第一部 ゴースト 13

「その人が、どうしてここへ現れたのよ」


「わからないよ」


 二人は顔を見合わせた。「どうする?」


 画面では他に人がいる様子は見られないが、カメラに写らない場所に誰か潜んでいるかもしれない。居留守を使おうかと思ったが、北村はここに誰かいることを確信しているようで、チャイムを鳴らし続けていた。伸也は通話ボタンを押した。


「何か、用ですか」


「宮本先生ですか? 北村です。お久しぶりです」


 第三者に自分がここにいるのを知られている。動揺で、心臓が激しく鼓動し始めた。


「どうしてここに僕がいるとわかったんですか」


「奈緒さんから聞いたんですよ。ここに先生がいらっしゃるからって。それで駆けつけた次第です」


 あっけらかんと話す北村に、更に頭が混乱してくる。


「彼女は今、どこにいるんですか」


「わたくしのアパートです。一緒に伺いたかったんですが、彼女はまだ色戻法を学んでいませんから、外へは出られないんです」


「て、言うか、外へ出られないのなら、どうやって彼女は北村さんのアパートへ行けたんですか?」


「目の前に、ぱっと現れたのですよ」


「ぱっと……ですか」


 伸也は振り向き、麻衣子を見た。「ドアを開けてみよう」


「大丈夫なの? 開けた途端、中に押し入られるなんて事はないの」


「このままじゃ埒があかないよ。そもそもこの人がグロウだったら、こんな悠長なまねはしないだろ。奴らなら、ドアぐらい壊しかねない」


「そうなんだけど……」


「それに、奈緒に何が起こっているのか知りたいんだ。これまでに起きた事は普通じゃないよ」


 麻衣子は不安げな顔をしていたが、伸也はドアへ向かった。まず、ドアガードを掛けて解錠し、レバーをひねり、ゆっくり押し開けた。


「宮本先生、ご無沙汰しております」


 ドアノブの隙間から、北村が顔を覗かせた。モニターで見たとおり、中年男性そのものだったが、目がキラキラと小学生のように輝いているのが印象的だった。ダンスの授業で会ったときには、ひどく落ち込んで、しょぼくれた目をしていた記憶があったのだが。


「どうして僕に会いに来たんですか?」


「宮本先生には、わたくしと一緒に戦っていただきたいと思っているんです」


「はあ? 何と戦おうって言うんですか」


「悪とです」


 あまりに唐突な上、大雑把で意味がわからない。


「あの……もうちょっと具体的に話してもらえませんか。どんな悪と戦うんですか」


「この世に存在する悪すべてとです」


 戦隊物のヒーローかよと突っ込みを入れたくなる。しかし揺るぎない目で真剣に見つめる北村からは、自分の言葉に確信を持っているという思いが溢れ出ていた。


「すいません、これからどうするか二人で話し合いますので、ちょっとドアを閉めさせてもらいまーす」


 麻衣子が間に入ってきた。笑顔を浮かべ、努めて快活な声で話しかけなら一方的にドアを閉め、鍵を掛ける。振り返った麻衣子は、一転して眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げて伸也を見た。


「あのオヤジ、ちょっと頭がおかしいんじゃないの。変な宗教とかにはまっているとか」


「わからないよ。ただ、奈緒に会っているらしいし、この場所を知っているんだから、詳しく話を聞いた方がいいと思うんだ」


「ねえ貴斗、この北村っていうオヤジに心当たりがないの? 最近まで共進会でリハビリしていたんだって」


「そんな奴、知らねえ。少なくとも拓真グループには関わっていない」


 麻衣子はため息をつくと、携帯電話を取りだし、荒川へ電話を掛けた。


「今、北村って名乗る男が玄関に来ていまして、どうも伸也が前に共進会でダンスを教えていたそうです。……ええ、奈緒からこの部屋を聞いたと主張しています。一緒に悪と戦おうとか言ってまして……はい……そうですか」


