34,懐答

ここまで背筋が凍る事などあるのだろうか?

桜たちが探している相手は空想上の存在。それだけではない、フィクションだと思われる物語は、実は事実であった可能性が高い。


その現実を桜たちは、受け入れなければならない。更に彼女に至っては、神が誰なのかを疑心暗鬼を生じる間もない状況に追い込まれていた。


『状況は極めてかんばしくない。だが、幸いな事もある。それは美幸さんたちがまだ、彼女に会っていない事。今の内に、その本から可能な限りの情報を得て下さい。その情報を元に対策を考えます。こちらも、彼女の情報を再度調査します』


美幸は役目を終えた携帯を、鞄にしまう。


「聞いた通りよ。今すぐその本を読み進めてもらう必要がでてきたわ」


「本を持ち出す選択肢は?」


反射的に、桜は美幸さんに質問するが―――。


「避けたいところね。彼女がいつ戻ってくるかは分からないけど、此処に侵入した事はバレたくない」


「ですよね―――」っと、うつむく桜。


「手遅れじゃないですか?」


響鼓きょうこもそう思う?」


「えぇ、全てを鵜呑みにすれば、相手は世界最強の聖剣を作り出した相手。むしろ今、私たちが無事な事が不思議なくらい」


美幸は頭を抱え、「そうよね~」っと、項垂れていた。


「和樹君も同じ意見だったようね。護君を寄越すように言ってくれたのだけど、彼は仕事中らしく、すぐには此処へ来れないみたい。だから―――」


申し訳ない表情で私の顔を見つめる美幸。

「このとおり」っと、桜に祈りを捧げる響鼓。


桜は一息ついた後、「やります」っと、返答する。


「「桜ちゃん、ありがとう」」


桜は2人の感謝の言葉を聞き、少し気分のいい気持ちで本を開く。だがその表情はすぐ苦悩する。


何故ならば、500ページは優に越える本であるからだ。最初から最後まで読むのは到底無理な話。更に、桜にはもう一つの問題があった。それは、最初の箇所以降、全く読めない事にある。


元から読めない筈の文字。当然と言えば当然なのだが―――。


パラ、パラ、パラ、パラ。


パラ、パラ、パラ、パラ。


桜は2人に現状を伝えた上、最初の箇所と同じように読める箇所がないか必死に探し始めた。


パラ、パラ、パラ、パラ。


パラ、パラ、パラ、パラ。


間もなく、本のページは半分に到達する。

桜の額には汗が流れおち、焦りを抑えようと自身の唇を噛む。


1429年6月18日 天気は、晴れ。


「あ」


一瞬読めた一文に声を漏らし、桜は手を止めた。読めたページまで戻り、内容を確認し始める。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


1429年6月18日 天気は、晴れ。


島国のイングランドと、昔の故郷フランスが戦争を続けていた。その期間、疫病を含め90年。


主の言葉に異議などないが、賢い枠には遠く及ばない連中だ。たかが、王位の継承でここまで戦を続けるとは―――。


しかし、それも終わる。神がつかわした1人の戦闘狂がこの愚かな戦争を終わらせると主がいった。ならば、その通りに事は運ぶ。


とはいえ、あの森林に隠れる伏兵の数と長弓ロングボウでは、彼女も苦戦する可能性が高い。ここは変装の得意な我がしもべに、一役買って出てもらおう―――。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


桜は本の内容を音読する形で、2人に共有する。読み終わると同時に、桜はすぐさま次に読める箇所を探し始めた。そう、解読している時間は彼女たちにはない。


それは何故か。3人の中で、家の主が帰ってくるという共通認識が芽生えて始めていたからだ。勿論、そのような情報はない。だが、ここまでに得た事柄が、必要以上の恐怖と焦燥を駆り立てていた。


パラ、パラ、パラ、パラ。


パラ、パラ、パラ、パラ。


桜が次に読める箇所はなかなか現れず、本を捲る音が無情に流れていく。


「そんな―――」


残りのページが10ページを切った辺りで、桜の絶望に満ちた声が漏れる。美幸と響鼓は、彼女を只々見守るしかなかった。


パラ、パラ、パラ、パラ。


パラ、パラ、パラ、パ。


本の音が途中で止まる。


「え?」


その原因は、何か長方形の厚紙が挟まっており、強制的にそのページで捲る音が止まったようだ。


「1989年6月14日?」


その長方形の厚紙には、桜が口にした文字が記されており、彼女はその厚紙を右手で持つ。大きさは、丁度写真と同じぐらい。


「写真?」


それもその筈。桜がそれを持った瞬間に、写真特有のツルツルとした感触が彼女の指先に伝わっていた。桜はそのまま写真を裏返す。


「―――っ!」


彼女は言葉を失い硬直する。


「桜ちゃん?」


「どうしたの?」


美幸と響鼓はそれぞれ桜に声をかけつつ、同時に桜が見ている写真を確認する。


「え?」


「は?」


美幸と響鼓は、それぞれ驚愕した声を発した。


「な、何で江ちゃんと薫が一緒にいるの?」


響鼓が写真の状況を口にした。

写真の内容は、鹿島 江と学生時代の鹿島 薫と思われる2人が、真剣な表情で何かを話し合っている様子のモノだった。


存命する2人が写っている事に何ら問題はないのだが、写真の裏側に記された“時間”と、薫が持つ "若い姿”の違和感に、3人は動揺を隠せないでいた。


「そう、そうよ!」


美幸が何かを思い出したように、写真の右側に居る江と思われる人物を指差した。


「大学時代、薫君は江ちゃんの事を自分のお母さんと見間違えていた。だから、年代を察するに彼女は薫君のお母さん、桜ちゃんのお祖母ばあ様」


「おばあちゃん?」


「そう!で、これは推測だけど左側の薫君に似た人は薫君のお父さん。つまり、桜ちゃんのお祖父じい様じゃないかしら?」


「な、成程」


桜は安心したのか強張った表情が少し緩やかになった。そして改めて写真を見返す。


「でも、何で2人のツーショットをヴィヴィアンさんが?」


「そ、それは―――」


必死に桜の回答を考えようと思考を巡らせ、目頭を抑える美幸。


「その前に、そこの文章は読める?」


その時間を稼ごうとしたのか、慌てて響鼓は2人の会話に割り込んだ。


「え、えっと―――」


桜は響鼓に言われるがまま、目線を本に移す。


「よ、読めます!」


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


1989年6月14日 天気は雨。


屋外では雨音が激しい。

これでは暫く、この場所から動けない。が、今は都合がいい。何故か、それは“主”と“お嬢様”が真剣な話を行っているからだ。“奥方”は物珍しいのか、主に買ってもらったカメラで2人を撮り、主に怒られている。


ここだけ抜き取れば微笑ましい限りだが、現状は極めて芳しくない。神が我々の存在に気付き、傘下に入れと迫ってきた。その決断を主が下す最中。


どちらにせよ、我々は主に従うのみ。

ヘルメス旅団よ、永遠に~


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


「これって、どういう事?」


「桜ちゃん―――」


響鼓は自身の発言に、後悔の表情を浮かべた。


ギシ。


「この文章が正しければ―――」


ギシ。


「“父さん”が主で」


ギシ。


「“江”がお嬢様で、“母さん”が奥方で―――」


ギシ


「私は?」


「家主の留守に空き巣、いい趣味をしている」


「「「っ!」」」


本の内容に集中し、階段の足音に気付かなかった3人は、声のする方へと振り返る。その先には、金髪の長い髪を一つにまとめ、赤い服、青いデニムの格好の女性が、腕を組んで立っていた。

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