第一部 ゴースト 4

「そういえば伸也さんのお父さんて、どんな仕事をしているの?」


 昇平は赤い顔をして、屈託のない表情で聞いてきた。賑やかだった飲み会の席が、一瞬凍り付いたように、ピタリと静かになった。自分の発言が沈黙を誘発したのを悟った昇平は、戸惑いの表情を浮かべながら、周囲を見回した。


「昇平君。伸也の両親は透明症が原因で離婚した。今は母と二人暮らしなんだ。伸也はそれ以上話さないし、俺たちも詮索はしない。昇平君も俺たちと付き合うなら、そのあたりの配慮をしてくれないか」


 斜め向かいにいた雄大が、努めて冷静に、かつはっきりとした声で発言した。


「伸也君、気がつかなくてごめんなさい」


「大丈夫大丈夫。気にしなくてもいいよ」


 恐縮する昇平に、伸也は笑いかけた。


 昇平は大学三年の二十一歳で健常者だ。ジャーナリスト志望で、透明症に関わる差別の問題を調べたくて、DROPに取材を申し込んできたのがきっかけで、付き合い始めていた。今の発言も、透明症患者の人間関係を知りたくて出てきたのだろうと思う。


 隣にいる麻衣子をチラリと見る。案の定素っ気ない顔をして、サラダを口にしていた。彼女はもともとDROPの飲み会へ昇平が参加するのを快く思っていなかった。彼女の他にも何人か昇平を仲間に加えるのを反対しているメンバーはいたが、雄大が彼を入れるべきだとして、彼らの意見を抑え込んでいた。


「俺たち仲間内でまとまるのは確かに楽だし、居心地がいいと思うんだ。でも、それだけじゃだめなんだ。俺たちは化け物じゃない。普通の人間なんだっていうのを世間に知ってもらわないといけないと思うんだ」


 雄大がSNSで投稿したこのメッセージで流れは決まり、昇平が参加するようになった。雄大はDROP所属のダンサーをまとめ役だった。


「伸也。貴斗は今、何をしているか知ってるのか?」


 雄大の問いかけに一瞬言葉が詰まるが、言葉を選びつつ話し出す。


「高校時代の友人から聞いた話なんですけど、あいつ拓真グループのメンバーになったらしいんです。


「マジか……」


 雄大はため息をつきながら首を振った。隣にいた丈一郎が「あいつも終わりだな」とつぶやいたが、誰も否定しなかった。


「拓真グループって、どんな人たちなの?」


 昇平が興味深そうに、目を輝かせながら呟いた。


「大平拓真がリーダをしている透明症のチンピラ集団さ。グロウの下部組織だ」


「グロウって、雑誌とかに出ているグループですか」


「ああ。リーダーは辻田龍。透明症の男だ。幹部連中を始め、メンバーの大半が透明症だ。昇平、一応言っておくが、あいつらには近づくなよ。骨までしゃぶられる」


 雄大の言葉に、昇平は神妙に頷いた。


「半グレなんてネットで書かれているがな、実際はマフィアみたいなもんさ。裏切り者は容赦なくなぶり殺される。何せ透明症は夜中に裸で近づけば、監視カメラなんか役に立たないから立件も難しい。奴らが暴れるたび、俺たちの印象が悪くなる。迷惑な話だ」


「あいつら全員地獄へ落ちればいいんだ」丈一郎が吐き捨てるように呟いた。「俺の兄貴は透明症専門のバーを経営していたんだが、グロウの奴が経営する会社で仕入れをしなかったんだ。他で買うより五倍の価格もするおしぼりなんか、買えないって言ってさ。そうしたら夜中に襲われて、今じゃ車椅子の生活さ」


「グロウは拓真グループみたいなチンピラたちをいくつも飼っていて、犯罪の実働部隊として使っているんだ。何かあればトカゲの尻尾切りさ。貴斗も最後は良くて豚箱入り。運が悪けりゃ顔がわからなくなるぐらいにボコられて、川に捨てられる」


 会がお開きになったので、拓郎が丸川タクシーを呼ぶことなり、乗る人の人数を確認した。


「俺たちは歩いて帰るからいいよ。そんなに飲んでいないし」


 伸也が言って、麻衣子が頷く。


「いいけど気をつけろよ。アルコールが入ると突発的に色が消えるときがあるんだからな」


「わかってるって」


 雄大の言葉に、伸也がうるさそうに応えた。


「昇平君も電車だよね」


「はい」


 しばらくしてタクシーが二台来たことを店員が告げた。金を払い、店員の案内で部屋を出た。丈一郎はしこたま飲んでいたので、すでに顔の半分が透明になっている。誰もいない廊下を通り、店の外に出た。透明になりかけているメンバーを囲んで隠すようにして、タクシーに乗り込んだ。


「じゃあ気をつけてな」


 雄大が伸也たちに窓から声をかけて、タクシーが発進した。


 伸也たちが飲んでいた店は『なかきよ』だ。DROPメンバーが宴会をするときは、ほとんどこの店で行われる。丸川タクシーも透明症に配慮してくれており、透明症患者御用達の業者だった。


 店の前で昇平とも別れ、伸也と麻衣子は夜の街を歩いた。麻衣子が伸也の右腕を抱えるようにしながら寄り添ってきた。服の向こう側から、彼女の体温と柔らかな体の感触が伝わってくる。少し冷たい秋の夜風が、アルコールでほてった頬を冷やして心地よかった。


