。それじゃあ、一旦休憩にしようか」
侍女に返事をしたリスディアは、執務机の前にあるローテーブルで同じく招待状の返事を書いている弟――王太子のベルナールに声をかける。
無言で頷き立ち上がる弟を見て、リスディアも腰を上げてドアへと向かった。
廊下を出た兄弟は、それぞれ逆方向に進んでいく。
リスディアは自室へ、ベルナールは食堂へ。いつものように、各々用意された食事がある場所へと歩んでいく。
「……兄上」
ただこの日はいつもと違い、ベルナールに呼び止められた。
振り返ると彼は真っ直ぐこちらを見据えている。
「たまには一緒に食べませんか」
リスディアは困ったように笑う。どう答えるべきか、それを頭の中で考えながら。
「遠慮しておくよ。人と食事するの苦手なんだ。私、食べるの遅いから」
「そんなの気にしません。俺は」
「私が気にするんだよ」
少し語気が強くなってしまった。内心で反省しつつ、ごめんねと言って身体を向き直し、再び足を動かす。
元来ベルナールは感情が表に出ないタイプだ。
だから自分の態度に怒っているのか、悲しんでいるのか。
リスディアは最後まで分からなかった。
一人では広過ぎる空間、一人では大き過ぎるベッド。だが大量の本を置いておくにはスペースが足りない自室に、足を踏み入れる。
ベッドと向かい合わせの壁一面には本棚が設置されているが、既に埋め尽くされておりこれ以上は収納出来ない。
なので入りきらない本は棚の付近の床に積み重ねてある。
いくつも建設された本の塔。だが、丁度真ん中に設置された本棚の前だけは更地であった。
テーブルにある、木製のトレイと共に運ばれた本日の夕食。それを持ち、更地の部分に立つ。
整然と並べられた中の一冊の本――に模したスイッチを押すと、本棚は扉のように手前に開いた。
本棚がどいた先は石レンガ造りのアーチ状の出入り口。
ぽっかり空いた穴の中に入ると本棚は自動的に閉まり始めた。
目の前には下り階段。隠し扉が閉じる音を聞きながら、リスディアは右手に炎を出現させる。
炎は段々と二頭の蝶へと形を変え、彼の手から飛び立っていく。
蝶達はその身に纏う炎で、階段の両壁に設置されている燭台に火を灯しながら下りていった。
真っ暗な空間に、移動するのに差し支えない程度の光が宿る。
蝶達がある程度進んだのを見計らって、リスディアも階段を下り始めた。
冷たく無機質な石造りの空間。長い長い道を下っていく道中、ギィという音が遠くで響く。
今頃は、炎蝶が部屋にも明かりを灯しているだろう。
階段の終着点には、この場に似つかわしくない豪奢なドアが開け放たれた状態で出迎えていた。
その向こうで、リスディアの自室と同じ広さの部屋が顔を見せる。
置かれている調度品も同等の一級品。
窓はない。何故ならここは地下だから。
室内にはベッド、側に椅子二脚とサイドテーブル。それらの後ろにはカーテンが閉められており、部屋を二つに分断している。
リスディアが入るとドアはひとりでにまた耳障りな音を立てて閉まった。
最後の燭台に火を付けた蝶達がその場で消滅したのを確認して、ベッドに近付く。
ベッドには一人の女性が眠っていた。
上等なドレスを身につけているが、頬は痩せこけやつれている。
掛け布団で見えないが片足には枷が取り付けられており、ベッドの足と鎖で繋げられていた。
彼女は隣国の王子の婚約者。この国の男爵令嬢、セシル・テイト。
身分違いの恋、それによって生じた困難を乗り越え、愛する男性と結ばれた人。
しかし幸せから一転。姦通の容疑をかけられ、今は光の届かないこの部屋に閉じ込められている。
「こんばんは、食事を持ってきたよ。食べれるかな?」
椅子に座り、リスディアは努めて穏やかな口調で彼女に声をかける。
セシルはゆっくりと目を開けるとこちらを見た。
「――せん、せい……。今日は何日……?」
虚ろでぼんやりとした視線、訥々と発せられた言葉に、催眠の効果は切れていないようだと安堵する。
――目の前の人間を医者だと認識せよ。
――ここで起こる出来事に疑問を抱くな。
彼女にはそういう暗示がかかっている。
「今日? 今日は二十八日だよ」
「そう……。もうすぐお城で舞踏会が開かれるわね。私も行きたかったな……」