 口をとがらせながら、明らかに不満げな顔をして、麻衣子は電話を切った。


「あのオヤジを部屋に入れて、詳しい話を聞けってさ」


「荒川さんは来ないのか?」


「グロウの監視が入っているかもしれいから、しばらくここへは寄りつかないって」


「北村さんを中に入れよう」


 不安な顔をしている麻衣子を無視して、伸也はドアを開けた。


「ちょっとすいません、後ろへ下がってもらえますか」


 伸也はドアガードを外し、廊下を覗いた。北村以外誰もいない。ほっと息を吐く。


「入ってください」


 北村を部屋の中に招き入れた。背後では、麻衣子が電気ポットを両手で持ち、緊張した目をして立っていた。


「それ、何だよ」


「見ればわかるでしょ。電気ポットよ。何かあったらお湯を掛けるからね」


 言葉を投げかけられた北村は、きょとんとした目をした。「え? わたくしにですか」


「そうよ」


「一体、何があったんですか」


「あたしたちに何があったか何にも知らないの?」


「はい、残念ながら」


「話がかみ合いませんから、まずはお互いの立場を整理してみましょうか」


「あんたから先に話してよ」


「はい、承知しました」


 北村はニコリと微笑み、話し出す。


「わたくし、北村公威と申します。物流大手のカナイトランスポーターで働いておりましたが、今年退職して、現在無職であります。宮本先生はご承知かと存じますが、今年透明症を発症しまして、共進会さんでリハビリに努めておりました。おかげでこのように色戻法を取得できるようになりました。ただ、額の生え際がどうしても戻りませんで、こうして帽子を被らせていただいております」


 北村はそう言ってニット帽をずらし、透明な生え際を見せた。その顔に、共進会でダンスの授業を受けていたときのような悲壮感は見られない。


「会社も病気のおかげでクビになりまして、おとといまではひどく落ち込んでおりました。再就職もままならず、一人アパートにこもり、なんてひどい人生なんだと、神様を恨む思いでした。


 ところがです。昨日の夕方、天啓が訪れたのです」


「天啓……ですか」


「そうなんですよ」


 北村は伸也と麻衣子が胡散臭げな顔で見ているのに気づいていないようで、目を輝かせながら話を続けた。


「玄様が現れて、お前は悪と戦うために、透明症になったんだとおっしゃいました」


「玄様って……何様なの?」


「ウーン、わたくしもよくわからないのですが、神様みたいなものでしょうか」


「髭を生やして昔のギリシャ人みたいな服着てるの?」


「いえいえ、姿形とかよくわからんのですよ」


「神様みたいなものですか。どこかに証拠とかあるんですか」


「ありますあります。ちょっと待ってください」


 北村は背負っていたリュックサックのファスナーを開け、中に手を突っ込んだ。


「これです」


 北村が出した物は、ウルトラマンのソフビ人形だった。大きさは十五センチ程度で、古い物らしく、表面はやや色あせ、肩の赤やカラータイマーの塗装が一部剥げていた。筋肉質と言うより、むっちりしたという方がしっくりくる胴体を、両手で抱えるようにして持ち、目の前に持ち上げる。