 こうして歩いていると、世界が完璧じゃないかと思えてくる。それが幻だとしても、間は幸せな気持ちだった。


「そういえば、翔太と裕実の仲はどうなってんの?」


「相変わらず。お互いプロだからステージではきっちりやっているけど、練習は最悪よ。荒川さんも早くグループの組み替えをやってほしいわ」


 ため息交じりに呟く麻衣子に、伸也は苦笑いを浮かべた。麻衣子もDROP所属のダンサーだ。メンバー間の恋愛は自由だが、ステージに影響を及ぼすのは御法度だ。何かあれば、すぐに控えへ回される。


「なかきよ」から五分ほど歩くと麻衣子が住むマンションが見えてきた。


「ねえ、寄ってく?」


 麻衣子が頬を伸也の肩に押しつけながら、潤んだ目で見上げた。


「ああ」


 麻衣子の腕の力が強まった。


「ちょっとすいません」


 二人の世界へ冷や水をかけるように、不意に背後から声をかけてきた。振り向くとそこに、ひょろ長い中年の男が一人、立っていた。デニムジャケットに茶色のチノパン、肩に黒いショルダーバッグを掛けている。いぶかしげに見ている伸也たちに、男は微笑みを浮かべながら近づいてきた。


「もしかして、あなたたちはDROPのダンサーさんじゃないですか」


「どうしてそんなことを聞くんですか?」


 肯定も否定もせず、聞き返す。DROPのダンサーである事を肯定するのは、自分たちが透明症であることを肯定することでもある。慎重な受け答えが必要だ。


「『なかきよ』はDROPのダンサーさん行きつけの店だって聞いていたものですから、コンタクトしたくてずっと待っていたんですよ。ほら、DROPはファンの出待ちが禁止で、通用口にいると警察を呼ばれるじゃないですか」


「ちょっと待ってよ。全然話が見えないんだけど、ダンサーに会って何をしたいんだ」


 伸也の体が警戒心でこわばる。隣でも麻衣子が、うさんくさげに男を見ていた。


「失礼しました。私、こういう者です」


 男はショルダーバッグから、名刺を取り出し、二人に渡した。「フリーライター 黒岩政志」と書いてあった。


「主に雑誌やウエブで記事を書いていまして。『ザ・アンダーグラウンド』とか『UKW』とかご存じですか」


「名前は知ってるよ」


 伸也は警戒心を強めた。『ザ・アンダーグラウンド』は名前の通り、薬物や売春と言った裏家業の記事を掲載しているメディアで、『UKW』はUFOや幽霊と言った胡散臭い話を数多く掲載していた。特に『UKW』は、透明症に関してひどいデマを何度か掲載して、安田の全国透明症協議会から抗議を受けていた。下手に喋ると、デマのネタにされかねない。


「実は今、栗山奈緒さんの行方を調べておりまして」


「栗山……?」


「渋谷で発作を起こした子よ」


 横で麻衣子が呟き、黒岩が目を輝かせる。「そうですそうです。栗山さんをご存じですか」


 思い出した。道玄坂でパニックを起こしていた子だ。同時に、奈緒のことを口にした麻衣子へ苛立ちを覚え、先に思い出さなかった自分を悔やんだ。


「彼女がどうかしましたか」


「栗山さんが発作を起こした後、連絡がつかなくなったのはご存じですね」


「いいえ。僕たちはそんな子がいたという話を聞いただけで、その後の消息までは知りません」


 話を聞いただけというのは嘘で、消息を知らないというのは本当だった。奈緒を助けた後、安田からは連絡がなかったし、伸也も興味がないので問い合わせはしなかった。


「そうなんですか。渋谷で発作を起こした栗山さんを助けたのが、DROPのダンサーさんだったと聞いたので、何か知っているかと思いまして。もしも栗山さんの消息を聞きましたら、名刺の電話番号へ連絡していただけると助かります。それでは失礼します」


 会釈をして足早に歩き去ろうとする黒岩に声を掛けようとしたとき、麻衣子がぐいっと右腕を引っ張った。


「あの子のことなんか、どうでもいいじゃない」


 不機嫌そうに、口をへの字に曲げた麻衣子がいた。


「でも、行方不明だなんて気になるじゃないか」


「全員が透明症コミュニティの世話になる訳じゃないでしょ。あたしたちと一切関わりを持たない主義の人もいるわ」


「そうだけど」


 透明症患者の中には、コミュニティはもちろん、障害者の認定さえ受けない人もいた。彼らはひたすら自身が透明症であることを隠し、通常の人と同じように生活している。無論透明症を理由に就職や施設で差別を受けるのは法律で禁止されている。しかし現実には透明症患者であることを表明して、企業が積極的に採用することはない。透明な状態でプールに入れば、周囲の人々がパニックに陥る。そんな差別に耐えられないのだ。


 彼女が隠れ透明症であればいいのだが、あんな胡散臭げなライターが消息を調べているのは、ちょっと普通じゃない。


「あの子、毎回デートの邪魔をするんだから」


「彼女のせいじゃないだろう」


「うるさい、うちに行くよ」


 伸也は麻衣子に引っ張られるようにして、歩き出した。

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