「今の体調じゃ難しいだろうね」
当たり障りない返答をしながらサイドテーブルにトレイを置き、スープが入った木器と木のスプーンを手に取る。
スープを掬い、ふー、ふーと冷ましてセシルの口元に近付けるが、飲もうとする気配は感じられない。
「食欲、ないの……」
短く拒絶を示した彼女は、顔を天井に向け再び目を閉じた。
「そう、なら仕方ない。これは
相手の言葉を素直に聞き入れ、リスディアは器とスプーンを置くと、今度は彼女の左腕を持ち自身の口元へと持っていく。
そして優しく噛みついた。
異様に鋭い犬歯が肉に食い込み小さな穴を作る。そこから溢れ出た血をリスディアは静かに吸い始めた。
貴族の娘ということもあり普段からいいものを食べているのだろう。味も舌触りも、平民の罪人とは比べ物にならない。
セシルは最初こそ噛まれた際の僅かな痛みに小さく呻き声を上げたが、それ以降はこれといった反応を見せなかった。
怖がるでもなく。抵抗するでもなく。
催眠術の影響で、自分にされている行為が異質だとも、自分の命が脅かされているとも思えないのだ。
尤も、仮に催眠にかかっていなかったとしても、今の彼女では満足に動く事も出来ない。
「せんせい、私、もう助からないの……?」
「そうだね……。私も手を尽くしたけど、こればっかりはどうしようもないな」
声音だけは申し訳なさそうにそう伝える。
「そう……。――死ぬ前にもう一度、あの人に会いたかったな……」
「あの人って?」
「ジャスパー様」
「……しらゆり王の事はもういいの?」
尋ねながら、再び血を吸おうと腕を食む。
「うん……。だってしらゆり様……、綺麗じゃなかったもの」
抑えていた怒り、憎しみが一気に浮上した。
それらは咬合力として表面化し、先程よりも深く肉を抉る。
「――――いっ」
セシルの顔が歪む。明らかに痛がっているが、そんなのお構いなしにリスディアは勢いよく血を吸い続けた。
腹を満たすためではなく、この女をここで殺してしまおうと無我夢中で。
だからか、突然の物音――カーテンの向こうから聞こえた何かが倒れる音に驚いて、身体を大きく跳ねらせた。
もしや誰かいるのではと思わずやめた吸血。と、間髪を入れずにまたも物が倒れる音。一度目よりも大きく、音の重なりからして今度は一つではない。
リスディアは立ち上がると足早に移動し、カーテンに手をかける。
結果として、元々置いてあった棺が複数個倒れているだけであった。念の為棺の中を全て確認したが誰もいない。
奥の壁にも扉があるが、開閉の際にこちらも結構な音を出すため、人の出入りがあれば気付くはずである。
それがなかったという事は、嫌な予感は杞憂に終わったのだろう。リスディアはほっと胸を撫で下ろした。
「ディア」
後方から聞き慣れた声がする。
振り返ると黒いローブを着た男が反対側のドア付近に立っていた。
「仕立て屋が君の事探してたよ。来週の舞踏会の服が完成したから、袖を通してみてほしいって」
歩きながら用件を話すこの男の名はガスパール。リスディアの側近である。
ガスパールはベッドの脇で足を止めた。そして痛々しい噛み跡がついたセシルの左腕を見るなりフッ、と笑みを零す。
「随分と乱暴にしたんだね、今夜は」
王であり主君でもある人間に対して随分とフランクな話し方。
しかしリスディアは気に留めていない。
「……侮辱してきた相手に優しく出来るほど、私は寛容じゃない」
声音からして責めているわけではないと察したが、ついそんな反論を口にした。
「ああ、そうだね。君の怒りは間違っちゃいない。至極真っ当な反応だ」
こちらに歩み寄ってきたガスパールが片膝をつく。
「この度は対処が遅れてしまい、申し訳ありませんでした」
一転して従者らしい口調で謝罪をする相手にいたたまれなくなり、彼から視線を外す。
「いい。今回の件に関しては私にも非がある」
――普段ならあんな事絶対にしないのに。
疑問が頭の中で渦を巻く。
――何故自分は、彼女に着いて行ってしまったのだろうか。
ベッドを一瞥する。
自分に無体を働いた女は、もう既に動かなくなっていた。
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