「玄様玄様。わたくし、宮本先生のご自宅へ到着しました」


 真面目くさった顔で呼びかけると、今度はウルトラマンのカラータイマーを右耳に押しつけた。神妙な表情で頷く。


「皆様とともに戦いなさいとおっしゃっております」


 不意に麻衣子の手が伸び、北村からウルトラマンを奪い取った。


「ああっ、何するんですか」


 目を丸くして驚いている北村を無視して、麻衣子はウルトラマンの頭と、すべての関節をもぎ取った。


「何にも入っていないわね」


 各パーツを覗き込みながら呟く。


「玄様が解体されちゃいましたあ」


 情けない声を出している北村を更に無視して、麻衣子は関節と頭を戻し、むすっとした顔でウルトラマンを返した。


「あんたがそんな風にしてるから、通信機でも入ってるかと思ったのよ」


「玄様玄様。ご無事でしたか?」


 北村は再び問いかけ、カラータイマーを耳に押しつける。


「元気でしたか。それは良かった」


 穏やかに微笑む北村を見て、伸也はいよいよヤバイ奴だと確信した。


「このウルトラマンが玄様なんですか」


「と、言うより、このウルトラマンに玄様がお宿りしているのです。玄様自体は先ほどお話ししたように、姿形が不明です」


「はあ……」


「玄様だかなんだか知らないけど、あたしたちには声は何にも聞こえてきませんからね」


「そうなんですか? ちょっと甲高くて、総務部の下川さんみたいな声で」


「あたしは下川さんなんか知りません」


「そうでしたそうでした。失礼しました。ともかくそんな声が聞こえてくるんです。試してみませんか」


 麻衣子は差し出されたウルトラマンを改めて受け取り、恐る恐る耳に押しつける。困った顔をして伸也に渡した。伸也もカラータイマーを耳に押しつけた。


「何も聞こえませんよ」


「そうなんですか。おかしいなあ」


 北村は返されたウルトラマンを見て、首をひねった。おかしいのはお前だろうと、心の中でツッコミを入れる。


「玄の件はとりあえずおいといて、あたしは奈緒さんと連絡を取りたいの。アパートの電話番号を教えてくれる?」


「それが……わたくし、独身の身ということもあり、自宅に固定電話は引いておりませんで」


「じゃあ奈緒さんと連絡は取れないし、あんたの話を証明できる人もいないのね」


「残念ながら。ただ、奇跡は起こせます」


「どんな奇跡ですか」


「どうやら宮本先生は、右足に怪我をされているとお見受けしますが」


「そうですよ。ナイフで刺されたんです」


「それは大変な目に遭われましたね。わたくしが直して見せましょう」


「ああそうですか」


「ちょっと傷を見せていただけませんか」


「いいですよ」


 このおっさん、何を始めるんだと思いながら、スエットをずらし、包帯を巻いてある太腿を露出させた。


「伸也が痛がったら突き飛ばすからね」


 横で凄む麻衣子に、北村は朗らかな笑顔を浮かべる「大丈夫ですから」


 北村は包帯の上に右手をかざした。左手でウルトラマンのソフビ人形を自分の胸に押しつけ、目を閉じる。


「玄様玄様、どうかこの方の足をお治しください」


 最初はなんともなかったが、しばらくすると、ズキズキと鈍い痛みを放っていた太腿が、次第に熱くなり始める。


「どうかしたの?」


 伸也の表情が変化したのに気づいたのだろう、麻衣子が問いかける。


「うん、傷が熱くなってきて、なんだか痛みが薄れてきた」


 北村は二人の会話には加わらず、目を閉じ、祈るように手をかざし続けている。


 更に三十分ほど経過すると、痛みは消え、むず痒さに変化していった。


「もう大丈夫でしょう」


 北村が手をどけた。しばらく同じ姿勢をとり続けていたためか、肩をぐるぐる回し、盛んに体をほぐし始める。


「伸也、どうなのよ」


「痛くなくなってるよ」


 伸也は恐る恐る包帯を外した。傷口に貼ってある血で汚れたガーゼをゆっくり剥がした。「あら、塞がってる」


 麻衣子が水で濡らしたティッシュペーパーで腿の血を拭うと、薄いピンク色をした細長い傷跡が現れた。力を入れたが、痛みは全くない。立ち上がり、軽くジャンプしたが、何の問題もなかった。ナイフで刺される前と変わらない感覚だ。


「治ったよ」


「そうでしょう」


 北村がニッと歯茎を出して、満面の笑みを浮かべた。


「どうしてこんなことができるんですか」


「わたくしじゃありません。玄様が天で、足をお治しくださったのです」


「こんなことをいつでもしているんですか?」


「いえ、今回が初めてです」


「初めてって、あんためちゃめちゃ自信たっぷりだったじゃん」


「わたくし、玄様には全幅の信頼を寄せておりますので、間違いなく宮本先生の傷をお治しいただけると確信しておりました」


「おい、おっさん」横で寝ていた貴斗が力ない声を掛ける俺の怪我も治してくれよ」


「はいはい、お安いご用ですよ。どこを怪我されているんですか」


「左肩だ、痛くてしょうかねえんだ」


「ちょと待ってください」


 北村は伸也の時と同じように、左手でウルトラマンを胸に押し当て、肩へ右手をかざす。


「玄様玄様、どうかこの方の肩をお治しください」


 重傷からなのか、手かざしは一時間以上続いた。それでも力なく顔をしかめていた伸也の顔が、徐々に穏やかとなっていく。


「うん、これでいいでしょう」


 貴斗が起き上がり、ゆっくりと左肩を動かした。


「おっ、痛くないや」


 麻衣子に手伝ってもらいながら、ギプスを外した。ぐるぐると右腕を回す。


「元に戻ったな。ただ、違和感があるけどな」


「玄様もこのあたりが限界だったようです。骨の一部がぐちゃぐちゃに潰れていますし、何より、当人の治るんだという強い意志が必要ですから」


「へっ、使えねえ奴だぜ。ダンスをやるときに困るじゃねえか」


「貴斗、ダンスをやる気か?」


「やらねえよ。ただ言って見ただけだ」


 むすっとした顔をして、ぷいと横を向いた。


「玄様の存在について、多少は信じてもらえたでしょうか」


「北村さんが不思議な力を持っているのはわかりましたが、玄の存在となると、僕はまだ判断を点きかねます」


 少なくとも、ウルトラマンのソフビ人形をあがめる気にはなれない。


「その辺は追々納得していただければと思います」


「ところでお前、さっきから話を聞いてんだけど、具体的に俺たちと何をしたいんだ? 悪と戦うだなんて言ったって、この世に悪い奴なんかごまんといるぜ」


「わたくしには悪い人の顔がくっきりと見えるんです。背が高くて、パーマを掛けた髪の毛を肩まで垂らしています。切れ長の目で、俳優さんみたいにかっこいい顔をしています」


「もしかして、右耳にピアスをしてないか」


「そうですそうです。金色のピアスをしています」


「うへへへっ……」貴斗は口元をだらしなく開け、干からびたような笑い声を上げた。


「やめとけ。その人は辻田さんだ。グロウのリーダーだよ」

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